はじめに言っておくと、『スカーレットネクサス(SCARLET NEXUS)』は私たちゲーマーに向けて、いまだかつて味わったことのない、オリジナリティ溢れる体験を提供してくれるような作品では決してない。加えて、本作はストーリーと戦闘アクション、両者を包括し統合する視聴覚演出という3つの構成要素で成り立っているが、文字通り「中身が3つしかない」。世界観を拡張するためのインタラクティブな散策要素=ユニークなサブクエストなど、アクションRPGに見られるお馴染みの面々は軒並み欠席状態である。これではロールプレイもへったくれもない。

しかしながら私は、エンドクレジットを見終えたとき、スクリーンの前で心地よい満足感に浸っていた。それが何故かといえば、物語、戦闘、視聴覚演出。3つしかない中身が、1つずつ丁寧に、丁寧に作られていたから。選択と集中。限られたリソースをどうにか活かして消費者を愉しませたいという開発陣の気概や、作品に込められた高い熱量が、握ったコントローラーを通じてしっかりと伝わってくる作品であったからだ。

可もあり、不可もある。個性はいまひとつ。それはそれとして、私はこのゲームが好きだ。


『スカーレットネクサス』は2021年6月24日、バンダイナムコエンターテインメントより発売されたアクションRPG。ほぼすべての人間が脳を介する直接のコミュニケーションを可能とした脳力(のうりょく)世界を舞台に、サイバーパンクならぬ「ブレインパンク」と題した「抵抗と繋がりの物語」が「ユイト」と「カサネ」2人の主人公の視点より紡がれていく。開発はトーセとバンダイナムコスタジオが担当している。

本作はRPGシリーズである『テイルズ オブ』シリーズの開発メンバーが発起人となり制作されたという経緯を持つ。携わった人物としては『テイルズ オブ シンフォニア』『テイルズ オブ ジ アビス』『テイルズ オブ ヴェスペリア』『テイルズ オブ エクシリア』などの開発に参加し、戦闘やディレクションなどを担当した穴吹健児氏。『テイルズ オブ シンフォニア』『テイルズ オブ ジ アビス』のストーリーを手掛けた実弥島巧氏の名前が挙がっている。

またメディアミックス作品という特徴があり、本作を原作とするテレビアニメが2021年7月よりTOKYO MXほかにて放送予定となっている。

懇切丁寧に作られた戦闘アクション


本作を成立させる3つの構成要素のうち1つ。『スカーレットネクサス』の肝となる戦闘アクションはRPGのレベル制やコマンドバトルをアイデアのベースにした、三人称視点形式の戦闘となっている。ユイトを選んだ場合は刀を用いた近接戦闘を、カサネを選んだ場合は浮遊する刃を操作する近~中距離戦をメインに、単一ボタンの連打で成立するコンボを使って戦っていく。全体のゲームスピードはそこまで早いわけではなく、ミドルテンポで進行する。

ここまでであれば、『キングダムハーツ』シリーズや『ファイナルファンタジーVII リメイク』などの作品がすでに通った道である。そして本作もまた、彼らのあとに続く作品ではある。だが、足跡を大人しくなぞるだけには終わっていない。『スカーレットネクサス』の戦闘アクションは、同時入力するボタンが少ないだけではなく、アクションのシームレスな連続性を重視しないことに大きな特徴がある。連続攻撃によるコンボを行う場合、攻撃から次の攻撃に移るまでが少し遅く、コマンドの入力受付時間も長い。プレイヤーキャラクターの操作全体に独特のリズムが流れている。これによって、「自分が何をしているのか」「次に何をするべきなのか」という状況判断が非常にしやすい。

アクションゲームの難しい点として、(特に敵に囲まれたとき)状況判断ができずパニックになってしまったり、コンボが実装されていてもボタンを押すタイミングが掴めずに、結局使わないという状況に陥ってしまうといった問題が挙げられる。これらは大抵の場合、アクション自体に慣れてしまえば解決するのだが、逆を言えば慣れるまで入念な試行錯誤が必要ということ。そして誰もが試行錯誤を好きになれるわけではない。ましてや本作はメディアミックス作品であり、普段ゲームをしない人もアニメからの流入者としてターゲットになっていると思われる。幅広いプレイヤー層に向けた施策として、本作の仕様は理にかなっていると言えるだろう。

