『Starfield』レビュー。「唯一無二の個性」と「強烈な既視感」が同居した、時代の転換を象徴するRPG
「永遠にロールプレイができるゲームがあれば良いのに」。ベセスダ・ソフトワークスとそのファンの両名が長年抱えてきた願いであり、思想である。長き時を経てようやく地球に降り立った『Starfield』は正にその思想の体現と言える素晴らしい作品に仕上がっている。しかしながら、宇宙の星々の間には大きな時差が横たわっているように、思想の中からようやく生まれた彼の姿と、現代におけるゲームプレイの間にも、明確なズレが存在してしまっている。
※本稿はベセスダ・ソフトワークスからコードの提供を受け、Xbox Series S版でのプレイに基づき執筆している。また、メインストーリーの具体的な内容には触れていないものの、クリア後の仕様について触れているため、閲覧には注意してほしい。
実質的なエンディングが存在しないゲーム
体験の変化が尊ばれるゲームの世界において、あえて「変わらない」ことを選んだ者たちがいる。たとえば『ポケットモンスター』シリーズは、根本的な体験を変えないことに由来する遊びやすさを通じ、長年ものあいだIP全体のパンフレットという役割を遂行し続けている。それは結果として、巨大なファンコミュニティを生み、円滑な世代間コミュニケーションを可能にした。
アクションRPGである『エルデンリング』は『デモンズソウル』より続く求道の体現であり、作品に込められた制作陣の変わらない一貫した姿勢は、結果としてオープンワールドを採用したゲームにおける常識を打ち破ることに成功した。定点移動をさせる明確な仕組みを設けずとも、優れたレベルデザインとナラティブが用意されていれば、プレイヤーは自主的に世界を旅することができると証明した。
そして『Starfield』は、ベセスダ・ソフトワークスが作り続けてきたRPGの到達点と呼べるゲームであり、これまで変わらず作品に込め続けてきた、思想そのものと言って良いだろう。開発陣とプレイヤー、彼らが共に追い求めた理想は「実質的なエンディングが存在しないゲーム」として、ここに完成されたのだ。
ベセスダ・ソフトワークスが制作してきたRPGには、1つ共通しているものがある。それは作品の面白さが、プレイヤーのゲームに対する能動的な姿勢に極めて依存しているということだ。彼らにとってRPGとは乗れば面白いアトラクションではなく、設定の書かれたルールブックであり、即興劇の舞台である。作品を構成する要素そのものに意味があるのではなく、その先に見出したプレイヤーひとりひとりに異なる「世界の解釈と振る舞い」にこそ面白さがある。ゆえに、システムによるプレイヤーへの強制力が低く、遊ぼうと思えば永遠に遊べるポテンシャルを持つ。それがベセスダ・ソフトワークスのRPGである。
しかしながら、人間が持つ無限の発想力に対し、いつだってゲームの世界は有限であった。だからこそプレイヤーはModを作り、絶えず世界を開拓してきた。開発陣もまた「運営型」という形で、有限の枷を取り払おうと試みた。『The Elder Scrolls Online』や『Fallout 76』というオンラインゲームを生み出し、あるいはBethesda.netを通じてModの導入を奨励してきた。永遠にロールプレイができるゲームがあれば良いのにと、彼らは願い続けてきた。
『Starfield』はこの「世界の解釈に作品の面白さの大部分を委ねているものの、ゲームというメディアの構造上、面白さの表現に上限があり、プレイの終了につながる」という、ベセスダ・ソフトワークスが制作してきたRPGが長年抱えてきた矛盾をある程度解決している作品である。その方法は至ってシンプルだ。周回プレイの変化によって生み出す圧倒的なゲームボリュームと、実質的なエンディングの撤廃である。
まず圧倒的なゲームボリュームに関しては、読んで字の如くだ。本作における遊びは主に「クエストを通じた物語体験」「宇宙船のカスタマイズ」「拠点運営」「惑星探索とシューターアクション」で構成されており、「キャラクターメイキング」が要素同士を接続している。クエストは選択肢を通じた内容の変化によってプレイヤーの個性を表現し、宇宙船と拠点運営はカスタマイズ内容で個性を表現する。惑星探索とシューターアクションは行動そのものが個性の表現になる。個性の表現はプレイヤーひとりひとりに異なる世界の解釈を伴うことで、唯一無二の表現へと昇華される。これら自体は旧作RPGにも導入されていたものではあるが、本作はそのボリュームがすさまじい。
1週目の時点で膨大な量のクエストや探索用のフィールドが用意されているだけでなく、周回プレイに伴い、さらに物語の分岐や変化が導入される仕様になっている。単純に会話中の選択肢が追加されるだけにとどまらず、ランダムでプロローグが変化する。これによって登場するメインキャラクターが通常と異なる場合もある。ゲームの自由度は選ばなかった未来の数が多いほど高く感じられるものだとはたびたび言われるが、ボリュームを通じてここまで自由度を表現している作品も珍しい。
そして、本作は周回に伴って引き継がれる要素が少ない。メインストーリーの構造や拘束力の低さも合わせて、プレイヤーがゲームを進行しないことも、自然な形で物語表現の一部に組み込まれているのだから興味深い。膨大な要素を前にして立ち止まることすら、プレイヤーの旅の一部なのだ。物語の進行をせずとも楽しめる充分なコンテンツ量が存在し、実質的なエンディングは存在しない。それがプレイヤーにとってメリットになる。クラフトゲームやシミュレーションゲームでないのにもかかわらずこれを成立させているのは、ひとえに圧倒的ゲームボリュームの為せる技である。
