『原神』のストーリーを今こそ振り返ろう、「フォンテーヌ」&「ナタ」編とはなんだったのか、これまでの『原神』物語の常識を覆した物語
大型アップデート実装前に、『原神』のストーリーを振り返る企画、第三弾。今回は「フォンテーヌ」編と「ナタ」編だ。

『原神』のストーリーを振り返りながら大型アップデートに備える企画、第三回。今回は「フォンテーヌ」編および、「ナタ」編。そして、「主人公の肉親とカーンルイア」に関しても簡単に触れていこうと思う。(第一回、第二回)
まずは、前回までの内容を簡単におさらいしよう。『原神』というゲームは、オープンワールドアクションRPGだ。そのため、会話劇であるメインクエスト(魔神任務)と、フィールドの景観やアイテムのフレーバーテキストが融合した体験を提供している。キャラクターたちの半生が特定の土地が持つ歴史に強く関連付けられ、物語が展開される。そのチュートリアルを担当する「モンド」国からプレイヤーの旅は始まり、「璃月」「稲妻」「スメール」と続いていく。国々には原神世界……テイワットの上位生物「魔神」たちが君臨しており、彼らと国、そこに住む人間たちとの関係性が、物語の主軸となっていた。
そして、今回取り上げる「フォンテーヌ」編および「ナタ編」は国の統治に用いられる尺度、という点でと内容が異なる。稲妻とスメールは、神を頂点としたトップダウン政治がなされており、そこには神という絶対的な政治判断の基準が存在していた。しかし、「フォンテーヌ」には絶対的な判断基準が実質的に存在せず、「ナタ」の政治体系は多民族による合議制に近い。二年以上かけて示されたテイワットの「常識」が二年かけてひっくり返るのだ。
これは単純に「世界情勢は多様である」ということを表現しているだけでない。主人公の生き別れの肉親がかつてプレイヤーへ告げた「この世界の淀みを見届けることができる」というセリフに対応する形で、現存の「常識」がいかにいびつな形で成立していたのかを知ることになるのだ。なぜ、神は神なのか。この世界は一体どこにあるのだろう。
神に溺れる地「フォンテーヌ」…罪には罰ではなく、許しを

5つ目の国「フォンテーヌ」は「正義」を国の運営理念として掲げており、国の最高裁判所が行政を担っている。だが自治を主張する監獄が存在したり、地元のマフィアが貧民街を自治したりと、政治判断における統一された尺度が実質的に存在していない。そんなフォンテーヌで展開されるのは、交錯する「正義」と、それに対応する「罪」の物語。さまざまな罪業を背負うキャラクターたちの掲げる正義が、互いの罪を指摘するべくぶつかり合い、時に並び立つ。地元のマフィア。治安管理者。マスコミ。監獄長。ファデュイ。龍と神。さまざまな正義と罪の形は画一的な常識を根底から覆し、テイワットがもつありのままの姿を眼前に浮かび上がらせていく。
フォンテーヌ編にて重要なトピックスは、本作中における社会的な立場への既存イメージが完全に崩れ去ることを通して、先述した「この世界の淀み」が何を指すのか、ということが何となく伝わってくるということだ。たとえば、フォンテーヌ編では魔神に対するイメージに大きくメスが入る。それまでの「常識」において、魔神はこの世界に君臨する大いなる存在であった。
だがフォンテーヌ編において、彼らの立場は先住民である竜族から簒奪したものであることが明らかとなる。この事実はナヒーダのサブクエスト(伝説任務)にて暗示されていたが、今回明確化された形だ。言ってしまえば、テイワット七国の裏には七体の龍王をはじめとする龍族の犠牲があり、神によって支配権を奪われた竜たちは今の世界の在り様に対して思うところがある。
メインキャラクターである審判官ヌヴィレットは正にこの因縁の当事者だ。彼は水の竜王であり、国を治める水神に権能を奪われてしまっている。そんな彼が、水神に諭されて世界を愛してしまう。歴代水神が自身の正義を貫き通した結果、生まれた罪……フォンテーヌを許してしまう。この「許し」こそが、正義の国であり、ゆえに罪業の国であるフォンテーヌ編にて主軸となるテーマになっている。

この「許し」というテーマで、もう1つ分かりやすい例を上げるとすれば、ファデュイに関する描写の変化が挙げられるだろう。フォンテーヌ編におけるファデュイは以前のような「悪の工作員組織」ではなく、スネージナヤ国の「公務員」である、という描写が目立つ。彼らにもまた家庭があり、職業人として大切にしている正義がある。ゆえに罪深い工作活動を行っているという事実が明らかとなる。主人公は当初こそ、工作員として自らの内面を明かさない彼らに対し嫌悪感を抱くのだが、コミュニケーションを重ねていくうちに、友情が成立するに至る。
この描写は単に「ファデュイは悪い組織ではない」ということを示しているのではない。自らに正しく生きようとする人間は誰しもその態度によって生まれる罪を背負っており、罪状を許容して互いに上手く付き合っていくことが、人間社会の在り様なのだ、ということを表現している。もちろん、許されざる罪もまた存在し、ゆえに罰が与えられることもある。「水仙十字」や「レムリア王国」に関する超長編サブクエストは、正義が人を救うとは限らないという事実を端的に表現する内容である。
そして、神が掲げた正義によって成立している原神世界もまた、罪を背負っている。作中のさまざまな事象に関して、原因の一つになっている謎のエネルギー「アビス」である。
神の居ない地「ナタ」…人間と竜、互いに手を取り合って

