暗黒コピーゲーム市場“サパーンレック”の真実 – 知られざるアジア最大の海賊盤市場の歴史 Part 2

タイランド電脳ガイドシリーズは、これより冥府魔道に突入する。東南アジア最大の海賊盤市場「サパーンレック」は如何なる理由で誕生したのか?そして、どのような経緯で現在の姿になったのか? いよいよコピーゲーム魔境、もとい桃源郷の秘密を解き明かそう。

今回の原稿の執筆を終え、入稿した直後に衝撃的なニュースが飛び込んできた!

9月28日、タイ政府は度重なる退去命令にも応じず、違法に運河上を占拠をし続けていたサパーンレック市場に対し、10月中に強制退去を勧告したとの報道が届いたのである。前回、詳細な行き方指南を執筆したものの、結果的に死に水を取る記事になってしまい非常に残念無念。しかし、筆者の予感は間違ってはいなかった。それまで普通に存在していても無くなる時は一瞬で無くなる。それがタイなのである。

参考記事: 「サパーンレックが10月中に撤去へ」- YINDEED MAGAZINE

サパーンレックは2015年10月を最期に、70年の歴史に幕を閉じる。以下の記事は8月下旬に取材したものだが、撤去の報道を踏まえ加筆修正した。アジアゲーム事情を語るうえで貴重な証言記録として後世に伝えていきたい所存である。

サパーンレック入り口を別の角度から撮影。まさかこの奥に巨大コピー市場が広がっているとは想像もつかないだろう
サパーンレック入り口を別の角度から撮影。まさかこの奥に巨大コピー市場が広がっているとは想像もつかないだろう

タイランド電脳ガイドシリーズは、これより冥府魔道に突入する。東南アジア最大の海賊盤市場「サパーンレック」は如何なる理由で誕生したのか?そして、どのような経緯で現在の姿になったのか? いよいよコピーゲーム魔境、もとい桃源郷の秘密を解き明かそう。

今回はサパーンレック内のショップ店主たちにインタビューを試み、そこで口の重い人や、何も知らないくせにテキトー答える人(嘘吐きではなく、せっかく自分に尋ねてくれたのに何も知らないって答えたら可哀想だろうという親切心からくるもの。東南アジアからインドにかけてよくいるタイプ)などを除いて、4軒の店から話を聞き出すことに成功した。そして、そこで得られた証言の中から意外すぎる歴史的事実が判明したのである。まずは、サパーンレックでは必要不可欠なCD-Rのケースを卸売する店に話をうかがってみた。

 

 

サパーンレックは終戦直後に誕生した!

証言その1: CD-Rケース専門店の店主(60代/男性)

――サパーンレックは、いつごろ作られたのでしょうか?

「ここに市場が作られたのは今から60年から70年前。最初は食べ物を扱う屋台などから始まり、次第にナイトマーケットに発展していってこの形になったと聞いているよ」

 

――常に人々で賑わっていますが、平均の集客数はどのくらいですか?

「週末だけで何千人かの集客はあると思うけど、正確な数はわからないなあ」

 

――ゲームソフトを中心に扱うようになったのはいつ頃からでしょうか?

「うちの店は40年前くらいからあるけど、その頃は電化製品が多く、玩具やゲーム中心になっていったのは20年くらい前からじゃないかな」

 

――なぜ市場が川の上に建築されたのでしょうか?

「その経緯はよく知らないが、少なくともウチが店を出してから一度も洪水の被害はないねえ」

 

――周辺一帯では再開発計画が進んでいますが、サパーンレックも移転する可能性はありますか?

「丸ごと移転の噂はあるけど、まだ詳しいことは何もわからないね」

 

年配の方だったので事情を知ってるかと思ったが、実にタイ人らしい適当な返答なのは、ある意味予想どおり。しかしここで重要なヒントをつかんだ。市場誕生が約70年前ということは、第二次世界大戦の終戦直後あたりの時期にサパーンレックの母体が形成されたことになる。この情報を元に、別の店の人に話を聞いてみたところ、非常に精度の高い返答を得られたので紹介したい。

 

1962年頃のサパーンレック周辺とオンアーン運河。 奥に見える屋根付き橋「ハン橋」は、現在もバラックに囲まれながら健在 (出典:「図説バンコク歴史散歩」友杉孝著/河出書房新社)
1962年頃のサパーンレック周辺とオンアーン運河。
奥に見える屋根付き橋「ハン橋」は、現在もバラックに囲まれながら健在
(出典:「図説バンコク歴史散歩」友杉孝著/河出書房新社)

証言その2: ゲームコンソール修理・改造専門店の店主(40代/男性)

――サパーンレックの起源は70年前らしいですが、最初はどのような市場だったのですか?

