座談会『MAG』とはなんだったのか:後編「現象」としての「MAG」
2010年から2014年までサービスが提供されてきたマルチプレイヤーFPS『MASSIVE ACTION GAME(以下、MAG)』。かつて同作をプレイしてきたプレイヤーたちによる座談会は、さらに個々の思い出や当時の出来事を伝える『MAG』談義へと進んでいく。同作の概要と座談会の前半戦を語った前回に引き続き、「現象」としての『MAG』について語る後編をお送りする。
一番楽しかった思い出
メジャ郎さん:
うちのクランでは、一時期ちょっとだけアニメソングを流しながら戦うという時期があったんです。いましたよね、そういう人。ある日、いつものごとく流していたんですけど、それで日本人同士で喧嘩になったりはしましたね。
コーイチローさん:
中隊チャットとか小隊チャットとかありましたよね。中隊長以上は味方全員に声が聞こえるんですよね。あれは面白かったです。
hermanさん:
外国人タイムに日本人らしき人と2人か3人でずっとバンカーラインに行って、3人ぐらいでなんとか頑張ってバンカーを抜いて満足したみたいのありましたね。無言の連携で延々と頑張っていくみたいなのはありますよね。
maruiさん:
1人倒れるとその人を助けるために皆が走ってきて、結果死体の山ができる。手慣れた人はそうやって負傷兵を出させて助けに来る人を撃つ。優しさを利用するんですよね。裏に紛れ込んで破壊したり、バンカー破壊したりするのは好きでしたね。主戦場の後ろに入って。
Yさん:
びっくりした仕様でいうと、フリーズした時の画面が独特じゃなかったですか。初めて見た時は本当にびっくりした。PS3壊れたんじゃないかっていう。
コーイチローさん:
時間が止まったりとか、オブジェクトが消えるとか。「制圧」のマップに完全に敵がいない事もありました。あとリスポンが防衛側が遅れるんですよね。
Yさん:
ローディングの関係とかで、ダウンロード版の方が早く出撃できるとかありましたよね。
コーイチローさん:
ダウンロード版に変えましたね、みんな。うちのクランはディスク版の人が中隊長に立候補しないっていうルールができましたね。中隊長が遅れると「ジャミング」をかけられないんで。
maruiさん:
「バリケード」を一方的にやられた時に緊急出撃できるっていうのが一番でしたからね。
hermanさん:
被せるのが良かったですね。「ジャミング(※)」されて「バリケード(※)」を使われると、最初の2分間がとても不利になる。
コーイチローさん:
中隊長はほんと責任重大でしたもんね。
海外勢との心温まるエピソード
――僕はオンラインゲームで海外の人たちと繋がるのは『MAG』が初体験で、ギャップでカルチャーショックを受けました。皆さんはどうでしょうか。
コーイチローさん:
クラン入れてくれという外国人はけっこういましたね。
メジャ郎さん:
日本人からも外国人からもフレンドリクエストは飛んできましたね。
hermanさん:
とにかくやたらとファンメールを送りまくってくる有名な外国人は覚えてますね。文面は全部「Camping Noob(キャンプしてる初心者)」っていう。
maruiさん:
今だったらアジアサーバーで区切られたりしますけど、そういうのがないのも良かったですよね。
hermanさん:
うちのクランはボイスチャットを使うからジャパニーズだけということで、外国人のプレイヤーの参加は断っていたんですけど、1人とてもしつこい「テリー」って人がいて、一時間ぐらいローマ字で話しをした覚えはありますね。8割ぐらいはなにを言ってるのかわかるんですけど、「わたし あなたの ために にほんご おぼえる」みたいな。10通ぐらいやり取りして、結局クランに入ったけど3日で出ていきましたね。最後に送ってきたのは「アイル・ビー・バック」だったんですが、帰って来なかったですね。
maruiさん:
「私はすごい黒人です」と、日本語で外国人からのメッセージが送られてきたという話は聞いたことがあります。
hermanさん:
確か「ベイラー」のサブアカで夜中2時に途中参加で「制圧」に参加したら、すごいボイスチャットで喧嘩してるんですよね。1人がすごい興奮して怒っていて、差別用語が飛び交っていて。最初に喧嘩していた奴ら以外の外国人も、それは言い過ぎだと喧嘩に入ってきて、どんどんヒートアップしていた。もう20分ぐらい経つのに3キルとか。
――分隊長の時にすごい的確な指示をしてくれる外国人に出会うと、感動しましたよね。
