FPSは海外ではメインストリームと言っても差し支えないコンテンツだが、国内での人気は海外とは比べるべくもない。国内外の人気ジャンルを語る上でよく聞くフレーズだ。だが海外で人気ジャンルであるはずのFPSを、ほとんどプレイしてこなかったようなユーザーも当然いる。英語版AUTOMATONの記者Shehzaan Abdullaもその1人である。セガのタイトルや『ストリートファイター』、『ファイナルファンタジー』など、むしろ日本のゲームカルチャーに魅せられていた人物だ。『Doom』にも『Quake』にも染まらなかった彼が、『Halo: Combat Evolved』を通じて、ジャンル初心者の視点からFPSをプレイした感想を記している。ただ褒めちぎってFPSゲーマーになれと洗脳はしない。バグや新グラフィックの酷さについても触れているが、はたして彼は何を思いHaloをプレイしたのだろうか。
私は『Halo』シリーズとは奇妙な関係にある。FPS全般と言った方が正しいかもしれないが、とにかく理解することができないのだ。私の好みからするとストレートすぎる。といっても、舞台が一本道の通路だとか、そういうったことが問題なわけではない。この類のゲームは、私が持ちあわせていない特殊な思考回路をもってプレイするよう、デザインされていると考えているのだ。
私はFPSをプレイするたびに、ものすごく親切なチュートリアルで迷子になり、ナビゲーションスキルを試すことはできなかった。あるいは、NPCの誰かが「なんてこった!あれはなんだ!?」と叫ぶのを聞いて、デベロッパーが定めた本来の道筋になんとか戻った時には(離れた覚えもなかったのだが)、すでに見世物は終わっていた。煙の立つクレーターとクエスチョンマークだけが、そこでなにかが起きていたかもしれないということを暗示するだけ、などということもある。
ともかく、FPSの世界は、多くの秘密を隠していたり、物語を語ることを主眼に置いたりするようにデザインされていない。射線やルートが計算された戦場がデザインされているのだ。私が内容を求める部分に、本気のFPSプレイヤーは構造を求める。
このデザインは、私にとってはハードルが高すぎた。『Halo: Combat Evolved』 (以下『Halo: CE』)を過去二回、XboxとPCで所有していたにもかかわらず、腰を据えて真剣にプレイしたことがないのだ。そして、『Halo: CE』の『Master Chief Collection』版をプレイして、フレームレートがてんでバラバラなのに気づいてしまったとき、三度目も投げだすところだった。幸運にも、最近公開された1.3GBのパッチがほぼフレームレート問題を修正してくれた。だから、多くの人々がモダンクラシックだと賞賛するこの作品に飛びこむのは、このタイミングをおいてほかにないと思ったのだ。
このジャンルの初心者である私は、その真偽を評価する立場にはない。しかし一人の新兵として、この作品はFPS入門作とするのに適しているものだと感じた。深遠なるFPSの世界への入り口を探しているなら、『Halo: CE』は手始めにいいだけでなく、古さを感じさせない良質なゲームといえる。ただし、必要以上の期待は禁物だ。
ストーリー性はそれほどでもない
『Halo: Combat Evolved』に優れた物語はない。ないのだ。にもかかわらず、一部のフランチャイズは『Halo: CE』のプロットに熱狂的な賛美を送っている。物語が崇高に議論され始めたのは、コミックスや小説、アニメ短編など拡張された世界観が存在するより前のことである。このことを念頭に置かなければならない。これらの議論は期待値の話だ。ファンたちはこのゲームが単に宇宙海兵隊がエイリアンと戦うだけのものではないと主張するだろう。確かにそれくらいの期待値で始めたのなら感動できる。このゲームの物語には、宇宙海兵隊とエイリアンの戦い以上のものがある。ただし、期待を大きく裏切り、手放しで賞賛に値するようなものではない。
プレイヤーはヘルメットで顔が隠れた「マスターチーフ」となる。乗船している宇宙戦艦が、「コヴナント」と呼ばれるエイリアンの一群に襲撃され、コールドスリープより目覚めるところから始まる。艦長は船のAIである「コルタナ」の死守を命令する。コルタナのデータバンクには地球の位置情報があり、それが敵の手に落ちることはなんとしても防がなければならないのだ。彼らは付近の宇宙に発見された「ヘイロー」と呼ばれる環状惑星に逃れる。ヘイローの「なにか」が、コヴナントにとって非常に重要なものだった。だがそれがなんなのか、最後の最後まで謎のままで終わってしまう。まあ、それさえ関係ないのだ。このゲームの魅力はアクションである。アクションのほとんどは、エイリアンと宇宙海兵隊の戦闘だ。
