『The Last of Us Part II』から学ぶ「イスラエルの歴史とパレスチナ問題」。“暴力の連鎖”から“相互理解”を求めて
宮本茂氏の幼少期のボーイスカウトでの経験が『ゼルダの伝説』を、田尻智氏の少年時代の昆虫採集が『ポケモン』を、鍵っ子だった小島秀夫氏のハリウッド映画や冒険小説への憧れが『メタルギア』を生み出したように、ビデオゲームの遊びはクリエイターの原体験と密接に結びついていることがある。2020年に発売された『The Last of Us Part II』もシリーズのクリエイティブディレクターであるニール・ドラックマン氏の経験から生まれた作品だ。本稿ではドラックマン氏の生い立ちから『The Last of Us Part II』で描かれる”暴力の連鎖”と“相互理解”というメッセージについて考えてみる。なお、本稿には『The Last of Us Part II』に関するネタバレを含んでいる。
ヨルダン川西岸地区で育ちアメリカに移り住んだ幼少期
ドラックマン氏は1978年にイスラエルで生まれた。1989年に家族でアメリカに移り住むまでの間パレスチナのヨルダン川西岸地区にあるユダヤ人入植地で幼少期を過ごした。日常的に暴力が隣り合わせな環境でコミックや映画、『メタルギア』などのビデオゲームといった娯楽に触れて育ったという。
2000年、ドラックマンはヨルダン川西岸で2人のイスラエル兵が群衆に集団リンチされ殺されるニュース映像を目にする。これを見たドラックマンは「この恐ろしい行為をした連中を皆殺しに出来るボタンがあれば、押して彼らに同じ苦しみを与えてやりたい」と感じたという。しかし、時間が経つにつれ、その考えに対して自己嫌悪と罪悪感を感じるようになる(Washington Post)。この時の経験こそが『The Last of Us Part II』の壮絶な旅路の原点だ。「普遍的な愛と同じように、この激しい憎しみをゲームを通してプレイヤーに感じてもらえないか?」。そのアイデアから『The Last of Us』の続編は作られた。
迫害される側から迫害する側へと転じたイスラエルの歴史
ゲームの冒頭で主人公エリーは恋人のディーナとともにシナゴーグを訪れる。ここではディーナの口からユダヤ人の歴史や文化について説明が行われる。異端審問やホロコースト、2000年に渡る迫害の歴史の中で、何があっても“生き抜く”ことを伝統としてきた、と。
この発言をより深く理解するためにもイスラエルの歴史について説明しておく必要があるだろう。1948年、自らの国を持たず長い間迫害されてきたユダヤ人たちは、パレスチナの地にユダヤ人国家イスラエルの建国を宣言する。パレスチナには古くからアラブ系であるパレスチナ人が数多く住んでおり、この一方的なイスラエルの宣言に周辺のアラブ諸国は反発、第一次中東戦争が起きる。この戦争で70万人以上のパレスチナ人が難民となる。
1967年の第三次中東戦争でイスラエルがアラブ諸国に圧勝するとヨルダン川西岸地区、ガザ地区を軍事占領下に置く。以後、イスラエルの占領下でパレスチナ人は住んでいた土地を追われ、生活を破壊され、迫害されていくことになる。歴史の中で迫害されてきた側であったユダヤ人たちが自分たちの国を作り、それをなんとしても守り“生き抜く”という意識の中で迫害する側に回ってしまったのだ。こうしたイスラエルの占領政策は国際法違反であると今年7月に国際司法裁判所が勧告的意見を発表している。
一方、パレスチナ人の側からはイスラエルからのパレスチナの独立を目指すパレスチナ解放機構(PLO)が生まれ、そうした中からテロ活動などの暴力的手段に出る者が出てくることになる。イスラエルはテロ組織への対策として占領地に対する分離壁や検問所を建設、ガザ地区の封鎖や空爆、地上攻撃を行い、ヨルダン川西岸地区へはパレスチナ人住居の破壊、ユダヤ人入植地の建設を押し進めていった。パレスチナ側との和平交渉が破綻するとこうした動きはさらに強くなっていく。
ゲーム中に見え隠れするイスラエルとパレスチナの関係
ゲーム序盤、復讐を果たすためシアトルにたどり着いたエリーの前に巨大なコンクリート製の壁が姿を現す。寄生菌によるパンデミック発生当初、米政府の対策組織FEDRAが感染拡大を防ぐために隔離地域を囲うように作った隔離壁だ。この壁はイスラエルの作ったヨルダン川西岸地区の分離壁と瓜二つだ。
ゲームを進めるとパンデミック発生当時「抵抗組織を黙らせるために軍が壁の中を無差別に爆撃した」というエリーとディーナの会話を聞くことが出来る。ここでは明らかに政府軍がイスラエル、抵抗組織がパレスチナ側として描かれている。
