「博物館化していくゲームセンター」 第三部

第四部となる今回は、2016年5月30日まで開催中の企画展「GAME ON」をピックアップ。企画・監修を務められた遠藤諭氏と、日本科学未来館の広報・安藤氏に、アーケードゲームをどのような意図で、どのように工夫して展示されているのかをお聞きする。

ゲームセンターに足を運ぶ理由とはいったいなんだろうか?

家庭用に移植されていないゲームを遊ぶため、プライズ限定のフィギュアやぬいぐるみを取るため、友人同士でプリクラを撮りに、もしくは仕事中の息抜きや待ち合わせの時間潰しというのもあるだろう。

音楽ゲームやプライズ機、メダルゲームの設置稼動が多くなった現代のゲームセンターだが、80~90年代のビデオゲームを売りにする店も少なくはない。名作と呼ばれるゲームの数々はいまもなお色褪せることなく、懐かしさと同時に新しさをも提供し、老若問わずにプレイヤーを楽しませてくれる。しかしそれだけではなく、ゲームセンターには性別や年齢が異なる不特定多数の人が集まる風俗としての側面が根付いている。

店に足を踏み入れた瞬間に心地のよい雑音が鼓膜を刺激し、今日はなにを遊ぼうかと期待に胸を膨らませる――そして、事前に会う約束を取り付けずとも、その場にいる常連と顔を合わせて二言三言の軽い挨拶を交わす。「ゲームを遊ぶ」という大義名分はもちろんだが、それ以外にも「(好きなジャンルは異なれど)同じ趣味を持った人がそこにいる」「行けば誰かがいるかもしれない」という小さなコミュニケーションに、どこか安心感を得ているのかもしれない。そしてそこから、シューティングゲームやアクションゲームであればクリアやハイスコアを伸ばすための攻略法を互いに生み出し合い、格闘ゲームであれば対人戦で勝負して切磋琢磨しあう。このような光景はまさにゲームセンターならではの文化だ。

game-centers-are-becoming-museum-vol3-header-002今回ご紹介する店舗は「人が交流しあう場」としてのゲームセンターを目指しているという。しかし、他に類を見ないほどのラインナップに圧巻とさせられる。

東の秋葉原に次いで西を代表する日本有数の電気街であり、でんでんタウンやオタロードで栄える大阪府日本橋。第三部となる今回は、この地で2014年の10月にオープンしたゲームセンター「KINACO」をピックアップ。オーナーの吉岡啓之氏と、その友人で営業を陰ながらサポートする中村康政氏に、80年代のATARIやWilliamsの洋ゲーに特化したその理由やオープンに至るまでの経緯をうかがった。

 

洋ゲーに特化することの意味とは

――オープンしようと思われたきっかけをお聞かせください。

吉岡氏:
もともとは10年位前に自分で何かしたいなと思って、いろいろ考えた末にお店をやろうと思いました。ほかにやっていないようなことで楽しいことをしたいなと。昔、ゲーセンに行ってたころはいろんな人同士で集まってたのがめっちゃ楽しかったので、そういう場ができたらいいなと思ったんです。それで一昨年ぐらいに条件の合う物件を見つけて、いろいろ調べた結果として営業ができそうだということでやってみたんです。

 
――80年代の洋ゲーに特化することへの不安はありませんでした?

吉岡氏:
何に特化しても人を集めるのは大変だというのは10年前から思ってましたね。でも、日本の古いゲームだったらほかでも遊べるところがありますし、僕自身が洋ゲーが好きですし、やるんだったらこれかなと。

20台以上ものアップライト筐体がズラリと並ぶのはアメリカのアーケードの様相そのもの。『ミサイルコマンド』や『ディフェンダー』『ペーパーボーイ』など、タイトルだけでも聞いたことがあるという人も少なくはないだろう。

 
――稼動させようと思ったゲームはどのように購入されたのでしょうか?

吉岡氏:
もともとATARIのゲームとベクタースキャンのゲームが好きだったんで、ebay(※)で筐体をいっぱい売ってる方々を探して「日本に送ってくれますか?」っていうメールを送ったんです。そこで業者と知り合って、送ってもらったリストの中からどれがいいかなと選んだんです。知らないタイトルは資料を調べましたね。

中村氏:
見たことも遊んだこともないゲームが多くて、買ったなかからどのゲームを稼動させるかっていうのは相談を受けましたね。でもそこに対してのNGは一回も出してないんですよ。置きすぎたら人が歩けないとか、そういうところは気をつけなアカンよねぐらいの感じで。

※アメリカ大手のオークションサイト。出品者によっては輸送してくれるケースも多く、ビデオゲームに関して言えば国内で入手しにくい基板や筐体、モニターやパーツ類などを入手するのに利用されている。

