ゲームと睡眠
ゲームとあまり関係ない話題で執筆陣の素顔を露わにしていく本連載「Not Gaming」第4回はわたくし空山が担当させていただく。テーマは「ゲームと睡眠」だ。とはいえ、人間工学やらエルゴノミクスがどうのといった話はもちろんしないしできない。本稿はそれよりもずっとプライベートな与太話だ。週末の暇つぶしにでも消費していただければさいわいである。
睡魔に抗戦せよ
睡眠。人間の三大欲求の一つに数えられる、われわれの生活サイクルに欠かせない存在である。疲労心労の回復から暇つぶしにいたるまでその用途は多岐にわたり、そして引きかえに我々から貴重な「時間」というリソースを確実に奪い去ってゆく。
さて「寝食を忘れる」という言葉がある。寝ることも食べることも忘れてなにか一つの物事に熱中する、あるいは取り組む様子をさした言葉だ。似たような意味の言葉に「寝る間も惜しむ」というものもある。
人は寝食を忘れられるのか? これはYESだ。私はかつて『メタルギアソリッド4』を、発売日の仕事帰りに購入してから20時間ほどぶっ通しで遊び続けたことがある。そのあいだに口にしたのは買い置きのマックスコーヒーだけで、それを不足に感じはしなかった。睡魔のおとずれを感じることもなかった。
人は寝食を忘れることができる。しかし忘れ続けることはできない。楽しいゲームには終わりがあるし、集中力はいつかとぎれるものだ。私は『メタルギアソリッド4』をクリアしコントローラを座布団に放り投げた後、モニターも部屋の電気もつけっぱなしたまま18時間眠った。人は睡魔に抗うことはできても、打ち克つことはできないのだ。
ゲームを取り巻く睡眠
「寝落ち」という言葉を出すまでもなく、ゲームを取り巻く環境にも睡眠というものは分かちがたく存在する。MMOのレベリング中に入眠、HALOでの対戦中に睡眠、ヤルハラのおもち作成中に昏倒など、私の事例だけでも枚挙にいとまがない。
これがゲームのなかであれば眼が覚めれば体力全快、さあまた冒険頑張ろうという気分になったり、24時間経ったからフラグリセットだなじゃあまたレア堀りにいくかという気分になったりするのだが、悲しいかなここは現実世界であり、不本意な睡眠にはそれなりの代償が存在する。首を寝違えている、キーボードがよだれでベトベト、メガネが壊れている、ゲーム内のキャラがなんか死んでいる、知らない人がフレンドリスト入りしているなど、コメディからホラーまでオチには事欠かない。そう、すべて私だ。
私はそうした――眠気を「自覚」した――時には、おとなしく撤退して床につくようにしている。いや、床につくように「なった」というべきだろうか。眠気を忘れているうちは構わないが、すこしでも睡魔のおとずれを感じたらそれまでだ。おとなしくゲーム機をスリープモードにして引き上げるようにしている。
それが「眠いとゲームがつまらなくなるから」といった高尚な理由であればよかったのだが、現実にはそうではない。いや、そういう理由も含まれはするのだが、こういう行動を取るようになったのはもう少し別の理由がある。
いつ、いかなる時でも、人は眠れる
ビデオゲーム以外の私の趣味は「バイクに乗ること」だ。2年ほど前に盗難にあってしまって以来少々遠ざかっているが、モーターサイクルショーには毎年行くようにしているし、新車のカタログにはひと通り目を通してしまう。
突然バイクの話題を出したが、目的を見失ったわけではない。これは睡眠の話だ。私はバイクで居眠り運転をして死にかけたことがある。それも典型的な「疲労と寝不足」という言い逃れのできないコンディションでロングツーリングを強行した結果なのだから情けない。
そもそも見通しが甘かった。あの時は実家までバイクで帰ろうとしていて「少しは寝たし5時間程度の走行なら大丈夫だろう」と思っていた。自宅から実家までは高速道路ならゆったり走っても4時間程度。高速に乗れれば勝ちだと思っていた。