『The Last of Us Part II』ではワシントン解放戦線 (WLF) と名乗る抵抗組織が軍を追い出した後のシアトルが舞台となる。シアトルの覇権を握ったかに見えたWLFはセラファイトと呼ばれるカルト宗教集団とシアトルの肥沃な土地を巡って勢力争いを繰り広げていた。物語の視点が切り替わるゲーム後半では、一時はセラファイトとの休戦協定が実現していたものの、抵抗してきたセラファイト側の子供に対してWLFが銃で攻撃したことにより休戦が破綻したことが語られる。
軍との関係ではパレスチナ側のように描かれていたWLFだがセラファイトとの敵対関係ではむしろイスラエルと重なる描写が多くなる。この休戦協定破綻の経緯もパレスチナのインティファーダを彷彿とさせる。他方、セラファイトもWLF支配地域内に宗教的な聖地が存在する点、本来の教義から逸脱した暴力的手段の行使、WLFから隠れゲリラ攻撃を仕掛けるため高層ビルの間に架けた橋を使うなどパレスチナを想起させる。
繰り返されていく“暴力の連鎖”
ゲームのラストでは、エリーは憎き復讐の相手であるアビーを殺さず、逃がすことを選択する。この結末は賛否を呼んだが、本作のリマスター版『The Last of Us Part II Remastered』に収録されたオーディオコメンタリーによると開発の途中までアビーを殺すエンディングが検討されていたという。公式アート集「ジ・アート・オブ The Last of Us Part II」にもナイフでアビーを殺すエリーのイラストが掲載されている。このバージョンの結末ではエリーが指を失いギターを弾けなくなる経緯も今とは異なっていた。エリーはついに復讐を果たし、農場へと戻ってくる。そこで見知らぬ襲撃者の待ち伏せにあい、指を失う流れであったという。シアトルで殺した“誰か”の仇を取りに来たまた別の“誰か”に襲われる。復讐の連鎖が終わらないことを暗示する、今以上に陰鬱としたエンディングであった。「復讐は何も生まない」という使い古された台詞がある。しかし、現実では復讐は新たな復讐を生み出していく。
国連人道問題調整事務所の発表によると、昨年10月のハマスによる襲撃以降、イスラエル側の報復攻撃によるガザ地区での死者数はこの一年間で4万1000人を超え、この中には確認されただけでも約1万1000人の子供を含むという。ハマスによる攻撃は当然許されるものではない。しかし、それによってイスラエルの行っているジェノサイドが正当化されるわけでもない。今回の報復攻撃で戦争孤児や家族友人を失った人が大勢生まれたはずだ。その中から暴力に訴える者が新たに出てくれば、まさに“暴力の連鎖”が続いていくことになる。
なお海外では『The Last of Us Part II』に対し「イスラエルとパレスチナの関係に当てはめた時、ゲームがイスラエルの側の立場に偏りすぎではないか?」という声がある(VICE)。フィクションにおける“暴力の連鎖”は暴力的な手段に訴えた時点で双方に落ち度があり、同じ穴の狢であるというように描かれがちだ。これは本作のWLFとセラファイトの関係においても、同様といえる。しかし、現実のイスラエルとパレスチナの関係に目を向けると、それぞれ「迫害してきた側」と「迫害されてきた側」だ。仮に双方が暴力の連鎖から抜け出したとしても、イスラエルがパレスチナに対する占領政策を止めない限り問題の根本的な解決にはならない。
“暴力の連鎖”から“相互理解”へ
ドラックマン氏と共同で脚本を務めたナラティブリードのハレー・グロス氏によると“暴力の連鎖”を描いた本作において最終的に伝えたかったテーマは“相互理解”であるという。エリーとアビー、2人の主人公の視点を通すことで自分とは異なる立場の人物も同じ人間であると理解させる。自らの手でキャラクターを操作し感情移入することの出来るビデオゲームというメディアならではのストーリーテリングと言えるだろう。
現在、イスラエルはパレスチナ人を同じ人間であるとは扱わず民間人、医療従事者、報道関係者を巻き込みながらガザへの攻撃を続けている。こうした行為は戦争犯罪、人道に対する罪、ジェノサイドにあたると指摘がなされ、日に日に国際社会からの孤立を深めている。筆者はこの状況を、ディーナを失い孤立を深めながら復讐を続けたエリーに重ねてしまう。ゲームにおいてエリーは、最終的にはアビーへの復讐を思い留まることが出来た。一方で現実で紛争が生じる原因は単なる復讐だけではなく、複雑な情勢に根差しているだろう。紛争もまた新たな“暴力の連鎖”を生むなかで、双方が共存できる道はあるのだろうか。相互の尊重に基づく平和が訪れることを願うばかりだ。