『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』レビュー。後世に語り継がれるであろう、人類の進化を体現する傑作

『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』は前作に引き続き素晴らしい作品になっているのか。結論から言えば、続編として理想的なクオリティをもった作品であった。人類の進化を体現する傑作である。

文字通り伝説のゲームとなった『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』(以下、ブレス オブ ザ ワイルド)。その続編として登場した『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』(以下、ティアーズ オブ ザ キングダム)は前作に引き続き素晴らしい作品になっているのか。結論から言えば、続編として理想的なクオリティをもった作品であった。ゲームは足を使ったサバイバルから手でつなぐ社会活動へ。人類の進化を体現する傑作である。なお、本稿は最下部にストーリーのネタバレを記載している。該当箇所の直前に太字で注意文を入れている。


ゲームは足を使ったサバイバルから手でつなぐ社会活動へ


「ゼルダのアタリマエをみなおす」という題目のもとに生まれた『ブレス オブ ザ ワイルド』はゲームの歴史に名を残す傑作であった。同作は、オープンワールドと攻略順不同の組み合わせにより、初期のシリーズ作品へゲームデザインの原点回帰を計った。そしてそれに伴って導入された、プレイヤーを動かし続けるフィールドデザインである「オープンエアー」と「ゲーム内の自然法則」は、意味のない移動時間が多すぎるというオープンワールド作品がもつ課題を解決することに成功した。この手法は今でも数々の作品に影響を与えている。

また、オープンエアーとゲーム内の自然法則の組み合わせはプレイヤーがゲーム中に」ふと考えたことを出力させ肯定してくれるという点で、高い自由度を表現している。草木に火をつけたら燃えてほしい。卵とご飯と肉を炒めたらチャーハンができるだろう。弓から放たれた矢は山なりに飛ぶはずだ。知らず知らずのうちに学習した結果ではあるものの、現実に生きる自分の直感的思考が、ゲーム中で思った通りに肯定されるという点での自由である。ここにスリルある戦闘や、武器の損耗という概念が加わることにより、作品全体で「生き続ける」というテーマを体現していた。

厄災によってほとんどの建物が破壊され、大切な友人たちは既にいなくなり、世界には死の危険が常に漂っている。それでもなお生きてゼルダを救うために何をすればよいのか。さまざまな死、滅びが先に存在している背景設定や、原始に近い縄文時代をモチーフとしたようなアートデザインを彩りとして添えながら、『ブレス オブ ザ ワイルド』は美しくも残酷な世界を前に、生きて事をなすため、懸命に考え足を動かし続ける作品であったと言える。

そして初作から約6年。直接の続編として登場した『ティアーズ オブ ザ キングダム』は続編作品としてほぼ理想形であると言っていい。作品のテーマは足を使って「生き抜く」ことから手でつなぎ合わせる「社会活動」へ。「生物」から「人間」へ。本作のゲームシステムは土台こそ前作から継承されているものの、そのほとんどは刷新されている。それでもなお、作品の連続性を感じさせる中身になっており、体験の変化と継続を両立させているその姿は、正に人類の進化を体現している。


『ティアーズ オブ ザ キングダム』という作品を語る上でまず触れなければいけないのは、新たなシステムである「ウルトラハンド」と「スクラビルド」によって導入されたクラフトゲームライクな要素だ。ウルトラハンドは大きな道具を、スクラビルドは武器をはじめとする小さな道具を自らの手で作り出すことができる。これらの機能は、前作における「プレイヤーが考えたことを肯定してくれる」要素を“身体機能”の観点からプラスするものだ。

この要素の素晴らしい点は作成可能なものを「道具」に絞った点にある。前作から引き続き、本作の肝は「自分の考えたことが肯定されることを通じた自由度の高さ」にある。そして道具とは身体機能を拡張するものであり、身体にまつわる発想はプレイヤーがイメージしやすい。「もっと速く移動するにはスピードが必要だ」「水面を移動するには浮いているものと動力が必要だ」「高く飛ぶには飛行機が要る」クラフトゲームであることに振り切らず、作れるものをある程度制限することで思考を誘導し、かつ発想しやすい仕組みにすることで自由度の面白さを体験させる。外見こそシリーズにおいて新しい要素ではあるが、根本的な部分では前作から変わっていない、続編に相応しい仕様の1つだ。

興味深いのは、ウルトラハンドによって作成可能な道具がどこかおもちゃのように見えるところである。プレイヤーがゲームを理解していくにつれて、制作内容は単なる身体機能の拡張から、個々人のこだわりが乗ったごっこ遊びへと変化を見せる。道具の役割が「機能の理解」から「象徴的思考の素材」に変化していく過程は、おもちゃが古くからもつ役割そのものだ。

プレイヤーは自らの手でおもちゃを作り、遊び、知を育む。「ウルトラハンド」という名称が、ゲームクリエイター横井軍平氏の手がけた「ウルトラ」シリーズ第一弾のおもちゃと同じであることや、大衆がもつゲームに対する認知が変わりつつあることを踏まえれば、本作はもしかすると新時代の知育玩具として制作されたのかもしれない。


