WHO KILLED VIDEO GAME – 記録に残らないゲームたち

読者諸兄の皆様は「ビデオゲームの歴史」というキーワードから、何を連想するだろうか? 陽の当たる場所に影があるように、コインに表裏があるように、当然ながらビデオゲームの歴史、その市場においても影の部分がある。

いきなり本題に突入して恐縮だが、読者諸兄の皆様は「ビデオゲームの歴史」というキーワードから、何を連想するだろうか? これが日本人ならばインベーダーからファミコン、ドラクエ社会現象とか任天堂 x SEGA x SONYのゲーム戦争の話になり、世界レベルでの歴史の流れならば、レーダー兵器技術の転用がビデオゲームの基礎となり、『PONG』や『ブロック崩し』から始まり、アタリショック(真偽や規模に諸説アリ)を経てのNES=ファミコン世界制覇、数々のコンソール抗争を繰り広げ現在に至るまでの経緯は、ゲームを愛している人ならば基礎知識として広く定着していることだろう。 who-killed-video-game-001-games-didnt-recorded-001 しかし、陽の当たる場所に影があるように、コインに表裏があるように、当然ながらビデオゲームの歴史、その市場においても影の部分がある。影といってもさまざまな切り口があるのだが、筆者が注目しているのは、長きに渡り果てしないイタチごっこ的な戦いを繰り広げている海賊版=コピーソフト問題と、その歴史である。 そこでもうひとつ質問したい。日本は海賊版やコピー商品に厳しく、日本国内においては、それらが販売されることは法律で厳しく罰せられる。では、果たして地球規模では、どれだけそのルールが守られているのか? 答えは簡単。このルールを厳格に守っているのは、少なくとも極東アジアにおいては日本だけである。 また、こんな話もある。過日、中国文化庁は経済特区以外のエリアでも家庭用ゲーム機の製造、輸入、販売を許可したというニュースが届いた。ちなみに中国共産党は、2000年から上海や香港など限られた特区以外ではゲーム機とソフトの販売を禁止していた。世界最大人口を抱える巨大国家でありながら、誰もゲームを遊んでいなかったのか? そんなワケもなく、現実は皆コピーソフトと密輸されたコンソールを改造して遊びまくっていたのである。だが、今回の文化庁の許可により、中国の超巨大コピーゲーム市場に変化が訪れるのは確実だ。 日本の常識は世界の非常識という言葉もあるとおり、海賊版を巡る闇市場の規模と現実は、日本人の想像を遥かに超えるスケールにまで成長したが、今や過渡期を終え、ここ数年で密かに、かつ急速に絶滅危機に瀕している。それは何故なのか? who-killed-video-game-001-games-didnt-recorded-002 現在、筆者は東南アジアはタイ王国の首都バンコクに移住して丸5年目になるのだが、バンコクにはアジア有数の海賊版量産エリアとして、アングラ界では有名な特殊電脳スポットが複数存在する。1990年代初頭に、これらのアジアの怪しいカルチャーを紹介していたクーロン黒沢氏の著作を手にしてから、闇のゲーム市場の存在を知り、元来の旅好きが高じて気づけば世界中のビデオゲーム市場を巡るのが筆者のライフワークと化していた次第。その過程で訪れた各国のゲーム市場の中でも、やはりバンコクは今なお最強レベルの規模をキープしている。だが、改革の波は永遠に変わらないと思われていたタイまでも及び、再開発による地上げやら、ユーザーのスマートフォンへのシフト、他にもさまざまな複合的要因により、この国の海賊版市場は、今や存続の岐路に立たされているのが最新の状況である。 確かに、コピーソフトなんて駆逐されて当然だ。その一方では、家庭用ゲーム機が正式に輸入販売されておらず、ソフトもハードも現地人の一般的収入から考えると、とてつもなく高額な娯楽となってしまう現状もある。それ故に、東南アジア諸国ではコピーソフトと改造された中古本体が、広く流通してしまっている。勿論これを売ることは立派な犯罪である。たとえタイであっても。ただ、警察が真剣に取り締まってないだけなんだなコレが。そのおかげで長い年月を経て東南アジアの海賊版/コピーソフトは予想もつかない方向へと進化。単なるコピーで終わらないオリジナル要素(余計な工夫とも)を勝手に追加した、異種格闘技戦ならぬ異種キャラクター大戦といった、夢の寝言のような対戦を無理やり実現させたタイトルが溢れるようになる。著作権と利権ガチガチで実現不可能そうな業界の裏事情を逆手に取り、子供の妄想のような企画を無理矢理ながらも具現化させる気合こそ、アジア産コピーソフトの魅力の真骨頂なのだ。その始まりこそ、偽物を売らんがための手段に過ぎなかったはずが、いつの間にか顧客満足度を考えるようになり、結果としてゲームマニアを唸らせる非公式の傑作を稀に産み出してしまう珍現象までも発生。こうなるともう、単なるコピーの枠を越えており、パチモノなどという駄菓子のような名称も相応わしくない。敢えて名付けるとすれば“オリジナル・ブートレグ”、もしくは“アウトサイダー・ゲームデザイン”だろうか。いずれにせよ、公的記録には残らない。 who-killed-video-game-001-games-didnt-recorded-003 キャラの二次使用のパロディ同人誌とは根本的に立ち位置の違う、じつに駄菓子屋感覚の海賊ソフトたちは、ご存知のとおり古くはファミコンカセットの時代から存在していた。ビデオゲームの歴史は海賊版との戦いの歴史であり、敗者の歴史が正史に刻まれないように、その存在からして真正面から争えば敗北が確定している海賊版は、膨大な数とバリエーションが流通していながらも、非合法ゆえに全貌を把握するのは極めて困難だ。下手に製造ルートを掘り下げたら、黒社会の収入源に突き当たって翌日土左衛門となって河川敷に流れ着くのは確実。また、ゲームパブリッシャー側としても、不法に作られた製品を紹介されるのを許せるはずもなく、結局このような海賊版、パチモノ系統の玩具やゲームソフトは、およそ商業出版誌で取り上げられる機会を与えられない、アンタッチャブル極まりない危険なネタでもあるのだ。しかし幸いなことに、商業主義を標榜せず、真実のゲーム・ジャーナリズムを追求するというAUTOMATONの掲げる趣旨ならば、本来実現不可能そうな企画でも通るかもしれないし、事実通ったからこそ筆者はいま原稿を書いており、AUTOMATONの掲げる思想信条には大いに賛成する次第。ここで筆者も、これまで情報収集(個人的趣味ともいう)のために1990年代中盤より現在に至るまでの約20年の間に見聞きした、闇のゲーム市場の栄枯盛衰の記録を整理し公表する絶好の機会と受け止めた。 who-killed-video-game-001-games-didnt-recorded-004 筆者の暮らすタイのバンコクでも、表向きは禁止だが実際は野放しのコピー市場も、ある日突然の司法機構の方針転換により、一夜にして壊滅する可能性は常にある。いつ何が起きてもおかしくないのが東南アジアであり、それはかつて韓国や香港、台湾が辿ってきた道でもあるのだ。そうなる前に、記録しておこう。それがゲーム・ジャーナリズムに課せられた使命ではないかと、筆者は真剣に思うのだ。 先ずは次回より早速、タイ王国首都のバンコクにおける、最新の暗黒電脳市場の現況についての報告を前後編にてお届けするのを手始めに、現在は失われ駆逐されてしまった、かつてのアジア電脳市場に関しても、当時撮影した貴重な写真と共にその歴史を振り返りたい。もちろん欧米諸国とて例外ではない。著作権に関しては世界一やかましいアメリカ合衆国の抱えるコピー問題、対するEU諸国のゲーム市場の意外な素顔なども交えながら、これら“ビデオゲーム負の遺産”の存在意義について、読者諸兄と共に考察できれば幸いである。今後とも何卒宜しくお願いいたします!  

