『アークナイツ』にハマってよかった、そう思えたサイドストーリーイベント「孤星」の感想を綴る。情報公開もまた物語
私は最近『アークナイツ』というゲームにハマっている。そのことは、先日書いたコラムを通じて報告済みだ(関連記事)。では今回執筆した内容が何かと言えば、『アークナイツ』というゲームに「ハマっていて良かった」瞬間が訪れたということだ。11月7日から28日まで、3週間に渡り開催されているサイドストーリーイベント「孤星」は、およそ半年間このゲームを遊び続けてきた私に対し、素晴らしい物語体験を提供してくれた。そして、今後も遊び続けようと思わせてくれる、膨大な熱量を心に与えてくれたのだ。
しかしながら今日において、物語を体験の主体としたコンテンツは山ほど存在している。そうした状況にも関わらずなぜ「孤星」を通じて得た体験を記事にしたいと思ったのか。その理由にはこのイベント自体が持つ特殊な性質が関係している。
※本記事には『アークナイツ』及びサイドストーリーイベント「孤星」のネタバレが含まれています。
『アークナイツ』は、中国にて先行展開されているバージョンと、それを後からローカライズしてグローバル展開しているバージョンが存在しており、日本を含めたグローバル版の運営をYostarが担当している。そして「孤星」というイベントは、前者のサービス開始から4周年記念を祝うイベントであった。
周年記念イベントというものは得てして、コンテンツの総決算のみならず、今後の展望を提示することでユーザーコミュニティを盛り上げる機会でもある。しかし日本で遊べるバージョンは後追いである都合上、そうした役割を果たすことはできない。先行版から実装内容に半年のズレがあるため、とうぜん周年記念にはならないし、調べれば今後半年に渡り導入されるコンテンツの中身が分かってしまうからだ。よって今回もまた、いつものイベント体験に落ち着くのだろうと考えていた。私は先行者たちの文脈や盛り上がりを体感することができない。これが後追いのデメリットなんだよなぁ、と。
そして迎えたイベント当日。実際に蓋を開けて見れば、そんな少しばかりの憂鬱は、はるか彼方へ吹き飛んでいた。『アークナイツ』らしさが存分に詰まったストーリーを提供するだけでなく、コンテンツの展望を提示するという点においても十二分な働きをしてくれたのだ。物語の結末を見届け、開発会社からの公開情報を確認し、後追いだろうが、周年記念でなかろうが、コミュニティ内で大いに盛り上がることができた。『アークナイツ』というゲームに「ハマっていて良かった」と想えた瞬間だった。
好奇心と倫理
今回「孤星」で語られたのは、かねてより続いていたシリーズの1区切りとなる内容であり、「人の好奇心=科学」と「倫理」の関係性を描いたものだった。なぜ科学に、好奇心に倫理というものが必要なのか。好奇心とは一体何かということに対して真摯に向き合うものだった。
「科学は決して神ではなく人々が歩んでいく道に過ぎないんです。常に観察され、修正され、時には規制されなければならないものなんです。」
主要登場人物であるサイレンスの言葉だ。
倫理は道徳という暗黙のルールを生み出すための原理であり、ルールは守ってこそ意味がある。よって、対象への関心がない状態からは倫理は生まれない。作中の大衆が事件の真相に対してほとんど関心がなかったり、科学が寓話に例えられたり、陰謀論者が登場するなど、科学と大衆との間に断絶が発生しているのが印象的だった。現地の副大統領ですら科学そのものに関する関心は薄く、事件の意味に反応したのは知識を持っている者だけだった。これは不正やエビデンス軽視の風潮はびこる現在の日本の状況と被る。関心をもつ人が少ないから、手段を問わない暴走がまかり通っている。
また、科学の探求、すなわち好奇心の発露を理性的な行動ではなく、動物的欲求のような形で表現しているのも興味深かった。鳥が翼で空を飛ぶように、魚がヒレで水中を泳ぐように、人間は未知を追い求め、前進していく。科学は科学、好奇心は好奇心であり、それ自体が素晴らしいものではない。善を生むこともあれば悪を生むこともある。これは科学と好奇心に対し非常に真摯な姿勢であると私は思う。
ときに日本では、ある議論が何度も繰り返されている。「クリエイターの人格や立ち振る舞いと、作品は分離すべきか」というものだ。作中でも語られたが、壮大な目標を達成する上で、なぜ往々にして共感能力のない人の手を借りなければならないのだろうか。さらに言えば、犯罪行為を経て成立した作品は果たして規制されるべきなのだろうか。海賊版の流通を通じた文化拡散の現象はどうなのか。
これらの議論に対して未だに答えが出ていないのは、人間の好奇心を完全に否定することが出来ないからという理由もあるだろう。作中事件の首謀者であるクリステン・ライトは、宇宙に到達するという前人未到の偉業を、世界の技術レベルを上げるという大義を、ずっと懐き続けてきた素朴な夢を、自身を含めあらゆるものを踏み台にすることで達成した。
