『FRACT OSC』 デジタル荒野に埋もれた音

FRACT OSC』は、新興スタジオ Phosfiend Systems の手がける一人称視点の探索型パズルゲームである。かつて INDIPENDENT GAMES FESTIVAL 2011 の学生作品部門で最優秀賞を勝ち取ったという経緯を持つタイトルであり、同年の入選作の中には『Octodad』『Tiny and Big』など、その後商用販売に至ったタイトルがいくつか存在する。

 

音楽的探索ゲーム

公式に「musical exploration game」と銘打つとおり、本作のメインは探索である。抽象的でビビッドな色彩、ネオン管を思わせるオブジェクトと荒廃した建物の中をひたすら歩きまわり、解くべき「パズル」を探してゆく。

ゲームをスタートすると最初に広がるのは薄暗い部屋。HUDは無に等しく、かろうじて何かのオブジェクトにインタラクトする際に出るクロスヘアだけが本作に「ゲームっぽさ」を残している程度だ。

ここでまずプレイヤーは洗礼を受ける。このゲームは何も説明してくれない。人によっては操作可能になっていると気づくまでに数分を要するかもしれない。目の前の南京錠マークに支配された機械についての説明も、次にどこへ行くべきかも、そもそもゲームの目的も。本作はその全てをプレイヤーが自分で探索して見つけだすゲームなのだ。

 

スタート地点。私はここから出るのに10分かかってしまった。
スタート地点。私はここから出るのに10分かかってしまった。

 

そのアクセントとして存在するのが世界に点在するパズルである。本作は基本的に無音のゲームなのだが、パズルのギミックだけはサウンドを発する。そしてパズルの解き具合や状況に応じてサウンドが変化していき、問題が解けた瞬間にBGMが完全なものになる。この時の光と音の演出による爽快感が本作の最大の醍醐味といっていいだろう。パズルを解くことで道がひらけ、マップ的にも先に進むことができる。本作の探索はこの「パズル探し」を目的としている。

そのパズルの解き方やインタラクトの仕方にも説明は一切ない。プレイヤーは「パズルらしきもの」を発見し「問題の内容」を自分で把握し「インタラクトの方法」を探らなくてはならない。HUDの希薄さと相まって「自分で探索している、解いている」という感覚が強く感じることができる。パズルも地形を活かした凝ったものは解き応えがあり、ここはかなりのやりがいを感じさせてくれる。

グラフィックにも見るべきところはあり、ロケーションの違いによる世界の表情の変化は多い。フィールドそのものが広いほか、上下の広がりもなかなかのもので、順調に進んでいる間は見ていて飽きない。本作のメインコンテンツは間違いなくこの広大な世界だ。

 

パズルの一例。どういう仕掛けで、どのように操作して、結果どういう変化が起こるのか。 ナビゲーションのたぐいは一切なく、プレイヤー自身で把握していく必要がある。
パズルの一例。どういう仕掛けで、どのように操作して、結果どういう変化が起こるのか。

ナビゲーションのたぐいは一切なく、プレイヤー自身で把握していく必要がある。

 

広すぎた世界

広大――そう、本作の世界は広大である。過剰とさえ断言できるほどに。

本作をプレイしている間、最も多い時間は何かというと、パズルを解いている時間ではなく移動時間だ。より正確に言えばパズルを探している時間、道を探している時間である。本作はナビゲーションというか導線というものが極力廃されており、自分がマップのどの辺りにいるのか、この辺りには何があるのかといった情報は、点在するワープポータルでかろうじてうかがい知ることができるようになっている。当然ワープポータルも自分で探すことになる。

しかし本作のフィールドはあまりにも広大すぎる。遅いスプリントやジャンプがない(本作はしばしば地形の出っ張りに引っかかる)操作系、そして「パズル周辺以外は無音」という虚無感がこの広さに精神的拍車をかけており、はじめこそデザインを堪能できた風景もあっという間に色あせ、移動時間は苦痛に満ちた探索になってしまう。

そもそも探索ゲームとして見るとシステム的にどうかと思われる動作がかなり多く、一方通行の箇所が多いわりにリカバリーの方法がなくて戻されたらリセット確定、移動床のようなギミックはよく床を突き抜けて落ちる、地形によっては地面の出っ張りに引っかかる等、探索「ゲーム」としての作り込みは全くなされていないというのが正直なところだろう。

移動時間が長いゲームなのだから、景色を鑑賞させるにしても移動そのものの快適性はもっと追求して欲しかった。パズルゲームという実りを求めてデジタルで作られた無音の荒野を彷徨うのもはじめのうちは楽しいが、物事には限度というものがあり、本作はその限度をいささか踏み越えているように思う。

 

ワープポータルで見られる全体マップ。本作唯一といえるナビゲーション要素。 マークがどういう意味で、光っている場所とそうでない場所の違いはなにか、などの情報は自分で考える必要がある。
ワープポータルで見られる全体マップ。本作唯一といえるナビゲーション要素。マークがどういう意味で、光っている場所とそうでない場所の違いはなにか、などの情報は自分で考える必要がある。

 

曖昧な姿

サウンド、それにリンクしたパズル、ベースとなるデザイン、世界観。個々のパーツは非常に高いレベルでできているのに、それぞれをひとまとめのゲームとしてみた時に致命的に噛みあっていない。かといって、そのどれかひとつの要素でも削ってしまうと本作は成り立たなくなってしまう。本作は独創的なパズルゲームではない。かといってインタラクションにとぼしいアート系タイトルかと言われるとそれも違う。少なくとも音ゲーなどではありえない。本作はそのどれにもなりきれていない中途半端なゲームなのだ。

本作を楽しむにはかなりの寛容さが必要だ。学生の作ったデモテープに秘められた可能性だけで全てを許せるような寛容さが。そして本作でその可能性の輝きが見られるのは、長い長い移動時間と比べるとあまりにも儚い瞬間にすぎず、それは本作を形作るデジタルの砂漠に浮かぶオアシスには成りえない。

 

Rokurou Eyama
Rokurou Eyama

ビデオゲームとアメコミとバイク(盗難被害遭遇済)をこよなく愛する30台前半。レトロゲームも最新ゲームも等しく同じ大切なプレイ対象である。

幼少期に出会った『マーブルマッドネス』の衝撃でビデオゲームに目覚め、なぜか実家に転がっていたMSX2+に親しみ、バーチャルボーイに立体視の未来感を植えつけられゲーム人格が形成されていった。STGからRTSまでどんなジャンルも遊んでみるが女の子がいっぱい出てくるゲームは苦手。

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