『AI: ソムニウムファイル ニルヴァーナ イニシアチブ』レビュー。続編にふさわしい貫禄を備えた、令和4年に語られるべき刑事サスペンス
殺人事件を主題とした物語の続編を作ることは難しい。殺しの惨状もそれにまつわるトリックも、回数を重ねるたびにより派手に、より複雑な作りにしなければならず、同時にプレイヤーに提供する体験も、前作よりも凝った中身にしなければならないからだ。また、現代を舞台にしたフィクションは往々にして「現代である」理由を求められるものだ。第2作目として発売された『AI: ソムニウムファイル ニルヴァーナ イニシアチブ』はその形を以前より少しずつ変えながら、自らに与えられた責務を見事まっとうし、令和4年に語られるべき物語として成立している。
『AI: ソムニウムファイル ニルヴァーナ イニシアチブ』はスパイク・チュンソフトより発売されたアドベンチャーゲームだ。Nintendo Switch/PlayStation 4/Xbox Series X|S/Xbox One/Windows 10/Steamに対応している(※Xbox、Windows10、Steam版はダウンロード版のみの販売)。本作は『AI: ソムニウムファイル』の続編作品。前作から引き続き、トゥーキョーゲームスの打越鋼太郎氏がシナリオを手掛けているほか、『ワールズエンドクラブ』の中澤工氏も制作に関わっていることが明らかとなっている。プレイヤーは2人の主人公の視点を通じて、現実と夢の世界、現在と6年前を行き来しながら、連続猟奇殺人事件の謎を追う。
※筆者がプレイしたのはNintendo Switch版
続編らしい進化を遂げたゲームシステム
本シリーズにおけるゲーム内容は、主に2つのパートによって構成されている。ひとつは、「捜査パート」だ。ここでは主にポイント&クリックタイプのアドベンチャーを通して、現場の調査や、目撃者に対する聞き込みを行っていく。「捜査は足で稼げ」という決まり文句をストレートに表現しているパートである。もうひとつは「ソムニウムパート」だ。シリーズタイトルを冠するこのパートでは、眠っている対象者の「夢」へ侵入し、制限時間の中で深層意識に隠された秘密を少しずつ紐解いていく。昔から存在する深層心理学が持つイメージと、現代的なVR体験のイメージを融合させた表現に仕上がっている。本シリーズはこの2つのパートを交互に繰り返すことで物語が分岐、進展していく作りである。
ただ前作におけるそれは、まったくもって粗削りであった。捜査パートは最初から最後までゲームプレイに変化がなく、それでいて間違った捜査・推理を行えばゲーム側から即座に正解へ誘導され、なんとも味気ない。「ソムニウムパート」は「制限時間」と「リトライ制限」、そして「総当たり前提のリソース管理パズル」という、ゲームに対する没入を高めるための要素と提供したい遊びがそれぞれ上手く噛み合っておらず、UIの悪さも相まって、完成度が高いとは決して言えない内容だった。
こうした状況を踏まえ、続編である『AI: ソムニウムファイル ニルヴァーナ イニシアチブ』では「2つのパート」という構成自体に変化はないものの、両パートに体験の改善を図るためのアプローチがしっかりとなされている。
捜査パートは体験をより味濃くするための工夫として、推理を行う段階(本作では拡張視覚パートと真相再現パートという名称がついている)の中で、謎解きを行い解答をゲームに直接入力する、『極限脱出』シリーズでも使われた古典的なアドベンチャーゲームの手法を導入している。単なるアナログなクイズと言ってしまえばそれまでだが、当て推量に頼らずしっかりと自分の頭で考え、筆記用具でメモを取りながら、自分でゲームに対しアプローチする経験は、それだけでプレイを印象深いものにしてくれている。
