パブリッシャーのGameTomoは9月24日、『ロスト・エンバー(Lost Ember)』のNintendo Switch版を配信開始した。本作は、ドイツのインディースタジオMooneye Studiosが開発した大自然探索ゲームだ。日本語フルボイスに対応し、没入感をもって美しい世界に浸ることができる。
舞台となるのは、かつてヤンラーナと呼ばれた人々が栄えた大地。文明の痕跡は今や崩れかけた遺跡が残るだけで、広大な地は豊かな自然へと還りつつある。物語の主人公となるのはこの地に生きる1匹のオオカミ、そしてその行末を導く古代人の魂だ。古代人は記憶を失い現世にとどまっていたが、オオカミが彷徨える魂「ロスト・エンバー」であることを見出し、道先案内を買って出る。1匹の獣の記憶を辿るうち、物語はやがて偉大な民族が滅びさった歴史に迫ることとなる。
本作最大の特徴は、オオカミに備わった「魂替え」と呼ばれる能力だ。プレイヤーはオオカミとして大地を駆けるほか、この地に生きるさまざまな生き物に憑依することが可能。身体を借りた動物の能力を使うことで、通常は進めないエリアにも探索を拡げることができるのだ。たとえば丸々とした小動物ウォンバットに変身すれば、オオカミの体格では通れない狭い洞穴を通れる。空を翔けるハチドリや水中を舞うサカナ、あるいは地下トンネルを発掘できるアルマジロなど、あらゆる器に魂を入れ替えることができる。高山地帯のヤギに身を変えた際はパルクールばりの機動力に驚かされることだろう。それぞれの動物に得意な地形が存在し、どの動物なら次のルートを拓けるか試行錯誤するのが楽しみのひとつだ。
プレイ中否応なしに印象に残るのは、相棒の古代人による語りかけだろう。長年の孤独がそうさせるのか、ナビ役の魂はかなり饒舌にオオカミに話しかけてくる。オオカミはイヌ科ゆえに大したリアクションもとれないため、時々ひとりで話し続ける古代人がコミカルに見えてくるほどだ。ふと気になってくるのは、古代人からオオカミに対する「呼びかけ」である。ストーリーの序盤でオオカミの呼称にふさわしい名前が明らかになるのだが、古代人は頑として「なあ、オオカミよ」と呼びかける。彼がオオカミの名を口にする機会はなくもないのだが、それにしてもなかなか名前で呼んでくれないのである。かたくなにオオカミは“オオカミ”であると認識して譲らない、古代人たちにとってそもそも動物とはどのような存在だったのだろうか。
文化ごとに人類と動物との関わり方は異なる。現代文明は牧畜以来、動物を征服すべき対象とみなして発達してきた。ヤンラーナの民がどうだったかといえば、相棒の古代人を見ればわかりやすい。彼は過去の記憶を追いかける中で、使い捨てられる家畜に同情を寄せたり、牢に閉じ込められた動物たちに憐みをかけたりといった優しさを持ち合わせている。しかしそれは動物と対等な立ち位置だというわけではない。檻の中の動物に情を見せる一方で、闘技場で行われた闘士による獣の討伐を思い起こして陶酔に浸ることもある。命を落とす牧牛を見て、家畜でさえ死後の世界へ行けるのに自分がいまだ現世を彷徨っていることを憂える言葉をこぼすこともある。彼の態度はダブルスタンダードではない。動物たちは慈しむべき存在ではあるものの、それは文明を築き上げた人間が「上に立つもの」として情けをかけるからなのだ。人間と動物は異なる存在だとする思想が、ヤンラーナの文化からはうかがえる。
『ロスト・エンバー』で語られるストーリーは徹底して人間の物語だ。かつて滅びさった文明の歴史を追うドラマは無味無臭の叙事詩ではなく、むしろ一個人が抱く愛情や忠誠心、裏切りなどの生々しさが克明に描かれている。人だからこそ生じる情念が発端となって物語を作り上げているのだ。しかし本作では、プレイヤーはあくまで動物でなくてはならない。ヤンラーナの文明のうちにある存在ではなく、あくまで外側からすべての出来事を俯瞰しなくてはならないのだ。
ドラマの主題が人間による感情のもつれである一方、「ゲームの」主役である動物たちはきわめてドライな存在として描かれる。ウォンバットもハチドリも攻略のために身体を借りるだけの対象であって、そこに彼らの機微はない。ひとたびプレイヤーに乗っ取られ、遠く離れた地点でいきなり解放されたとしても、特に驚きもせず自身の生へと帰っていく。動物たちにとっては今この瞬間がすべてなのだ。主人公のオオカミでさえ、先述のとおり感情表現は最低限に抑えられている。
無感情に描かれる動物たちは、それでも生命感をもってプレイヤーに迫ってくる。それはひとえに、コントローラーを通じて彼らの身体を「動かす」からに他ならない。滑空するときの空気の抵抗感、水面から跳ねるときの慣性の重みが、動物たちの存在感を何よりも雄弁に伝えてくる。それは言葉でも映像でもなく、ゲームだからこそ味わえる体験なのだ。プレイヤーが獲得した経験は、ナレーションとムービーで語られる人間の物語と対比される。もし人として『ロスト・エンバー』の世界に生を受けたのなら、崩れさった文明やそこに消えた人々の顛末に希望を見出すことはできなかっただろう。しかしすべての旅路を終えたとき、プレイヤーは異なるストーリーも知っている。人類が消えてなお世界は存在し、大地を駆け、風を切り、水をくぐる生命にあふれていることを身をもって理解しているのだ。だからこそ本作は滅びの物語でありながら、決して悲壮なだけの結末ではない。
動物として生きる体験は、一方では人間の存在を相対化する。ただし本作は人の尊厳を矮小化するだけの作品でないことは留めておきたい。オオカミがあらゆる器を駆使してようやく辿れる道筋は、同時に人類がその身だけをもって踏破した旅路でもあるからだ。川を下り、砂漠を越え、山の頂に神殿を築きあげた。決して絶対の存在ではない人間を俯瞰しながら、なおその足跡に敬意を表する巡礼の祈りが、『ロスト・エンバー』の根幹をなしているといえるだろう。
『ロスト・エンバー』はNintendo Switch向けに2990円(税込)で配信中。ほかPC/PlayStation 4/Xbox One向けにもリリースされている。