ニンテンドースイッチでセクシーな『真・電愛「なにが欲しいの?」 ~北見えり~』をプレイ。『The Last of Us』と熊本地震。『State of Decay』のNPCは信頼できない。今週のゲーミング

Now Gamingは毎週日曜日、各ライターがその週にプレイしたゲームについて、ゆるく書きちらすコーナーです。127回目です。ニンテンドースイッチ向けに配信されている『真・電愛「なにが欲しいの?」 ~北見えり~』は、iOS版はリジェクトされたのだとか。

Now Gamingは毎週日曜日、各ライターがその週にプレイしたゲームについて、ゆるく書きちらすコーナーです。127回目です。新生活にはもう慣れましたか?

 

ゾンビ黙示録な世界の中心で生を叫ぶ

今週は『State of Decay』をプレイしていました。恐らくご存知の方も多い有名タイトルですが、簡単に御説明を…。舞台となるのはゾンビアポカリプスな世界。プレイヤーは生存者の一人となって、ゾンビや黒死病といった脅威と戦いながらコミュニティを維持するため奮闘することになります。

こちらはゾンビ相手に必死に戦っているのに仲間は棒立ちだったり、大量のゾンビに追われて拠点へと逃げ帰ったら仲間がみんな建物の中へと逃げ込んでしまい、助けもないままゾンビに美味しく頂かれたりと、楽しい日々を過ごしています。結局、最後に頼れるものは己自身なのだと心に刻みました。…でも、NPCは弾薬消費無しで銃を撃てるので強いんですよねー。プレイヤー操作キャラが死亡しても連れていた仲間は傷一つなく拠点に帰還していたりと、やっぱり微妙に信頼できない感はありますが。ともあれこの苛酷な世界を生き延び、頑張って物語の結末を見届けたいところです。
by Kouzou Suzuki

 

バトルロイヤルゲームの常識を疑う

開発期間5か月という突貫工事により早期アクセス入りを果たした『Radical Heights』。80年代全開のサントラと寒くて愉快な解説者がマッチを盛り上げ、補給物資の代わりに札束の雨が降り注ぎ、プレイエリアは円形ではなく四角のグリッド毎に閉じていく、一風変わったバトルロイヤルゲームです。本作の開発スタジオを率いるCliffy Bは、過去に手がけた『LawBreakers』について「FPSのダークソウル」と表現しておりました。『Radical Heights』を似たように例えるならば、「バトルロイヤルゲームのセインツロウ」といったところでしょう。

『セインツロウ』シリーズは、「乗車時にわざわざドアを開閉するのは何故か。フロントガラスを突き破って入ればいい」といったオープンワールドゲームの常識を疑いにかかる姿勢を魅力としておりました。本作でも「パラシュートを開かず、地上までフリーフォールで降りた方が速い」という、落下ダメージなんて概念を掃き捨てたラジカル・シンキングが働いています。パロディゲームを遊んでいるような感覚にさせてくれる本作には、このままバランスも一貫性も無視した、大手パブリッシャーが真似できないような無秩序でおバカなバトルロイヤルゲームを目指して欲しいです。
by Ryuki Ishii

 

iOS版はリジェクトされたとか

今週はニンテンドースイッチの『真・電愛「なにが欲しいの?」 ~北見えり~』をプレイ。北見えりさんのことは存じ上げませんでしたが、ストア上で強烈な異彩を放っておられる、もはやお馴染みさんです。当初は家庭用ゲーム機で発売してはいけない類いの作品だと思っておりました。すみません。ただ、任天堂プラットフォームらしからぬ雰囲気であるのは事実。そこでそっとポチった次第です。社会勉強です。

テーマを選ぶと北見さんから電話がかかってきて、たとえば「前と後ろなら、どっちからが好き?(撮影アングルの話)」と聞かれ、「はい」か「いいえ」で選択。このようなやり取りを繰り返して、グラビア写真をギャラリーに追加していくという流れ。ゲームというより、写真集プラスαですね。彼女のファンに的を絞ったコンテンツと言えますが、フォーマットとしてはアニメとか色々な展開ができそう。スイッチでやることか?と言われれば答えに窮しますが。
by Taijiro Yamanaka

 

『The Last of Us』と2年目の熊本地震

セーブデータを見る限り『The Last of Us』をプレイするのは1年ぶりだ。ちょうど2年前の深夜2時。私は震える子供を乗せて、停電で信号の消えた道路に車を走らせていた。前夜の地震と違って、その日の地震は死を覚悟させる規模だった。津波警報が出ていた。私の家は海の傍で、河がすぐ隣を流れている。道路はひび割れ、車はアスファルトの裂け目に躓くたび大きく弾んだ。ラジオから津波警報の続報はなく「熊本の町はどんな様子ですか?」という避難の役に立たない質問が流れていた。地元のFM局に変えると、怪我をしたのか男性の呻き声だけが流れていた。津波が来るなら高台へ行かなければならないが、目のまえにひび割れた橋があった。街燈の消えた夜の中、ヘッドライトに照らされた橋は、毎分やってくる余震でいまにも崩れそうだった。渡るかどうか、私は子供に決断を委ねるしかなかった。

ゲームの中で、トミーとジョエルも深夜にサラを連れて車を走らせる。いまプレイしても心臓がしめつけられるほど、ゲーム序盤の逃走劇は怖い。2年前の記憶がフラッシュバックする。それでも『TLoU』は私にとって特別なゲームだ。じつは避難生活を終えた後、私は一年近くゲームをプレイする気にはなれなかった。かといって陽気なテレビ番組を見る気にもなれず、最初に手に取ったゲームが『TLoU』だった。なぜかゲーム内の陰鬱な雰囲気が、落ち込んだ気分にちょうどよかったのだ。ジョエルとエリーが提示してくれる希望は儚いものだったが、生きることに執着する彼らの姿が、前を向く力になったように思う。本作がなければ、私は二度とゲームを楽しむ気になれなかったかもしれない。趣旨が異なることは承知しているが、この場を借りて熊本地震に手を差し伸べて戴いた皆様、水や食料を送ってくれた住宅メーカーや助けて戴いた保険会社の皆様にも、心からお礼を申し上げたい。あなた方の真心のおかげで、本当に救われました。
by Masahiro Yonehara

AUTOMATON JP
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