ブシロード新作『VIRTUAL GIRL @ WORLD’S END』は、VTuber x SF x ライブで「新たな時代のアイドル像」を描き出す、VTuberの消費をそれとなく警鐘しながら

今回は発売に先駆けて製品版を遊ぶ機会をいただいたため、本作がどのような作品に仕上がっているのかについて触れていきたい。

『VIRTUAL GIRL @ WORLD’S END(以下、バチャガ)』は、ブシロードゲームズが6月12日にリリースを予定しているビジュアルノベル。一言でいえば「終末世界×VTuber」というコンセプトのタイトルで、原案・アートディレクターは『バンドリ! ガールズバンドパーティ!(以下、ガルパ)』で知られる信澤収氏が手がけている。ブシロードが得意とする「音楽」を題材としながら、これまで現代劇が多い同社ではあまりフィーチャーされてこなかったSF要素が全面に発揮された作品だ。

だが本作の核はVTuberというテーマの選択からもわかる通り、加速度的に進化を続ける「消費型エンターテインメント」の行く末を、終末世界になぞらえて描き出している。これまで「BanG Dream!」プロジェクトや「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」などで、“消費”されるスターの側面も描いてきたブシロードが改めてなにを物語として描くのか。今回は発売に先駆けて製品版を遊ぶ機会をいただいたため、本作がどのような作品に仕上がっているのかについて触れていきたい。なお本記事では『バチャガ』におけるクリティカルなネタバレは含まれないものの、ストーリーやテーマへの言及が含まれるため注意してほしい。

終末世界にきらめく、Vstarたちの儚い光

まず『バチャガ』のストーリーを紹介しよう。本作の舞台は2055年の東京で、度重なる戦争により資源は枯渇し大企業が「企業都市」として独立を宣言。あらゆるリソースを企業が独占し、限られた上級国民のみが閉鎖された国家内で私腹を肥やす一方、街の外にはスラムが広がり明日をも知れぬ人間が肩を寄せ合って暮らしている。さらに「Vstar」と呼ばれるバーチャルライバーの活動は都市同士の代理戦争や、不安定な日々を送る人々の不満を和らげるためのプロパガンダとして機能。投資商品としての側面も強く「Vitcoin」という独自単位で価値が測られる。Vstar同士が直接パフォーマンスを競う「VS(ヴァーサス)」では勝敗に応じて相場が乱高下、敗北したVstarが投資家たちから襲撃を受けるなど社会の歪みが生々しく描かれる。そんな夢も希望もない終末世界、企業都市「オルタ」でシナリオが展開するのだ。

主人公の「ミライ」はスラムでその日暮らしを続けるエンジニアで、過去の挫折経験から無気力な日々を過ごしている青年。オルタ市民は「Vision Eye」というバーチャルデバイスを目に装着することで、AR上に表示されるVstarをはじめとしたエンターテイメントやニュースを楽しむことが可能、ミライも左目に義眼という形で「Vision Eye」を埋め込んでいるが、故障したまま放置されており彼の世界は無機質な灰色として広がっていた。ある日人間のように思考可能な汎用人工知能(AGI)を削除する仕事に出かけると、廃墟のゲーム機の中で眠り続ける「アイ」というVstarを自称するAGIに出会う。スリープの弊害で記憶喪失状態のアイは、ミライの義眼を修復すると同時に主人公の仕事を手伝えると取引を持ちかけ、奇妙な同居生活がはじまる。

ミライとアイの関係は、「夢をあきらめて消極的になってしまったやれやれ系主人公」&「グイグイと主人公を引っ張るパワフルかつミステリアスなヒロイン」という“こういうのがいい”と思える王道の組み合わせだ。独特な世界観の説明もアイ自らが稼働していた、いわゆる我々の現代に近い文化を引用しながら、ミライに作中との差異を説明される流れで行われるため飲み込みやすい。ある序盤のきっかけから舞台がスラムからオルタ内部へと移行し、アイがVstarを目指して成長していくサクセスストーリーを軸としながら、ミライの両親やオルタが抱えている秘密なども複雑に交錯するため、プレイ意欲が持続しやすくSFなどに馴染みがない方でもとっつきやすいのではないだろうか。

