鍛冶する死にゲー『Blades of Fire』レビュー。昨今のゲーム業界の苦しさと可能性を象徴する「AA」ゲーム

昨今のシーンを象徴する一本と言える。

レイオフの多発など、混迷極まるゲーム業界。持続可能な開発体制を目指し、「利益と表現の拡張」の両立に向け、楽しむにあたって人を選ぶ「AAゲーム」にも注目が集まっている。今回プレイした『blades of fire』もまた、間違いなく「人を選ぶ」……「本作を楽しんでもらえる人に向けて作っている」ゲームである。その態度が導く先は閉塞なのか、それとも発展なのか。昨今のシーンを象徴する一本と言える。

『Blades of Fire』は、MercurySteamが開発し、505 Gamesがパブリッシングしたアクションアドベンチャーゲームだ。対応プラットフォームはPC(Epic Games) / PS5 / Xbox Series X|Sとなっている。ゲームの舞台になるのは、女王によって鉄が石になり、鉄器が消滅した世界。プレイヤーは「鍛冶の力」を手に入れたアラン・デ・リラとして、女王を討つべく仲間と共に立ち上がる。

※本稿は505 Gamesから提供されたレビュー用コード(PS5版)でのプレイにもとづき執筆

武器を鍛造して楽しむ死にゲー

本作の特徴は、「武器の鍛造」を構造の中心に据えた戦闘システムにある。プレイヤーは『ダークソウル』などでお馴染み、一撃が致命傷となり得る高難易度な3D戦闘を戦うことになるが、攻撃の際に4つの部位を選択できるようになっている。そして、部位ごとにダメージの通りやすい攻撃の種類が決まっている。刃物が通りやすい部位もあれば、刺突系の攻撃が通りやすい部位もある。ハンマーのように、衝撃を叩きつける攻撃が適した場合もあるだろう。

この仕様に合わせて、プレイヤーはさまざまな武器を鍛造し、使い分けていく。短剣、長剣、手斧、槍、太刀、ハンマー……。武器には耐久値と鋭さが設定されており、戦闘中に研磨しなければ威力が落ちるだけでなく、最終的には耐久値が無くなって壊れてしまう。つまり「使い捨て」になっているというわけだ。こういったシステムを持つ作品は、高いゲームオーバーのリスクと合わせ、「敵と戦わない」行動も立派な戦略となりうるが、本作は違う。積極的な戦闘を通じ、武器を使い潰すことを奨励している。というのも、戦闘から得られるリターンの種類が非常に多いのだ。

代表的なものとしてはまず、鍛造レシピの開放がある。本作は扱える武器を増やすに際して、特定の敵を一定数倒す必要がある。敵が使っている武器を学び自らのものにする、という作中設定をシステムに落とし込んだものだ。レシピの開放とセットで、モンスター図鑑が埋まっていくという楽しみもあるのが嬉しい。当然ながら、強敵を倒すと貴重な素材が手に入るため、強い武器を作るには連戦を通じたプレイスキルの向上が不可欠となる。次に挙げたいのは修理回数の仕様と武器の名声である。

本作は品質の良い武器の鍛造に成功すると、耐久値を回復できる「修理」の回数が増えるという仕様がある(内容は後述)。また、同一の武器を使い続けることによって、武器の名声が上昇。その大きさに応じて、貴重な素材と交換できる。更に言うと、本作の戦闘は俗に言う「死にゲー」であり、個々人におけるプレイスキルへの依存度が大きい。つまり、戦うほどにプレイスキルが向上し、武器をより強い武器へと更新できるようになっていく。「武器を取っておく」メリットがそこまで高くないのだ(もちろん、ボス戦に対して秘蔵の一振りをインベントリの奥からひっぱり出す戦術は有効である)。

この仕様によって生まれているのは、死にゲーにもかかわらず敵をしらみ潰しに討伐していくという特異な体験だ。本作は1つのエリアにおいて登場する敵の数が、類型作品と比較すると非常に多い。切った張ったのせめぎ合いの中で、リアルタイムで攻撃対象を切り替え、攻撃する部位を切り替え、手持ちの武器を切り替える。血と臓物で出来た赤い波を必死にかき分けていく。するとその先に見えるのが、「新たな武器の鍛造」というご褒美である。

本作における武器の鍛造は、主に2つのフェーズに分かれている。パーツの材質や形状を決定するフェーズと、実際に鍛造するフェーズだ。まず「材質と形状の決定」については、かなり細かく設定することができる。たとえば剣に関しては、斬撃と刺突、どちらを伸ばすかを考慮することに始まり、刃の摩耗のしやすさや、一度の攻撃で失われるスタミナの量などを調節することができる。なかには武器の種類によって向かない強化の方向性もあることに注意したい。斬撃しかできない大群向けの武器に、刺突武器向けの素材を使っても意味はない。もちろん、貴重な素材を使うほどにステータスは伸びる。やがて「鍛造するフェーズ」に移ると、ハンマーを使って成形を行うミニゲームをプレイする。ハンマーを振るった数が少ないほど高評価になり、武器の耐久値を伸ばすことができる。ちなみに同じ武器種であれば、過去に受けた評価をそのまま今の武器に当てはめることが可能。ミニゲームをスキップできる。最後に名前をつけて完成だ。

