Pinball Days -2017年のピンボール- 最終部 -ピンボールの本場、アメリカに存在する殿堂のこれまでとこれから- 後編

「Pinball Hall of Fame(以下、PHoF)」館長のTim Arnords氏へのインタビュー記事後編。
※こちらは「Pinball Hall of Fame(以下、PHoF)」館長のTim Arnords氏へのインタビュー記事後編です。前編はこちらから(編集部)。

 

前回はアメリカ・ネバダ州ラスベガスにある「Pinball Hall of Fame(以下、PHoF)」の館長・Tim Arnold氏が運営を開始されるまでの経緯とピンボールへの愛情についてうかがった。観光地であるラスベガスという地を活かし、ピンボールプレイヤーだけではなく子供から年寄りまでの誰もが200台ものピンボールを楽しめる空間を作り上げたTim氏だが、今後も運営を続けていくうえで、あるひとつの悩みにずっと頭を抱えているという。後編ではそれを明かすとともに、Tim氏が肌身で感じてきたピンボール市場の移り変わりと、これからの期待などをお聞きした。

身体の不調と後継者不足という不安

――身内とボランティアで運営されているとのことですが、海外のニュースサイトではTimさんが不整脈を患っているため、後継者を募っているが不足している」と目にしました。

Tim氏
まさにそのとおりで、ここに置いてある200台をメンテナンスできるのは僕ひとりだけだし、次々と不調をきたしていくピンボールの一台あたりにかけられる時間も人手も本当に足りていないんだ。オープンしたときは自分も若かったし時間もあったんだけど、時間を重ねれば重ねるだけ老朽化するのは人間もピンボールマシンも同じさ。ピンボールのメンテナンスはピラミッド状にすると説明がしやすく、下から順番にプレイフィールドの磨き上げから電球の交換といった初歩的なリペアがあって、その上に基板のチップ交換などがあるんだ。昔はこれを全部ひとりでやってたんだけど、いまはそのピラミッド状のてっぺんにある「パーツの自作」に自分を持っていってるんだけど、アシスタントはいない状況が続いてるね。この葛藤は毎日続いてるよ……。

 

Tim氏が目にしてきたこれまでとこれから

――90年代からピンボールのルールが複雑になったことによって間口が狭まったような印象があります。

Tim まだまだこれからピンボールに楽しめるルールがあって、その一線を越えるともっと楽しめる深い要素があるというデザインに切り替わってから、間口が広がっていったんだ。ボーリングであれば倒せるピンの数、野球であれば進塁したランナーがベースを踏むことでそれぞれ点が入るだろう? 基本的なルールを残したまま上達すればハイスコアが得られるようシステムになったと思うよ。

――Gottlieb、Williams、Ballyといったメーカーがピンボール業界から撤退していくのを目の当たりにされていたと思うのですが、そのときの心境はどのようなものでしょうか?

Tim たしかにメーカーがどんどんなくなっていったけど、結果的にSternが残ってくれたことによってパーツを作るメーカーもとどまってくれたんだ。それがいまのピンボール業界にとってはすごくいいことだと思うよ。マシンの足を作るだけでも何千万円する機械が必要だし、飛ぶように売れるわけでもない。けれども作り続ける努力や情熱がまだ注がれる理由となったのはやっぱりSternが残ってくれたからだよね。メーカー、パーツ製造業者、デザイン業者それぞれがうまくいっているときはみんなが人気者だけど、業界が右肩下がりになって人気が陰ってきたときにこそ底力みたいなものが発揮されるよね。

――ここ数年でJersey Jack PinballやDutch Pinballという新興メーカーが登場したことによって長らく続いたSternの独占市場が終わり、ピンボール業界が活性化の兆しを見せていますね。

