ゲームクリエイター斎藤のポーランド滞在記 第四回「熾烈なゲームジャム」

ゲームクリエイター斎藤成紀氏が、独自の目線でポーランドの生活やゲーム事情を伝える連載。第四回は、ゲームジャムについてお伝えする。

編集部注:
ゲームクリエイター斎藤成紀氏が、独自の目線でポーランドの生活やゲーム事情を伝える連載。斎藤氏は、さまざまなゲーム制作に携わってきた開発者だ。大学卒業後、アートディンクにてレベルデザイナーやリードデザイナーとして経験を積んだのち、スクウェア・エニックスに入社。某大型タイトルにて、リードグミシップデザイナーを務めたのち退社。そうした実績を誇るクリエイター斎藤氏は、なぜポーランドへ赴いたのか。そして何を見たのか。独特の感性を持つ斎藤氏の目が捉えた、ポーランドの現在をお届けする。

第一回 「自己紹介 ~著名タイトルに携わった元ゲームデザイナーはなぜ、『ウィッチャー』の国に向かったのか~」

第二回 「ポーランドインディーのお金回り」

第三回 「ポーランドのゲームイベントから見えてくる楽しい文化」

どうも斎藤です。
年が明けて2020年。年末は一度ならず会社のパーティーがあったり、友人たちと食事に行ったりクラクフを訪れたりなど、なんやかんやで日本にいたときよりアクティブに活動しており、充実した年越しだった。寒さだけが唯一の欠点だ。ワルシャワでは年越しのカウントダウン花火が上がるのだが、文字通り街(のどまん)中いたる所で花火が打ち上げられ、色とりどりの閃光が地平線を埋め尽くす光景は圧巻。

なお、花火の大半は個人がおのおの勝手に打ち上げているものと思われ、そのへんの公園でいきり立った若者たちがフライング花火を打ち上げる光景もしばしば見られ、中にはアパートのバルコニーから打ち上げているツワモノもいた。ポーランドは今日も自由である。

さて、話は遡って去年の7月になるのだが、ワルシャワでは年に一度、Slavic Game Jamというゲームジャムイベントが開かれる。ご存知の方もいると思うが、ゲームジャムとはプロ・アマ・学生問わずゲーム開発者が集まってチームを結成し、48時間や72時間といった規定時間内にゲームを開発して発表するイベントである。ゲームは本来何年何か月というスパンでとても開発に時間が掛かる代物だが、それを2日とか3日で作るのだから、終わった後は大半の人間がゾンビ化する、過激なエクストリームスポーツである。筆者も今回、3日間で合計睡眠時間2時間というコンディションであり、終わった後はアフターパーティーを経て永遠の眠りに就いた次第である。それでも参加者が堪えないのがゲームジャム、またの名をマゾヒストの楽園である。筆者も友人に唆されて、つい出来心で参戦を決めてしまった。悪い癖だ。

Slavic Game Jam会場

ゲームジャムは運営団体によって様々なスタイルや文化を持つ。Slavic Game Jamは学生団体のPolygonとOBOG主催で開催されているのだが、学生団体とは思えないハイクオリティの運営に驚かされる。今年で6回目(6年目)の開催で、豊富な経験と高いモチベーションに裏打ちされていることが至る場面で見て取れる。スポンサーもつき、4500円くらいの参加費でLANケーブルの張り巡らされたポーランドの名門・ワルシャワ工科大(ポリテフニカ)の施設が使用でき、質の高い食事や常時飲食放題のコーヒーと軽食が用意された開発環境が提供されるのだから素晴らしい。会場はメトロのポリテフニカ駅(中央駅から1駅)から5分くらいのところにあるキャンバスの1棟でアクセス抜群。ちなみにポーランドのゲーム業界にはポリテフニカ出身者が多くいる。

会場棟

今回のルールはお題に沿って48時間でゲームを作り、期限内に4秒間のビデオを提出するというシンプルもので、コンペやピッチが無いのが特徴。要は作りたいものを好きなように作れというコンセプト。筆者は正直、しんどい開発は嫌だったので、好奇心の反面若干渋り気味の参加だったのだが、結論から言って非常に素晴らしい体験になった。

まずは最初に運営からのルール説明があった後、お題の発表。今回のお題は「Growth」だった。その後チーム作りがある。最初からチームを作ってきても良いのだが、そうでなければ部屋をうろうろしながら自力でチームメイトを探す必要がある。このゲームジャムで最初に遭遇する難関とも言える。