最近では、ゲームがプレイヤーを先導し、ゲームがプレイヤーを拘束する、すべてがゲーム内で完結するスタイルが主流となってきている。ゲームとプレイヤーを一旦切り離すスタイルを、本作のようなメジャータイトルが採用することは、打越氏が同様の作品を手掛けてきたことを踏まえても、昨今では珍しいことだ。『Outer Wilds』や『Return of the Obra Dinn』『TUNIC』といったインディーのアドベンチャータイトルにおいて、レトロなイメージをまとわせながら採用されることは多いものの、現代を舞台にしたSF作品の続編で用いられるのは意外であり興味深い。筆者としては、ARG(代替現実ゲーム)や脱出ゲームなどの流行に伴って、若い層を中心に、直接的な謎解きに対する抵抗感が薄まっているからなのではないかと推測する。また、思考のプロセスが大きく異なる問題を複数出せば、体験のバリエーションを捻出することができる。
ソムニウムパートについては遊びの根本的な部分で改善がなされている。前作におけるソムニウムパートは制限時間内にステージ内でポイント&クリックを繰り返し、正しい選択肢を選び続けることでゴールを目指すという内容だった。選択肢にはそれぞれ追加で消費される秒数が設定されているため、ゴールまでの消費時間を計算して攻略ルートを構築する必要があった。
そのような都合上、正解ルートを構築するには(ある程度ヒントは提示されるものの)多くのオブジェクトに触れ、さまざまな選択肢を試さなければならず、必然的に時間切れのゲームオーバーになってしまう。当然リトライの回数も多くなるのだが、攻略の途中から再開できる回数は限られている。制限時間も試行錯誤もリトライ制限も、緊張感を与えながら推理をさせようという意図は読み取れるものの、噛み合わせは良くなかった。
これを受けてか本作では「総当たり前提のリソース管理パズル」というパート全体の共通規格を廃し、ひとつひとつのステージそれぞれが可能な限り独自の体験を提供する、言うなれば総合体感型アドベンチャーとも呼べる中身に仕上がっている。キャラクター各々が見ている「夢」という不可思議なモチーフを表現するにあたってもマッチした仕様である。内容としては状況証拠から判断する連想クイズをはじめ、アクションアドベンチャーを意識したステージや、間違い探し、なかには脱出ゲームを彷彿とさせるものも登場する。「選択肢を通じた制限時間というリソース管理」こそ続投しているものの、プレイヤーを没入させる装置程度のアクセントに留まり、前作のような細やかな管理はほぼ必要ない。UIも改善され、選択肢を選ぶ際の操作性が直感的なものになり、シナリオの分岐点も分かりやすくなった。
優れた点といえば、前作から引き続き快適なゲームプレイに必要な要素が揃っていることにも触れておきたい。演出の早送りはもちろん、音声再生可能なバックログやオートセーブ機能などに加え、フローチャート機能はかなり細かくジャンプポイントが設定されている。本作にはゲーム自体に実績要素が用意されているが、この機能のお陰でかなり楽に回収することが可能になっている。難易度設定機能はパートごとに設定できる細やかさだ。
また、前作と比較するとゲーム全体の難易度は大きく低下している。これには自力で正解を導き出す必要のある古典的なアドベンチャーゲームの手法を導入していることや、リソース(制限時間)管理のパズルゲームという共通規格を廃したことで、順当にステージの難易度を上げるということができなくなっていることが関係していると推測される。ただ決して内容が前作から物足りなくなっているわけではないので注意してほしい。ユーザー層の間口を広く確保し、手に取ってもらった多くの人に完結まで至ってほしいという狙いも読み取れる。
こうした既存要素の改善がみられる一方で、新規の要素については効果的に作用しているとは言い難い。本作では捜査パート中の新たな遊びとして、X線およびサーモセンサーによる捜査を行う拡張視覚パートが挿入されている。主人公の特殊な義眼の機能を通じて、普通では見えないものを発見するという触れ込みではあるのだが、実際の内容は通常の捜査と同様にポイント&クリックであるため、体験の変化はあまり感じられない。せっかくのSF作品であるのだから、興味深い設定を絡めた、ソムニウムパートとはまた異なる形で、バリエーションある体験を提供してほしかった。
育成ミニゲームとして実装された「めだまっぺ」や、パートナーのきせかえ部屋へ誘導するポップアップメッセージは、複雑な物語の理解に集中することが重要な本作において、ゲームに対する没入を阻害してしまっている(ゲーム内の通知設定をオフにすることは可能)。またこれは個人的な印象だが、作中に登場する謎解きに対し「段階的に」提示されるヒントが「段階的に」なっていない。謎解き自体は簡単であるため、詰まることはないとは思うが、ゲームからのヒントにはあまり期待しない方がいい。