「この市場の起源をたどると、最初はアーン(註1)の焼き物工場がこの辺にあって、出来上がった水瓶を運搬するのに、この運河を使って商人が行き来していたようだね。そのうち、橋があったほうが便利だということになり、鉄製の丈夫な橋をかけたのが、サパーンレック(鉄の橋)と呼ばれる由来だね」

 

1910年頃のオンアーン運河とマハナーク運河の合流ポイント。奥に見える寺院は人工の丘「プーカオトーン」。サパーンレックとは違い、こちらは現在も風情のある観光名所となっている(出典:「Bangkok Only Yesterday」Steve Vanbeek著/Hongkong Publishing Co,Ltd.)
1910年頃のオンアーン運河とマハナーク運河の合流ポイント。奥に見える寺院は人工の丘「プーカオトーン」。サパーンレックとは違い、こちらは現在も風情のある観光名所となっている
(出典:「Bangkok Only Yesterday」Steve Vanbeek著/Hongkong Publishing Co,Ltd.)

――それがどのように変化して、現在のスタイルになったのでしょうか?

「最初は水瓶の流通としての市場だったのが、次に水瓶に合うような観賞魚を扱う店が出てきて、だんだん人が集まり出すにつれて屋台の食べ物屋が出始め、朝市、夜市と広がり、そのうち「仕切りを作って部屋ごとに売ろう」「小さい店の集合体にしよう」「魚も飽きてきたから他のものを売ろう」ということで工具やら電化製品を並べるようになった……と、かなり時間はかかったけど、現在のゲームや玩具を扱う原型が出来たというわけなんだよ」

 

水瓶を扱う流れから熱帯魚、観賞魚も売るようになったという黎明期のサパーンレック。その下に流れる川は「オンアーン運河」という名称なのだが、水瓶を指すタイ語=オンアーンが由来だとか。1962年頃のサパーンレックの写真を見ると、小さな運河と特徴的な橋が確認できる。橋は「ハン橋」と呼ばれ、位置的にはサパーンレックの下流側になるが今もバラックに囲まれながら健在。橋の周辺には河川に突き出すかのように店が並んでおり、すでに市場の原型が出来上がりつつある様子と、行き来する商人の小舟が確認できる。それにしても現在のサパーンレック周辺からは想像もつかない、のどか極まりない風景である。

ちなみに筆者はこの店主の話を聞くまで、サパーンレックを「小さな橋」(タイ語でサパーンは「橋」、レックは「小さい」という意味もある)だと思い込んでいたが、実際は「鉄の橋」だった。やっぱりタイ語って難しい。インタビューを続けよう。

現在のサパーンレック。水面はおろか、ここが運河上であることも判別できない有り様だが、間違いなく今もこのバラック群の下にはオンアーン運河が流れている
現在のサパーンレック。水面はおろか、ここが運河上であることも判別できない有り様だが、間違いなく今もこのバラック群の下にはオンアーン運河が流れている

 

移転の噂は事実だが……

――サパーンレックが総合的なゲームや玩具専門の市場に変化した理由は?

「タイに輸入されるゲームソフトや玩具の大半は、とりあえずここヤワラーに集められて、バンコクほか主要な都市の店に配布される仕組みになっている(註2)。フィギュア類も同じだね。全てが隣のサンペーン市場にいったん集まって、そこからキロ単位いくらでサパーンレックや他の市場に買われていく。フィギュアの輸入先は中国と日本、この二つ。昔からヤワラーの一帯は食料品と金製品の集積地だし、今もさまざまな卸元の街なんだ」

 

サパーンレックの急所ともいえる天井に張り巡らされた電線。漏電事故の多いタイでは致命的ともいえる構造だが、行き交う人々はあんまり気にしていない模様
サパーンレックの急所ともいえる天井に張り巡らされた電線。漏電事故の多いタイでは致命的ともいえる構造だが、行き交う人々はあんまり気にしていない模様

――サパーンレックの最盛期はいつ頃ですか?また、移転の噂もありますが今後の見通しは?

「週末の人出は多いけど、今は経済的に上向きじゃないので、これでも減ったほうだね。盛り上がりのピークは2010年くらいかな。反政府デモを境に流れが変わってしまったように思う。(チャルンクルン通りの)地下鉄工事が始まってからは、ここも移動させられるかも、引っ越すしかない、みたいな話は何度となく出てるけど、具体的なことは何ひとつ決まってないね。今はかろうじて毎日オープンしてるものの、見てのとおり電線は縦横無尽に張り巡らされ、いつ何が起きても不思議じゃない。実際、何年か前に火事を出した店があって、消防車も入り辛そうだったし、逃げ道はないしで本当に危なかった。洪水対策だけはしっかりしてて、幾重にも柵のようなものを施して雨水が上がってこない構造にしてあるようだ。万が一水位が上がっても吸い出すポンプも備えてるから対策はバッチリだよ」

 

