PlayStation 4用タイトルとして6月19日に発売される、Naughty Dogの最新作『The Last of Us Part II』。本稿は、同作を1周プレイした上で、物語展開に関する具体的な言及を含めないように執筆した感想記事である。6月19日のゲーム発売日以降には、別途レビュー記事を掲載する予定だ。
*ソニー・インタラクティブエンタテインメント(以下、SIE)提供レビュー用コードでのプレイにもとづき執筆。記事内画像はいずれもSIE提供のもの。
「完璧な結末」の先へ
ちょうど7年前の2013年6月に発売された『The Last of Us』は、卓越したストーリーテリングによって高評価を集め、累計販売数1700万本を記録。PlayStationプラットフォームを代表するヒット作となった。完璧な結末と評されることも多く、そうであるがゆえに「続編をつくって欲しくない」という意見が浮上した。少なくとも、ジョエル/エリーの物語としての続編は。
2作目に取り組むこと自体がリスクとなる中、開発元のNaughty Dogは強い意志を持って、ジョエル/エリーの物語としての「その後」にこだわり続けた。そこにはまだ、語らなくてはならない話が残されているのだと。『The Last of Us Part II』のディレクターNeil Druckmann氏は、続編を制作するにあたり、ジョエル/エリーとは関わりのない物語を描くという選択肢は、「逃げ」に値すると(Coward’s way out)、GQのインタビューにて語っていた。またジョエル役を演じるTroy Baker氏の「RETRO REPLAY」に出演した際には「1作目と同じことを繰り返したくはない」と、続編では異なる体験を届けたいのだと伝えていた。
前作の主人公ジョエル/エリーのその後を描きつつ、前作とは異なるゲームを作ると決意したNaughty Dog。その結果生まれたのは、前作のシーズン構成とはまったく違った「コインの表裏」構造のストーリーによって、暴力のサイクル、復讐への執着、トラウマ、罪悪感、後悔、贖罪といった重苦しいテーマを描き切る、同スタジオにとってもっとも野心的で、過酷で、それでいてもっともプレイヤーに優しいゲームであった。
コインの表裏
「コインの表裏」というのは、本作単体のストーリー構造に限らず、前作で描かれたテーマの裏返しという意味でも、『The Last of Us Part II』を説明するのに適した表現だと思っている。前作『The Last of Us』のプロットそのものは極めてシンプルだ。パンデミックの発生により文明が崩壊したポストアポカリプス世界にて、寄生菌の免疫を持つ少女を、寄生菌の治療法を探している組織のもとに届ける。その簡素な枠組みの中で、季節の移り変わりとともに変化するジョエル/エリーの関係、家族的な愛の醸成を、ナラティブとゲームプレイの双方を使って細やかに描いていったのが、パート1となる『The Last of Us』である。
パート2となる『The Last of Us Part II』は、その裏返しだ。つまり醸成されるのは愛情ではなく憎悪である。「大切な者を失ったジョエルが希望を取り戻していく」1作目の物語とは正反対の感情が、キャラクターたちを飲み込んでいく。復讐への執着、喪失が生み出すトラウマ、後悔の念。そうした痛ましい精神の叫びは、実のところキャラクターたちが有していた愛情の深さを示すものでもある。パート1〜2と長旅を共にしたプレイヤーは、愛情と憎悪のコントラストを体感することで、コインの表裏となる感情をより鮮明に感じ取れるようになる。パート2は、新しい展開を描くと同時に、パート1の物語体験をより味わい深いものに仕上げる試みでもあるのだ。
安息地から係争地へ
前作の出来事から5年後、19歳になったエリーはワイオミング州ジャクソン郡にあるコミュニティにて平穏な生活を送っていた。友人のディーナとは、コミュニティ内で開かれたパーティーでキスを交わしたり、一緒に見回りに出かけたりと、仲睦まじい様子を見せている。つい最近までディーナの元彼であったジェシーも、2人の関係に理解を示しているようだ。だが平穏な日々は長く続かない。とある事件により日常が崩れ去ったエリーは、復讐を誓いシアトルへと経つ。
雪に覆われたジャクソンの山々とは違い、緑豊かな様相を見せるシアトル。元隔離地域のシアトル残存部こそが、本作の主な舞台。文明の崩壊により市街地が荒れすさみ、緑が生い茂っている。ジャングルと化した周辺地区から、廃墟化したビル群まで。文明崩壊から時間が経過したのだと実感させる、荒涼とした雰囲気が流れている。そこでは領土と資源を巡って民兵組織WLF(ワシントン解放戦線)と、信仰を拠りどころとしたスカー(セラファイト)という組織が対立していた。
