ゲームクリエイター斎藤のポーランド滞在記 第一回:自己紹介 ~著名タイトルに携わった元ゲームデザイナーはなぜ、『ウィッチャー』の国に向かったのか~
編集部注:
ゲームクリエイター斎藤成紀氏が、独自の目線でポーランドの生活やゲーム事情を伝える新連載。斎藤氏は、さまざまなゲーム制作に携わってきた開発者だ。大学卒業後、アートディンクにてレベルデザイナーやリードデザイナーとして経験を積んだのち、スクウェア・エニックスに入社。某大型タイトルにて、リードグミシップデザイナーを務めたのち退社。そうした実績を誇るクリエイター斎藤氏は、なぜポーランドへ赴いたのか。そして何を見たのか。独特の感性を持つ斎藤氏の目が捉えた、ポーランドの現在をお届けする。
【UPDATE 2019/8/14 13:30】
斎藤氏のキャリアにまつわる表現を変更
斎藤と言います。下の名前は成紀、平成を生きることを宿命付けられて生まれたが、知らないうちに違う元号に。2010年代をコンソールゲームの開発者として過ごし、クエストデザインをはじめレベル、メカニクスなど、デザイン周りの仕事をしてきた。直近の仕事では、某大型タイトルのグミシップセクションの責任者、およびレベルデザイナーとして、グミシップのオープンワールド空間の設計やアセット・機能作成に関わる各セクションとの方向性の調整など、あれやこれやをやっていた。
学生時代は特にガリガリコーディングして自分のゲームを作っていた訳ではないが、学校の授業課題でジャングルの奥地のゲリラ戦で追い詰められ発狂した小隊長が、部隊を鼓舞したり逃亡者を処刑して士気を維持しながら敵部隊と戦うゲームを作ったことがある。ちょうど戦争映画にハマっていた頃だ。当時熱が高じてヨルダンを訪れた折には、数年前のイラク戦争で焼け出された人や元兵士、パレスチナ難民なんかがキャンプにひしめき合っていて、いまだ癒えない戦争の傷を見たものだ。
そんな学生だったので就職志望先に書類で落とされることが多く、たまたまアートディンクが拾ってくれたので入社することになった。挙動不審な筆者をディレクターの方が面白がって面倒を見てくださり、その節はとてもお世話になった。当初のプロジェクトではシナリオ絡みでセリフを書いたりボイスディレクションなどの仕事をしていたが、Unreal EngineやUnityといったゲームエンジンの初出期からプロトタイプ用途でのポテンシャルを感じていたので、趣味でC#やBlueprintを勉強してプロトタイプを作って会社の人に見せたりして遊んでいた。
そうしているうちにゲームエンジンにやたらと詳しくなってしまい、新しくゲームエンジンを導入するといったタイミングで実装の絡む仕様のハンドリングや、リードの仕事を任されることが増えた。自分でゲームを作ったりプログラミングを勉強していたお蔭で、どういう仕様をどう実装に落とすかはだいたい見えていたので、プログラマーやアーティストとの連携もしやすかったのが、仕事をこなす上でプラスに働いたかもしれない。
とはいえ、スクウェア・エニックスに転職し大型タイトルのチームに入った折には、入って2か月後にグミシップセクションの責任者を任されることになり、正直頭を抱えた。Unreal Engineのことは分かるが、中規模チームのハンドリングというのは未知数だったからだ。あの時プロジェクトの皆さんや大阪の友達の支えがなければ、今ごろは道頓堀のヘドロとなっていたかもしれない。特にスーパーバイザーの某氏には、よく道を示していただき、デザインロジックに対する洞察力と問題解決アプローチの多彩さ、デザイン構築の正確さからは何度も学びを頂いた。
ゲーマーとしてはFPS/TPS/RPGを中心にプレイすることが多いが、エッジの利いたインディー作も好きだ。ゲームに触り始めたのは小学校に上がってからのことだったが、当時一番インパクトがあったのは『タクティクスオウガ』だった。ユーゴ紛争にインスパイアされただとかってのはあの頃知る由もなく、人間本性の暴力性と偽善者ひしめくソープオペラに興味を引かれた。大学に行って政治学を専攻したのも、人間がどこまで高潔または卑劣になれるのか、その天井/底を知りたいといった好奇心があった。ゲームのメカニクスがどう動いてどうしたら最適化されるのか、それを知るための試行錯誤を繰り返しながら物語の結末へ向かっていく時、人間は突き詰めて貪欲になる。その瞬間、人間は最も純粋で幸福になるのだと思う。
学生時代に友人から教えてもらって、衝撃を受けたインディーゲームには『セラフィックブルー』がある。90年代風の重厚な世界観のストーリーとか、メカニクスがシンプルなのに読みが深いというところではなく、個人として感じるものがあったのは作品に見て取れるデザイナーの怒りと執念。ゲームを作るというのは本来、自分の命の一部を削り出し、それをコード上に移し替える作業だ。単にハマるゲーム、何時間でもできるゲームは毎年出てくるが、それだけを作るのは特別難しいことではない。精神に触れることとイコールではないからだ。本当に困難なものは作る覚悟であり、作り始める前に既に準備されていなければいけない。これを全て文章化するのは難しいと思う。マトリックスが何なのかは人から教わるものではなく、自分で見るしか無い、とモーフィアスが言うように、然るゲームをプレイしなければ分からないからだ。