この仕様に至った理由としては、あくまで推測だが、アイデアのベースとなった作品が『テイルズ オブ』シリーズであることに由来していると考えられる。つまり同シリーズの持ち味であるリニアモーションバトルシステム(以下、LMBS)、その中でも、戦いの自由度が増した後期作品のシステムが発想の根幹にあるのだろう。LMBSの肝はコマンドの連携にあり、そこで培われたスムーズな入力体験を生み出すための工夫が、本作にもしっかりと施されている。


さらに「超脳力」とよばれる仲間の力を自らに付与することで、戦闘を有利にすすめることも可能。発火、高速移動、透視、複製、硬質化、などなど全9種類の「超脳力」が用意されているが、基本的にこのシステムはさらなるアクションを生み出すものではなく、敵に設定された弱点をつくために存在するものであり、プレイヤーを操作面で混乱させずゲームに奥行きをもたらしてくれる。これもまたRPGベースの要素であると言える。

また本作では、ダンジョン中に存在する多様なオブジェクトを主人公の「超脳力」……念力で操作し、ワンボタンで敵にぶつけることができる。一連のコンボに組み込むことも可能だ。操作可能なオブジェクトは通常のものと特殊なものの2種類存在し、通常のオブジェクトはそのままぶつけるだけ。特殊なオブジェクトは簡単なコマンド入力の後に、ド派手な効果が発動する。このシステムはトゥーン調のキャラクターを使った3Dアクション作品において馴染みの問題に対する回答の一つだ。

本作のような写実的ではないキャラクターを操作してのアクションは、絵柄の都合上、筋肉の躍動に伴った迫力ある映像美を作り出すことが難しい。よって動かす部位の少ないガンアクションや、人外の主人公キャラクターを採用。あるいは、『ベヨネッタ』や『アストラルチェイン』のように、主人公ではない別の存在を使役して動かす、派手なエフェクトや殺陣の構図で魅せるなどの施策がとられてきた。

『スカーレットネクサス』は幅広いプレイヤー層に向けた作品である都合上、コマンドを増やすわけにもいかない。ただ派手な画作りは必須事項。ダンジョン固有の要素も登場させたい。モノを浮かせてぶつける。それだけなのだが、それだけでさまざまな問題をクリアすることができている。オブジェクトの積極活用という点で似たシステムを採用している作品としては『龍が如く』シリーズや『キングダムハーツ』シリーズなどが挙げられる。


優れた視聴覚効果についても触れておきたい。先述したように本作の戦闘は独特のテンポによって、そのままでは爽快感が生まれにくい。その弱点をカバーしているのが絶妙な色合いと量で軌跡を描くエフェクトや、小気味よいSEの数々である。また、仲間の「超脳力」を発動すると、画面中に大きく対象キャラクターのクールなカットインが挿入される。このカットイン、すべてプレイヤーキャラクターがいる画面中央部分が埋まらない画作りがなされており、よって戦闘中に視界がリセットされないのだ。敵である「怪異」のデザインも秀逸であり、無機物と有機物が融合したサイケデリックかつ破滅的なビジュアルは、討伐すべき対象であるということがひと目で分かる。よって念力アクションのためにオブジェクトが多くなりがちなフィールドにおいても、位置を見失うことはないだろう。

だが、本作の戦闘アクションに関して明確な欠点も存在する。それは上記の施策がすべて、可能な限り幅広いプレイヤーに遊んでもらうための利便性を重視したものであること。つまり多種多様な操作を追加で生み出すものではないため、どうしてもゲーム後半に突入した時点で内容の9割を出し尽くし、いよいよクライマックスへ向かう物語とは対照的にバトル体験としては盛り下がってしまう。敵の種類は決して多いとは言えず、同様に念力で飛ばせる大型オブジェクトも外見こそ違えど、要求されるコマンドは似たようなものが多い。