『Starfield』はプレイヤーの知的好奇心が続く限り、際限なく歩み続けられる要素を持ったRPGであり、旅路の果てに終の棲家を見つけることができるRPGでもある。知りたいという気持ちが再燃すればまた立ち上がれば良い。かつて抱いた永遠に遊べるゲームという願いは、「実質的なエンディングが存在しないゲーム」という形で現実に相成ったのだ。
本作に実装されている要素を「量」だけではなく「質」という観点から見ても、その出来栄えは申し分ない。クエストは規模の大小問わず、クスリとくるユーモアが仕込まれたものや、ドラマチックなサスペンス、宇宙探索というテーマに相応しいもの、現地の文化を表現するものなど、しっかりとしたバリエーションがあり、面白いものが揃っている。
宇宙船の要素は、装備更新とスキル取得をしっかりしていれば戦闘や航行で困ることは特になく、結果としてカスタマイズに幅が出ている。本作はロールプレイという解釈と過程を楽しむ作品であるため、この仕様は理にかなっていると言えるだろう。これに関連して、宇宙におけるイベントが豊富なのも面白い。レモネード販売の少女に出会ったり、旅行客に突撃でインタビューされたりする。スキルが育てば戦闘を通じて敵の船を鹵獲できてしまうのも楽しい。本作はファストトラベルが移動の主な手段になっているが、星間飛行を単なる移動のワンクッションという位置づけにするのでなく、しっかりとゲームプレイの一部に組み込んでいる。
惑星探索は生物の異形さや、独特な美しい風景美、その中にやたら転がっている、作り込まれた生活用品と広告のマリアージュが、さまざまな角度からプレイヤーの世界解釈を誘発させてくれる。都市のある惑星に降り立ったらまずホテルを借りて、とりあえずファストフード店を探す。馴染みのNPCに挨拶をしたら、最近結婚したパートナーとデートだ。これは筆者の本作におけるルーティーンだが、現地NPCの言動とクライムアクション要素も合わせ、地域の風俗を妄想しながら立ち振る舞うのが非常に楽しい。拠点要素については『Fallout』シリーズよりも運営が簡単になっているだけでなく、エンディング後に状況を引き継げないことで、ロールプレイにおける1要素としての側面がより強調されている。
浮き彫りになるゲームプレイの古さ
『Starfield』はコンテンツが持つ強制力の低さと「量」によってベセスダ・ソフトワークスが制作してきたRPGがこれまで抱えてきた矛盾をある程度解決することに成功した作品であり、コンテンツの「質」に関してもロールプレイに最適化されており充分だ。しかし、コンテンツの「形」……ゲームデザインが現在の最新形に追いついていないことは指摘しなければならない。
定点移動を何度もさせるおつかい型クエスト。簡素なシューターアクション。広大なフィールドに対してファストトラベルが頻発してしまうマップ構造。個々の要素の先にある解釈を重視するベセスダ製のRPGらしいデザインであり、同時に、古くから数多くのアクションRPGが作品の雛形として採用しつづけ、これを乗り越えるべく尽力してきたデザインでもある。ゆえに、現在は同じようなシステムが抱える問題を解決したほかのシリーズ作品が何本も登場している。
対して本作は最新のゲームでありながら、時代に取り残されているように思えてしまう。さらに、娯楽が氾濫する現代の風潮として、コンテンツボリュームを抑えた作品や、プレイヤーがすべてのコンテンツに触れることを意識した作品が増えている。遊び尽くせないほどのボリュームが特徴の1つである本作のデザインとは対照的だ。
流行に合わせることが良い作品を生むのかと問われれば、その答えはNOである。しかし、流行に合わせないことで提供可能な、プレイヤーへのアドバンテージは必要である。娯楽が氾濫する中で、今これを遊ぶ理由を消費者に提供しなければならない。「あの日、あのままである」本作の仕様は、ファン以外の人々に対して、今遊ぶ必要がある充分な理由を提供できているとは残念ながら言うことができない。
圧倒的なゲームボリュームとエンディングの実質的な撤廃を通じて「ほぼずっと遊び続けることができる」本作は、まさにベセスダ製RPGに込められた思想の到達点と言って良い。数多くのフィールドとアイテム、すさまじい量でありながら、プレイヤーへの強制力が極端に低いクエスト群によって、世界の解釈量をこれまで以上に増やすことに成功し、ゲームを進行しないことすら自然なゲームプレイの1つとして尊重される特異な形態を成立させている。一方でこの物量に依存するスタイルや、おつかい中心のゲームプレイが今にそぐわない印象を受ける。べセスダが作り続けてきたRPGがゲーム業界にもたらした恩恵を踏まえると、『Starfield』はまさに時代の転換を象徴する作品であると表現することもできるだろう。
気が早いことは自覚しているが、どうにも気になってしまうのは次回作の姿と共に、その時に「どんなゲームが流行っているのか」ということだ。はたしてベセスダはこのスタイルを継続するのか。その時人々はどのような形で娯楽を享受しているのだろう。それがわかるまでには膨大な時間がかかるだろうが、幸いにして私の手元には『Starfield』がある。終わりの見えない宇宙を旅しながら、まだ見ぬ未来の訪れを楽しみに待つとしよう。