なかでも人気が高いのはベクタースキャン方式のゲーム。『スターウォーズ』をはじめ、シューティングパートとアクションパートが楽しめる『メジャーハボック』や、トラックボールで星を囲む操作がクセになる『クォンタム』は、純正筐体が見られるだけでも貴重だ。
なかでも人気が高いのはベクタースキャン方式のゲーム。『スターウォーズ』をはじめ、シューティングパートとアクションパートが楽しめる『メジャーハボック』や、トラックボールで星を囲む操作がクセになる『クォンタム』は、純正筐体が見られるだけでも貴重だ。

 
――そのときって一気に筐体は購入されたんですか?

吉岡氏:
そうですね、40台ぐらいまとめてコンテナに積んでもらいました。ほかにも欲しい筐体が出品されていたら、その業者に代行で落札してもらってまとめてもらうというオーダーも出しました。

中村氏:
コンテナへの配送料とアメリカの港から日本の港までの船賃、日本に到着してから通関手続きと大阪の倉庫までの運賃……これだけかかるからね。

 
――ちなみにおふたりが知り合われた30年前、大阪でもATARIやWilliamsのゲームは稼動されてましたか?

中村氏:
大阪市内と東大阪であればセガとかナムコ、タイトーといった大手メーカーのフラグシップ店には置いてありましたね。特にナムコは「ATARI SYSTEM 1」(※)を使ったゲームをロケテストのような感じで置いてました。高校生のときに「ATARIのゲームはこんなに面白いのになんで全部輸入しないんだ」と思ってたんですけど、テスト輸入されなかったゲームをあとになって遊んだときに「これはアカンな」というのもあったんですよ(笑)。当時のATARIのゲームはすごかったっていう記憶はあるんですけど、それは海を超えられなかったゲームを見てないっていうのもあると思うんですね。

※1984年ごろからATARIが導入したシステムボード。代表例として『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』や『マーブルマッドネス』『ピーターパックラット』といったタイトルで使用されている。

 
30年以上前に稼働していた日本のアーケードゲームが現在でも遊べることの貴重さや、動態保存することの難しさはこれまでの連載でご紹介したが、海外のアーケードゲームに特化した事例はピンボール以外で見聞きすることはまずないだろう。よほどの有名作や海外ゲームに精通しているマニアではない限り、KINACOで稼働しているゲームの数々を初めて目にする人も少なくないという。10年前から店舗営業したいという思いがあったと吉岡氏は語っていたが、オープンされてからの客足や反響などをうかがった。

 

遊んでもらうことよりもまずは「来てもらう」ところから

――オープンされるまでに苦労した点はあります?

吉岡氏:
じつは10年前に別の場所で物件を借りていたのですが、風営八号の許可が取れなくて、その間は倉庫で眠ってたんですよ。それが一番苦労しましたね(笑)。ただ、ゲーム好きも集まる街だし、新世界とか難波にもゲーム好きが集まるし、繁華街に行くほど家賃も高くなっていくので、日本橋でやりたいっていうのは当初から変わってないですね。

 
――来ていただいたお客さんの反応や反響はどうでしたか?

吉岡氏:
最初のころはお祭りみたいな感じで本当に凄かったです。最近は落ち着いてますけど、遠くから来てくれる人や毎月通ってくれてる常連さん達が居て本当に感謝してます。海外から来ていただたりするのが凄すぎて本当にありがたいです。私自身も20~30年ぶりくらいに再会した人がいたので、ここでつながったことをきっかけに何かいいことや楽しいことが起きたらいいなと思ってます。

中村氏:
2014年の10月にプレオープンしたときは「インベーダーブームかよ!」って思った。

 
――入れ替えや修理などの意見は多いですか?

吉岡氏:
修理してほしいっていう意見は多いですね。『テンペスト』『バトルゾーン』あたりはよく言われますが、ベクタースキャンのゲームはモニターと基板、両方の故障が多いんですよ。基板は予備で何枚か持ってたのですが、壊れたのと入れ替えて使っていくにつれてどんどん壊れちゃうんですよね……。モニターはATARIのゲームであればカラーとモノクロのを共通して使用できるので、ほかの筐体のモニターが調子悪くなればそっちと入れ替えたって感じです。

中村氏:
モニター出力の電圧がちゃんとしてないから、別のモニターを入れ替えても画面がちゃんと出ないからゲームにならないんですよ……。

吉岡氏:
もう30年以上経ってる筐体ばかりですので、いつ壊れてもおかしくないんでしょうね。たまたま保存状態が良かったものや、きっちりとメンテナンスされてたものが問題なく動いているって感じだと思います。

お客さんからの修理要望が多い『テンペスト』と、ツインレバーで戦車を操作して敵戦車を迎撃する『バトルゾーン』の二作。吉岡氏も「修理してどんどん動かせるようにしたいです」という意欲はあるとのこと。復活を遂げる日が待ち遠しい。

 
――オープンしたてのころはフリープレイ台もいくつかご用意されてましたよね?

