『KNACK』 ロンチという輝きと煌き、そして躓き

KNACK』はSCEジャパンスタジオが手がける、PlayStation 4ロンチタイトルのひとつである。製作総指揮は過去に「Marble Madness」「クラッシュ・バンディクー」などを手がけた Mark Cerny。

プレイヤーは作中の特殊なエネルギー体”レリック”で作られた主人公”ナック”を操り、ゴブリンや兵士といった敵キャラクターを倒しながらゴールを目指すタイプのバトルアクションである。

 

本作をプレイしていた時の、私の感情の流れは概ね以下のとおりである。

第一印象:きれいな絵だなあ
30分プレイ:普通
1時間プレイ:普通
2時間プレイ:眠い
3時間プレイ:飽きた
クリア:やっと終わった

 


ただただ平坦

 

まさか最初から最後までここまで平坦なゲームだとは思っていなかった。たしかにグラフィックは綺麗で手抜きはない。なによりナックの「カラフルなレリックが寄せ集められて作られた体」という造形はユニークだ。大量のレリックを吸収して巨大になったナックが敵をなぎ倒していく様はインパクトがあり、ナックが死んでしまった時に飛び散る体の破片ですらしっかりと描写されている。PS4という新しいゲーム機の表現力は充分にアピールできていると言っていい。

しかしグラフィックのインパクトこそあれ、それはゲームプレイの退屈さを覆い隠すまでには至らない。本作は敵との戦闘を中心にしたバトルアクションであることは冒頭で触れたが、それに属するタイトルの中でも本作は格別に「変化のない」ゲームだといえる。

例えば多くの場合、バトルアクションというゲームは途中で何らかの「変化」が起こる。それは新しいアクションの習得であったり、新しい武器の獲得であったり、新しい必殺技の習得であったりと形は様々だが、ゲームプレイそのものやバトルでの立ち回りに何らかの変化やアクセントをもたらしてくれる。

翻って、本作にはそれが何もない。全部で13あるチャプターの間、ずっと同じパンチで、同じ必殺技で、似たような敵を、前にも通ったような岩場で延々殴って回る展開が続くのだ。たまに申し訳程度にジャンプアクションやナックの形態変化で先に進むといったギミックこそ追加されるが、内容が「敵を倒すのに時間制限がつきました」「レーザートラップを抜けるためにガラスに変化し、トラップを抜けたら元に戻る」という程度で焼け石に水。アクションとして新鮮さは全くないし、それがゲーム中に補強されるようなことも起こらず、バトルが退屈に感じるまでの時間は極めて早い。

せっかく「レリックを取り込んだ量によって体の大きさが変化する」という設定があるのに、それをゲーム内で活かす試みが殆ど行われない点もマイナス。ナックの体はステージ中に点在する「レリック」の欠片を集めることによって大きくなっていき、大きくなるにつれて体力ゲージと攻撃力が上昇する。しかし体の大きさが大小したところで肝心のアクションには何の変化ももたらさない。どれほど体が大きくなってもやれることといえばパンチだけで、ゲームプレイに変化をもたらすことはほとんど無い。

各ステージのレリックの配置箇所とその総量も予め決められており、プレイヤーが能動的にレリックの量を調整する、あるいは「敵が倒せないのでレリックを集めてからバトルに臨む」というプレイングの自由は存在しない。それに重要なカットシーンの直前には必ず「強制的に取得させられるレリック箱」が配置されている。これは明らかにカットシーン到達時のナックの形態を調節するための措置で、カットシーンから外れるおそれのあるプレイングは許されないということでもある。ナックの体の大小を活かしたギミックなどは、カットシーン偏重の本作にあっては望むべくもなかったのだ。

 

最小状態(左下)とのパンチ比較。大きくなるとエフェクトが派手になるが、それだけだ。
最小状態(左下)とのパンチ比較。大きくなるとエフェクトが派手になるが、それだけだ。

 


大挙するストレス

 

ナックのアクションそのものにも爽快感が皆無。攻撃アクションは通常攻撃かゲージ消費の必殺技かといった区分けしかなく、それでも必殺技が3種類用意されているのに対して通常技はパンチのみで、ジャンプ攻撃の回転アタックは弱すぎて使えない。体が大きくなってもパンチはどこか軽い挙動のままで、イベントシーンであれほど地面をズシズシならしている重量感も操作中は再現されない。足音もペタペタしたままだ。

この独特の「軽さ」を再現してしまったのか、ナックの耐久力は異常に低く、このことがバトルの難易度を不当に引き上げている。難易度ノーマルでさえ敵の攻撃を2発耐えれば良い方で、おおむね一撃で瀕死、二撃で死亡というバランスをゲーム全体が占めている。先述のようにレリックを取り込んでナックの体が大きくなれば最大HPも増えていくのだが、それに合わせてゲームの方も出現する敵を強く、あるいは攻撃力を上げるという調整を随時行っていくので「大きく、強くなったナック」をカットシーン以外で味わう機会は少ない。体力ゲージがいくら伸びようと、三発喰らえばナックは死ぬのだ。