Tim氏
昔の自動車はメーカーが自分のところだけで一台作っていたけど、最近では各部品を作る会社ができたおかげで、自動車メーカーは車をデザインする時代になったんだ。それがピンボール業界にもまったく同じことが言えて、Stern一社だけで引き受けられていたものが、いまではパーツ屋さんに部品を作ってもらって、それをひとつにまとめる業界になってるね。フリッパー、バンパーなどを作るメーカーは別にあって、メーカーは純粋にデザインする業態になってるんだ。僕の仕事はピンボールマシンを集めて修理して遊べる状態にすることであって、どの台やメーカーに対する思いは平等だよ。ただ、Sternの『STAR TREK』はシンプルな造りになっているけど、Jersey Jackの「WIZERD OF OZ」は液晶モニターを搭載してるからすごく派手だし、お金も時間もかかってる。華やかなほうが人目を引くし、これから人気も出ることに期待しているよ。

シカゴで毎年秋に行われている「Pinball Expo」には23年連続で出展・参加していたというTim氏。「ここをオープンしてからはほとんど休みが取れないんだ。そのなかで貴重な休みが取れたら奥さんと旅行に行きたいね。ピンボールが嫌いなわけではなく、離れた時間を過ごしたいんだ。休めるときは休みたいのさ(笑)」と述べていた。

――日本のプレイヤーは興味を持った人にひと言いただけますか?

Tim氏
機会があったらぜひ遊びに来てほしいし、自分たちでマシンと資金を集めてガレージや地下室で遊べるスペースを開いてほしいね。エンターテイメントって頭ごなしに潰されてしまうと消えてしまうものだから、規模が小さくても火を絶やさぬように続けることに価値があるんだよ。だからピンボールへの愛を絶やさぬようにこれからも楽しんでほしいよ。

Tim氏がコレクションを始めたきっかけは、使い古されるだけのピンボールマシンが残されていないことを危惧したことと、ピンボールが文化として認知されないことへの不満を抱いていたという。朽ち果てて廃棄される運命にあったマシンの数々を救い、可能な限り手を入れてメンテナンスを施してふたたび遊んでもらえるようにという願いが込められたPHoFには、いまも世界中の観光客が足を運んでいる。

・LasVegas Pinball Hall of Fame
http://www.pinballmuseum.org/

(Special Thanks Ms.Yukino Aoshima/ Mr.KUMA)

19世紀に登場したビリヤード風コリントゲーム「バガテル」がルーツにあるピンボールは、フィールド上でボールを弾く「バンパー」やプレイヤーがボールを打ち返せる「フリッパー」の考案から、日々進化するテクノロジーやビデオゲームの登場に合わせてマシンの制御はエレメカからCPUを用いるなど、形を変えて変化を遂げた。

本連載の締めくくりとして「本場であるアメリカではどういった状況下に置かれているのか」を知るべくPHoFのTim氏へのインタビューを掲載したが、これまでにお伝えしてきた日本における現状と同じく、ピンボールを愛してやまない人たちの努力によって現在でも我々を楽しませてくれている。

新興メーカーであるJersey Jack Pinballのマシンに影響を受けてか、Sternが2017年にリリースした『Batman』では自社初の液晶モニターを搭載した。刺激を与えあう市場にはDutch PinballやSpooky Pinballというメーカーも待ち受け、さらなる活性化が期待できるだろう。

1回100円で与えられた合計3個のボールをすべて落とさない限り、プレイヤーは自身の技量でエクストラボール(ビデオゲームでいう1UP)やリプレイ(1クレジットぶん遊ぶことができる)を取得することができる。ピンボール業界は何度となく3ボール目の危機に瀕し、GAME OVER寸前と囁かれながらも、偉大な先人たちによって罰則(TILT)を受けずにゲームを続行している。

ピンボールの原点には子供向けのエレメカ機と同じように「単純な面白さ」が散りばめられている。誰よりも高いスコアを得たいという目標やフリッパーテクニックの習得、複雑なルールをすべて把握するよりも、まずは銀色のボールをフリッパーで打ち返すという単純な楽しさとボールを落としたときの悔しさを味わってみてほしい。これまでの連載を通し、ひとりでも多くの人がピンボールに興味を持っていただけたら幸いです。

Takuya Kudo
Takuya Kudo

1989年生まれ。UNDERSELL ltd.所属。ビデオゲームとピンボールをこよなく愛するゲームライター。新旧問わない温故知新のゲーム精神をモットーに、時代によって変化していくゲームセンターの「いま」を見つめています。

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