そう、この時点ですでに思考力が低下していたのだ。千葉の我が家から東名高速に乗るまでには首都高を経由するか、下道で東京の西側――神奈川あたりまで抜ける必要がある。すでに日は昇ってしまっており、首都高の混雑ぶりに不安を覚えた私は下道走行を選択した。
だが深夜ならともかく、首都高だろうが下道だろうが日中に1時間以内で千葉から西側まで抜けられるはずがそもそもなかった。どちらにせよ交通量が多すぎるし、バイクですり抜けるにも限界があるからだ。冷静に考えればわかることだったのだが、それをとにかく早く出発したいという気持ちと眠気の気配に後押しされるように出発してしまった。事実、高速に乗るまでに実に2時間半を要してしまい、残る体力で実家まで走行できるかかなり不安が持ち上がっていた。
それでもまあ眠るようなことはないだろうと思っていた。私の(当時の)愛車CB400SFはカウルがない車種であるため、高速走行時には強い風を全身で受けることになる。その中で眠ってしまうようなことはまあないだろうと。そう思っていた。
実際に「知らないうちに右車線に移動している」という事態に直面するまでは。
今でも昨日のことのように思い出せるのだが、その「事件」が起こったのは、東名高速の牧の原SAを通過して浜名湖SAに向かう途中だった。眠気が自覚症状として現れはじめ、つぎのPAで休もうかなという考えがよぎったころ--2車線の左側を走っていたはずが、なぜか右車線の左寄りを走っていることに気がついた。スピードメーターは90km。しかも降りようかどうか迷っていたICをいつのまにか通過している。もちろんそんな記憶はない。
この時の衝撃をどう言い表したらよいだろうか。戦慄などというレベルではない。そしてその時なにが一番恐ろしかったかというと、「そこまでの衝撃を受けたというのにまったく眠気がはれていない」という事実について冷静に自覚している自分自身だった。
背中に恐ろしいまでの汗をかきながら必死で考えたのは「最悪の事態まで視野に入れて60km走行で耐え忍ぶ」か「一刻も早く浜名湖SAを目指す」かの二択だった。止まるという選択肢はなかった。高速道路だし。
ゲームにおける限界を突破した眠気の表現といえば「視界の周りがだんだん暗くなって最終的に暗転」がわりと一般的だと思うが、私はあれはウソだなとこのとき知った。とにかく前触れ無く意識が飛ぶのである。意識が、というか時間が飛ぶ。まばたきするその瞬間に本当に数秒時間が切り取られるような感覚。それを時速60km以上で走行するバイクの上で断続的に味わうあの感覚に匹敵する恐怖を、わたしは今のところビデオゲームで味わえてはいない。後にも先にも、本当に死を覚悟したのはこの時だけである。
最終的には無事に浜名湖SAにたどりつき、ボロボロ泣きながらうなぎ弁当などを食して生還を祝ったのだが、私はあの時悟った。人はいつ、いかなる時でも眠ることができ、そして教習所の啓蒙ビデオは嘘ではなかったのだということを。
人は睡魔には勝てない
昔の恥まで引っ張りだして何が言いたかったのかというところだが、つまるところ「睡魔には抗うべきではない」ということだ。少なくともゲームを遊ぶためだけに睡魔に抗ったりするべきではない。睡魔は確実にそのゲーム体験を薄めてしまう。判断力の鈍った頭ではゲームの内容も感動もなかなか入ってくるものではないし、なにより「不本意な結末」を往々にして起こしうる。
だからだ。睡魔を忘れているうちはいい。だが少しでも睡魔を、眠気を感じたら、それは「潮時」だ。おとなしく眠りにつき、正しく眠気を鎮めてからゲームを再開するのが、結局のところ最もゲームを楽しめる付き合い方であると私は思う。
どんな強固な意志をもっても、どんな「抜き差しならない状況」であっても、睡魔は必ずわれわれの意識を奪い去ってゆく。 『Euro Truck Simulator 2』の居眠りシステムは嘘ではない。取り返しのつかないことは現実にもゲームにも存在するのだ。