前作から改善がされていない部分もある。捜査パートにおいてゲームパットでの操作では、極小のオブジェクトがクリックしづらいというのはもちろん、特に問題なのはNintendo Switchに対する最適化が今回も不十分であるということだ。プレイ中にしばしば処理落ちが発生し、最悪ゲームがクラッシュしてしまう。また、会話中の左下に表示される人物のモデルが崩れてしまう場合もある。これは髪の長いキャラクターで顕著だ。
総じて、『AI: ソムニウムファイル ニルヴァーナ イニシアチブ』におけるゲームシステムは、前作における「荒削りな核」を丁寧に研磨することに注力し、続編にふさわしい輝きを得ることに成功している。なかでもソムニウムパートの進化には目を見張るものがある。もともとアドベンチャーゲームというジャンルは、表現するべき対象が「物語る」という非常に抽象的な概念であるがゆえに、会話劇やアクションだけでなく、独自性の高いさまざまな遊びを1つの作品の中へ複数同時に内包することができる「何でもアリ」ジャンルである。今回「パズルゲーム」という共通規格を廃したことで、本シリーズはよりアドベンチャーらしく、「夢を捜査する」という題材に言葉負けしないタイトルへと成長を遂げている。
ただ、磨き残しがないというわけではない。新要素がプレイフィールをより良いものにするにあたって効果的に作用していないことや、引き続き改善が必要な部分も見られる。シリーズを継続する上でぜひ改善してほしいところだ。
前作に引き続き高い品質を誇るシナリオ
『AI: ソムニウムファイル ニルヴァーナ イニシアチブ』の物語は、グロテスクでシリアスなサスペンスドラマと下品なギャグコメディがマシンガンのように繰り返される前作の作風を継承しつつ、制作側が提供したい体験をストレートに伝えるデザインを採用している。脚本を手掛ける打越氏の技法として、謎を調査すると、解決することなく新たな謎が生まれ、謎が謎を呼ぶ形でプレイヤーを牽引し、物語の終盤にすべてを明らかにするというものがある。前作ではこれに合わせる形で主要キャラごとのルートとエンディングを用意し、すべてのキャラルートを最後まで見届けることではじめて謎の全容が明らかとなる方式を使っていた。
これは時間をかけたキャラクターの掘り下げをメインに据えつつ、新たな謎の提示を同時に行うことができるため、退屈な場面が出現することがほぼないのが大きな利点である(プレイヤーによっては、謎が最後の最後までまったく明らかにならない作風が好みにあわない場合もあるだろうが)。また前作では、途中で攻略を中断させ、特定の別のルートへプレイヤーを誘導するギミックも使っていた。謎が謎を呼ぶ形式が持つ、読者を物語に引き込むパワーをさらに強める演出である。
本作ではマルチエンドという体裁こそ似通っているものの、実質的な語り口はほぼ一本道である。というのも前作ではランダムに近しい形で、2つのキャラルートのうちどちらかを辿ることになるのだが、それぞれの毛色があまりにも違い、結末の後味も大きく異なるため、作品に対する第一印象がブレてしまう現象が発生していた。今回はそれを避けるための処置を取ったのだと考えられる。さまざまな形の「愛」を描いた前作とは異なり、テーマに対する表現に一貫性を持たせたいという狙いもあるだろう。たしかに物語のバリエーションに由来する体験の奥行きこそ失われてしまっているが、テーマに対してブレない姿勢を貫き続けることで、ストレートにプレイヤーへ内容が伝わる作りになっている。
前述した「古典的なアドベンチャーゲームの手法」を、シナリオを進展させるための手段として採用しているのもユニークである。本作ではシナリオを分岐させるにあたって、先のルートで示されたキーワードを入力する必要がある場面が多い。入力場面でゲームがフォローしてくれることは一切ないため、物語に対するしっかりとした理解が求められる。シナリオの内容そのものに関してはネタバレを避けるためこの場では言及を避けるが、事件のトリックの面白さはもちろんのこと、今の世相を強く意識した内容になっており、現代を舞台にした物語として高い完成度を誇る。