中村氏:
やっぱりインカムの悪い台ってどうしても出てくるものだし、お店に入って来て何もせんと帰られるよりタダで一回ちょっと遊んでみてもらうと、ちょっと気が緩くなって「あれもこれも」って遊んでから帰ってくれる人も多かったですね。写真だけ撮ってSNSに「KINACOに来ました、珍しい機械がいっぱいありました」で終わるかなと思った人でも少し遊んで帰ってくれたりとかね。

 
――時間入場制ではないコインオペレーションというのも最初から決められていたのでしょうか?

吉岡氏:
それは悩みましたね。でもやっぱり「アーケードゲームだからクレジットを投入してこそ」と思いました。

中村氏:
1、2分ぐらいで終わってしまう難しいゲームが多いんですよね。ボリューム感がないというところでディスカウントしてしまうと上げられないと考えたときに、たとえばトークン制や時間制のほうがいいよねっていう話はしたね。時間制に変えるのはあとからでもできるし。時間制にしてからコインオペには戻されへんし、一回やってみてアカンかったらまた切り替えたらええことやし。

 
修理費に見合うインカムが取れるかどうかという点から、モニターや基板の修理はどうしても後手になってしまうというのが現在の懸念材料であるという。ただ、入場料制やトークン制ではなく、あくまでも1プレイ100円のコインオペレーションにこだわるところにアーケードゲーム好きならではの熱意を感じることができた。人を集めるのはしんどいと話されていたが、当時を懐かしむ世代だけではなく、若年プレイヤーに支えられている一面もあるという。

 

海外ゲームだからこその新規プレイヤー介入

アメリカを代表するカートゥーン『ルーニー・テューンズ』の登場キャラであるロードランナーを操作し、生け捕りにしようとするワイリー・コヨーテから逃げながら餌を集めるというシンプルなゲームシステムだが、今回のハイスコア(240万7700点)を出すには約1時間を要している。
アメリカを代表するカートゥーン『ルーニー・テューンズ』の登場キャラであるロードランナーを操作し、生け捕りにしようとするワイリー・コヨーテから逃げながら餌を集めるというシンプルなゲームシステムだが、今回のハイスコア(240万7700点)を出すには約1時間を要している。
――『ニブラー』や『ルナランダー』『ロードランナー』などを若いプレイヤーが盛り上げてくれている部分につきましてはどうお思いですか?

吉岡氏:
僕はこれといったことはしていないのですが、本当にありがたいことですね。

中村氏:
あとはイベントを開催したがってるお客さんも少なくないんですよ。僕らも一回100円を入れる以上に楽しめることを考えるし、お店としても手間をかけた分、新規のお客さんが増えたらええかなと思って。

ここで本題から少し離れ、冒頭でも少し触れたゲームセンター文化のひとつである「ハイスコア」に焦点を当てようと思う。「誰よりも高いスコアを持つこと=誰よりもそのゲームを極めた証」としてのハイスコア文化は、日本のアーケードシーンだけではなく海外でも重視されている。1981年にアメリカで設立されたハイスコア団体「Twin Galaxies」にて、『ロードランナー』のスコアが30年ぶりに更新されたことが話題となっているのだが、その記録はKINACOで樹立されたものだという。そこで、その当事者である若年プレイヤーのkeke_luck氏にお話をうかがった。

 
――KINACOに通い始めたきっかけはなんですか?

Keke氏:
近所にあることと自分がやりたいゲームがあるからですね。 場所が日本橋なので、買い物ついでに済ませられますので(笑)。

 
――ATARIやWilliamsのゲームにもともと興味はありましたか?

Keke氏
『ミサイルコマンド』『アステロイド』『ディフェンダー』等はタイトルは知っている程度で、興味があったのは『マーブルマッドネス』と『スターウォーズ』ぐらいです。それ以前では心斎橋にあるビッグステップのSilver Ball PlanetでWilliamsのピンボールを遊んだ程度ですね。

 
――80年代の海外ゲームに触れる前はどういうゲームがお好きでしたか?

Keke氏
『雷電』シリーズ、『バトルガレッガ』といったアーケードのシューティングゲームですね。『電車でGO!』シリーズもプレイしていたのですが、レバーによる減速操作で指定された場所に停止することや、ゲーム画面だけでなく計器で速度を見るのも重要であるところは『ルナランダー』をプレイするうえでの基礎になっています。

 
――今回『ロードランナー』のハイスコアに挑戦しようと思われた理由はなんですか?

