VRデバイスは大衆向けのテクノロジーと成り得るか、仮想現実が世界を覆い始める時代の到来
仮想現実の波がエンターテインメント業界に押し寄せてきているといっても、ようやく一般向けに市場へ出たVRデバイスはまだ決して安価な製品ではなく、ハイエンドPCを必要とするハードルの高さからも決して大衆向けとはいえない。テレビや電子レンジのように誰もが保有する家電と呼べるには程遠いだろう。しかし、VR業界を牽引する当事者は、VR技術が時代の経過とともに確実に大衆へ普及していくことに自信をみせているようだ。先日、ラスベガスで開催された「International Consumer Electronics Show 2016」(通称、CES)にて、AlienwareゲーミングPC部門の創設者であり、Dell XPSの統括マネージャーFrank Azor氏とOculus VRの創設者Palmer Luckey氏が、VRが抱える課題と将来の展望について語っている。異分野で活躍する二人のパイオニアによるVR談義の全貌を、業界メディアVentureBeatが報じた。
仮想現実が世界を覆い始める年
2016年はVRの年だとAzor氏は言う。先日からいよいよ製品版の予約販売を開始したVRヘッドセット「Oculus Rift CV1」や、来月からの予約開始が報じられたHTC社とValve Corporation共同開発の「Vive」を筆頭に、今年はこれまで開発者向けに留まっていた仮想現実の体験が初めて一般の消費者へ幅広く行き渡る年といえるだろう。Lucky氏も否定はしない。「多くの他業界が時代とともに成長を遂げてきたことと同様の年になるとまでは思えない。しかし、人々は後に2016年を振り返った時、バーチャル・リアリティが始まった年だと言うだろうね。人々がVRを使い始めた年。コンテンツが登場し始めた年。ようやくVRで何かができるようになった年。これより以前だったということはあり得ないだろう」。
これまでも、主にデベロッパーを対象に発売された「Oculus Rift DK1」や「Oculus Rift DK2」、Samsungとの共同開発の末昨年リリースされた「Gear VR」など、VRデバイスはすでに世に出回っていたが、あくまでも実験用の開発キットとして少数が出荷されたに過ぎない。「これまでは本当の意味で現実とは言い難かった」とLucky氏が語るように、ほとんどの一般ユーザーには無縁に等しい存在だっただろう。高額な価格設定やPC環境に求めるハードルの高さから、現代にみるスマートフォンの普及とまではいかないながらも、一般の市場に出回ることでVRという存在はもはや未来のテクノロジーではなくなるのかもしれない。「Oculus Rift CV1」の予約者の多くが最近までVRを知りもしなかったゲーマー以外のユーザーであると明かすLucky氏の言葉からも、大衆化への流れがうかがえる。
一方で、こうした非ゲーマー層が、必ずしもVRデバイスに必要なPCスペックの条件を満たしていないことに対して警鐘を鳴らしている。「昨年のはじめから、バーチャル・リアリティにはPCとRiftをあわせて少なくとも1500ドルの投資が必要になるというメッセージを、我々は前面に出してきた。多くの人はそれくらいのPCを持っていない。ハイエンドGPUを使用するゲームを遊ぶために、自作でマシンを組み立てたり高スペックマシンを購入するPCゲーマーは別だが、世間の大多数はハイスペックのPCなんて持っていないんだ。それが現実。多くは持ったこともない。Rift購入者の多くにゲーミングPCを持つ理由があるのかは分からない。もしかしたらRiftをゲーム目的で購入していないのかもしれないが、ハイエンドのグラフィックカードが必要なことに変わりはない」とLucky氏は語る。
それでは、VRにはなぜ高いパフォーマンスが求められるのか。そこには仮想現実という体験ならではの繊細な問題があるのだという。VRに映し出される映像は、広範囲にわたる2つの視界を高解像度かつ高フレームレートで同時にレンダリングしている。通常ならぬるぬる動くようなありふれたシーンでさえも、VRではシステムを屈服させるほどの重荷になってしまうのだ。従来のゲームや映像作品なら、多少のフレーム落ちを妥協しても体験そのものに支障はないが、仮想現実というもう一つのリアリティを生成するVRでは、些細な処理落ちで全ての体験が崩壊する。単に体験の質が下がるというレベルではなく、目の前の世界がカクカク揺れることで気分が悪くなる可能性があるほか、パフォーマンスが低下するたびに“現実”へ引き戻されては本末転倒というわけだ。
環境は後からついてくる