『アークナイツ』の世界はあまりにも危機に満ちており、早急な技術革新が求められていることは理解できるが、彼女に倫理観が備わっていれば、ライン生命は暴走することなく、イフリータは今よりもう少しマシな人生を送れていたことだろう。サリアも苦労することはなかったはずだ。もしかするとマウンテンが復讐鬼にならずに済んだかもしれない。だが天高く瞬いている星の美しさよ。大義を纏い本能のまま、未来へ向かって最短距離をひた走る彼女に対し、魅力を感じてしまったことは否めない。『アークナイツ』の宇宙を見たいという私の好奇心を否定することはできなかった。
ならばいかにして人間は自らの好奇心に対し向き合わなければならないのだろうか。この問いにはイフリータとロスモンティスの二人がヒントになるだろう。好奇心によって兵器に改造された彼女たちは、サリアとサイレンス、エリートオペレーターたち、そしてロドスの皆の愛情をたっぷり注がれたことで、(プレイヤー視点だと約4年をかけて)人間として大いに成長することができた。
科学、ひいては好奇心も同じだ。私達が自発的に彼らに対して関心を持ち、ときにそれを注意して叱ることもあれば、ときにそれを思う存分褒めてあげる。多くの人間が彼らを常に愛することができれば、少なくとも人の道を外れることはないだろう。人類の進歩も果たせるはずだ。倫理は科学や好奇心にとって壁ではない。鎖付きの首輪でもない。我が子に対する教育であり、愛であることを今回のイベントストーリーを通じて私は感じることができた。
海外先行コンテンツを日本から追いかける意味
そして上記の物語を展開しつつ、『アークナイツ』における裏テーマと言ってもいい、ポストアポカリプスを彷彿とさせるSF部分の掘り下げを行い、これをシリーズの新作である『アークナイツ:エンドフィールド』の作品情報に繋げたことは見事と言うほかない。『アークナイツ:エンドフィールド』はHypergryphが現在開発している3Dリアルタイム戦略RPGであり、昨年の制作発表から音沙汰がまったくと言っていいほどなかったことで知られていた。しかしイベント開始の近日から突然情報が次々と開示されていき、それらが「孤星」にて開示された世界観の情報と密接にリンクしていたのだ。「孤星」が後追いで行われる、限定ガチャとお得なゲーム内アイテムパッケージを販売するための長期イベント“ではなくなった”瞬間であり、今のタイミングで「孤星」を体験することに意味が生まれたのである。
このような各対応地域ならではの体験を提供するための試みは今に始まったことではない。たとえば同じ長期イベント「シラクザーノ」では日本向けの施策として、作中のキーキャラクター二人による(日本の声優が歌う)キャラクターソングが公開された。エンドコンテンツである「危機契約」の第12回を告知するPVでは、これまで行われてきた0〜11回までのハイライト映像が流れたが、その内容は対応する地域によって異なっていた。各地域のファンコミュニティ由来の映像を使っていたのだ。
来年1月にはファン向けのリアルイベントが日本で開催される。運営型のゲームにおいて、コンテンツ展開の予定情報はそれ自体がコンテンツになるものだが、本作はこのアドバンテージを失っている。そうした状況の中で、ファンコミュニティに対して尊重の姿勢を示し、熱量を保つために行われるこれらの施策はコンテンツに「ハマっていて良かった」と思える非常にありがたいものであり、個人的にはもっと積極的に行ってほしい限りである。
もちろん、これら以外にも着目すべき点は多くある。宇宙のきらめきと高度の上昇を感じさせるサウンドトラック。アートワークに散りばめられたNASA~デザイナーズ・リパブリックへの流れをイメージさせる意匠。「孤星」というタイトルのままに表現される物語の構成。孤星は約4年間、あらゆるコンテンツを通じて積み重なった謎の解明と、約4年間を通じて描写されたライン生命関係者たちが持つキャラクター像の変遷、という2つの爆発を内包した思い出の塊でありながら、その4年間がちっぽけに感じられるほどの宇宙―――『アークナイツ』ユニバースとでも呼ぼうか―――を展開した。そのスケールの中で独りもがく「人間たち」という構図は『アークナイツ』そのものであると言える。孤独はときに活力となり、「命が消えるまでに経験することにはすべて、必ず意味がある」。前文後半はゲーム内テキストの引用となるが、素晴らしいメッセージだ。
広げた風呂敷は畳まねばならない。作品を通じて得た、大切な思い出を包み込むために。そして『アークナイツ』が広げたそれは、宇宙にも違わぬ大きさを誇る大風呂敷であり、正直なところ、本作の物語がいつ畳まれるのかは予想もつかない。『アークナイツ:エンドフィールド』の展開も予定され、その道行きは不透明だ。だが少なくともこの船は4年に渡る航海をもうまもなく成し遂げようとしている。今はただ、物語の余韻に浸りながら乾杯したい。コンテンツの無事と、『アークナイツ』の未来に。