父(40歳)と息子(11歳)の『ドラクエ5』通信その2「かっこよくなった」
父は畏怖の対象だった。食事の行儀が悪いときや、勉強をきちんとしていないときは、容赦の無いゲンコツが飛んできた。典型的な昭和のオヤジだ。私の育った家庭は、引っ越しが多かったこと(誕生〜中学3年生の間で5回引っ越した)、かなり厳格であること(漫画、ゲームの購入も原則禁止)を除いては普通の家庭で、私は23歳で一人暮らしを始めるまで、ずっと親と一緒に住んでいた。
自分の父に対しては、上記のとおり「かなりおっかなくて、話しかけづらかったな」という印象が強かったので、息子に対しては極力フレンドリーに接しようと思っている(最も、前回までの記事のとおり、私自身は至ってプリミティブな感性のままなので、オトナになれないという側面が強いが)。
今回の連載執筆にあたり、何となしに、自分の父と、自分と、息子の関係を改めて思ったりした。
・前半最大の山場を経て、主人公自身の壮大な冒険の幕開け
さて、前回の記事で、息子が『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(以下『ドラクエ5』)を始め、テンポ良く序盤を楽しむ様をお伝えさせていただいた。今回はゲーム前半の最大のイベントのひとつ、主人公と父「パパス」との別れと、その後の主人公の成長について触れたい。
パパスにラインハット王からの依頼があり、主人公は幼馴染の女の子に別れを告げ、パパスと共にラインハット城へ向かう。
依頼とは第一王子ヘンリーの世話であったが、主人公とヘンリーが戯れているその時に、ヘンリーは何者かに誘拐されてしまう。パパスと主人公はヘンリー救出のために古代遺跡へと向かうが、その先には、『ドラクエ5』最大の悲劇が待っていた。
ヘンリーの救出は成功したかに見えたが、その直後、突如現れた「ゲマ」により、主人公を人質に取られたパパスは、愛する息子である主人公の目の前で惨殺され、主人公とヘンリーはそのまま謎の組織に捕まり、ベビーパンサーはその場に取り残されてしまう。
主人公とヘンリーは、10年間もの間、いかにも「悪の組織」な空気の漂う場所で、奴隷同然に強制労働をさせられる。とある隙に2人はこの場からの脱出に成功し、ヘンリーは国境であるラインハットに向かう。一方、精悍な青年へと成長した主人公は、故郷サンタローズへたどり着くが、そこにはかつての賑わいはなく、人っ子一人いない廃墟と化していた。しかし、幼子の頃は入ることが出来なかった部屋で、初めて父の真実を知るのだった……。
ここから、いよいよ『ドラクエ5』の主人公の壮大な冒険の物語が始まるのである。
・「やばいパパス死んだ」
この前半クライマックスを息子が初回プレイ時にどのように感じるのか、楽しみにしていたが、ここでニンテンドー3DS本体にちょっとしたアクシデントが起こり、ちょうど親子でヘンリー救出へ向かうあたりでプレイが一時不能となってしまった。
幸いこの不具合はすぐ解消され、ストーリー上の大ボスとの戦闘(ちなみに、いわゆるイベント戦闘の為、必ず負けるようになっている)、味方キャラクターの死亡イベントが同時に発生する場面は、流石に息子にとってもショッキングな展開だったようだ。
その後も引き続き息子から、この急展開に興奮しているのであろうLINEが届く。
・パパス=自分、という視点に変わるとき
前回お伝えした通り、初回プレイ時(16歳)の私のリアクションは、息子と同様のものだった。あくまでゲームのストーリーとしてショックを受けたり、ようやくガキではなくなった主人公に興奮したりしたり。しかしながら、このパパスの死については、私は時間の経過と環境の変化を含めて、プレイする度に何とも言えない悲しみに襲われる。なぜか?と、改めて考えてみた。これはつまり、主人公視点で父が死ぬことへの悲しみではなく、幼子の息子を一人残して逝ってしまう父親の心境そのものであった。
初回プレイ当時は、特には「パパスに自分の父親を投影する」なんてことも無かったし、当然父親としてのマインドセットも無かったのだから、この変化は必然かも知れない。
パパスは主人公よりも圧倒的に強く、また戦闘後は必ず傷ついた主人公に回復呪文をかける。プレイヤー心理的にも、「護られている」ことを感じさせるこの頑強な父親は、果たして物心つく前の、幼子の息子の成長を見届けることなく、しかもその息子の目前で死んでしまうのである。
