『Jalopy』紹介。東ドイツ共産主義時代のおんぼろ国民車でイスタンブールを目指せ、東欧縦断カーシムが教えてくれる人生の意味

「ドレスデン 300km」と記された看板が見える。あなたが乗っている車の最高速度は100km/hだ。ドレスデンに着くまであと何時間かかるだろう。3時間と答えたあなたは、『Jalopy』をプレイするべきだ。なぜならその答えは完全な間違いで、実際には12時間以上かかるから。

「ドレスデン 300km」と記された看板が見える。あなたが乗っている車の最高速度は100km/hだ。ドレスデンに着くまであと何時間かかるだろう。3時間と答えたあなたは、『Jalopy』をプレイするべきだ。なぜならその答えは完全な間違いで、実際には12時間以上かかるから。

上記の問題はいじわるだった。前提をふたつ、つけ加えよう。あなたが乗っている車は1970年製のTrabant 601である。あなたが運転する道は1990年の東欧諸国の連絡道路である。これだけで、世の車好きは大きなため息をつくことだろう。もしもあなたがこのふたつの前提の意味するところを知っている、あるいはまったく知らないならば、『Jalopy』をプレイすることは、あの時代のあの地域で実際にTrabant 601を運転していた若者たちの辛苦と幸福を追体験することができるという意味で、理に適った行いである。

プレイヤーはまず、伯父に叩き起こされる。その理由はまったく不明である。伯父は言う、「おまえの旅の友となるすばらしい車を直すんだ」。あなたは寝ぼけ眼を擦りながら伯父のガレージに入り、フレームと内装だけのTrabantにひとつずつ部品をはめ込んでいく。エンジン、ガソリンタンク、キャリブレーター、エアフィルター、イグニッション・コイル、バッテリー、ウォータータンク、タイヤ。Trabantの部品は以上である。

もう一度言う。Trabantの部品は以上である。たったこれだけである。あなたはボンネットを開けて部品をはめ込み、カージャッキで車体を上げてタイヤを装着する。それから、あなたはまったく役に立たない大雑把な地図を参照し、ドレスデンまでのルートを選択する。そのついでに、あなたはダッシュボードに投げ込まれたTrabantのパンフレットを流し読むかもしれない。パンフレットの最後のページにはスペック表があり、こんな文言が記されている。

「最高速度 80km/h」

「加速度 60km/hまで22.5秒」

参考までに付しておけば、日本が世界に誇る名車「日産GT-R」の2012年モデルの最高速度は300km/h以上。加速度は、100km/hまで2.7秒を切っている。さらに付言すれば、これはあくまでもカタログスペックであって、メンテナンスによって車が良い状態に保たれていることを前提としている。それはまあいい。とにかく、あなたは旅に出る。なんにせよ、ドレスデンまでのアウトバーンを最高に飛ばしてやろう、これはビデオゲームであり、現実では実現できそうにない夢を叶えてくれる、最高のコンテンツなのだから――あなたはそう考える。

そしてあなたは勢いよくアクセルを踏み込み、踏み込み、踏み込む。進まない。まったく進まない。時速20、30、40、50、カーブで減速。時速20、30、40、50、カーブで減速。そしてあなたは叫ぶだろう。亀だ。この車は、亀だ。亀より遅い。

後方からやってくるあなたのTrabantよりも新しい車たちに煽られ、クラクションを連打され、幅寄せをされながらドレスデンまでのアウトバーンを走るとき、あなたはこのゲームが叶えようとしている夢が、まったく見当違いのものであることに気がつくだろう。なぜ、カーシミュレーターなのにTrabant 601なのだろうか。なぜ、おれは旧東ドイツ人なのだろうか。なぜ、おれは東欧のわけのわからない国々を旅しているのだろうか。その疑問に対する答えは、用意されていない。わかりやすい答えなど、一切ない。それは、あたかも人生のようだ。

亀のようにのろい車に乗って平坦な道を進みながら、あなたはちょっと哲学的な気分になるだろう。そうしているうちに日が暮れてきて、時計を見ると、走り始めてからもう12時間以上が経過している。やっとのことでドレスデンにたどり着き、あなたはモーテルに車を駐車して、20ドイツマルクを支払ったのち宿泊する。目覚めると、雨が降っている。陰鬱で、あなたの運命を象徴するかのようだ。

それでも旅を続けなければならない。ルートを選択し、キーシリンダーを回して、Trabantの神々しい2ストロークエンジンをかけようとする。かからない。よくあることだ。もう一度。かからない。もう一度。かからない。何度やってもかからない!! 何故だ?! あなたは怒りを抑えつつボンネットを開き、パーツをひとつひとつ検分する。そして気づく。あなたはヘッドライトをつけっぱなしにしたまま一晩を過ごしてしまい、そのためにバッテリーが干上がったのだ。