理解しあえない者たちへの共感
互いを理解しようとは思わず、互いに相手を蔑んでいるワシントン解放戦線とセラファイト。両者の対立は、ナラティブとゲームプレイの双方を通じて描かれている。各所で拾うノートや書類といった読み物アイテム、キャラクターたちの会話、組織間での銃撃戦などから、互いの無理解は引き返すことが困難な域に達していることがわかる。価値観の異なる、自分よりも低俗な他者。だが、理解できないとはいえ、相手が同じ人間であることに変わりはない。誰も自らが悪だとは思って生きていない。違った形の正義や愛情を有しているだけだ。作中のNPCは皆、倒れた仲間を目にすると、その名を叫び、悲しみや怒りの感情を露わにする。彼らは倒すべき「悪者」ではなく、ひとりひとりが感情や愛する者を抱えた人間なのだ。
たとえ操作しているキャラクターの思想が変わらなくとも、プレイヤー自身は、首を絞め、首を裂いて殺める相手の人間らしさを否応なく目にすることになる。殺傷時のリアルな表情や音声からも、血の通った人間であることが伝わってくる(同じ顔のNPCが多いのはどうしても気になるが)。視聴覚演出の進化が、物語にさらなる説得力をもたらす。また物語上の演出によってプレイヤーは、徐々に相手の視点へ接近していくよう仕向けられる。
「コインの表裏」という表現は、物語構造だけでなく、物語を構成するパーツやキャラクターの立ち位置にも当てはまる。表裏の関係で、複数の視点から類似した事象を描く試みは、主題理解を深める手助けにもなる。理解しあえない者同士が対立する本作の悲痛なテーマを理解できるように、物語の組み立て方からキャラクターの配置まで入念に作り込まれているのだ。許しがたい相手への執着。あるいは、新たに守るべき者が現れることで見せる報復への躊躇。復讐を巡るさまざまな視点が、プレイヤーの感覚を絶えず揺さぶりかける。
筆者個人としては、ある場面を境に、キャラクターに向ける感情が明確に変わる瞬間があった。それは、続編から登場する新キャラクターが関わる場面。本作においては、新キャラクターたちがしっかりと物語に厚みをもたらしている。前作のプレイヤーにとって未知の人物、理解しがたいと思われる相手を理解すること。物語のテーマを効果的に伝える上でも、重要人物として新キャラクターを配置することは必要不可欠であったと感じている。
ギターを弾く行為から感じ取る心情
周囲を見渡すことで読み解く環境ストーリーテリングとしては、前作にてエリーがサムという少年に渡そうとしたおもちゃが、エリーの部屋に飾ってあったり。エリーが大好きな宇宙について、不得意ながらも勉強しているのか、ジョエルの部屋に宇宙入門書が置かれてあったりと、細やかな描写が確認できる。物語の進行にあわせてエリーが書き足していく日記も、彼女の心情を理解する上での手助けとなる(エリーのポエムセンスを知る機会でもある)。
また本作では、節目節目でエリーがギターを演奏するミニゲームおよびカットシーンが挿入される。前作でジョエルが約束したように、エリーは彼からギターの弾き方を教わったのだ。そこで奏でられるのは、Pearl Jamの「Future Days」やa-haの「Take On Me」といった往年の名曲。「Future Days」の歌詞やギターを弾く行為は、ジョエルとエリーの関係を示す象徴的な意味合いを有している。ゲームを終えるころには、わざわざプレイヤー操作を求めるギターミニゲームを導入した意図も、しっかりと感じ取れることだろう。筆者個人としては、非常に感慨深い新要素であった。
緩急をつけるための探索要素
本作は容赦のない無慈悲な復讐劇であり、プレイヤーを息切れさせないためにも、それなりの緊張と緩和が求められる。事実、クールタイムに該当する時間は前作以上に多い。幸い『The Last of Us』から『アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝』『アンチャーテッド 古代神の秘宝』の開発を経て作られた『The Last of Us Part II』は、グラフィックやストーリーテリングといった技術・技能の進歩を示すと同時に、探索要素の拡張も図られている。
大きな衝撃を与える場面のあとには、馬に乗って広大なフィールドを探索する、ストレスの少ないセミオープンエリアを用意。ロープやジャンプを使って到達するサイドエリアを設けたりと、リニアな構造を維持しつつ、冒険心をくすぐってくる。それは緩急付けとしても、うまく機能している。
探索の途中で出くわす環境パズルとしては、ゴミ収集コンテナを特定の場所に運んだり、レンガ・瓶でガラスを割ったりといった簡易な内容が多い。こちらもパズル自体を楽しむというよりは、探索・戦闘の流れに緩急をつけるという意味合いの方が大きいだろう。ただ、簡易ながらも前作からわずかにひねりを加えており、単調な作業感を回避しようとしている。