hermanさん:
平均が酷いから、まともなやつもあるんだって感じですよね。
コーイチローさん:
うちはSkypeメインのクランだったんですけど、いっとき外人を何人か入れたんですよねで。テキストチャットでコミュニケーション取ろうとするんですけど、細かい戦術になると意思疎通ができないですよね。「APC」勝手に持っていったりとか、主砲をバンバン撃ちまくったりとかしちゃう。それでGoogle翻訳とかで調べて文章を書いて送るんですけど、やっぱり2日か 3日すると出ていっちゃいますね。規律が嫌なんでしょうね。
メジャ郎さん:
僕のいたクランもけっこう有名だったみたいで、Zipperの公式の掲示板にも名前が挙げられたことがあったんですよ。外国人から入れてくれとか、一緒に戦えて光栄ですとか、きましたよね。
maruiさん:
自分、赤線オンラインの時に修理キットを持ってピカピカしながら遊んでましたね。お互い平和の使者だって言ってきたんですよ。もちろん事情を知らない奴には殺されるんで、そうすると平和の使者が殺されたって言って、やられたらまた戻ってくるんですけど。
メジャ郎さん:
修理キットって殺傷能力ありましたよね
maruiさん:
2.0から修理キットに殺傷能力がついちゃったんで(※)、それから平和の使者ごっこができなくなったんですけどね。
Zipper_chan(2号):
僕はフランス人で凄い方がいたのを覚えてますね。2010年の9月の時点で死神略綬が2000オーバーで、蘇生もしっかりするナイスガイ。日本人のグループにも積極的に入ってくるんだけど、自分のフレンドを呼んできてはずっとフランス語でVCして、日本人プレイヤーの脳みそを蕩けさせてましたね。あとひたすら熟練しまくってました。
メジャ郎さん:
なにもかも懐かしいですね。
サービス終了
maruiさん:
自分的には闘病の末に死んだみたいな感じしたね。終わった時はもう諦めがついたというか。
Yさん:
僕はもう3年経ったって、もう時が癒してくれたって感じです。終わった時は葬式モードでしたね。
maruiさん:
自分が一番共感したのは、「なんで俺はこんないい歳して泣いてんだろう」っていう書き込みですね。思い出ですよね。やっぱり2010年から4年間も遊んだゲームってのは、あまりないので。
メジャ郎さん:
これしかないかもしんないですね。
コーイチローさん:
これだけですね。
Yさん:
あと僕は、オンラインゲームをやり始めたのがこれが最初なので、そこでできたフレンドもやっぱり大きいですね。オンライン上の友達って言うんですかね。
――友達ができた人も多いですよね。
maruiさん:
今その頃の友達とはまだ遊んでいる感じですね。
――その時のつながりって、結構まだつながってますか。
hermanさん:
Twitterとかでつながってますね。自分はオフ会とかして仲良くなった。
コーイチローさん:
hermanさんとは大阪でオフでお会いさせていただきましたね。
hermanさん:
やりましたね。
メジャ郎さん:
このゴールデンウィークでも会ってる人いますね。もう普通の友達ですね。県外だけど一年に一度会って普通に遊ぶみたいな。
Yさん:
ネタだとは思いますけど、結婚したってのも聞きましたね
コーイチローさん:
俺のフレンドは実際結婚したんですよね。クランメンバーではないですけど。
――男女ですよね。
コーイチローさん:
男女ですね。
hermanさん:
MMOだと、結婚ってわりと聞く話ですけど、なにせ『MAG』ですからね。
サービス終了後の足跡
コーイチローさん:
PlayStation 4が発売されてから、『Battlefield 4』に移ったんですけど、いまいち『MAG』ほど熱くならないですよね。
hermanさん:
あれはあれでいいんですけどね。でも、終了した当時に多かったのは、なんでもかんでも『MAG』と比較してしまう。当然ながら別モノなんだけど、『MAG』的な要素を勝手に探してしまう、較べてしまうみたいな。
maruiさん:
『MAG』みたいに、敵に見知った人がいないっていう違いもあるかもしれないですね。
コーイチローさん:
『MAG』だと再会しますからね。
maruiさん:
IDがめちゃくちゃ長い人とか、遠くから見てもわかるぐらい。
Yさん:
僕は『Destiny』に行きましたね。
コーイチローさん:
『MAG』勢でやっている人、けっこう多かったですね。
メジャ郎さん:
FPSを卒業してしまいました。もうついていけないなあと思って。年も取ったし。
