日本の『スマブラ』プロプレイヤーたちに訊く、脅威の『スマブラDX』と「EVO 2017」へ向けて (第4回 プレイヤー編 後編)
編集後記
自らの不明について広く伝えることについて、多少は複雑な思いがあるものの、見栄を張ることに何の意味もないだろう。正直に話せば、去年の年の瀬にTwitchの中村鮎葉氏とある取材知り合う以前、日本国内の『大乱闘スマッシュブラザーズ』の競技シーンに関して、私が知っていることは一つも無かった。『スマブラ』というIPや、同作が「Evolution(EVO)」に正式種目として選ばれていることは知っていたものの、国内に競技シーンが根付いていることを“まったく完全に知らなかったのだ”。国内でユーザー主催の『スマブラ』大会が1年に全国各地で150回以上おこなわれていること、アーケードのゲームで無いがゆえに発展した「宅オフ」という練習文化、コミュニティハブとして機能している各大学の存在。これらを取材先で雑談として聞くうちに、目から鱗の思いがした。そのとき胸に去来した思いの1つは、「なぜそんな重要なことを自分は知らなかったのか」という感想であり、もう1つは「それを知る機会がいままで本当にあっただろうか」という疑問でもあった。今回の取材そのものの動機は、そんなシンプルな衝動である。
いま考えると赤面を禁じえないが、当初我々が考えていた取材のゴールは「EVO 2013に『スマブラ』が選出される」までだった。しかし取材後、それがこのコミュニティに対する過小評価でしかなかったことが理解できた。この限りなく丁寧に長い時間と熱意の持続によって形成されきたコミュニティ。単純に何か大きな大会にこのIPが選出されたからそこがゴールではなく、実力的に文化的にこのシーンが「日本が世界とどう渡り合っていくのか」という方法論へと歩みを進めている。読んでいただければ分かるように、特にここ数年の『スマブラ』競技シーンはまるで激流に揉まれるように日々その形、規模を変えてきている。そんな中でも、このコミュニティはそのゲーム性の柔軟さとリンクするように、その発想を変化させながら、先へ先へとその目線を遠くに動かし続けている。
ただし、この一見素晴らしいだけに見える事実は、実は裏に数多くの問題提起を孕んでいることも忘れてはならない。e-Sportsという言葉が日本でも流行し始めて数年経たが、その内実はその言葉だけが上滑りしているだけで浸透してはいないのではないか。ユーザーとコミュニティの動きを伝えるべきゲームメディアが正しくそれを伝えてきたのか。そもそも「e-Sports」という言葉の定義すら正しく認識できていないのではないか。企業は正しくコミュニティをサポートできているのか、完成されたビジョンはどこにあるのか。ユーザーが主体となり続けてで形成されてきたコミュニティを、いつまで孤軍奮闘させておくのか。考えるべきことは多く、時間制限まである。
本日7月14日から日付が変わり、日本時間深夜からアメリカ合衆国ネバダ州ラスベガスで「EVO 2017」が開催される。もう「格闘ゲームは日本人が強い」という時代ではない。無論、『スマブラ』2種目には注目して欲しいが、それだけではなく、多くの種目で選手達はアウェーの逆風の中で観てくれている日本人の応援に応え結果を出そうと全力を尽くしている。問題は山積みとなっているが、まずは先に仮眠をとって、眠い目をこすりながら、可能な時間帯だけでも、新鮮な気持ちでこの祭典を「観戦」することに立ち返ろうと思う。培われた技術とひらめきと読みと反射神経の冴えに一喜一憂したり、感動してみようと思う。e-Sportsを真に「スポーツ」とするなら、その選手やその種目、そのシーンを最終的に支えるのは圧倒的多数を占める「それを観戦して楽しむ人々」なのだから。
最後に、あらためて長時間の取材に丁寧に対応して頂いた6名の方々に、謝意を表したい。
中西信彦
[執筆・取材 Nobuhiko Nakanishi]
[撮影・編集・取材 Shuji Ishimoto]