私たちが別れの言葉を告げるのは、どうせまた明日会うのだ、と心の底ではわかっているからだ。もう二度と会えなくなるような決定的な別離に際してさよならを言うことができる機会は、驚くほど少ない。ほとんどの場合、人々はこの世界にしっかりと別れを告げる前に急いで旅立たねばならないし、もう二度と会わないと決めた相手にわざわざそう告げることはない。

しっかりと意見を交換するような別れのシーンは、とくに虚構作品でよく描かれがちなだけにかなり身近に思われるが、じつは現実世界では特異なものであって、その意味で非現実的である。しかし『Leaving Lyndow』は、少なくとも長い間会うことがないだろうと思われる人々と故郷に、はっきりと言葉で別れを告げる“だけ”の作品だ。ひとたびプレイをはじめれば、この状況はプレイヤーの好奇心をおおいにそそることだろう。というのも、本作で描かれる別れ際は、親しい人にはっきりと別れを告げられるという「非現実的」なものでありながら、文脈と物語によって「現実的」なものに感じられるよう整えられているからだ。卒業式の当日のような、いつもならありえないが実在するように思える「非日常の特別な1日」なのである。

※本記事には『Leaving Lyndow』の一部ネタバレがふくまれます。

本作は広義のウォーキングシミュレーターにあたる一人称視点ゲームで、プレイヤーはきびしい試験をパスして「北海の調査隊」に参加することとなった「Clara」というキャラクターを操作する。ゲームを開始すると、プレイヤーはどことなく『Skyrim』を思い出させる中世の欧州ふうの部屋にいる。いきなりで申し訳ないが、とにかくこの部屋の雰囲気、そして窓越しに見える美しい景色だけで、注意深く物事を見ることができる人間ならば、すぐにこの作品が偉大な成功をおさめたことを理解するだろう。いそいで断っておくが、本作に用いられているアセットというか、絵筆そのものは、もちろん仔細に検討すれば特上のものではない。細密さで言えば、数年前のAAAタイトルでもこれくらいのものはあったはずだ。しかしここで話題にするべきなのは、場所の感覚の美しさとでも言うべきものだ。前進のキーを押しただけで鳥肌が立ったのは、筆者にとっても久しい体験だった。もしもスクリーンショットを見てピンと来るものがあれば、すぐに本稿を読むことを中断してプレイしたほうがいい。

さて、プレイヤーの周囲にあるオブジェクトから読むことができるテキストによると、どうやら今日が出発の日であるらしいことがわかる。プレイヤーにとっては始めて訪れる場所ながら、Claraにとっては見知った家のなかを歩き、スーツケースに航海のための品々を詰め込んでいく。この過程のなかで、母親がClaraの旅立ちを心から祝っていること、叔父が彼女の航海を心から心配していること、彼女の父親がすでに亡くなっていることなどがわかっていく。すべての荷物をまとめると家から出ることができ、Claraにとっての思い出の場所へ別れを告げに行くこととなる。

酔い止めを持っていったほうがいいと助言する母。この世界における酔い止めの薬は、生姜とペパーミントを混ぜたものらしい。よく効きそうだ。

訪れることができるのは、人々が交流する茶店、美しい湖畔、それと叔父の農場である。ひとつひとつの場所のプレイフィールはほとんど同じながら、それぞれがもつ主題は巧妙に分けられている。茶店においては、どうやらClaraとの快い友情、あるいは淡い恋があったと思わせるJakabとの会話をはじめとして、彼女の旅立ちを祝福する人々の声を聞くことができる。美しい湖畔においては、Claraの記憶に焦点が当てられていて、子供のころの「秘密基地」や奇妙な楽器、そして不吉な沈没船のイメージ(おそらく、彼女の父親の死因)などが描かれる。農場においては、彼女の旅立ちを心配している叔父から、なぜこの平和な場所に留まらないのか、という根源的な問いかけが行われる。

映像としてもっとも美しい湖畔。そこかしこに思い出の品々がある。

注意しておきたいのは、これらの場所はClaraにとっては子供のころから見知った場所でありながら、プレイヤーにとってはまったく初めての場所であるということだ。人間はたいていの場合、自分とまったく関わりのない場所に郷愁を持つことはできない。なぜなら、郷愁の理由となる場所への愛着を持ち合わせていないからだ。にもかかわらず、見たことも聞いたこともないLyndowという街とそこに暮らす人々にプレイヤーは引き込まれ、いつのまにか愛着を覚え始める。その理由は、もちろん美しいグラフィックにもよるが、人々の発言によるところがかなり大きい。

「あなたはまだほんの子供だったのに、立派になったわね」と話す女性。「きっと俺が試験に受かると思ったのに! でも、お前の旅立ちを祝福するよ」と声をかけてくれる男性。「はじめて会ったときのことを覚えているかい? 君は僕のことを下級生だと勘違いして、イソギンチャクについての調べ物のノートを取らせたよね」と思い出話をするJakab。人々の発言はこれ以上ないほどの愛情と温もりに溢れており、この洗練されたテキストが、プレイヤーにClaraの過去を想像させる。ゲームを進めるにつれて、システムではなくプレイヤーの想像力によってClaraの人生が補完されていくのである。

すべての場所に訪れたのちに向かうことになる港は、最近の大雨による土砂崩れによってもとの港が使えなくなったために、再建が進められている途中である。母親が最後の見送りに立っていて、Claraに声をかける。自分がいなくなっても大丈夫か、とClaraが問いかけると、「毎日、あなたのことを思って寂しく感じるだけのことよ。それよりも、私がそばにいなくて、あなたが健康でいられるようにしてあげられないことだけが心配だわ」と言う。

「本当にありがとう」とClaraが言うと、「あなたはそれに値するのよ」という答えが返ってくる。

ここまでたどり着くころには、プレイヤーは訪れたことのないはずの場所に大いなる愛着を覚え、船までの短い距離をできるだけゆっくりと歩くことだろう。危険な北海の調査から戻って来られる保証はないが、もしも帰り着くことができたなら、いまは骨組みだけの港の建物はすべて完成しているはずだ。ボール遊びをしていた少年や、叔父の農場で出会った従兄弟の子は、りっぱな青年に成長しているにちがいない――そんな楽しい想像を膨らませながらドックまでの道を歩き、乗船するとき、ゲームにそうしろとは一言も言われなかったにもかかわらず、きっとプレイヤーは振り返ることだろう。そして陽の光のなかで再建が進められるLyndowの港が、まれにみる純粋さで、Claraの船出を心から祝福していることを了解するだろう。

『Leaving Lyndow』は通してプレイするのに一時間程度しかかからないごく小粒な作品だが、考え得るかぎりのすべての場所がきっちりと整頓されていて、とにかく美しい。まるで塵一つ落ちていない小部屋か、滑らかに動作するオルゴール、あるいは小さいながらも完璧なカッティングが施された宝石のような作品だ。大きな身振りで喧伝してまわることはできないが、壮大なゲームをつぎつぎに消化していくサイクルに疲れているのなら、本作があなたにとっての最高の箸休めとなることはまちがいない。