hermanさん:
『FF14』やってますね。FPSとは全然違うんですけどね。
――自分は『PLAETSIDE2』とかもやったりしまたね。
hermanさん:
あと『DUST』ってゲームもありましたね。
コーイチローさん:
『MAG』の代わりになるかもしれないっていって話だったけど、結局よくわかんないで終わりましたね。
――ただ広かったり、人数が多ければいいっていうもんでもないってことですね。
hermanさん:
密度のバランスが難しいですよね。結局、『Battlefield』のコンクエストとかはめちゃめちゃマップが広い。乗り物も多いんだけど。
――あれは大きくなったドミネーションですからね。
hermanさん:
リアルなのかもしれないけど、連携感とかそういうのを求めるゲームではないなと。
Zipper_chan(2号):
ある地点を取ったら、他の地点が取られ、そこを取りに行ったら、元の所を取られたの繰り返しでひたすら敵の手薄な所を探してマラソンする感じですよね。
コーイチローさん:
俺はほとんどやってないですね、今は。
メジャ郎さん:
PlayStation 4を買ったけど、物置ですよね。発売日に勝ったけど、24時間も稼働してないです。俺も年を取ったらゲームしなくなるんだなって。
――歳とってもゲームやりましょうよ。
メジャ郎さん:
『MAG』が出るんだったら100パーセントやりますけどね。
Yさん:
でる可能性ってあるんでしょうかね。発売元も失敗だったって考えているような。
――時期的にまだちょっと早かったなっていう印象はありますよね。
Yさん:
たしかに、オンライン環境っていうのが今ほど整ってる時期じゃなかったですよね。まだ慣れていなかったし、ボイスチャットとか新鮮だった気がします。
――誰かがおっしゃられたんですけど、怖いっていうイメージはすごいありましたね。
Yさん:
画面の向こうに本当に別のプレイヤーがいるんだっていう感じ。
hermanさん:
すごいわかる、それは。
――今だったらオンラインでゲームやるのは一般化したしてますけど、あの頃はみんな試行錯誤しながらやってたんじゃないかなと思います。
hermanさん:
『MAG』って今思うと、わりとガバガバの部分をユーザーが勝手に楽しんだから、面白かったなっていう部分もあると思います。逆に今出たらど、マップがしっかりとしているかもしれないけど、あのころのよくわからない面白さは、もしかするとなくなるのかもしれないのかなと思うんですよね。
コーイチローさん:
奇跡的にあのバランスだったのかもしれないですね。
hermanさん:
だから今マップがあのころの「制圧」の3マップでかっちりゲームがでても、面白さが同じになるかっていうのは、どうなんだろうって思いますよね。続編があるとしたら、きっとゲームの完成度はそっちが高くなるんだろうけど、自由度がなくなったりとか、なりそうだなとか思いますよね。
――そのままの形で再開するのが本当は一番いいですよね。
もしサービスが再開したら
全員:
やりますね。
コーイチローさん:
ただ、前よりは気楽にやると思います。21時にインして0時ぐらいとか、完全にライフスタイルに組み込まれてましたから。
hermanさん:
勝つまで飯食わないとか、そういった縛りはもうできないですね。外国人タイムだったんですけど、クランメンバー2人で勝つまで飯食わないとかやっていて、日曜日の朝の10時ぐらいから15時ぐらいまで、飯食えなかったすからね。むかしは飯とか風呂とか全部済ませてた。今はギリギリまでインするまでの熱意はないけど、週一回か二回ぐらいで気軽にやるぐらいだったら、月額いくらぐらいだったらやりたいってのはありますね。
『MAG2』への希望
hermanさん:
バランスが悪かったからよかったみたいなところが結構あるんで、なかなかこれっていうのは難しいですよね。
――バランスが悪いのもネタにできたってのもありますし、おおらかさが良かったってのもありますね。
Yさん:
人数と、蘇生キットを全員持てるのと、修理……結局あのままの『MAG』じゃないとだめですね。
コーイチローさん:
バグフィックスしたリマスターでいいですよね。
SNS
Yさん:
『MAG』って日本人のファンが特別多いのか、世界中で愛されてるのかどっちなんですかね。
コーイチローさん:
日本人ウケしてたんですかね。
Yさん:
海外でもフォーラムがあるって話ですけどね。なにをするってことでもないですけど。