そんな物語に一定の説得力をもたらす映像美については、前作に引き続き、本作がフル3D作品であり、特殊な義眼を装着している設定を活かした独特な仕上がりだ。会話劇の部分は基本的に一人称視点をイメージした画作りで進行し、目を通して対象を視ていることを強くプレイヤーに意識させ、ゲームに対する没入を促す。話し相手のキャラクターがこちらに目を合わせてくれたり、会話文を表示するウィンドウを背景に溶け込ませるように、義眼の機能を表現する近未来的なインターフェイスが画面上に展開するなど、オリジナリティの高い体験を提供してくれる。
アクションシーンでは、どこか特撮じみたカメラワークのもとキャラモデルがよく動き、よく踊る。本作は空間の中に華やかさのあるオブジェクトが数多く登場する場面は多くない。それでも長時間のプレイに耐えうる魅力的な画作りができているのは、作り込まれたキャラモデルがあるからである。役者陣の演技もすばらしく、サウナと水風呂ほどの温度差を繰り返す本作の展開に追いつき追い越すほどの幅広い演技で魅せてくれる。
殺人事件を主題とした物語の続編を作ることは難しい。殺しの惨状もそれにまつわるトリックも、回数を重ねるたびにより派手に、より複雑な作りにしなければならず、同時にプレイヤーに提供する体験も、前作よりも凝った中身にしなければならないからだ。また、現代を舞台にしたフィクションは往々にして「現代である」理由を求められるものだ。第2作目として発売された『AI:ソムニウムファイル ニルヴァーナ イニシアチブ』はその形を以前より少しずつ変えながら、自らに与えられた責務を見事まっとうし、令和4年に語られるべき物語として成立している。しかしまだまだ、作品を洗練させる余地は残っている。今後どのような経過を辿るのか、その眼で見守っていく必要があるだろう。
最後に、今作の物語に関して筆者の思うところを述べ、本稿を閉じようと思う。以下は作品の核心部分に触れることになるため、注意してほしい。
※ネタバレなしの文章はここまで。これより下はネタバレあり
本作のシナリオにおける大きな特徴は、ポリティカルなトピックスを数多く取り込みながら、ゲームというフォーマットを活かしたストーリーテリングを行うことで、メタフィクショナルなエンターテイメントとして成立させていることだ。「この世界はアドベンチャーゲームではない。正しい選択肢も巻き戻しも早送りもフローチャートもない」「世界は解釈次第でまるでゲームのように変化する」という相反するテーゼを、あえてゲームというメディアを通じ、一人称視点で語りかけることで、作品内で起こっている問題に強い説得力と実在性を持たせ、プレイヤーの眼を画面の外へと向けさせる。謎解きに用いられた「ゲームとプレイヤーを切り離す」手法は、実のところ「切り離されていない」のだ。なぜならゲームと私達の世界は地続きの関係にあるのだから。
テーゼに対するモチーフとしては、二人の主人公含め、身体的にも精神的にも障害を抱えているキャラクターや、世間一般からはマイノリティにあたる境遇に身を置くキャラクターを、「世界の不可逆性」を象徴する存在として数多く登場させている。もちろん、LGBTQ+のキャラクターも含まれている。彼らが世界の不可逆性に対して向き合い、やがて日本における不可逆の象徴の1つ「カルト教団におけるバイオテロ」を未然に打倒するifを実現するまでの過程は、相反する2つのテーゼを見事1つの物語としてパッケージングし、物悲しくも立ち上がる勇気を与えるものだ。
アイボゥは言う。「この世界にもしもは存在しない」と。犯人は語る。「自分にはこの選択肢しかなかった」のだと。世界は信じられないほどに残酷で、ただ生きているだけで後悔が降り積もり、とめどなく溢れる涙に溺れそうになる。その果てにハッピーエンドなどなく、迎えるのは皆等しくデッドエンドである。それでもなお諦めず、真っ当に生きるという選択肢を選び続けていれば、いつかまるでゲームみたいなことを実現することができるかもしれない。あなたの手で世界を救うことだってできるかもしれないのだ。