対戦型マルチプレイにおけるアンロック制度不要論

対戦型マルチプレイにおける低レベル帯というのが「チュートリアル期間」あるいは「初心者の目安」から「ただの縛りプレイ」に変容したのはいつからだろう。FPSで言えば、それまでも『BATTLE FIELD 2』など、レベルや階級による装備アンロックシステムを持ったゲームはいくつかあったが、決定的だったのは『COD4:MW』で、このタイトル以降このシステムはグローバルスタンダードになったと言ってよいだろう。


レベル要素は勝敗の価値を薄めうる

 

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私は、対戦ゲームは本質的なところで「競技的」であってほしいと考えている。プレイヤー間で切りうる手札に差があるべきではない。「レベル上昇やチャレンジ達成による装備や能力のアンロック」制度は、この考えと真正面から衝突してしまうものだ。

開発者「武器を使いたかったらレベルを上げてもらおう」 (画像は『BATTLE FIELD 3』より)
開発者「武器を使いたかったらレベルを上げてもらおう」

(画像は『BATTLE FIELD 3』より)

なぜならアンロック制度はそのゲームの持つ競技性を殺してしまうからだ。ゲームが純然たる勝負の場ではなくなってしまう。確かに「かけた時間が確実に報われるシステムである」と言われれば筋は通っているように見える。だが対戦ゲームにおける報酬は勝敗数と自身の腕前への反映だけでよく、対戦そのものに影響する見返りなどは不要ではないだろうか。

レベル差によるゲーム内容の格差があっては、勝敗の要因が腕前以外の何かに薄められてしまう。レベルの高低でゲーム内の行動や選択肢に制限を設けるようなアンロック要素は設けるべきではない。

現代の対戦型マルチプレイではこうした考えは時代遅れになりつつあるようだ。装備の選択肢はXPを稼がなければ増えないし、Perkは使い込まなければ本来の性能にならない。武器のカスタマイズを行うためには、先にその武器を使ってキル・チャレンジを達成する必要がある。―――私は敵をキルするために武器のカスタマイズ画面を開いているというのに。


すべては報酬のため

 

この手のアンロック要素をデベロッパーがしきりに取り入れる理由は何だろうか? もちろん、プレイヤーのモチベーションを維持するためだ。多寡の差こそあれ、XPは勝敗に関係なく無責任に増えてゆくし、キル・チャレンジも最初のうちは要求数が低いので小気味良く達成通知が出る。その報酬として新たな武器が使えるようになり、チャレンジ達成した武器の報酬としてアタッチメントが増える。鳴り響くレベルアップファンファーレ。新装備の試し撃ち。広がる可能性。これらの「出来る事が増えていく」というのは確かに嬉しく、周期的に訪れるアンロックという「イベント」は、プレイヤーのモチベーションを程よく刺激してくれることだろう。

おめでとう! ひとなみ に いっぽ ちかづいた! (画像は『BATTLEFIELD 3』より)
おめでとう! ひとなみ に いっぽ ちかづいた!

(画像は『BATTLEFIELD 3』より)

だが、こうした「目に見える報酬(アンロック)」によるモチベーションアップというのは、実際のところ対戦ゲーム自体の楽しさとは何も関係が無い。また、対戦や勝利のためではなく「アンロックのため」「実績解除のため」のプレイングといった、対戦とは無関係の不毛なゲームプレイをも生み出してしまう。

これは「対戦ゲームとしてのゲーム内容だけではプレイヤーを引っ張る事が出来ない」という開発者側の敗北宣言でもある。『COD4:MW』の商業的な成功以降、他のシリーズも、他のジャンルですらこのアンロックシステムをこぞって導入したことからもそれは明らかで、ゲームプレイそのもので楽しませる事は出来ないと自ら宣言してしまっている。