――日本でも某掲示板はまだ動いてますよね。
Yさん:
まだあるんですね。2ちゃんねるの勢いも、当時が一番ありましたもんね。お祭りの要因のひとつですよね。各板から参戦みたいな。
コーイチローさん:
オカルト板とかありましたよね。ダム板参戦とか。各板に1つクランができて。
――各PMCの勧誘ポスターを有志が作ったり。そういう異様な熱量がありましたね。
maruiさん:
ニコニコ動画の方には、また別にクラン集まってましたよね。
Yさん:
一度に戦う人数が多いので、クランの知名度も高かったですね。このクランよく会うことなって。ある種の親近感みたいなのが。今日もこいつかみたいな。
――当時はニコニコ動画って黎明期だったんですかね。
コーイチローさん:
ニコニコ動画もそれなりに時間は経って、でもまだゲーム配信とかしてる人はあまり多くなかったかもしれないですね。
――色んなたまり場みたいのがかなり絡み合いましたけど、一番強かったのは2ちゃんねるでしょうね。
hermanさん:
当時は2ちゃんねるが強かったですね。
――今は2ちゃんねる自体が以前ほどパワーがないのかもしれないですね。
Yさん:
いま『MAG』が再開したら、Tiwtterとかが中心になるんでしょうね。
コーイチローさん:
うちのクランは「Mixi」で始まったんですよ。
――なつかしいですね。
maruiさん:
日本でソーシャルメディアが広がったのって、2011年ぐらいですよね。
Yさん:
東日本大震災後に爆発的に広がったんですよね。
maruiさん:
匿名掲示板である2ちゃんねるから、もう少し開けたソーシャルメディアに移行して広がった時代ですよね。
コーイチローさん:
結構そういう、ほかのインターフェースと同時に変わっていったって部分もあると思うんですよね。
Zipper_chan(2号):
MAGやってなかったらこんなツイッターに依存する人生になってなかったでしょうね
Yさん:
ゲームだけが舞台じゃなかったですよね。ネットそのものも含めて1つのコンテンツみたいな。掲示板でシーンごとヒートアップする時ありましたよね。
maruiさん:
PlayStation 3が安くなったから買ったっていうのもありましたね。ちょうど廉価版が出て。
Yさん:
そうだ。ちょうど廉価版が売られて普及が始まって、フレンドから声がかかって。それまで高すぎて手ができなかったので。
――だいぶ苦戦したハードだったと思うんですけど、安くなって来やすくなった瞬間に始まったみたいな。
コーイチローさん:
PS3とマイケルジャクソンの「This is It」のセット版買ったんですよ。で、PS3で買ったゲーム一本目が『MAG』で、そこからもう『MAG』しかやってないみたいな感じでしたね。
――それは運のつきでしたね。
Yさん:
名前も『Massive Action Game』っていう。それだけ見ると、シューティングゲームと思わないけど、ワイワイ盛り上がるお祭り感ありましたね。
――『MASSIVE ACTION GAME』って、どことなくアホっぽい名前はいいですよね
Yさん:
ネタ感がすごい。あとセリフとかもネタ感があってよかった。
maruiさん:
途中まで確かPMC社長の声聴けましたよね。「セイバー」は女社長で。途中でなくなったんですけど。
hermanさん:
フリーズが増えたから音声を削ったみたいな。
maruiさん:
一番のインパクトは「痛みに耐えられない」ですよね。「泥でも塗っておけ」とか。
Yさん:
「あの光は何だ」とか「もうピンピンしてるぞ」とか、ネタ感満載で、しかもしゃべり方も面白かったんですよ。
maruiさん:
バカゲーの匂いは外せないですね。
大災害と『MAG』
コーイチローさん:
あの日(※)、「制圧」回ったんですかね。
Yさん:
ちょうどPSN障害と重なりましたよね
maruiさん:
地震が先ですね。別のゲームやってる時に地震があって停電して、一週間くらい帰れなかったですね。動画を見せたら自分の町が被災していて、へりコプター飛んでる様子が映っていて、驚きました。テレビもつかないし、ラジオもつかないし、やることないのでイメージトレーニングはしてました。でも、ラジオを聴いても暗いニュースばかりで、ちょっと行けば遺体が見れるような場所だったんで、家から出たくなかったですね。
コーイチローさん:
うちのクランメンバーも被災して2か月か3か月ぐらい連絡取れなかったですよね。その人は落ち着いてから戻ってきてくれたんですけど。
Yさん:
その日以来インしなくなった人とかいますね。
maruiさん:
なので、あの震災で連絡が取れなくなって、東北の人だと初めてわかった人もいましたね。
――ソーシャルメディアの変化も、なにか影響してるかもしれないですよね。
herman:
オンラインゲームやっている人、特に昔からの人って、自分のリアル生活を晒してくないと嫌がる人が多いんですけど、今ってそういうのをが隠しにくくなってるんですよね。PS4とかボイスチャットが簡単にできるんで、昔みたいにマイクないとか環境がないとか、やらない言い訳がしにくくなりましたよね。だからこのゲームしてる、Twitterアカウントはこれって言う。
――ゲームとSNSが簡単に紐付けされちゃうってことですね。
hermanさん:
私生活は隠しづらくなったなと思いますね。
maruiさん:
『MAG』って分隊長以上になるにはボイスチャットがあるとなりやすいみたいなところがありましたね。
Yさん:
ボイスチャットつけてるとなれるけど、つけてなかったらなれなかったんですよ。そういう設定になってましたね。
コーイチローさん:
だからUSBにマイクだけ差し込んでミュートにしてたりしまたしね。
PSNの長期障害
コーイチローさん:
とりあえず大混乱でしたね。
メジャ郎さん:
『MAG』に限らず全てのオンラインが停止してしまった。
Yさん:
入れなくなるので、電源を落とさないでずっとインしていた人もいました。
コーイチローさん:
私はクレジットカードを登録していたんで、カード解約したんですよね。
メジャ郎さん:
結構長かったですよね。
コーイチローさん:
6月に復帰したんですよね。ただ北米の方が1週間ぐらい早くて、VPN(Virtual Private Network)でやっていた人を見ていいなあと羨ましく思ってましたね。
hermanさん:
VPNクランができましたからね。
Yさん:
僕はやってましたよ。VPNを教える記事があって、それをIRCのみんなで見てやってました。
――やれない時どうでしたか。
コーイチローさん:
クランでSkypeに集合して、「ハンゲーム」とかやってましたね。
メジャ郎さん:
あとは掲示板にダラダラと不満を書き込んでいました。
コーイチローさん:
みんな禁断症状が出てましたね
Zipper_chan(2号):
2010年6月にリリースした殲滅作戦※に続き、11月にリリースした転進作戦※もコケて。フリーズ問題に至っては数ヶ月解決しないまま2011年2月まで放置され、解決したと思ったら今度はPSMOVEに対応したせいでナイフの挙動にバグが発生。それが解決した数日後に東日本大震災。4月終わりにアノニマス問題でソニーのオンラインサービス停止となり6月まで全くプレイできなくなるなど、ユーザーにとって2011年前半は怒涛の半年でしたね。
メジャ郎さん:
プレイヤーが減った大きな原因ではありますよね。
コーイチローさん:
その後、復帰したときにXPが256パーセントボーナスになって、その時にけっこう戻ってきたんですよ。
メジャ郎さん:
待ちに待った『MAG』ができるっていうことで、みんな大騒ぎだった気がします。朝から晩まで回しましたね。
――あそこで戻らなかった人もいるんでしょうね、きっと。
hermanさん:
結局、離れてるときに何かのゲームをして、そのゲームが思っていたより面白かったりすると、戻って来ないことはありますよね。
――オンラインゲームって、限られたパイの取り合いになっちゃう部分はありますよね。
コーイチローさん:
レベル8までしかできないで体験版でましたよね。
――それで始めた人もいるんですけどね。
コーイチローさん:
けっこう新規は囲えましたよ。体験版の人を探して、一緒にやりましょうって勧誘メールをしまくって。
maruiさん:
あとはアップデートで帰ってきましたね。定期的にあるアップデートで、どのゲームでもそれは同じですけど。Zipperが閉鎖して、それがなくなったのは、やっぱり痛手でしたね。
hermanさん:
『モンスターハンター』とかで減るけど、しばらくしたらまた戻ってくるみたいな。
maruiさん:
『Call of Duty』の季節になると、ごっそり持っていていかれる感じでしたね。
――FPSはそういうところが、ことさら顕著だったりしますもんね。
maruiさん:
でもやっぱり『MAG』に帰ってきますよね、結局は。
――家みたいな感じでしたよね。離れてももどると配置している。じゃあやるかみたいな。
