「博物館化していくゲームセンター」第一部 前編
アーケードゲーマーにとって目を背けられない現実に直面し続けている。
1986年、全国に約2万6000店が営業していたゲームセンターは、現在では約5000店まで大幅に減少し、その数はいまもなお刻一刻と増えている。1プレイごとにメーカーが徴取する従量課金の導入や、基本無料のスマートフォン向けゲームアプリの登場、消費税の増税、テナントビルの引き上げ、東日本大震災による建物の崩壊など考えられる原因はさまざまだ。
『ストリートファイターII』をはじめとする対戦格闘ゲームや、『ビートマニア』『ダンスダンスレボリューション』といった音楽ゲームの登場に加え、「プライズ機」「プリントシール機」など、時おり吹く「追い風」が大きく後押ししてきた。だが、90年代や00年代と比較すると新作タイトルのリリースもめっきり減少していることに加え、娯楽が多様化した現在において1プレイ100円の収益で営業を成り立たせる業界の先行きは不安視されている。
その一方では、かつてゲームセンターで稼働していたアーケードゲームの筐体を個人で収集しているコレクターがお店をオープンするという流れが微増している。10年以上前は新作リリースのサイクルがいまよりも早く、あっという間に入れ替わったことから、懐かしいゲームをふたたび遊べるスポットとして注目が高まっている。
そもそもゲームセンターで旬を過ぎた筐体や基板は「産業廃棄物」でしかなく、中古業者に買い取られて別のゲームセンターで稼働されるものや、個人コレクターの手に渡ることで第二の人生を過ごすこととなる。コピー対策やバージョンアップの簡略化も含めてインターネット接続が前提となる前は、海外への輸出も盛んに行われていたという。しかし、流通したアーケードゲームすべてがその運命をたどるわけではない。いまでこそ「もったいない」と思われるが、当時の価値観としては後世に残す必要性を重視されていなかったため、スクラップされてこの世から抹消されたものも多い。たとえそれが「名作」と呼ばれるゲームだったとしても……。
だが、近年になってからゲームが文化的観点から見られることになり、アーケード・家庭用ゲームが動態保存されていることが重要視されている。世界最大級の収蔵品と展示品を誇る「スミソニアン博物館」(ワシントンD.C.)をはじめ、すでに世界各国の博物館ではゲームの展示会がいくつか行われているのが実例だ。日本においても、ここ数年で流れが巡ってきたかのように思われる。3月2日からお台場の日本科学未来館にて開催されている「GAME ON~ゲームってなんでおもしろい?~」もそのうちのひとつだ。これまでに世界23か所で行われている企画展が日本に初上陸するということで、期待に胸を膨らませている方も多いだろう。
ゲームセンターの閉店ラッシュに比例して、個人コレクターの店舗営業や公的施設でのイベントが徐々に増えつつある昨今。子供のころにお小遣いを費やして遊んだものをふたたび遊べる喜びや、実際に遊んだことのないゲームに触れられる機会に恵まれている。筐体が動態保存されているのは確かに貴重だが、ゲームセンター以外の場所でアーケードゲームが置かれている光景に見慣れないせいか、モヤモヤとした違和感を少し覚えている。
世界初のアーケードゲーム『コンピュータースペース』の誕生から45年。恐竜の化石やピラミッドからの発掘品のような展示品として扱われるのは、いささか早すぎるのではないだろうか?
そこで本連載では各店舗やオーナーやイベントの主催者に取材を敢行し「オープン(開催)したきっかけ」や「来場者に対して何を伝えたかったのか」「これからのビジョン」をうかがうことで、かつてのアーケードゲームがこれからどのように扱われていくのか考察したいと思う。
第1回目となる今回は、埼玉県川口市にある「SKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザ 映像ミュージアム」にて開催された「あそぶ!ゲーム展 ステージ1」をピックアップ。県の施設でゲームを主題にした企画展が開催された経緯や、来場者に伝えたかった意図などをインタビューしたものをご紹介しよう。
博物館化していくゲームセンター
「博物館化していくゲームセンター」第一部 前編
「博物館化していくゲームセンター」第一部 後編
1989年生まれ。
UNDERSELL ltd.所属。
ビデオゲームとピンボールをこよなく愛するゲームライター。
新旧問わない温故知新のゲーム精神をモットーに、時代によって変化していくゲームセンターの「いま」を見つめています。