また、いわゆるヒロインキャラクターはアイのほかにも、完璧主義で馴れ合いを好まないオルタのトップVstar「リンカ」や、企業が資源を独占する世界の破壊を目指すレジスタンスのリーダー「マキ」が存在する。これら3人のボイスは、数百名におよぶオーディションを勝ち抜いた新人声優が担当していると公表されており、弱肉強食の世界を描く本作ならではの面白い文脈の乗り方も感じられるかもしれない。そしてヒロインが3名だからといってたとえば体制側に身を置くリンカルート、レジスタンスに肩入れするマキルートがある訳ではなく、分岐なしの一本道でストーリーが展開。ミライ自身が選び取った決断を尊重するストーリーテリングに没入できるだろう。

視覚演出で「スターのきらめき」を描き出す

本作の何よりの魅力は「視覚的演出」だ。まずヒロイン3名にはライブパフォーマンスとして、持ち曲のミュージックビデオが用意されており、まるでボーカロイド動画のように激しい文字演出が画面を駆け巡る。静的になりがちなビジュアルノベルの中で、強烈な「動」のインパクトを生み出している。なにより「絶望で、かがやけ――」というキャッチコピーを体現するように、終末世界とVstarの色彩のギャップが作中人物たちの惹きつけられるスターという存在の説得力を強調しているだろう。

さらに先ほど「ミライの世界は無機質な灰色」と記したが、これは決して心情の比喩的だけに留まる言及ではない。物語冒頭においてミライは壊れた「Vision Eye」を使用しており、文字通りの意味でモノクロの世界で暮らしているのだ。そんな彼がアイに義眼を修復してもらうことで、「世界が色づく」体験をプレイヤーも味わえ、以後のスチルや背景ビジュアルもカラフルに描かれる。また「Vision Eye」を利用した視点が描かれる場面では画面左上に「user:〇〇〇」と表記されるなど、「ARで着飾られた偽物の世界」という舞台、「人々に注目されること」というテーマを、ストーリーの盛り上がりに同期してプレイヤーに疑似体験させる、主観視点のビジュアルノベルという媒体を活かした演出だと感じられた。

VTuber文化へのまなざしと祈り

『バチャガ』は現実世界のエンターテインメントや配信文化をベースに、Vstarのサクセスストーリーとして痛快で華やかな一面を描くだけでない。一皮を剥けば生身の人間なのだという、現代社会において身近な「消費される演者」を深く考えさせられる内容だ。焼畑農業のように次から次へと娯楽を消費する時代で、VTuberも人間のパーソナリティそのものを切り売りしている刹那的なコンテンツと言えるかもしれない。輝かしい舞台裏に潜む使命感と献身のリアリティが感じられるキャラクターの描き方は、未来の終末世界を舞台にしながら現代的なエンターテインメントが孕む矛盾と情熱を表現している。

だが本作は、VTuber文化への問題提起だけで終わらないのが白眉だ。たとえば外出禁止が謳われたコロナ禍でVTuber人気が爆発して、一定の人々に希望を与えたことは事実だろう。そもそもエンターテインメントは受け取る他者に向けて発信される以上、「消費」という側面は避けられず、なにより私は誰かが研鑽を積み重なる過程の摩擦で生じた火花を「美しい」と価値を感じる性質だ。

題材であるVTuberの正体について、あえて露悪的な言い方をすれば、演者の自己犠牲・努力と視聴者の寛容・理解・錯覚によって成立する、バーチャル空間の中の共同幻想だろう。だが幻想でも受け取った感情は本物で、むしろその歪なアイデンティティ構造だからこそ、多くのユーザーは親近感を覚えて自らの夢や思いを投影できるのではないか。引退ニュースが日々飛び交う現実において、VTuberをめぐる現代的な矛盾を終末世界という舞台に落とし込みながら、エンターテインメントが本来持つ「他者へ何かを届けたい」という衝動を静かに肯定している。

本作はただ消費を嘆くでも幻想を称えるでもなく、狭間で必死に光を放とうとする存在たちへの優しくも鋭いまなざしによって、「幻想の中の真実」へスポットライトを当てた作品だ。本作をプレイすればそのきらめきと危うさ、希望と絶望が同時に灯る「エンターテインメントの魅力」を、リアルに体感できるかもしれない。VTuberファンやビジュアルノベルが好きな方はもちろん、エンターテインメントとは何ぞやという問いかけに興味がある方はプレイするのも良いだろう。

Yuuki Inoue
Yuuki Inoue

RPGとADVが好きなフリーのゲームライター。同人ノベルゲームは昔から追っているのでそこそこ詳しい。面白ければジャンル問わずなんでもプレイするのが信条。

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