maruiさん:
クランに入っていると、戻りやすいですよね。
hermanさん:
アクティブなクランに入ると、人数が多くて戻りやすいみたいな。定着しやすいみたいな感じはあるのかなって。1人だったら、なかなかある意味縛りみたいなことがないんですけど、クランに入ってるとほかのゲームをやって戻ってくる。
maruiさん:
最初入ってたクランは人がいなくなっていったので、もっぱら野良でしたね。そこで立ち回りは鍛えられたって感じしますね。一人の方が練習になったりするんで。
――僕野良だったんで、同時配置にはずいぶんやられました。
hermanさん:
よく知らない人が配置しませんかみたいなメッセージを送ってきたのは何回かありましたね。自分のクランはやってなかったですね。
コーイチローさん:
基本的にクラン同時「セイバー」は、初年度の7月に一回やってるんですよね。「セイバー」クラン連合でした。
末期の『MAG』
――シャドー戦争の勝者って結局「セイバー」だったですかね。「レーヴン」は途中で倒産しましたからね。
コーイチローさん:
サービス終了間際に日本人は「レーヴン」に戻ってプレイしていましたね。
maruiさん:
最後はすごかったですね。いろんな人が集まってきて、本当に葬式みたいだった。
――最後の盛り上がりはすごくて、参加せざるを得ないところがありましたよね。
maruiさん:
自分はテスト期間だったんですけど、単位落としてもいいやと参加してました。来年取ればいいやと思って。
――それぐらいの盛り上がりはありましたよね。
hermanさん:
うちのクランはみんな有給を取りましたね。事務所の電話線も抜いちゃって。
――そもそも終わりかけのころって、「制圧」自体がマッチングしなくなりましたよね。
maruiさん:
「制圧」がプレイしたくでもできないから、『MAG』自体やらなくていいかっていう感じの人も多かったですよね。
hermanさん:
当時は自分のクランは20人ぐらいがインしているのに、配置を見たら50人ぐらいしかいない、半分ぐらい俺たちかよみたいな。日本人タイムに「レーヴン」のクランが多すぎたので、ほかの所に散っていったんだと思うんですけど、最後の方はそんな感じで、2時間待っても「制圧」が始まらないとかあったんですよね。「セイバー」と「ベイラー」だけが「制圧」始まって、「レーヴン」はずっと配置待ちっていう感じになる。そうなるとクランの人たちはゲームができなくて、待ってるだけになっちゃう。雑談はしていたけど、『MAG』の「制圧」をやるために仕事を終えて風呂に入って用意してるのに、「制圧」ができないってのが増えだすと、すごく申し訳ない気持ちになるんですよね。自分もやりたかったんですけど、始まらないし今日は寝るかみたいなのが何回か続くと、「セイバー」か「ベイラー」に移動しようかという話になって。結局「ベイラー」に移動したんですけど、そしたら見事に「レーヴン」は閉店しましたね。
maruiさん:
レーヴンに残っていた最後の集団だったんじゃないでしょうか。
hermanさん:
だから、半分ぐらい自分たちだったってのは、忘れられない思い出ですね。でもやっぱり移動するのはなかなかできなかったです。
コーイチローさん:
そこは意地がありますよね。
hermanさん:
遊びの気持ちで移動できたらよかったんですけど、自分たちが移動したら「レーヴン」終わりだよね、みたいな何とも言えない気持ちになりましたね。当時はまだ移動してないんですかってSkypeで聞かれたり、懐かしいですね。
コーイチローさん:
最後は「セイバー」「ベイラー」の試合しか回らなくなりましたよね。
hermanさん:
末期は結局、どっちか極端に強いか極端に弱いかっていう感じになって、内容的にも昔と違って平均レベルが高くなってきたから、日本人クランが多いほうが勝ちみたいなイメージになって、あまり楽しめなかった感はありますね。
Zipper_chan(2号):
元々所属クランは10名程度の小さな所帯だったので他の複数の小さいクランと合同で出撃してましたがこれに対抗していこうということでセイバー連合をクラマスさんが立ち上げました。でも最終的には石油のフリーズ地獄で回らなくなっちゃって解散しちゃいましたね。
――MAGが存在した2010年から2014年の流れってのは、今の新しい良いゲーム機が出た次の世代の移行期だったってのもありますね。PS VITAや3DSが2011年、Wii Uが2012年、PS4とXBOXONEが2013年ですね。