mask-de-uh-250x333マスク・ド・UH (Twitter) 自称・洋ゲー冒険家。 元々は別ジャンルで執筆活動を続けていたフリーランスライターだったが、洋ゲー好きという趣味が高じて知り合った某海外有名ディベロッパーに勢い入社。約2年半の勤務を経て再びフリーランスライターに戻り、その経験を活かした洋ゲー愛溢れる深い考察を、盟友であるゲームデザイナー須田剛一と共に週刊ファミ通にて洋ゲーコラムを連載。 2011年よりタイのバンコクに移住し、現在もファミ通.com他、 多様な媒体にて執筆活動を続ける。

 

※「WHO KILLED VIDEO GAME」は、マスク・ド・UH氏による現地リポートであり、アジアゲーム市場の真実をお届けする連載です。犯罪を助長することを目的としていません。

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マスク・ド・UH。
自称・洋ゲー冒険家。元々は別ジャンルで執筆活動を続けていたフリーランスライターだったが、洋ゲー好きという趣味が高じて知り合った某海外有名ディベロッパーに勢い入社。約2年半の勤務を経て再びフリーランスライターに戻り、その経験を活かした洋ゲー愛溢れる深い考察を、盟友であるゲームデザイナー須田剛一と共に週刊ファミ通にて洋ゲーコラムを連載。2011年よりタイのバンコクに移住し、現在もファミ通.com他、多様な媒体にて執筆活動を続ける。

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