運営からの説明

筆者の場合、会場には何人か友人も来ていたが、会場唯一のアジア人で目立ったのか、Googleのプログラマー達にリクルートされたので、彼らのチームに参加することになった。ちなみに会場の民族構成でいうと多数派はポーランド人だが、ちらほら英語も飛び交い、スウェーデンやエストニアなどの北欧人も多く見られた。筆者のチームではリーダーのテモがジョージア人で、他はスイス在住ポーランド人のカップルと、ポーランド南西の街カトヴィツェ出身の学生二人がメンバーだった。テモとカップルの片割れがポーランドのGoogle出身のプログラマー、もう片方と学生二人がアーティストで、斎藤はゲームデザイナーで珍しがられた。ゲームジャムにデザイナーが参加することは珍しいようだったが、ポーランドにはコーディングスキルが高いゲームデザイナーが多いので少し意外に感じた。

筆者のチームは6人編成とやや多人数の編成で、ブレストでは幾つかアイディアが出たものの、最終的には「暴走して地球を解体して飲み込もうとするAIで動く巨大ロボットに、よその惑星から餌代わりの資源を取ってきては与え、地球破壊を阻止する」というゲームに落ち着いた。

一緒にジャムったチームのメンバーたち

Google出身の二人は頭が良すぎて頭の回転も喋りも滅茶苦茶に速いうえに、学生二人は英語があまり得意でない関係で時々ポーランド語タイムが挟まるので、そこまで頭の切れが良くない筆者が着いていくのは割りかしやっとこさっとこだった(テモはジョージア人だが、ポーランド在住歴が長いので割と理解できていた)。やはりGoogleのエンジニアは全員頭にハードドライブを埋め込んでいるという噂は本当だったのだ。あのキアヌリーブスとビートたけしの衝撃の共演作・JMの時代は既に来ているのである。

ブレストの段階ではチームを分けるかという議論にもなったが、「俺はプログラマーとしてはフルでは動けないから、1人頭として勘定せんといてくれ」と宣言して思いとどまってもらった。Unityを使うことは筆者が入る前に決まっていて、筆者がUnityでコードを書くのは4年前の仕事以来だったので、C#のコーディングは記憶を探り探りになることが分かっていたし(ここ数年はもっぱらUnreal Engineとの付き合いがメインだった)、何よりゲームデザイナーとしてのスキルを試す良いチャンスだと思ったのも理由だ。

実際、実装段階に入って宇宙船の惑星周回挙動を実装してみると、思いの外頭からすっぽりとUnity C#の使い方が抜けていて、リハビリに存外時間を取られたり、環境のセットアップに失敗してVisual Studioがプロジェクトにアタッチできずにデバッグ機能が使えなかったり。他の二人が黙々とコーディングを進める中、あまり進捗がなく、ちょっと申し訳ない感じになったりもしたが、「仕事じゃなく、あくまで楽しみに来てるんだから、肩肘張らずにリラックスしよう」という気持ちでやらせてもらった。

ちなみに少々脱線するが、Slavic Game Jamは当然48時間という時間の縛りもあり、本気で開発に没頭するとなると慌ただしいことはこの上ないのだが、あくまでこのイベントの本旨は「プロセスを楽しむこと」であり、結果を競い合うものではない。そのため全員が全員しゃかりきになってキーボードを叩いてホワイトボードをこねくり回しているわけではなく、ときには開発そっちのけで「既製品の」ゲームに興じていたりと活発に交流している人もいた(もちろんジャム製ゲームもプレイされていた)。中には1メートル半以上はある分厚い木板とノコギリを持ち込んでボードゲームを「製造」している人もいて、珍しがって多くの開発者たちが群がっていた。ちなみにポーランドでは日本以上にボードゲームがポピュラーで、普通のカフェに行ってもボードゲームが置いてあることもざらであり、我々開発者のようなオタク以外の一般人にも広く受け入れられている。

またSlavic Game JamにはHyde Parkという、誰でも登壇してピッチできるコーナーがあり、「今から~について話をするよ!」と触れ回ってオーディエンスを集めて話を始める人も見かけた。友人曰くHyde Parkという概念はこのゲームジャム固有ではなく、一般的な概念らしい。開発したり遊ぶだけではなく、開発の情報交換もまたSlavic Game Jamの骨子の一つであり、実際ポーランドのインディー開発者同士は常にアドバイスし合ったり、誰かが開発したゲームをテストプレイしてDiscordのタイムライン上でフィードバックを共有したりといったことがよく行われている。