ゲーム内のイベントは、『Halo』のすべてを説明しない。世界は壮大であるのに、説明のないミステリーに満ちている。耳元に聴こえるコルタナの声は、ヘイローの一部分が人工大気システムの管理下に置かれていないので、注目すべきだと貴方に進言してくる。だがなぜ注目すべきなのか、という部分には何の説明も提案もしない。それは重要なことなのか。これが『Halo』世界のテクノロジーの基準なのか。それともエイリアンのものなのか。拡張された世界観を無視してゲーム上のコンテクストのみで判断するならば、コルタナの発言はただの無駄なお喋りだ。もし良質なストーリー性を期待していたならば、ここでそれをすべて捨てて、ぬるいサプライズに対して寛容になるべきだろう。なぜなら『Halo』の物語は、あなたが推測などするはずがないと推測しているからだ。
だんだん慣れてくる
私は、近代戦シューティングモノの兵装オプションが苦手だ。似たような機能で似たような外観のライフルがたくさん並んでいるように見える。この手のゲームは、あなたがFPS経験者か、あるいは銃マニアか何かだと決めつけているのだろう。ありがたいことに、『Halo: CE』はそんなわかりづらいことをしない。『Halo: CE』には、目で判別できて明確な用途がある少数の武装しかないので、不慣れな私でも悩まされることは少なかった。
兵器には二種類の系統がある。人類のものと、エイリアンのものだ。人類側には、スコープ付きのピストル、ピストルとはマガジンのサイズと威力が違うスナイパーライフル、それに全てを吹き飛ばすためのロケットランチャーなどがある。これらの兵器は外観に大きな違いがあり、明確な機能を持っている。エイリアンの兵器は似たように見えるが、明らかな違いがある。たとえば、敵のシールドにダメージを与えるのに最適な2種類のプラズマ兵器がある。その1つは低速だがエネルギーをチャージすることができ、もう1つは高速だが長時間使用するとオーバーヒートしてしまう。全ての兵器に長所と短所があり、それぞれが互いを補っているのだ。敵のシールドをプラズマで低下させてから、ピストルに持ちかえて仕留め、そのあいだにプラズマ兵器を冷却する、といった具合に。
だが、問題が1つある。誰も兵器の使い方を教えてくれないのだ。『Halo』には、わかりやすいチュートリアルがない。基本操作の表示以外は、実地訓練システムのようなゲームデザインを通じて、利点や欠点を学んでいくしかないのだ。第1ステージでの多数の敵が守りを固める通路で、グレネードを手に入れることになる。自然と防壁の向こう側へと、いくつかのグレネードを投げることになる。そこでチーフの腕力やグレネードの爆発半径、投擲から爆発までの時間、それに物理エンジンがどの程度グレネードを跳ねさせるかを一度に知ることになる。『Halo: CE』はゲーム全体を通じて、定期的にこのような形で新しい武器やコンセプトを紹介してくる。それに圧倒されるとも、甘やかされているとも感じることもない。このジャンルへの入門レベルのコンテンツを必要としているなら、『Halo: CE』は、非常に適したコンテンツだといえる。
半人前ゲーム二つ分の、そのまた半分
ミラーステージというのは、レーシングゲームにおいて珍しいことではない。しかし『Halo: CE』は、私がミラーステージを目撃した最初のFPSだ。『Halo: CE』はレベルが10あるにも関わらず、そこにあるべき半分の数の地形しかない。なので、ただでさえ似たような通路ばかりのゲームの世界で、以前とまったく同じ通路をまた歩くことになる。各レベルでは、一貫して方向を惑わせるようなデザインの相似性が見られる。橋を渡って円形の部屋に入ると、そこにはまた橋があって、それはもう一つの円形の部屋に続いていたりする。たとえば床の進行方向を示す矢印などの手がかりをたどりつつ、死体を避けて進んでいくというスキルは、『Halo: CE』が身体に叩きこんでくれることだろう。セミオープンのゲームエリアで直感に従い、前進するスキルを鍛えるのだ。
だがゲーム後半になると、難易度が同じであるにもかかわらず、そのペースとゲームプレイは同じではなくなる。知的だった敵は、どこまでも自己保存本能を持たない略奪者の集団に変更される。同じ場所に留まりすぎると、恐ろしい鉄砲玉たちに取り囲まれることになるのだ。だがショットガンがあれば、ゲームは緊張感と興奮を保ちながら、なんとか敵をなぎ倒して前進することができるものになる。立ち止まって息つく暇もなく、だが。