豊富な戦闘シチュエーション
戦闘においては、銃器・近接武器による応戦、レンガ・瓶による陽動・攻撃、背後からのステルスキルといった土台部分は前作から変えず、それぞれの幅を広げている。銃弾の種類増加であったり、近接戦における回避行動の追加であったり。音で相手の位置を把握する「聞き耳」や「屈む・伏せる」のアクションにより、草むらに隠れて忍び寄る・敵の視界から逃れるといったステルス行動の戦術性・滑らかさが向上している。
敵の種類としても、性質の異なるWLFとセラファイト、匂いを嗅いでエリーを追跡してくる番犬、新型の感染者など、確実に増加。同じパターンの繰り返しにならないよう、出現敵種は適度に変化する。敵と遭遇するシチュエーションも、先述した草むらを有効活用できるエリア、高低差があるエリア、狙撃スポットが用意されたエリアなど増えており、好戦派・隠密行動派のどちらに向けても、いろんな対処法を考える余地を与えている。
ノーマル難易度においては、弓矢やトラップの作成に必要なクラフト素材が豊富に手に入る。もったいながらずに実験してみる気持ちになりやすい。どのような戦術があるのか理解を深めたら、より高い難易度に挑戦してみるのも手だろう。難易度は現時点で「VERY EASY」から「SURVIVOR」までの5段階があり、別途「プレイヤーの強さ」「敵の強さ」「資源の量」などを個別に変えられる「CUSTOM」設定も存在する。
なお旅路の途中では、仲間キャラクターと一緒に行動する箇所があるのだが、仲間の挙動に悩まされることも。頻度は低いものの、遮蔽物を回り込もうとしたときや、屋内エリアにて部屋を出ようとしたときに、仲間が動きまわって邪魔をしてくることがある。実のところ筆者は、本作の仲間キャラクターのことを「射撃が壊滅的に下手な透明人間」だと思っている節があるのだが、だからといって無視しているとステルス行動時や銃撃戦時に邪魔されかねない。仲間の動きも、ある程度は気にしながら立ち回る必要があった。
アクセシビリティとダイバーシティ
非常に重苦しい題材を扱った作品ではあるが、遊びやすさという面においては、他に例を見ないほどに配慮が行き届いている。テキストの読み上げ、移動・戦闘時の音響/音声サポート、画面拡大機能、ハイコントラスト表示など、約60項目ものアクセシビリティオプションが用意されているのだ。ありとあらゆるプレイヤーが本作をクリアできるよう、ケアされている。Naughty Dogは『アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝』からアクセシビリティを強く意識し始めており、本作においては妥協しない姿勢で取り組んでいたことがうかがえる。
なおNaughty Dogはプレイヤー向けのアクセシビリティだけでなく、キャラクターのダイバーシティも強く意識している。こちらもまた、ディレクターのNeil Druckmann氏が意識してきた分野であり、おそらくは特定のユーザー層からの批判も覚悟した、プログレッシブな感性が発揮されている。ただそれらは本作の物語を変に捻じ曲げるものではない。
「2」ではなく「パート2」としての評価
1作目の結末にさらなる奥行きをもたらす、『The Last of Us』の「パート2」でないと描けない物語になっているのか。グラフィックやゲームプレイなどさまざまな評価軸がある中、本作においてもっとも強く問われるのは、やはりそこだろう。パート2と題した以上、パート1である前作を踏まえた上での評価は避けられない。
1作目の結末を汚してしまうという不安を跳ねのける物語体験になっているのかどうか。筆者としての答えはイエスである。同作は1作目の体験を拡張するものであり、1作目の結末に真っ向から向き合いたいというNaughty Dogの強烈な情熱が直に伝わってくるものであった。扱っているテーマの性質上、スタッフロールが流れたあとまで陰鬱な余韻が残るかもしれないが、旅路の末には確かな救いがある。
2013年6月に発売された『The Last of Us』は、発売当時のゲーム業界におけるストーリーテリングの水準を一段上に押し上げることに貢献した。それからちょうど7年が経過した今、業界トップクラスのスタジオとして君臨するNaughty Dogに求められるハードルは、さらに上がっている。高まるハードルとプレッシャー。そうした中で重苦しいテーマを直視し、過去作とは異なる手法のストーリーテリングで攻め、かつプレイヤーへの配慮を徹底した『The Last of Us Part II』は、まごうことなき最前線のエンターテインメント作品である。