過去に装備のクラフト要素を取り入れた高難易度アクションは数あれど、ここまでクラフトを中心としたシステムを組んでいる作品は珍しい。手間のかかる工程を経て、相棒と呼べるような武器を鍛造し、ジャンルではお馴染みとなったパリィや回避を絡めながら、直感的に、そして戦略的に死闘を制していく。そのうち、武器種ごとに異なる間合いやモーションを自然と習熟している自分に驚くことになるだろう。鍛造から戦闘まで、多方向でのスキルアップがゲームクリアという一点に収束していく快感は、本作における明確な個性として存在感を放っている。

一点突破な「AAゲーム」として

しかしながら、本作には明確な欠点が存在する。というより、ある種の”制約”と表現したほうがいいだろう。『Blades of Fire』は興味深い個性的な戦闘システムを特徴としている作品であり、それが本作のすべてである。他の要素についてはこの戦闘へプレイヤーを誘導させるために存在している。

たとえば本作の地形は、プレイヤーを意図的に迷わせるべくデザインされている。出口への誘導が弱いのはもちろん、階層構造を強く意識しており、休憩による敵のリスポーンシステムや上下階の往復を通じて、道中で何度も戦闘が発生するようにデザインされている。中には隠し道を発見しないとクリアできないダンジョンもあった。おそらく開発経験のあるメトロイドヴァニアの3Dバージョンを想定しているのだろうが、三人称視点を通じて流れ込む大量の視覚情報を整理できておらず、高難易度戦闘によって生まれるストレスを増幅させていることは否めない。

探索の報酬である、武器種ごとに鍛造要素を強化してくれる像については、対応している武器種を所持している場合のみ効力があるため、仮に対応する武器を持っていない場合、迷いやすいダンジョンを引き返し、武器を作って戻って来る必要がある。先述したモンスター図鑑についても、戦闘をさせるために存在する要素である。作中展開されるストーリーは退屈な内容とは言えないものの、随時発生する戦闘体験に対して箸休め以上の機能を持たない。つまるところ本作は、各要素に面白さが用意され、その面白さがシナジーを形成し1つの作品を形づくっているのではなく、各要素が作品の核となる戦闘と鍛造に誘導させるため存在しているゲームである。

よって、プレイヤーの各行動が戦闘や鍛造までの「待ち時間」化してしまっていることは否めない。仕様の都合上、ゲームをプレイしている中で楽しめない時間が確実に存在する。これが本作の明確な欠点であり、開発規模の都合上発生する「制約」である。いわゆる「選択と集中」の結果なのだと推測する。

ところで近年、開発規模由来の「制約」が付きまとうゲームの躍進が著しい。俗に「AAゲーム」と呼ばれる作品群である。最近のタイトルで言えば、『Clair Obscur: Expedition 33』などが有名だ。こういった作品のいずれもが、明らかに洗練されていない部分を抱えているものの、制作者が提供したい体験の核については十二分に気合が入っている。「作品全体の完成度」という尺度が最初から勘定に入っていないゲームになっている。こうした構造を許容してくれるユーザーを想定して生まれた「商品」でもある。

『Blades of Fire』もまた同様のコンセプトを含んだゲームであり、商品だ。こういった作品は提供したい体験が洗練されていない部分を塗りつぶせているか否かが、筆者における評価の基準になる。そして本作の場合は、少なくとも人に両手を挙げて勧められる作品ではない。作品の核となる「戦闘と鍛造」体験と、それを体験できるまでに生じる「待ち時間」の退屈さを天秤にかけた際に「プレイヤーが笑って水に流さなければならない」部分がかなり多い。特にメトロイドヴァニアの3Dバージョンを意識し、オブジェクトに黄色のペイントが塗られていない世界を楽しむにはかなりの素養が必要だ(筆者は楽しめた)。とはいえ、クラフトを中心に据えた高難易度な戦闘体験は間違いなく『Blades of Fire』でしか味わえない明確な個性である。

持続可能な開発体制を目指し、「利益と表現の拡張」の両立に注目が集まっている昨今。正直なところ、MercurySteamには、より洗練された作品づくりを行ってほしいところではある。だが、失敗の許されないリッチなAAA作品のみならず、かつて融通の利いていた小規模開発作品と呼ばれる領域までもが、表現の拡張ではなく利益偏重の傾向にある中で、本作のようにユーザーとの信頼関係を前提とする尖ったデザインは、15年以上昔に体験したゲームの懐かしさを感じさせつつも、筆者の目にまばゆく映っている。「自分を好きになってもらえる人に向けて作る。」その態度が導く先は閉塞なのか、それとも発展なのか。今後のゲームシーンに期待を抱かせる1本だった。

Takayuki Sawahata
Takayuki Sawahata

娯楽としてだけではなく文化としてのゲームを知り、広めていきたい。ジャンル問わず死にゲー、マゾゲー大好き。

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