ゲームの半分を費やしてあなたにルールと兵器を馴染ませたあと、『Halo: CE』はこのジャンルの信条を貴方が理解しているか、再度チェックしてくる。移動、間合い、それに照準だ。練度の高いFPSプレイヤーは、初歩的な型が戻ってくることにウンザリするかもしれない。ゲーム後半は『Halo』というより『Doom』のような趣向だと感じた。だが新兵にとっては、自らの基礎技能を試すことができる、歓迎すべき通過儀礼といえる。
グラフィックはレトロで
『Halo: CE』をプレイする方法はいくつかある。Xbox(下位互換性能を介して360でもプレイ可) のオリジナルリリース版、PC版、『Anniversary Edition』版、それにXbox One用の『Master Chief Collection』にも収録されている。後者2つには、グラフィックをピカピカの新世代か、オリジナルの『Halo: CE』のビジュアルのどちらかで選択できるオプションがついている。非『Halo』純正主義者を含む新兵諸君には奇妙なアドバイスに聞こえるかもしれないが、どのバージョンでプレイするにしろ、私はレトログラフィックをおすすめする。
新しく塗られたペンキは見栄えはいい。しかしプレイヤー、特に新参プレイヤーたちに配慮されていない。画面でなにが起きているかを解読するための、頼りになるはずのビジュアルがまったく明瞭でないのだ。適当に実装されていると言ってもいいだろう。背景に対して乗り物は見分けにくく、暗闇でテールランプが光らないので、地下セクションで駐車した場所を見つけるのが難しくなっている。余計なものがたくさん付加された上に、照明が強すぎて、ステージの外形を見極めて、背景に対して敵を認識することがとても難しくなっている。
銃のマズルフラッシュが明るすぎて瞳孔が痙攣し、一時的に視力を失いそうになったことが何度もあった。実戦では起こりうることなのかもしれないが、このゲームが意図していたプレイではないだろう。はるか未来の兵器にふさわしいエフェクトとは思えない。それに新しいグラフィックでプレイ中に、何度「ランダムな爆発」で死んでしまったか数えきれない。ベーシックなビジュアルに戻してみると、どうやら敵から落ちた「プラズマパック」に粉々にされていたらしいことがわかった。レトロ版のビジュアルフィルターでは、このプラズマグレネードは目立つ緑色なのだが、新しいグラフィックでは非常に見づらいのだ。
オリジナルの『Halo: CE』のグラフィックは、今日の基準で見れば粗いかもしれないが、プレイのしやすさと機能性の面では、新しいグラフィックよりも数段上である。新兵にとっては、わかりやすいビジュアルはなにものにも変えがたい重要性を持つ。無論、ゲームの進行(敵のタイプ、兵器のタイプ、各レベルのレイアウト)に慣れたのなら、新しいビジュアルを試すのもいいだろう。
プレイを控えておくことも考慮しておく、今のところは
『Halo: CE』を新兵たちに勧めておきながら、プレイしないように言うのは興ざめかもしれない。だが現状、『Masterchief Collection』は多くの修正パッチを必要としている。なので、このバージョンを買おうと思っていたなら、もう少し待った方がいいかもしれない。最近のパッチでフレームレートは大幅に改善されたとはいえ、衝突察知の問題や、音楽が停止しそうになる問題、カットシーンがぎこちない問題はまだ残っている。もしXbox Oneで1080p/60fpsでプレイしたいなら、ゲームがもう少し安定した状態になるまで、数週間ほど待った方がいいだろう。
(注記: この記事は英版AUTOMATONで12月3日に掲載されたものです。『Halo: Master Chief Collection』では、発売以降マッチメイキングを中心にアップデートが続いています)
だが考えてほしい。多くの者にとって、ほかのもっと動作が速く、より複雑なゲームと比べると、『Halo』はこのジャンルにおける王者のような存在と言えるかもしれない。『Battlefield 4』のレベル再調整を思いだす。だが私は言いたい。少なくとも、このジャンルの初心者にとって、『Halo』は「時代遅れ」なのではなく、「レトロカッコイイ」のだ。無論、同輩に比してみればシンプルすぎるかもしれない。だが昨今見られるような、できあいの劇場型ランダム性を欠いているからこそ、『Halo: CE』は要点がわかりやすく、すぐに銃撃戦に突入できるのだ。