Keke氏
率直に言ってしまえば「できそう」という直感です。100万点を超えられるようになったときにTwin Galaxiesのスコアボードを調べて、3周クリア(Level12突破)ができれば今のペースで超えられると思いました。 結果としては3周目の1面から2面で世界記録を突破できるほどに得点効率を詰めることができました。正直初めて突破したときは足もガクガクで、ペットボトル1本半の水を一気飲みしてました(笑)。今後300万を目指していますが、3周目の4面や4周目以降のを映像に残したいですね。

 
「昔のゲームであっても初めて目にすれば新作である」というのは筆者の心情なのだが、今回の一件はオールドゲームであっても懐古するだけが対象ではないというところを浮き彫りにしたのではないだろうか。一度達成して終わりというわけではなく、まだまだ向上心を持ち続けているkeke氏のスコアラー活動をこれからも注目していきたいと思う。

ジュークボックスの製造で有名なRock-Ola社のドットイート型ゲーム『ニブラー』を得意とする極限氏もkeke氏と同じ20代。彼はもともと海外ゲームに興味があり、アップライト筐体の「本物」で遊べることがきっかけでKINACOに足を運んでいるという。「ちゃんと遊び方を知ってプレイすることで何倍も楽しく感じられることがわかった」と語る。
ミスをしてもペナルティがないゲームシステムが自分に合っていることと、友人らとハイスコアを競い合ったことがきっかけに攻略法をまとめた同人誌を制作し、頒布しているという。

 

できる限りは長く続けたい

――これからこうしていきたいという目標はあります?

吉岡氏:
できるだけ長く続けられるようしたいですね。この形態で営業し続けるのは無理だと10年前からわかってたので、極端な話ですけど2年ぐらいで辞めてもええかなって考えてたんです。でもお客さんからは「続けてください」って仰っていただけるので、できるところまではやりたいですね。

中村氏:
できる限りは来て遊ぶから「(長く続けられるように)ちょっと頼むわ」っていう感じですね。イベントを目当てに集まってくれる人もいればこの店で知り合ったっていう人のつながりもあるわけやから。ゲーマーっていろいろいると思うんですよ。自宅で黙々と家庭用をプレイする人もいれば、騒がしいゲーセンでプレイするのが好きっていう人もいる。この店で上手い人のプレイを見て「自分もやってみよう」と思う人もいるんよね。実際に足を運ぶ人が少なくなってるだけで、ゲーセンならではの感覚や雰囲気が好きっていう人もいると思うからね。

 

ゲームセンターで出会ったからこそ、その場の雰囲気や空気、そして人同士の交流を大事にされている吉岡氏と中村氏のおふたり。海外ゲームという特殊な例ではあるものの、そこに集まるのは「同士」であり、自然と会話も弾ませている光景も見るという。また、理不尽な難易度、複雑な操作というイメージがまとわりつく海外ゲームへの偏見に対し、上級プレイヤーによるお手本プレイ会を開いたり、わかりやすい説明メモを各ゲームに貼りつけるなど「遊んでもらう」ことのハードルを下げるための努力もされている。物珍しさで注目を集めていた時期からは少し落ち着いたが、やはり「いつ壊れるかわからない」という状態を避けることはできない。「遊んだ」という確固たる記憶を経験として残すためにも、機会を見つけて足を運んでみてはいかがだろうか。

第四部では、5月30日までお台場の日本科学未来館で開催されている「GAME ON~ゲームってなんで面白い?~」のアーケードエリアを特集。2002年にイギリスで開催され、これまでに200万人を魅了してきたイベントが満を持して日本に初上陸した経緯などをご紹介しよう。

 



博物館化していくゲームセンター

「博物館化していくゲームセンター」第一部 前編
「博物館化していくゲームセンター」第一部 後編
「博物館化していくゲームセンター」第二部 前編
「博物館化していくゲームセンター」第二部 後編
「博物館化していくゲームセンター」第三部

タクヤ・クドー
1989年生まれ。
UNDERSELL ltd.所属。
ビデオゲームとピンボールをこよなく愛するゲームライター。
新旧問わない温故知新のゲーム精神をモットーに、時代によって変化していくゲームセンターの「いま」を見つめています。
Takuya Kudo
Takuya Kudo

1989年生まれ。UNDERSELL ltd.所属。ビデオゲームとピンボールをこよなく愛するゲームライター。新旧問わない温故知新のゲーム精神をモットーに、時代によって変化していくゲームセンターの「いま」を見つめています。

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