maruiさん:
『MAG』が終わってからまもなくしてPS4が日本で発売ですね。
コーイチローさん:
2013年の11月にPS4が発売、北米で先に出たんですね。日本は2月ですね。
maruiさん:
なんでPS3を『MAG』の棺桶にしました。
コーイチローさん:
俺もダウンロード版入ってますね。
――1つの時代の区切りだったんですね。バトンタッチしたときにちょうど『MAG』が終わったという。
コーイチローさん:
PS3と同時に終わったって感じですね。
――『MAG』でもぐったおかげで、ネットゲームとかオンラインゲームに対しての敷居がぐっと低くなりました。ある種の通過儀礼みたいな。
コーイチローさん:
俺もそうですね
maruiさん:
FPSはある程度腕が引き継げるので、そこから僕はシューターにハマっていった感じがありますね。
――そう考えると『MAG』は日本のFPS人口の拡大にひと役買ったんじゃないかなと思います。
Yさん:
それはあると思います。
hermanさん:
『MAG』をやっていた人って、フレンドが多くできると思うんですよね。オンラインゲームとしてフレンドができやすいっていうのは、ほかのゲームとの違いかなって思いますね。『CoD』とかだったらよっぽど目立たないとフレンドできないですけど。
maruiさん:
ほかのゲームでも顔見知りになるとフレンドになりやすいんですけど、『MAG』は256人なんで顔見知りやフレンドなりやすかったですね。
あなたにとって『MAG』とは
maruiさん:
自分にとっては学校みたいな感じでしたね。みんなでワイワイして、そこでFPSのレベルを磨いて、それをほかのゲームでも生かして、みんなと一緒になにか力を発揮するというか。ある意味、養成学校みたいなもんだったなと。あと、徹底的にいろいろ改善していく楽しむっていうのを感じましたね。この装備を変えて、合わなければ戻して、いらないものは削減していく。これを何周もやって、行き着くんですよね、自分に合ってるものに。
Yさん:
オンラインゲームの洗礼みたいな。初めてやったオンラインゲームとして。一言で表すと、一体感って感じですね。ほかのゲームでこれだけ256人まとまって動いてっていう感覚を持てることがないので。
コーイチローさん:
私はサークルというか、部活みたいな感じしたね。学生時代、ちょうど始めた時が29歳で、今年36歳なんですけど、この歳でもゲームでワイワイできるもんだなっていう。オンラインゲームの楽しさを教えてくれた場ですね。本当にみんな、仕事終わって帰ってき、て順番にどんどんインしてきて、2時間から3時間ゲームして、夜また寝るっていう日常が繰り返されるんですよね。
maruiさん:
今のでクリスマスとか、バレンタインの時サインインしてないと晒すって話を思い出しました。
hermanさん:
うちは強制的だったよ。家族いるって返答したら、ケーキ食ったらインしろと。中隊チャットで非リア充のお前らが大好きだってしゃべってましたよ。メッセージで「最高でした」ってきましたね。自分はいい年でもう40超えていて、今の年齢ぐらいになってきたら、自分のリアル友達とはそうしょっちゅう話さないじゃないですか。たまに電話があって、「最近なにしてんの、飯食べようか」みたいな感じで飯に行って、2時間か3時間食べてその時話すけど、平日いつも話すわけじゃない。学生だったらそういうこともできるけど、社会人になって何年かすると、もうないじゃないですか。
『MAG』があった時は、僕もだいたい週5か週6でインしていて、いつも同じメンバーと3時間から4時間ぐらい、ゲームをしながら話していた。そういうのって、普通の生活をしてたらなかなかできないと思うんですけど、だからそれは貴重な体験じゃないかなって。オフ会した時にみんな初対面なんですけど、声が一発でわかるんですよ。毎日しゃべっているから。初対面なのに違和感がないみたいな話しになったんですけど、そういうのってオンラインで仲良くなってグループができたからだと思いますね。毎日、好き好んで自分の好きで会話ができるという。僕のリアル関係の知り合いは、ゲームは一切しない人がほとんどで、そういう感覚は理解はしてもらなかったですね。オンラインゲームで得られる絆とか交友関係とか、『MAG』じゃなかったらそこまでできなかっただろうなと。ほかのFPSとかだったら、フレンドがいるから入るかってたまに思う程度で、それは『MAG』をやってたから得られたのかなあと思いますね。
メジャ郎さん:
2010年から2014年、最高の暇つぶしになったかなと思いますね。やっぱりさっき話しに出てたように、交流の場でもあったので。ただの顔も知らない人たちと。ネット上の掲示板では罵詈雑言吐いてた人が、実際会ってみたらすごいいい奴で、いま現在でも付き合いのある人とかいっぱいいるし、大人になってからそういう縁ができたのは稀有なパターンだなと思いますし、これはなかなか面白かったなって。『MAG』って不思議ですね。
Yさん:
オンラインゲームは『MAG』が始めてだったので、その醍醐味みたいなのを存分に味わった。いまだに『MAG』が最高点ですね。オンラインゲームの醍醐味を、これ以上超えるものはない感じです。最初のオンラインゲームで最、高の体験を味わったって感じですね。
コーイチローさん:
俺も『MAG』を超えるものには会えないっていうのはありますね。
Yさん:
やっぱり数ですかね。キルだけだったら楽しくなかったと思います。やっぱり数が大事ですね。それを支える「修理」とか「蘇生」とか「施設」での行動みたいなのが。ざっくりこんな人数決めて、ざっくり頭数がいるから、色々やらせた方がいいっていうのを、適当に決められて。それが奇跡的に上手くハマったみたいな感じですね。紙一重で。
maruiさん:
あとは戦いの規模が大きくて、目立つことやっていると晒されるってのは、面白かったですね。
Yさん:
掲示板で悪口言われるのが『MAG』は1つの勲章みたいなところありました。
コーイチローさん:
それだけ認知されてるってことですからね。
――それは掲示板との連動性が強かった証明でもありますね。
Zipper_chan(2号):
ここにおられる方皆さんSNSで企画を知った方が殆どなんで共通しているんでしょうけど、MAGでたくさんフレンドが出来た、そしてそのゲームが無くなってもフレンドとはSNSを通じてやリ
アルで今も交流があるっていうのは本当にすごいことだと思います。正に「戦友」って感じですよね。逆にSNSだけで繋がってたフレンドがSNSもゲームもやめちゃって、ふと「この人最近どうしてるんだろうなぁ」とか「俺いつまでコレやってるんだろうなぁ」なんて考えちゃうくらいです。今回の企画にあたり、僕自身忘れていた事ばっかりだったのですが色々思い出す事ができて楽しかったです。ありがとうございました。ゲームもSNSもいつまで続けるのかわかりませんが、今後もよろしくお願いいたします
──ありがとうございました。
結びにかえて
今回の座談会では、すでにサービスを終了した『MAG』のゲームとしての特徴や新しさ、面白さについて歴史に残すことができれば、それで成功だと考えていた。しかし結果として、一つのオンラインゲームの趨勢をフィルターに、当時の社会の大きな流れを多少なりとも透かして見ることもできた。特に匿名性の非常に強い日本のSNSが、その形や用途を次第に変えていく時代の変化を映しこんで『MAG』というゲームが語られていたのは、個人的には強い印象となって残った。全ては長時間の収録に関わらず参加者の皆様が最後まで高い熱量で『MAG』というゲームに関して語っていただけたお陰であり、あらためて参加者の皆様には心よりの謝意を表しておきたい。
前半冒頭で述べたように、サービスが終了したオンラインゲームというものは、「記憶」と「記録」でしかその姿を留めておくことができない。祭りのあとは「何もない」のだ。奇しくもこの座談会をまとめている時期、老舗ともいえるMMO『エミルクロニクルオンライン』がその10年以上の歴史に終止符を打ち、本稿にも名前が挙がったオンラインゲーム『Destiny』の続編『Destiny2』が発売された。いくつものオンラインゲームがサービスを開始し、そして終了していく。本音を言えば、『MAG』はその中でも特別なゲームだと思っているし、リメイクしたサービスの再開や続編を待ち望んではいる。しかし、さまざまなオンラインゲームの住人たちにとって、自分たちが過ごしたゲーム、その中で過ごした時間は、きっとそれぞれ唯一で特別なものなのだ。
記録と記憶以外は何も残らないオンラインゲーム。しかし、記録と記憶が残る以上は、「語る」ことはできる。本稿は『MAG』への限りない郷愁を含んだラブレターであると同時に、つけなければならない未練の決着だ。
始まり終わり続けるオンラインゲームに自分の居場所を見つけ、平凡で特別な思い出を積み重ねた誰かへ。願わくば本稿が、自分達の特別なゲームについて語り始めるきっかけになることを、祈ってやまない。