そしてあなたは早朝の、人気のないドレスデンの町を歩き、オートショップでカーバッテリーを手に入れる。オートショップを見つけるのにずいぶん時間がかかる。バッテリーを交換したあと、ほかの部品も見ておこうと思って、状態をチェックする。すべての部品が、すこしずつイカレている。あなたはオートショップまで車を運転し、そこで修理キットを購入しようとする。そしてあなたは気づく。もう金がない。

結局、あなたはすべての部品がすこしずつイカレているTrabantで、チェコスロバキアの広大な大地を走る。雨はますます強まるばかりだし、ルーフに当たる雨粒は、薄っぺらいトタン屋根みたいな音をたてる。ボディが金属ではなく、プラスチックで出来ているからだ。それはいい、とにかく高速道路だからまだよかった、と思っていると、工事かなにかで通行止めだ。迂回できそうな道を見つけたが、それは道というよりも雨に濡れた泥と砂利である。ほかにどうすることもできないので、あなたはそこを通る決心をする。

そこらじゅうにできている泥溜まりを走り抜けるたびに、フロントガラスに泥が付着する。穴ぼこにひっかかって、タイヤが破裂する。あなたは土砂降りの中、なんどもなんども車外に出て、フロントガラスを拭き、スペアタイヤに交換する。ほとんど死に体で走行を続けているとき、突如としてあらわれるガソリンスタンドの神々しさに、あなたは心から安堵することだろう。

「いい加減にしろ!!!橋が落ちてるじゃねえかあああああ!!!!!」

どうにかしてチェコスロバキアとハンガリーの国境にたどり着き、モーテルに泊まる。泊まることができたのは、たまたま道端に落ちていた段ボール箱のなかのワインを盗んで、金に換えておいたからだ。この金で、なんとか給油することができる。2ストロークオイルも忘れずに入れておこう。破裂したタイヤを入れ替えて、キャリブレーターとエアフィルターを修理しておこう。イグニッション・コイルはほとんど壊れかけているが、エンジンをかけっぱなしにしておけば、どうにか次の町までもつだろう。

このようにして、あなたの旅は続いていく。ユーゴスラビアの平原、ブルガリアの山道、ギリシャの海岸線を走り抜けると、トルコの至宝イスタンブールが見えてくる。そのとき、あなたは感涙にむせぶかもしれない。あなたが違法に入手した物品を売りさばいた日々、安っぽいモーテルで孤独な夜を明かした日々、そして偉大なるTrabantとともに見たさまざまな景色が、旅の本質をあなたに教えてくれたからだ。冷戦直後の東欧を行くにあたって経験したさまざまな辛苦が、宝石のように美しいイスタンブールと共鳴する。その感覚は、まぎれもない幸福である。

『Jalopy』は、誰ひとり体験したがらない災難だらけの旅をゲームに落とし込み、その旅がわれわれに教えてくれる真理を再現した傑作である。亀のように遅いTrabantの車中で、あなたは自分がTrabantに乗っている意味、東欧諸国の道路事情がここまで悲惨である意味、そして人生の意味について思いを巡らせるだろう。答えの出ない思索をつづけているうちにトラブルが起こり、思索は中断されるだろう。そのときあなたの視界にあるのは、美しい東欧の景観だ。本作をプレイすれば、きっとあなたは旅のどこかの時点で、独語するはずである

――Trabantも、なかなか悪くないじゃないか。

1990年のベルリンの壁崩壊の直後からは、最新式のフォルクスワーゲン・ゴルフやオペル・アストラなどの西ドイツ製の車と、古色蒼然としたトラバントが、同じ通りで肩を並べて走るようになり、双方のドライバーとそれらを見比べた者に強烈なカルチャーショックを与えた。それまで移動の自由を束縛されていた東側諸国の人々が、トラバントに乗って国境検問所を続々と越える光景は、東欧における共産主義体制終焉の一つの象徴的シーンともなった。

共産主義政権時代、東ドイツでは膨大なバックオーダーを抱えていたが、一般国民が他に入手できる大衆車が実質存在せず、一方で生産工場には需要に見合った適正な生産能力がないという、閉鎖性と停滞の反映に過ぎず、東ドイツの体制をも物語る歴史的なモニュメントとも言える自動車であった。走行性能・安全性・環境性能が数十年前の水準ということもあって、旧東ドイツ地域および周辺諸国においては、急激に淘汰されている。
――Wikipedia、『トラバント』より

 

Syohei Fujita
Syohei Fujita

5歳の誕生日に『ポケットモンスター』の『緑』を買ってもらった時から、ビデオゲームは私と共にありました。煎じ詰めればじつに単純なインタラクティビティと光の明滅に、なぜ我々はここまで驚喜することができるのか?この興味深い問いを少しずつ解き明かしていくつもりです。……もちろん普通のレビューも書きます。なんにせよ、すべてのコンテンツは受け手が自分の人生を忘れるために作られますが、驚くべき豊かな未来において、ビデオゲームはその目的を完全に達成すると思います。

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