Lucky氏によると、VRがこの先辿る進歩の道のりは、携帯電話の大衆化にともなって更なる革新をみせたスマートフォンの普及とは少し異なるという。「バーチャル・リアリティのいいところは向上しているということだ。多くの問題は目に見えており、その多くは解決策がすでに判明している。あとは設計して、組み立てて、そして消費者へ届けるだけだ。その点でスマートフォン業界とは異なっている。スマホ業界は、より面白いものにするための新たな方法やテクノロジーの促進を求めた拡大を目指している。スマートフォンに明確な成功はない。もちろん、(VRが直面している)機能面における大きな課題はクリアしなければならない。バッテリーの寿命を長くしたり、解像度をさらに向上させたり。しかし、VRはこの先数年、もしくは10年以内に大きく加速していくだろう」。
また、AlienwareのようなPC周辺機器メーカーと協力してVRの普及に尽力していく中で、この先パートナーに何を期待したいかとAzor氏に問われた際、Lucky氏はGPU市場がゲーム業界に支えられて急成長を遂げたことに触れている。「より多くのPCがVRに最適化されることを期待したい。製造業者があって部品がある。VR対応のPCをさらに求めやすく、ハイパワーで高品質にするには、多くが団結しなければならない。ゲームのおかげでGPUマーケットがはばたけた時のように。ハイエンドグラフィックを加速させるものの周りに何かがあった。それこそがエリアの進歩を後押ししたんだ。たくさんの点において、PCにおけるVRも同様だろう」。
「ゲームは大きな市場ではあるが、スマートフォンやラップトップに比べればそうでもない。もう長い間、PCを大規模に発展させるような刺激がないままだ。代表的な例は、ラップトップ上で動画編集ができるようになった時だった。おかげで多くの人たちが動画編集に耐えうるパワーマシンに飛びついた。それ以前に、動画が観れるようになった時もそうだ。DVDを鑑賞するためにハードウェアアクセラレータをラップトップに搭載したのを覚えている。あれも成長を推し進める要因だった」。VRも同じだと、Lucky氏は力説する。「ある日突然、膨大な数の人々がハイエンドPCを必要とする。現存するものよりもさらにハイエンドなPCを求める人々だ。ゲームとは何の関係もない。マーケットはずっと巨大になるだろう」。
VRデバイスの応用はゲーム体験に限ったことではない。医療や教育の現場といった、ゲーム業界とは無縁に等しいさまざまな領域での活用が模索されている。遠く離れた場所にいる友人や家族、恋人とのコミュニケーションはもちろん、ポルノ業界が着目しているように、相手のいないセックスをシミュレートすることにまで人々は食指を伸ばしている。中でも、Lucky氏が特に関心を抱いているのは、教育分野での応用だという。VRは文章や写真、動画よりも、概念やアイデアを直接的に伝えられるポテンシャルを秘めていることから、一部の人間にしか触れられない体験を万人に提供することに長けていると説明している。たとえば、地理的に到達が難しい場所へ仮想現実の中で訪れることのできるミュージアムの実現だ。世界最高峰の山の頂上や光も届かぬ深海への冒険はもちろん、月や火星を歩くこともできるようになるかもしれない。また、戦場の体験は軍事応用にもつながるだろう。
学問としての仮想現実
先日、FacebookがピッツバーグにOculus向けのVR研究所を設立したことが報じられた。ペンシルベニア州ピッツバーグといえば、名門工科大学として名高いカーネギーメロン大学のお膝元。UberやAppleといった業界屈指のテクノロジー企業が優れた研究者を引き抜いている場所だ。Facebookも例に漏れず、VR分野の研究を担う人材の確保に乗り出したとみられる。現在、企業のキャリアページでは、コンピュータービジョン分野における研究者やエンジニアを募集している。VentureBeatによると、新設の研究所は、3D復元やトラッキングにおける次世代の技術へ情熱を注ぐ研究者を求めているとのこと。
そのほか、ドイツのゲーム会社Crytekは、VR分野における研究者の育成を支援する新たなプログラム「VR First」を発表した。世界中の学術機関と提携してキャンパスにVRラボを設立することを目指しており、学生はCRYENGINEのソースコードに無料でアクセスできるほか、VRヘッドセットをはじめとしたハードウェアも提供される。また、最初の研究室がすでにイスタンブールのBahçeşehir大学にオープンしたとも伝えられている。多くのデベロッパーがVR技術のさらなる開発に乗り出す中、教育機関においても仮想現実は新たな研究分野としての地位を確立したといえるだろう。
このように、人々が仮想現実に触れる要因は決してゲームに限ったことではない。Lucky氏が述べたラップトップにおける動画編集のように、何かをきっかけにしてVRに対する人々の関心が高まれば、市場に流通するPCのスペックは自然と底上げされていく。人々の日常が十分ハイエンドに達した時、VRデバイスは大衆向けのテクノロジーへと変貌するのかもしれない。