敵のAIも妙に小賢しい。というよりナックの攻撃手段といまいち噛み合っていない。たしかに単体で出てくる分には問題なく対処できるのだが、敵が数体群れるだけで途端に厄介な場面に転じてしまう。パンチの攻撃判定がかなり狭く、必殺技以外に複数の敵に同時に対応できる攻撃手段がないため、近接系の敵が二体並んで走ってくるだけでかなりの脅威と化すからだ。要所要所で鋭いバックステップを繰り返す小賢しい敵AIと、低すぎるナックの性能が相まって、見かけから受ける印象よりも本作の難易度は遥かに高い。

それでいてバトル自体は敵味方ともに行動の幅がなく、似通った封鎖地点で敵を殴って扉を開けるだけの非常に底の浅い「作業」なので、この難易度の高さが「気の抜けないシビアなゲームプレイ」ではなく「ただの苦痛」になってしまっているのだ。

敵を2グループ~3グループ倒すごとに訪れる頻繁なカットシーンもストレス要素。それが重要な会話シーンであればともかく、内容といえば「ナックが壁を飛び降りる」「ナックが壁をよじ登る」「エレベーターで上る」といった内容のない数秒のカットシーンで、そこはわざわざカットシーンにする必要はなかったのではないかというものが大半。スキップできるのが救いとはいえ、ボタン一発ではスキップできずになかなか面倒。

 

このゲームを遊ぶ上で幾度となく観ることになる「壁を上がるだけ」「崖を飛び降りるだけ」のカットシーン。
このゲームを遊ぶ上で幾度となく観ることになる「壁を上がるだけ」「崖を飛び降りるだけ」のカットシーン。

 


プレイ時間という名の退屈

 

私はこのゲームを始めたとき「大きくなったり小さくなったりという体を利用して先に進むギミックアクション」だと勘違いしていた。チュートリアルであるチャプター1が終わり、本編であるチャプター2が始まった時にその思いは強くなった。その時点でバトルは既に単調だったからだ。やがてチャプター3が始まり、私はついに次のことを認めざるを得なくなった。このゲームはバトルアクションであり、チュートリアル以上の要素はこの先望めないかもしれない――と。その後ラスボスを撃破しスタッフロールを見て、本稿を作成するに至っているが、悲しいかなそれは現実であった。

本作は虚無と退屈しかもたらさない。きれいなグラフィックを除けば、そこにあるのは懐古どころか単に古臭いバトルだけで、ゲーム的な見所は絶無であったとすら断言できる。ほとんどバトルに特化したゲームプレイなのに、肝心のバトルそのものにバラエティも奥行きもないからだ。

そんな中たまにアリバイ工作のように差し込まれるジャンプアクションのシーンは、そもそもジャンプアクションがゲームとして成立する際の必須事項である「キャラを操作すること自体の爽快感」を本作が持ち合わせておらず、仕掛けそのものもただのタイミングゲー。バトルもジャンプもささやかな謎解きも、何の自己主張もなく進路上に横たわっているだけで驚きも何も提供してくれない。

単にグラフィック面でのアピールだけが目的であったのであれば、その目論見は成功したといえる。このクオリティの人物造形やナック本体の表現はPS4でなければ成し得なかったろう。とはいえ、美麗なグラフィックには慣れてしまうものだし、似たような岩場のシチュエーションが多いせいで、多彩なロケーションに反して見た目から受けるマンネリ感が強く、グラフィックの輝きは急速に失われてゆく。そしてそれが無くなってしまえば、本作に残るのは退屈だけだ。新型ゲーム機の華々しいデビューと真正面から対立する、古臭く色あせたゲーム内容と、そのプレイ時間という名の退屈。それが本作のすべてである。スタートダッシュで躓いたナックは、私の期待もろともバラバラに砕けてしまった。

 

カラフルでカートゥーン調のグラフィックに見所がないわけではないのだが。
カラフルでカートゥーン調のグラフィックに見所がないわけではないのだが。

 

Rokurou Eyama
Rokurou Eyama

ビデオゲームとアメコミとバイク(盗難被害遭遇済)をこよなく愛する30台前半。レトロゲームも最新ゲームも等しく同じ大切なプレイ対象である。

幼少期に出会った『マーブルマッドネス』の衝撃でビデオゲームに目覚め、なぜか実家に転がっていたMSX2+に親しみ、バーチャルボーイに立体視の未来感を植えつけられゲーム人格が形成されていった。STGからRTSまでどんなジャンルも遊んでみるが女の子がいっぱい出てくるゲームは苦手。

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