開発者といえばVRゲームの『モッシュピットシミュレーター』開発者のSOS(ソス)氏など、ポーランドインディーの重要人物がこぞって集まってくる場所でもあり、第二回で紹介したAfterburnの面々にも会うことが出来た。前回記事でも言及したが、開発者同士の活発でオープンな交流を楽しむには、これ以上のうってつけの場所もないと言えるだろう。(SOS氏は、ポーランド政府のキャンペーンの一貫で政府高官に『モッシュピットシミュレーター』を紹介した際、その高官に「ゲーム内キャラ臀部の体腔に指を突っ込んでそのままぶん投げる」というチュートリアルをプレイさせたことで伝説となっており、ポーランドの開発者間でカリスマ的な人気を誇る)

Afterburnとその友人たち

話をもとに戻すと、筆者はC#でのプログラミングが錆びていた関係で、スキルゲームプレイやUIのプログラミングは二人に任せておき、エフェクトやサウンドの組み込み等のアセットに近いところの楽ちんな作業を担当しつつ、ミーティングを開いてタスクの見直しや整理をしたり、デザインのブラッシュアップを提案して実装案について説明したり、またはアーティストに張り付いて表現の方向性を示唆するなどのディレクション方面に回った。他方、本業のレベルデザインについては、今回は最後の調整で手を入れたくらいで、学生アーティストのマテウシュがやる気に満ちあふれていたので、実際はほとんど彼に任せて横からオブジェクトのレイアウト方法を教える方がメインだった。実作業はほどほどだったにも関わらず、デザインや問題解決でうまく立ち回れたことでチームのみんなにも喜んでもらえたので、何とか最低限の仕事は出来たかなという思いだ。

これまで仕事では大抵何かしら自分も作業をしなくてはいけない状況に置かれていて、自分では手を動かさず口を出すだけ、というのはあまり経験してこなかったのだが、やってみると案外楽しいもので、改めて開発の違った楽しみ方が見えてきたのは良かった点だ。前職では仕事が手一杯でなかなかテストプレイの時間が取れない時があって大変だったのだが、その時非常にお世話になったスーパーバイザーの方が「テストプレイの時間は何しても確保しなきゃ駄目だから、身動き取れないようなら俺が仕事引き取ってあげるよ」と言って、忙しい中わざわざタスクの一部を引き受けて下さったのを思い出した。頭をリラックスさせてゲームプレイに集中することはそれほどまでに重要なのだが、迫るスケジュールとリードとしての責任に追われてそれを楽しんでいる余裕まで無かった。今回初心に返ってそれを素直に楽しむことが出来たことは、自分にとって一つのターニングポイントになったと言えるかもしれない。断言しないのは、こういうことはしばらく後になってみないと分からないからだ。

人は何か学ぶと何かを忘れる。一心不乱に何かを続けた方がなんとなく出来る人間になれそうだが、かといって脇道に逸れて無為に過ごしていたら人生を駄目にするかといったら、そうとも思わない。単語や年号の暗記をするときなど、必死に書き取りしたり赤ペンで塗って緑のシートで隠したりして必死にやるより、適当にパラパラと単語帳をめくって例文を見てツッコミどころを探したりしている方が、案外効率が良かったりするものだ。シャカリキになりすぎると、案外能率は落ちる。テキトーが許される時はテキトーにやっていた方がいい。たまには仕事をうっちゃって、予算も責任も地位もキャリアも関係なく、知らない人と知らない国でジャムってみるというのもいいなと思ったのだった。

前日パーティーでDJブースに立つKenobit氏。パーティーがあるからみんな頑張るのである。氏は日本でも「ゲームボーイミュージック」を演奏していたらしい

とはいえやはりゲームジャムはしんどいし、誰かのプッシュがなければ、物臭な筆者が次回も参加するかどうかは果たして不明。会場は近いし、機材もラップトップとセカンドモニタ用のタブレットさえ持っていけばどうにかなるので、すべてはやる気次第だろうか。予めチームを作っていってもいいかもしれない。

そろそろ眠くなってきたので、寝ようと思う。ちなみに前回記事の冒頭は書いたのが12月だったからクリスマスの話題で始まっているが、年をまたいでしまったのは、年末は色々ごたごたがあったからとかそういうのではなく、時差のせいである。当然だが、前回記事のリリースが半年遅れになったのも大体は時差が影響している。ポーランドと日本の時差はすごいので、間にヒマラヤ山脈とかあるし、偏西風が吹いてとにかく大変である。すべては時差の責任。しかしこういった自然現象もまた、いつの日か人類の手で克服されていくのであろうか……。

Shigeki Saito
Shigeki Saito

Flying Wild Hog シニアレベルデザイナー。某大学にて政治学を学ぶ。アートディンクにてさまざまなタイトルに携わったのちにスクウェア・エニックスに入社。某大型タイトルではリードグミシップデザイナーを務めた。ポーランド好きが高じて、ポーランドに移住のち現地のデベロッパーに就職。

記事本文: 6