また同様に、プレイヤーが勇者である物語の都合上、「クラフトした道具」が、外敵の排除やNPCの救助などで、何かしら社会の役に立っていることも見逃せない。自らの手で作ったものが、誰かの手を繋ぎ止める。こうして少しずつ積み重なっていく成功体験は、ゲームプレイ継続の動機を保つための燃料になるだけでなく、現実での自己肯定感に変換されていく。文中で何度も述べているが、本作の肝は「プレイヤーが考えたことを出力させ肯定してくれる」要素である。言い換えれば、現実とゲームが接続されるのだ。ゲーム内で発生した成功が、現実の私たちに良い意味でフィードバックされる。

前作が発売されたあと、Amazon.co.jpで掲載されたレビューが注目を集めた一幕があった。前作を遊んだユーザーが、日常の一風景でしかなかった現実の山に「登れそう」との想いを抱いた、といった内容だ。そして『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』ではそれに影響を受けたとされる海外向けCMが話題になっていた。そうしたレビューが共感を呼んだ理由は、ゲーム中に抱く素朴な感覚を出力させ肯定してくれる作用にあるだろう。そして本作では手間をかけて道具を作る分、この作用をより鮮明に受け取ることができる。

一方、クラフト要素とは異なる新システムとして実装された「トーレルーフ」と「モドレコ」については、戦闘に応用可能など汎用性に長けた面白い機能である。ウルトラハンドとスクラビルドが素朴な感覚を異なる方向から新しくプラスするものであるなら、この2つはともに旧来から続く「考えたことを肯定してくれる仕組み」を拡張するものである。本作は続編という都合上、前作のフィールドを大きく踏襲しているが、この機能のお陰でフィールドやオブジェクトの見方が一変する。探索中に天井を探したり作り出したり、飛んでくるものに対してその機動を考えたり乗れるかを試したりするようになる。作品の連続性を保ちつつ、体験の変化を強く押し出すシステムの1つである。


これらの新システムを踏まえ、本作では旧来のフィールドであるハイラルが引き続き登場しているが、内容としては大幅な変化がなされている。さらに「天空」と「地下」という2つのフィールドが追加された。前作は徒歩による移動をオープンエアーによって遊びに変える、横移動の遊びを主軸にしていたが、本作では追加要素を通じて、ここに「縦移動」の遊びが加わっている。縦移動の遊びは多くの場合、手作りの道具を必要とし、生存圏を地上から拡大していく人類の営みを表現するものでもある。

「天空」は狭い足場と移動ギミックによって形成されており、一方「地下」は上下に入り組んだ暗がりをアイテムによるマッピングを通じて攻略していくものになっている。両者ともに快適な移動には道具が必要な点で一貫しており、道具の作成にはそのときどきで所持しているリソースを消費する必要がある。つまり、新たなフィールドはプレイヤーによって行動内容の違いが際立つようデザインされている。これはSNSやストリーミングが共にある現代のゲーム文化にマッチしており、作った道具や行動内容をシェアし合うことで、友人知人ともつながりを深めることができるだろう。これもまた人類の営みである。「地上」については、地形自体の変化だけでなく、崖の壁面に洞窟というミニダンジョンが追加されている。内容としては狭さが強調され、最奥に報酬のあるシンプルな空間ではあるものの、存在すること自体が既存のフィールドに対して新たな視点を加える、意味のあるものになっている。


『ゼルダの伝説』シリーズといえば、入り組んだダンジョンと謎解きが特徴的ではある。本作ではメインダンジョンの内容が、前段階を含めると『ブレス オブ ザ ワイルド』から大幅にボリュームアップしている。筆者としては前作の内容に対しダンジョンという観点では物足りなさを感じていたので、今回の仕様については満足である。ギミック内容に関してはシリーズおなじみの内容だけでなく、今作独自のモノも存在している。だが、傾向として前作より解法の幅は狭くはっきりとしており、解法そのものに内在する美しさと、クリアさせたいという意思を強く感じるギミックが多いように思われる。

かたやクリアしなくてもいい祠の内容についてだが、前作では解法の美しさではなく課題を達成した際の充実感を重視する傾向にあった。本作ではさらに道具の活用を組み込んだことで解き方の幅が前作以上に広くなっている。筆者はエンディング到達までに105個ほどの祠をクリアしたが、丁寧な攻略からギミック破壊まで、さまざまな形をした「解き明かす面白さ」が用意されているように感じた。メインダンジョンは名前からして過去作のオマージュが入っていることも含め、シリーズ作品全体の特徴をもったメインダンジョンと、前作からの延長線上にある祠という形に分かれている。体験にメリハリをつけるだけでなく、後述する物語の内容に絡めた演出としても機能している。