一応、スキルツリー方式を採用するなどアクション要素を小出しにすることで延命措置を図ってはいるものの、間に合っていない。加えて本作は2人の主人公を用いた周回前提のゲームとなっているが、クリア後に異なる主人公を選び遊んだとしても、主人公分の武器と超脳力が入れ替わるだけで、増えている訳ではないため、根本的な解決には至っていない。

総じて『スカーレットネクサス』の戦闘アクションは、よく出来てはいるが既存作品の後追いであり、突出した魅力があるわけではなく、同時に体験のボリュームも不足してしまっている。しかし、幅広いプレイヤーに最後まで楽しく遊んでもらうための工夫に関しては目を見張るものがある。ゲームの設定項目に関しても、キーコンフィグや演出を簡略化する項目があるなど、比較的充実しており、やれるだけのことをやれるだけやったという印象を強く受ける。私はこうした開発陣の熱量に心打たれてしまい、エンディングまで気持ちよく遊ぶことが出来た。

面白いが荒削りなストーリー


『スカーレットネクサス』のストーリーは、「不条理を超えた目に見えない繋がり」「不条理に対する怒り」というテーマこそ終始一貫しているが、選んだ主人公によって描かれる内容が異なっており、一つの物語を二つの視点より観測するという構造になっている。よって、周回プレイを前提とした描写がかなり多く、2人の主人公で遊ぶことにより、はじめて物語の全容が見えてくるという仕組みになっている。ちなみに筆者は難易度ノーマルで遊び、1周目「ユイト」編のエンディング到達には寄り道込みで27時間ほどかかった。2周目を遊ぶにあたって、キャラクターのステータスを引き継げるEX NEW GAMEが用意されているのが嬉しい。1周目と比較して攻略難易度が下がり、快適に周回プレイを楽しむことができる。

内容に関しては実弥島巧氏の持ち味が存分に発揮されおり、「救いようのなさ」、世界観全体をどうしようもない不条理が覆っていることに物語の大きな特徴がある。能力者バトル作品では定番の差別描写はもちろん、脳科学を中心とした世界観を舞台にしたことで、いわゆるロボトミー手術や「時計じかけのオレンジ」で描写されたような洗脳、人体改造など、グロテスクな題材も積極的に取り扱っている。また、脳の力を中心に据えた世界観を扱うことは、つまり認知や記憶の問題も登場させることができるため、時間軸や場面転換に囚われない作劇が可能となっており、終始ジェットコースターのような怒涛の展開が連続しプレイヤーを飽きさせない。

主人公2人を中心とした登場人物たちはそれぞれが非常にアクの強いキャラクターを持ち、役者陣の演技も素晴らしく魅力には事欠かない。コレクションアイテムを絡めた強化要素「絆エピソード」によってキャラクターの掘り下げも十分に出来ている(これは主人公2人分の内容があるため、キャラを完全に理解するには2周のプレイが必要)。

一方、細かな部分を見ると、ところどころ描写不足が目立つ。主人公たちを中心としたテーマ主導な物語構成となっていること。そして表現の抑制のせいで、事件自体の深刻さや、世界観の奥行きを語るための骨子が映像として描かれていない、よって作中発生する事件の重大さがいまいちプレイヤーに伝わりづらい。たとえば本作の舞台は監視社会のディストピア体制が裏で敷かれているが、ハッキングに優れたオペレーターの存在を名分に、平然と主人公たちは行動を起こしている。セーフゾーンと呼ばれる監視網の外にある場所も市街地の中にある。一方で市民は体制に気づいていないことになっている=描写がないため、設定としてあってないようなものだ。また先述した洗脳や人体改造の描写に関しても「洗脳中」「改造中」の映像は簡易なため、迫力は薄い。登場する被害者も少ない。多くの場合、サブクエストやミニゲームなどインタラクティブな散策要素が外伝となり世界観描写の穴を埋める役割を果たすのだが、悲しいかな機能していない。

一枚絵中心の会話シーンが非常に多いこともまた描写不足の原因となっている。本作のキャラクターモデルはよく動くがフェイシャルアニメーションに関しては、トゥーン調ビジュアルを採用したほかのタイトルと比較してそこまで優れてはいない。さらに先述したように本作は『テイルズ オブ』シリーズをアイデアの源流に取り込んでいると思われるため、このような一枚絵中心の形になったと考えられる。止め絵→動画→止め絵という演出はカッコいいのだが、動かすことを性分とするアクションゲームで採用すべき演出なのかは疑問である。


