押井守の『Fallout 4』通信
第11回「たどり着けばファー・ハーバー」
※本連載は押井守メールマガジン『押井守の「世界の半分を怒らせる」』にて掲載された内容を再編集したものです。
【URL】http://ch.nicovideo.jp/oshimag
【Twitter】@oshimaga
悲しいお知らせがあります。
しゃぶり尽くす勢いで始めた「NucaWorld」でしたが、個人的な感情の縺れから「発作的レイダー大殺戮」によって一気に終幕を迎えてしまい、続けることは続けてみたのですが、なにしろレイダーの存在しない無人のヌカ・ワールドは巨大な廃屋に過ぎません。連邦のそれと同じRRTSに改造を施して、柄にもない再開発なども試みてみたのですが、いまひとつ心に湧き立つものがなく、リスポーンするレイダーの残党との戦闘にもテーマというものがありません。
いっそのこと、連邦からフェリーしたPAで地の果てまでつづく万里の長城でも築こうか、と考えるだけは考えたのですが、その前にラグって動かなくなることは間違いないでしょうし、そもそもそれでは連邦の主題の単なる反復に過ぎません。
あたりまえと言えばあたりまえの話です。
レイダーの掃滅とともに、私にとっての「NucaWorld」は永遠に主題を喪失して終わったのでした。
そして保存されたデータから違う分岐を辿る、という行為は「ゲーム世界の一回性」という私のポリシーに反します。
こうして私の「NucaWorld」は可早に終焉を迎えたのでした。
さらば「NucaWorld」。
こんにちは「FarHarbor」。
海上を覆う霧の中から姿を現わした陰鬱な波止場は、新たな主題の幕開けとしては十二分に過ぎるほど劇的な展開を予想させるものでした。
が、しかし――。
数日を経ずして明らかになったのは、この島を覆う濃密な霧の如く、この地を支配する三つの勢力の存在でした。
人造人間と原理主義者、そして偏狭な島民が三つ巴で繰り広げる、島の覇権をめぐる権力闘争。連邦がそうであったように、あるいはヌカ・ワールドがそうであったように、この地もまた多極支配とそのパワーバランスによって成立している世界だったのです。
考えてみれば当たり前の話です。
その名の示す如く、『Fallout』シリーズはポスト・アポカリプスの世界を舞台とした物語であり、まぎれもない冷戦の産物なのですから。そして、そうであればこそ、その多極支配の一画が喪われて均衡が破られれば、破局的な戦後が生み出したカオティックな世界に新たな秩序が誕生し、「暴力と自己責任による自由な空間」「歴史なき世界」は消滅することになるのです。
「NucaWorld」と同じ轍は踏めません。
今回は三極構造のパワーバランスに介入することなく、この呪われた孤島の生態系に介入することなく「暴力と自己責任による自由な空間」「歴史なき世界」の実現を図るのダ。
ああ、それなのに。
霧深い奥地に踏み込んで数日――。
アンロックしてしまったのが、私の大嫌いな原理主義者のテリトリーだったのでした。
「チャイルド・オブ・アトム」の秘密基地が原潜のドックだというのは出来過ぎた悪い冗談です。
今度こそは手を出すまい、介入すまい。
不信の輩は直ちに立ち去れ、という警告に踵を返すべきでした。
いや、実際に踵を返して立ち去ろうとしたのです。
連邦で散々な目に合わされたガンマ線銃の苦い記憶が蘇りました。
気がついた時にはVATSで遅延する視界の中で、重武装した護衛の頭にピピピ…とエイムを絞っていたのでした。完全な不意打ちであり、ということはクリティカル×4の強打であり、しかも私のオーバーシアー・ガーディアンはMAXまで改造済みです。クリティカル貯金が果てしもなく続くPerkも取得済みです。あのヌカ・ワールドでレイダーどもを掃滅させたクリティカルの釣瓶打ち(つるべうち)です。
轟音の繰返しの果てたとき、護衛たちは頭部どころか、人間の原型も留めぬ肉塊と化していました。
いや、未だ間に合う。
目撃者もない皆殺しですから直ちに敵対関係に入るとは限らない。
どうせ殺っちまったんだし、少しばかり中の様子を見て、それから引き返しても遅くはない――。
それは、いつか耳元に囁かれた甘い誘いの声であり、あの『DQB』で「りゅうおうのしろ」に踏み込んだときと同じ、まさしく愚行の繰返しに他なりませんでした。
確かに敵対関係に至ってはいませんでしたが、ドックに眠るあの原潜の馬鹿げた巨大さを目の当たりにした瞬間に全ては終わりました。
世界が破滅した後になお、こんな醜悪な兵器を神殿として崇めていたのか、この基地外どもは。
あとは語るまでもない、戦闘とは名ばかりの殺戮です。
何度でも繰返し、異なる分岐を選択できることがゲームの、RPGの本質であるという論理は常に真であるとは限りません。敢えて後戻りしない、仮構の世界なればこそ「一回生」の現実を生きるという緊張感こそが架空の物語にかけがえのない緊張感を生み出すのであり、ゲームという形式が陥りがちな自堕落と頽廃からプレイヤーを救出することにもなるという、それは『DQB』で学んだ苦い教訓でもありました。
原理主義者どもを掃滅した後に残るもの――。
それは狭隘な因習に縛られた島民たちによる人造人間の殲滅か。
それを予期した人造人間による波止場への襲撃か。
その結果がどちらであるにせよ、この呪われた島の喪われた時間が動き始めることは明らかでしょう。
そして、その世界に私の居場所はもはや存在しません。
どうせ波止場のあのオバちゃんも、このオヤジもすでに掏り替えられた人造人間に違いありません。インスティチュートの呪縛から逃れて来た身でありながら、結局は自分たちをこの世に送り込んだ者たちと同じ陰湿な策謀に身を委ねるのが人造人間の人造人間たる由縁なのだとするなら(その通りなのですが)彼らもまた狭隘で不寛容な島民たちと変わるところはありません。
正義など何処にも存在しない。
もはや「失踪した娘を両親のもとへ返す」などという物語に、どのような主題を見出すことも不可能でしょう。
それは、たかが「story」であるに過ぎません。
「War never change(人間は同じ過ちを繰返す)」
それが『Fallout4』の主題だとするなら、この世界の住人たちはもちろん、プレイヤーである私もまた同じ過ちを繰返し続けることになるのです。
いやあ、ベセスダさんてば容赦ないなあ。
恐れ入りました。
というわけで、いまさら連邦へ戻ったところで喪われた主題と情熱が蘇るわけでなし。
そもそも500overのPAが重くて、まともに動かないし。
という訳で、この自主的連載も終了させて戴きます。
しょうもない連載だったかもしれませんが、初めに書いたように「自主的な連載」ですし、「ゲームに興味のない方は読まなくて結構」な連載なのですからご容赦ください。
最後まで読んでくれた方に感謝します。
お疲れさまでしたあ。
というわけで「いぬまる(そういう名前だったんです)」の連邦の旅は終わりましたが、私もまだまだ暇なことではありますし。
二週目はいよいよサバイバルだ!
と言うか、実はもうやってます。
連載未定です。