ここまで新システムに関する評価点を述べてきたが、上手くいっていない部分もある。それは仲間との共闘である。本作はストーリーを進めることで、キーキャラクターたちとの共闘が可能になる。キャラクターたちはリンクと共にフィールドを旅し敵と戦ってくれるだけでなく、個々人で異なる特殊能力を備えており、任意で発動することが可能だ。これは孤独なサバイバルを描いた前作からの大きな変更点であり、本作を象徴する機能の1つではある。しかしながら、視認性の阻害という部分で上手くいっていない。本作は大半の敵の姿がリンクよりも大きいことなどを通じて戦闘の視認性を良くしているのだが、仲間たちの大半もまたリンクよりも大きな体格をしているため、大きさが横並びになり敵を認識しづらくなってしまう。

さらに特殊能力の発動には指定の仲間に近寄る必要があり、大きな仲間が邪魔をして対象のもとになかなかたどり着けないこともある。また仲間たちは戦力としても心もとない。仲間たちは探索を通じて得られるアイテムを消費することで強化することができるが、強化の進んでいない段階ではおとり以上の役割をもつことは難しい。というより、リンクが作れる武器や、巨大な兵器が非常に強力なため、これらが使用できないボス戦などでしか上手く仲間の存在を活用できないのだ。仲間との戦闘バランスの調整は、上手くいっていない印象である。

以下、物語のネタバレを含む


正にゼルダの伝説


「『ゼルダの伝説』というタイトルなのに主人公がリンクじゃないか」。昔から言われている決まり文句ではあるが、本作のストーリーでは間違いなくゼルダが主人公である。人々によって語られるゼルダの痕跡、すなわち伝説をたどり、彼女を見つけ出すことを主軸としたストーリーラインは本作のテーマである「人類の営み」を物語からも表現し、作品がもつ厚みや、前作からの連続性をより強めている。前作でモチーフとして採用されていた縄文時代から時代が進んだ/後退した数々のアートワークは作品全体が掲げるテーマを引き立たせる。歴代ゲームシリーズ以外のメディア作品からもオマージュしているであろう部分も散見され、『ゼルダの伝説』というタイトルが過去から現在に向けて積み上げた軌跡……それこそ伝説をひしひしと感じさせる内容になっている。

そんな本作のストーリーではあるが、前作と明確に違う点がある。それは攻略順不同であることを尊重しつつ「順不同であると困ってしまう」人たちに向け、順不同でも困らない人と同等の体験を得られるようガイドラインの在り方を探っている点だ。具体的にはチュートリアル後にラスボスへ直行可能ではあるものの、ラスボスの居場所を自力で探し出す必要がある形式がとられている。これであればゲームが「ラスボスの探し方」というヒントを提供できる。あくまでヒントという領域に留めることで、ゲームに誘導されている感覚を薄めている。また、前作と同じフィールドにおける特定の地点を探すといったチャレンジもあるが、かなり分かりやすくなっている。

サブクエストの内容自体も変化が大きい。社会や復興、ひいては他者との繋がりを表現する内容が数多い。前作では生きること、個人の生き方を模索することに重点が置かれていたが、今作では集団で人間らしい生活をするためにどうすれば良いかという点がポイントとなっている。前作から継続して登場するNPCの存在と合わせて、孤独さはなりを潜め、賑やかな雰囲気で人間の進歩を表現する。


総じて、『ティアーズ オブ ザ キングダム』は、内容を刷新すると同時に、前作の体験をより拡張する形で新たな面白さを提供することに成功している。足を使って楽しむ横移動に、手を使ってモノを生み出す縦移動の遊び、友と歩み誰かを助ける社会貢献のはたらきを、道具という形に的を絞り遊びやすく組み込んだシステム。これはただ生きているだけではない人類の生き物としての進歩、特徴を端的に表現していると共に、現実の社会に生きる私達へ、心の豊かさと生きていく活力を、画面を越えて与えくれる。変化と進化を、遊びと物語の両面から1つに内包したその姿は、続編作品として理想的な仕上がりとなっている。

そして今作もまた前作と同じように、世界中に影響を与える作品になったことは間違いない。AIの発達によって創作活動がもつ意味合いが変化を見せている昨今。資本主義の外側で、試行錯誤をしてモノを作り上げ、反応を楽しみ、ときに失敗してあまつさえ感謝される。本作を通して、そうした出来事を幅広い世代の、世界中の人々が経験することになる。

創作という行為が単なる「モノを作るまでのプロセス」ではなく、アイデンティティの発露であり、恥を晒す行為でもあり、他者とのコミュニケーションであり、個人の人生そのものでもある、本来非常に多義的なものであるということを改めて認知させる契機となるだろう。これまで以上に創作活動が一般化する時代の到来は必然である。その潮流の中で、創作は「まず楽しむものだ」「若い人だけのものではない」というマインドを、本作は数多くの人々に対し与えてくれる。そして彼らは後世に語り継ぐのだ。『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』というゲームが存在したということを。

Takayuki Sawahata
Takayuki Sawahata

娯楽としてだけではなく文化としてのゲームを知り、広めていきたい。ジャンル問わず死にゲー、マゾゲー大好き。

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