アンロックでモチベーションを刺激するというのは、確かに間口は広げ、普段あまり対戦型マルチプレイを遊ばないプレイヤーにも一定の「継続してプレイする理由」を与える事が出来る。加えてアンロックに時間をかけさせることで、その間は同じゲームにプレイヤーを繋ぎ止めるという役割は果たしていると言えるだろう。だが、いわば「ご褒美のため」に対戦型マルチプレイモードを遊んでいるプレイヤーを、対戦そのものの魅力に引き込む事はできていないように思える。対戦の魅力を知るためには「純粋な勝負」でなければならないが、こうしたレベル制を導入している限り「純粋な勝負」の成立は難しいからだ。


ゲームの「移住」

 

ここでいう純粋な勝負とは、ゲーム側で用意された選択肢の全てを自ら取捨選択し腕を競い合うといった「お互いに実力以外の差が存在しない環境」の上での勝負ということだ。前提条件が公平でフェアな勝負になって、はじめてゲームに「競技性」が生まれ得る。アンロック制の対戦ゲームではこれを実現するためには、お互いが「レベルもチャレンジも全て制覇しきったプレイヤー同士」である必要がある。そうでなければ単にどちらかが不利なハンデ戦をしているに過ぎず、それは競技とは程遠い。競技が成立しないので、プレイヤーは競技の、対戦の真の魅力を知ること無く、アンロックという報酬だけを追いかけてゆく。

お互いにMAXでないと意味が無いので、これを買って解決するという話でもない。 (画像は『Originストア』より)
お互いにMAXでないと意味が無いので、これを買って解決するという話でもない。

(画像は『Originストア』より)

レベリング完了という「競技性」に到達するまでの作業時間も年々増加傾向にある。大部分のプレイヤーはすべての要素をアンロックする前、あるいはアンロックし終えた頃にはそのゲームから去ってしまっているだろう。パブリッシャーがシリーズ新作を発売するからだ。

ある面では、MAX レベルという「目に見える形での最高到達点」を設定するこのやり方は非常に理にかなっている。対戦そのものが目的ではないプレイヤーにとって、全てのアンロックを済ませたゲームをプレイする理由は無い。そのタイミングを見計らって続編なり派生作なりを出せば、そのプレイヤーは大喜びでゲームを乗り換え、XPを0から溜め直す作業に移ってくれるだろう。レベル制とは定期的な「新作への移住」を促すシステムでもあるのだ。

1年~2年に1本ペースでシリーズの新作を出し、同時にシステム的に「やめ時」を作ることで、プレイヤーに新作への乗り換えを促す。こうすることでプレイヤーは新作に移行するし、パブリッシャーも旧作のサポートを早々に打ち切って開発リソースをよそに回す事が出来る。こういうサイクルがあることがプレイヤーにもパブリッシャーにも有難いという話であれば、それはそれで納得せざるを得ない。それが許容され、成功しているという現状が既にある。


ゲームが報酬だ

 

私は対戦に勝つにしろ負けるにしろ、それは自分の実力の反映であってほしい。そこには一切の弁解の余地も逃げ道も要らない。そうでなければ自分の未熟さを知る事は出来ないし、上達の歓びを感じる事も出来ない。逆のその両方を十二分に感じる事が出来る環境であれば、目に見える報酬など無くても構わない。そういう環境であれば、ゲームの勝敗が、勝敗に至るまでのゲームプレイが、ゲームそのものがゲームの目的であり、なによりの純粋な報酬になるからだ。そしてそれを得られることこそが、競技の、対戦ゲームの真の魅力ではないだろうか。

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Rokurou Eyama
ビデオゲームとアメコミとバイク(盗難被害遭遇済)をこよなく愛する30台前半。レトロゲームも最新ゲームも等しく同じ大切なプレイ対象である。 幼少期に出会った『マーブルマッドネス』の衝撃でビデオゲームに目覚め、なぜか実家に転がっていたMSX2+に親しみ、バーチャルボーイに立体視の未来感を植えつけられゲーム人格が形成されていった。STGからRTSまでどんなジャンルも遊んでみるが女の子がいっぱい出てくるゲームは苦手。

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