『Dishonored』シリーズには、特にデザイン的な面で好奇心をそそられた。このゲームは多様なプレイスタイルを許容しているのだが、特にステルスゲームとして遊ぶ際には、全ての道という道が複雑な立体パズルになっていることに気付かされる。目標地点に向かい、複数のルートから自分のスキルセットに適した道を選び、敵の位置関係を把握し、タイミングを見極めて突破する、というゲームプレイ。言葉にしてみればシンプルなのだが、それを実現するための移動経路、身を潜める隠れ場所、敵の巡回経路、気絶させた敵を隠しておく空白スペースといった要素が高野豆腐めかした高密度で設計されており、プレイヤーは常に周囲の観察を行い、膨大な情報量から正しい情報を選び取り、組み立てて試行錯誤することを求められる。アクションゲームでありながら、実はゲームプレイの大半は観察と情報整理なのだ。ほとんどレベルデザインの教習所といっていいほど、この設計の緻密さと情報量には感心する。
さて、何でこれを書いてるのかというと、大阪のバー(文学バー Bar Liseur)で偶然出会ったAUTOMATON編集長のMinoru Umise氏と飲んでるときにポーランドが熱いという話になって、その後休暇を取ってポーランドに来るタイミングで、Umise氏にコンタクトを取ったときにオファーを貰ったからだ。
ポーランドの何が熱いのかというと、質と量と成長性だ。ゲームオブザイヤーを一網打尽にした『ウィッチャー3 ワイルドハント』のCD PROJEKT RED 、御薬った傑作『Shadow Warrior』のFlying Wild Hog、ミュジーク・コンクレートのようにドープなミニマル作品『RUINER』のReikon Gamesほか無尽蔵に現れる才能豊かなインディー開発者たち。ポーランドのゲーム産業はここ10年ほどの間に信じられない規模とスピードとクリエイティビティで宇宙的に膨張している。
と、ここまで一気に書き上げたが、ポーランドに関する基本的な知識は一般的ではないので軽くおさらいしておこう。ポーランドはドイツの右でウクライナの左、チェコの上にあってバルト海に面している。人口は日本の三分の一くらいでスラヴ系のポーランド語が第一言語。ゲーム開発者は、英語が得意な人が多いが一般的にはそれほどでもない。名物はウォトカとキノコとポンチキ(ドーナツ)。どれも素晴らしいクオリティだ。
そしてゲームで有名なものとしては、『ウィッチャー』はもっとも成功したブランドであり、先述した『ウィッチャー3 ワイルドハント』は現在では世界でもっとも有名なRPGの一つだ。フランスではパッケージが供給不足になった際に、黄色いベストを来た信奉者が暴徒化した事例もある。
「ゲーム・オブ・スローンズ」のゲーム版とでも言えばわかりやすいが、原作となったアンジェイ・サプコフスキの著作はポーランドはじめ各地のスラヴ神話を収集してバックボーンに敷き詰めつつ、政治経済人権問題などの現代ポーランドが抱える闇を投影したリアリズムを貫いておりゲームもまたそれを踏襲・アンプリファイしている。それこそがギークや年少者だけに留まらず、広範なファン層を惹きつけた最大の要因と言えるだろう。その影響なのか共通の要因によるものかは未だ筆者が知るに及ばないが、11 bit studios の『This War of Mine』のようなシリアスなモチーフを扱うゲームもまたポーランドゲームを特色づけている。
一方でジャンクカルチャーも支持を集めており、『Shadow Warrior』なんかは最たるもので、日本がモチーフなのに主人公の忍者はグーグル翻訳したような名前の刀を探し求める中国人で、原付から自動販売機に至るまであらゆるものが叩くと爆発する。フォーチュンクッキーからはバカバカしいジョークが炸裂し、挙句の果てに突然ウサギが現れてハートマークを踊らせながら交尾を始める。このようにシリアスとジョークの振れ幅が広いのもポーランド製ゲームの創造性の豊かさを物語っているといえるだろう。
一気に自己紹介にまつわる文をかきあげたので、これから近所のジャプカというコンビニで買ったジョニーウォーカー赤でも飲むことにする。これさえあればポーランドにおける目的を果たしたと言っても過言ではない。最後に『Shadow Warrior』のフォーチュンクッキーの意味深な啓示を引用してから寝ることにしたい。
To be is to do. ~ソクラテス~
To do is to be. ~ジャン=ポール・サルトル~
Do be do be do. ~フランク・シナトラ~