結局のところ物語の評価としては、「大筋」は興味深い内容に仕上がっている。謎が謎を呼ぶ怒涛の展開があり、時空を超える赤い糸にも似た因縁が一点に収束していく気持ちよさは筆舌に尽くしがたい。「不条理に対する怒り」「目に見えない繋がり」というテーマも、怒りをコントロールし繋がりを肯定的に捉える主人公2人と、繋がりにこだわり雁字搦めになっているキャラクターたちという対比を用いて十分に表現できている。SNSを通じて人間同士の繋がりが視覚化され、個性偏重にある現在の風潮にもマッチしており、高い共感を呼び起こすだろう。

しかしテーマ偏重なせいで、グロテスクな題材もあえて取り込んでいるにも関わらず、世界観構築の説得力に欠けており、物語に対し軽薄な印象を抱くことは否めない。ただ、本作はメディアミックス作品であり、ゲームを原作にした深夜アニメの放送が決定している。願わくはアニメを通して今回指摘した部分が描写されることを期待したい。『スカーレットネクサス』のストーリーは「ユイトの物語」「カサネの物語」を遊び、アニメを視聴することで完結するのだろう(ただ私個人としてはアニメに対する期待より、わざわざ2つに裂いた話を少ない話数で描ききれるのかという疑問の方が大きい)。

本作はA「RPG」なのか。ロールプレイングはどこにあるのか


最後に取り上げるのは、本作がインタラクティブな散策要素を設けなかったこと、そして本作がアクション「RPG」として売り出されていることについてだ。記事冒頭でも示したように、『スカーレットネクサス』はストーリーと戦闘アクション、秀逸な視聴覚演出以外を用意していない。アジアンテイストと90年代風の国内モチーフが交差する美しい背景は、視覚効果によって2Dのアニメーションと3Dモデリングの世界を融合させるにまで至っているものの、ハリウッド映画の舞台セット、精巧なハリボテでしかない。サブクエストも世界観を反映するものでもなければ、ドラマもなく、単なるお使いである。キャラクターの戦術的なカスタマイズ性も低い。これによってストーリーの説得力に影響が出ているのはもちろん、ロールを楽しむ仕組みがあらかじめ欠如していることは否めない。

一方でこんな意見もあるだろう。「ロールプレイの本質は遊び手のイメージである」。つまり、ゲーム側が何か用意しなくても、想像で補えば良い。RPGにおけるシステムやギミックはあくまでゲームを成立させるためのルールである。「ロールを演じる」という場合に重要視されるべき要素ではない、というものだ。

私としてはそう思わない。「演じる」ことは想像ではなく身体に即した行為であり、行為とは結果が現実に反映されるものだ。確かに物語の外にあるキャラクターの内面をイメージしロールを解釈すること自体はロールプレイにおいて重要なことではある。だが、それと同時にイメージをスクリーンに出力するための仕組みがなければ、ロールプレイが「実装されている」とは言えないのではないだろうか。よって『スカーレットネクサス』はARPGとは言えない。RPG要素をシステムに取り込んだアクションゲームである。


『スカーレットネクサス』は旅と成長を楽しむARPGではなく、「優れたアニメ風ビジュアルを横目に、見慣れた戦闘アクションとストーリーを楽しむゲーム」でしかない。しかし戦闘アクションとストーリーともに粗は見られるものの、同時に消費者に向けた中身ひとつひとつの実装意図がはっきりしており、「こだわりたい部分」は非常に熱量高く作られていることがよく分かる。その思いは少なくとも筆者の胸を打つものがあった。作品の総合的なクオリティは別として、私はこういった「可能な限り良いものを作って、プレイヤーに楽しんでもらいたい」という作り手の顔が見えるゲームが大好きだ。

『スカーレットネクサス』は確かに可もあり、不可もある。個性はいまひとつだ。だがそれでもなお、目を背けることができない、どこか憎めない魅力がある。そんなゲームである。