「アビス」とはテイワットを侵食する謎のエネルギーである。これはテイワットの管理者であり最高神「天理」こと「パネース」が、七体の龍王を倒し世界を掌握したところ、パネースを撃退するために「ニーベルンゲン」という龍が「宇宙」から持ち込んだエネルギーとされる。結果、アビスは世界に根付いてしまい、さまざまな破滅的事象の原因となった。「ナタ」編はこのアビスによる侵食に500年以上抗い続け、戦争を続けている国家を舞台にした物語だ。「ナタ」編のテーマは単純明快。多民族による「団結」である。自国の民族はもちろん、人間と共存するように退化した龍族や、ファデュイとも手を取り合って、アビスと戦争を繰り広げる。
まず着目したいのは、今回より作劇中の演出が大きくグレードアップしたことだろう。会話劇とカットシーンを主体に物語が進行するのではなく、アクションを作劇へ積極的に取り入れている。オープンワールドを駆け回ってサブクエストをこなし、各民族の信頼を得る体験を組み込んでいるのは言わずもがな、高低差のある地形と独自の移動ギミックを活かした、迫力あるカメラワークや操作体験をはじめ、タクティカルシミュレーションのような場面が登場したり、最終決戦ではサブクエストで関わってきたキャラクターたちとの共闘が楽しめる。
また、本作は目でわかるグロテスクな描写を可能な限り避けている。そのため、戦争被害をどのように描写するのか、個人的に気になっていた。実際の内容としては戦場に「間に合わなかった」という描写をはじめ、PTSDや、死後の世界の存在を通じ、そこへ至ることのできない魂の存在といった、「戦争がもたらした傷跡」にフィーチャーしている。これには「なるほど」と膝を打ったものだ。
物語の内容に関しては、500年以上侵食を続ける「アビス」の撃退、という明確な目標に向けて突き進んでいくだけに終わらず、「隊長」と死の執政「ロノヴァ」の問答や、超長編サブクエストにおける龍族の栄光と終焉にまつわる描写など、結果的に神の立場を矮小化させ、人間や竜を力強く描く場面が目立つ。ナタはその地形が持つ性質上、上位存在が生息していない国であり、国を治める炎神も、火の龍王から直接権能を奪った人間がルーツにある、いわば現人神だ。「ナタ」編のテーマは多民族による「団結」ではあるが、その輪の中に神はいない。

神に依存した社会情勢を描く稲妻編やスメール編をまるで否定するかのような態度であり、筆者としてはこれが「ナタ編」の謂わば裏テーマであると感じている。テイワットに生きている人間は神の被造物ではあるが、実際のところ人間に神は必要ないかもしれない。ナタ編ではこの裏テーマに追随する形で、宇宙に関する話題が多く取り上げられる。つまり、神が居なくても十分やっていける時代や世界がすでに存在しているということである。
そして、実際に神を必要としなかった国がテイワットには存在する。亡国「カーンルイア」である。この国は世界全土を巻き込む災厄の発生に伴い、神々によって粛清され、500年前に滅んだ国とされる。また、行方不明だった肉親が「アビス」をコントロール可能な能力に目をつけられる形で、王に擁立されていた国でもある。カーンルイアに関しては毎年ほんの少しずつ、各バージョンの終わりに情報が開示されている。しかしながら現状判明しているのは、ゲーム冒頭の解説と「500年前時点のカーンルイア国」のコピーデータを手に、世界の管理者としてパネースとの対話を画策する肉親の思惑くらいである。そもそも、主人公兄妹の素性がまったく明らかになっていない事も含めて、彼/彼女が貫き通す正義を許し、手を取り合うことができるのか……今後の展開を見守りたいところだ。
物語は空月の歌「ナド・クライ」へ
チュートリアルである「モンド」から始まった肉親探しの旅は、神からの卒業を果たした「璃月」を経て、神が支配する国「稲妻」と「スメール」にたどり着く。この経過に伴い、主人公は外から来た宇宙人ではなく、テイワット人として様々な問題に関わっていくよう変化する。そして神が支配しない国「フォンテーヌ」「ナタ」を経て、覆される常識と共に、この世界が抱える「淀み」の姿が薄っすらと輪郭を帯びながら、目前に現れようとしている。
そして個人的にもっとも気になっているのが、HoYoversの別作品シリーズ『崩壊』シリーズとの関連性である。Hoyoversは物語を設計する上で、俗に言うスターシステムを採用しており、本作は「崩壊」の名こそ冠していないが、スターシステムが適応されている。『崩壊』中シリーズの登場人物と共通の意匠を施されたキャラクターが何人か登場している。主人公のプロフィール中に掲載された人物名のイニシャルが『崩壊3rd』作中の重要人物のそれと一致していたりもする。
だが、関連性はそれだけではない。「ナタ」編にて登場した「燃素」という単語は、『崩壊スターレイル』にも登場する。また、同作品のキャラクター、「ファイノン」が振るう力を演出するエフェクトは、天理の調停者の攻撃エフェクトや、偽りの空が破られた際のエフェクトと似ている。筆者はスケールの大きい物語体験が大好きなため、何らかの直接的な関連性が見つかることにも期待したい。

旅人が次に向かうのはスネージナヤ国にある「ナド・クライ」地方。原神世界の巨大勢力が集結しつつあるこの地は「運命の転換点」とされ、天理パネースが竜ニーベルンゲンによる逆襲を受けるまでの間……統一文明が七国に分裂する以前に存在していた「月の三女神」に基づく未知の力と信仰が息づいているという。この動きに合わせてか、国を治める七神のさらに上位存在となる、天理の「四つの影」のうち、三名のキャラクタービジュアルが公開された。果たして神とは何か、原神世界とは何か。そして相棒パイモンの正体と肉親の真意に関して、明かされていく情報と物語が楽しみである。