息子は無事生き延びられたのか。生きているとして、元気にやっていけるのか。定己の任務を優先せざるを得ず、幼い息子と遊ぶ時間さえ満足に確保できず、どのような想いで逝ったのか。パパスの心境を想像するだけで、心がかき乱される。
パパス本人としては、その後の展開で、自身の遺品と手紙を主人公が発見する場面を天から見守りながら、一定の安堵があったであろう。立派に成長した息子に、生前は伝えられなかったものを、ほんの一部だが遺すことが出来たのだ。
ふと、冒頭で話した私の父のことを思い浮かべる。私の父からしてみたら、幼少期の私とどう過ごしたかはさておき、もう成長したどころか、中年になっている私に対して、あらためてそんなことを思うことは今となっては無いだろう。だが、私の息子はまだ小学6年生。これからまだまだ多感な時期だ。離別していることも含めて、息子と距離があいてしまっている、この何ともいえない喪失感のようなものを、逆に私はパパスに投影しているのかも知れない。
・父の想い、子の想い
逆に息子の想いはどうだろうか。ここで、前回掲載したスクリーンショットについて。この先の展開のネタバレとなってしまうが、この青年は大人になり、子供も授かった主人公が、まだ幼子の自分自身へ送るメッセージである(主人公のセリフは原則として表示されないドラクエシリーズでは、異彩を放つ展開)。
私は幸いまだ死んではおらず、定期的に会ってはいるものの、成人したころに、別居していることや、その後の関係性について、父親である私のことをどう思っているのか。それは今聞くことは難しいし、今後ずっと叶わないかもしれない。
ただただ楽しく、『ドラクエ5』のこの名シーンを、あくまで「面白いゲーム」として遊んでいるだけの息子と接しながら、そんなことを考えた。いや、息子なりに何か感じたものはあったかも知れないが……。
・「ザコ」と「マイケル」を引き連れ、本格的な冒険の幕開け
さて。少々湿りっ気のある話にどうしてもなりがちな今回の展開だが。息子のプレイ進行の話に戻らせて頂く。
RPGの側面から見ると、この一連のストーリー展開と並行して、主人公の行動の制約が無くなり、モンスターを仲間に出来るようになり、馬車システムも解禁となり、いよいよ本格的な冒険が始まる。
息子はこの展開にわくわくしているようで、先のLINEのやりとりで発した「やばいパパス死んだ」については、どちらかというと、初めてプレイするRPGで、自由に行動できるようになったことへの不安と期待から出た言葉のようだった(ちなみに奴隷生活から解放直後にカジノに入り浸るダメ人間になる、なんてことも出来るのだが)。成長した主人公に関しては「かっこよくなった」。そりゃそうだ。子供心で言えば、ようやくパッケージどおりの、鳥山明デザインのかっこいいお兄さんになったんだから。
もう息子のプレイは軌道にのっており、途中諦めることもないだろうから、極力アドバイスは控えるつもりだった。だがやはり序盤から終盤まで、攻守においてオールマイティに活躍してくれる「ピエール」ことスライムナイトのスカウトは必須だ。これだけは伝えようと思ったが、そんな私の心配ご無用とばかりに、ちゃんと息子は仲間にしていた。
ただ、やはり息子の感性は独特で、スライムには「ザコ」、スライムナイトには「マイケル」と名付けていた(ちなみに私は、というより殆どのプレイヤーはそうであろうが、デフォルトの「スラりん」「ピエール」である)。曰く、「スライムは雑魚だから」「なんか(お母さんが)マイケルジャクソン聴いてたから」とのこと。なるほどわからん。
元妻から「最近あの子、ドラクエばっかりやってるんだけど!」という、ごもっともな苦情もあったが、いよいよ本格的になった冒険を楽しんでいる息子を想像しているうちに、前に述べたような私の想いは一旦しまい、このプレイ体験を見守ろう。そう思った。
父親を失い、さらに10年もの間、大事な人との交流も絶たれ、それでも逞しく成長した主人公。父親の「伝説の勇者」を探す使命を受け継ぎ、今度は青年となった主人公自身の旅が始まる。10年前に別れた幼馴染ビアンカや、「子猫」だったベビーパンサーとの再会はあるのだろうか。そして主人公はこれからどのような人生を歩むのか。次に待ち構えている、このゲーム最大のイベントにおいて、息子はどのような選択をするのか。引き続き、息子の『ドラクエ5』冒険の旅にお付き合い頂きたい。