川の上という立地条件は「水害の多いタイでは不利なのでは?」と、考えたが、しっかり対策を立てている模様でひと安心。しかし火事となるとヤバそうだ。バンコクに旅行に来られた方なら目にしたことがあるだろうが、タイの電線網の適当な配線ぶりは凄まじく、それでいて電圧は220Vと高いので漏電事故が頻繁に発生。漏電による火災はもとより、水溜りに浸かった電線に触れて感電死したり、雨に濡れた手で路上のATMを操作しようとして、やっぱり感電死したりする事故が後を絶たないので、バンコク観光をされる読者の皆様においては注意されたし。

そもそも、水場で電化製品を扱うこと自体どうかしてると思うし、冠水を避けるためのポンプを設置する以前に、立地条件に問題ありすぎである。しかし、そこら辺はさして気にしてないところも実にタイらしいと感じた次第。店主は続ける。

市場の歴史について答えてくれたナイスガイなゲームコンソール修理店の店主。作業机の上がカオス!
市場の歴史について答えてくれたナイスガイなゲームコンソール修理店の店主。作業机の上がカオス!

「自分はここに店を構えて15年ちょい。今ちょうどPSPを分解している最中だけど、基本的になんでも修理OK! 日本だと店に持っていってもすぐ修理してくれないんでしょ? 僕ならPS4だってまったく問題ないよ!」

最後に頼もしいセールストークも忘れない店主。サパーンレック内にはコンソールの改造だけでなく修理も請け負う店が多いが、それは単に日本のようにメーカーの正規代理店がタイ国内に存在しないからである。タイ国内で販売されているゲームコンソールは、新品であろうが中古であろうが全て輸入品であり、関税率が高いがために新品の場合は日本よりも高額になるので、タイ人の平均月収から考えると、とてつもなくハイソな娯楽となってしまうのだ。故にこの店のような、ひと世代前の中古ハードの改造や修理を請け負う店はタイのゲーマーたちにとっては必須であり、日本では絶滅危惧種のブラウン管テレビだって、タイにおいては現役バリバリで活躍中だ。

ゲームショップ以外の店も近年は増加中。写真はカードゲーム専門店だが、店名はズバリ「NIPPON」(笑)。日本直輸入のレアカードを求めて今日も客が来る
ゲームショップ以外の店も近年は増加中。写真はカードゲーム専門店だが、店名はズバリ「NIPPON」(笑)。日本直輸入のレアカードを求めて今日も客が来る

当事者たちの証言から発覚した、予想以上に長い歴史を誇るサパーンレック。さらなる踏み込んだ取材を続けたところ、筆者は遂にサパーンレック名物「オリジナル海賊盤」の秘密まで知ることになる!だが、またまた文字数が限界まで到達してしまったので、その成果は次回Part 3にて報告するので、しばしお待ちいただきたい。

アジア海賊版市場の栄華を誇ったサパーンレック……あの混沌に身を委ねる幸せな時間は、もう戻って来ない。

(註1)アーン=タライ、水瓶を指すタイ語。雨水を溜め、飲用水や水浴びに利用する。長らくタイ人の生活と共にあったが、きれいな水が貴重品だった時代も過ぎ去り、現在は水道網の発達していないド田舎あたりで細々と活躍するにとどまる。

(註2)さすがにバンコクの大手デパートにおける流通は別口だと思うが、プライズの余り品や日本基準の不良品が大量に流れ込んでいる模様で、夜市の屋台などで売られている。

 


WHO KILLED VIDEO GAME
vol.1: 記録に残らないゲームたち
vol.2: タイランド電脳ガイド
vol.3: 暗黒コピーゲーム市場“サパーンレック”の真実 – 知られざるアジア最大の海賊盤市場の歴史 Part 1

 

mask-de-uh-250x333マスク・ド・UH (Twitter)
自称・洋ゲー冒険家。
元々は別ジャンルで執筆活動を続けていたフリーランスライターだったが、洋ゲー好きという趣味が高じて知り合った某海外有名ディベロッパーに勢い入社。約2年半の勤務を経て再びフリーランスライターに戻り、その経験を活かした洋ゲー愛溢れる深い考察を、盟友であるゲームデザイナー須田剛一と共に週刊ファミ通にて洋ゲーコラムを連載。
2011年よりタイのバンコクに移住し、現在もファミ通.com他、 多様な媒体にて執筆活動を続ける。

 

※「WHO KILLED VIDEO GAME」は、マスク・ド・UH氏による現地リポートであり、アジアゲーム市場の真実をお届けする連載です。犯罪を助長することを目的としていません。

Mask de UH
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マスク・ド・UH。
自称・洋ゲー冒険家。元々は別ジャンルで執筆活動を続けていたフリーランスライターだったが、洋ゲー好きという趣味が高じて知り合った某海外有名ディベロッパーに勢い入社。約2年半の勤務を経て再びフリーランスライターに戻り、その経験を活かした洋ゲー愛溢れる深い考察を、盟友であるゲームデザイナー須田剛一と共に週刊ファミ通にて洋ゲーコラムを連載。2011年よりタイのバンコクに移住し、現在もファミ通.com他、多様な媒体にて執筆活動を続ける。

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