私(40歳)が楽しんだ『ファイナルファイト』を息子(11歳)が楽しめなかったわけ
前回: 私(40歳)が楽しんだ『ファイナルファイト』を息子(11歳)は楽しめるのか?
中学生までゲームに熱中し続け、成長し、いつしか気づいたら仕事にいそしみ、女性との出会いもあり、そして子供も授かった私。今の私は離婚し、元妻とも別居し、彼女と息子とは月に1回ほど会う関係にある。息子と元妻とは良好な関係だ。かつては一緒に暮らし、別居した4年前まで一緒に遊んだ日々を、思い返さないことはない。
息子は幼少の頃、仮面ライダーが大好きだった。私が仮面ライダーカブトのフィギュアを、息子が仮面ライダーWを手に持って遊び、「お父さんの攻撃はなにも効かないよ」という息子に、私は「ふざけンな、それじゃ決闘にならないだろ!ルール緩和しろ!」と、ムキになって怒ってみたり。当時私が夢中になって遊んでいた『ドラゴンクエスト モンスターズジョーカー2』を、仕事に行っているあいだに息子は勝手に遊んでしまい、帰宅すると育て上げた自慢のモンスター軍団がスライムに差し替わっていた。「このタマネギみたいなの、かわいい」。きゃっきゃっと喜んでいる息子になにも言えなかっったり。そんな息子の趣味は、仮面ライダーからレゴブロック、そしてミニ四駆などを経て、親に似たのか数年前からはすっかりゲームになっていった。
息子はもう今では小学生高学年。夏はキャンプに行ったり、マルチプレイヤーFPSをオンラインで一緒に遊んだりはするものの、私の心のなかには少しずつ“昔の通りではない”という違和感がつのっていく。息子との楽しかった日々は、少しずつ「思い出」という寂しいものに変わっていく。はたしてこうなったのは、息子の成長によるなのか、「別居」という環境によるものなのか、私はわからなくなってきている。この連載では、「世代が離れることでのゲーム体験、感性のかい離」を追求することが本来のテーマであるが、私の中のテーマとして、「あの時のように、一緒に遊ぶ日々をもう一度」という儚い想いもある。若しくは多感な時期に一緒に過ごせてあげられないことに対する、贖罪のような気持ちもあるのかもしれない。とはいえ老いた私が、かつての思い出を息子に求めることは、老害というそしりを受けてもおかしくはない。
『ファイナルファイト』を息子とプレイした前回――多くの読者が指摘したように――私が当時熱中していた環境の再現性は乏しく、あらゆる体験が控除されてしまった。無限コンティニューによる、100円投与の決断で消費するエネルギーの控除。経験者の事前アドバイスによる、初見の新鮮さ・驚愕の控除。自身の部屋でプレイすることでの、ゲーセン独特のパブリックな場に溢れていた緊張感の控除。結果、ダイジェストのように各ステージをコンティニューのごり押しでクリアしていき、1時間未満でプレイは終わってしまった。
プレイ中は「あ、死んだー」「はーいこれでまた100円追加になりまーす」といった雰囲気でワイワイと遊んではいたものの、中学生当時に遊んでいたときの興奮には遠く及ばず、結果として息子の体験の質・量が私の期待値を大幅に下回ってしまったのは正直なところだ。なぜこうなったのかを自分に問い詰めてみると、前述の月に一度だけ遊べるという制限や、息子に在りし日の思い出を求めようとした結果、一種の焦りがあったことは否めない。
だが第一回の収録ではポジティブな収穫もあった。「カプコン クラシックスコレクション」に収録された『魔界村』をプレイしてみたところ、息子にとって8bitタイトルが一周回って新鮮だった、という意外な発見があったのだ。当初の予定では『ファイナルファイト』ありきで、プレイするのが一番手軽なのは何かという逆算しての「カプコン クラシックスコレクション」のチョイスではあったが、このお陰で息子の琴線は違うところにあることを知った。
『ファイナルファイト』を終えた息子は、さっさとPCデスクに戻って『Minecraft』を始めるものかと思いきや、「ほかのも遊んでみたい」と、引き続きPS2のコントローラを握りながら『魔界村』や『1942』などのクラシックなタイトルを一通り楽しんでいた。『魔界村』よりも難易度が低く、ゲームデザインもシンプルでわかりやすかったのか、『1942』は一番長く遊んでいた。続編である『1943』もプレイしていたが、やはりここでもより(我々世代にとっては)クラシックなグラフィックの『1942』の方が息子にとっては新鮮だったようだ。
『ファイナルファイト』での失敗。『魔界村』『1942』での発見。この2つの学びから、次回の試みは「8bitマシン」「アーケードではなくコンシューマ」「協力プレイ向けデザイン」、この3点を押さえたタイトルのチョイスでの改善を考えている。『ファイナルファイト』『1942』のようなシンプルな遊び方を息子が楽しめたことは確かだ。あとは“より新鮮な”8bitマシンで、家庭内でプレイする前提のデザインであれば、感動を共有しつつ、息子世代のゲームの遊び方といった部分への追求ができそうだと考えている。また大事なポイントとして、前回は『ファイナルファイト』決め打ちだったことも踏まえ、次回は初代ファミコンと複数のタイトルを用意し、我々2人で「これは楽しい」とツボにハマるものを見つけ、たとえば何面までクリアすることを目指すなど、一定ラインまでプレイしてみたい。
息子には飲み物とお菓子を、私にはビールとツマミを。あの楽しかったころの思い出のような感覚がどこかでふと顔を出すのか、それとも別の形で決着をみるのかはわからないが、きっとこれからも迷いつつ進む私と息子のゲームの旅路にもう少々お付き合いいただきたい。