『DOOM』のジョン・ロメロ氏、任天堂に提案していた幻のPC版『スーパーマリオブラザーズ3』の映像を公開


ファミコン向けに発売された『スーパーマリオブラザーズ3』は、全世界で1700万近く売り上げた名作だ。北米で1990年(日本では1988年)に発売された『スーパーマリオブラザーズ3』は、今年でちょうど25周年をむかえる。また、2015年は、PC向けの横スクロールの名作『Commander Keen』にとっても25周年であり、同作の開発を手がけたジョン・ロメロ氏は、この節目にとある動画を公開した。その動画は、当時ロメロ氏が開発していた『スーパーマリオブラザーズ3』のPC版の映像だった。

ロメロ氏は動画投稿サイトVimeoに「IFD(のちのid Software)時代の『スーパーマリオブラザーズ3』のデモ映像だ。これは1990年9月に出来上がったものだよ。」というコメントとともに動画を投稿している。このPC版『スーパーマリオブラザーズ3』は背景やオブジェクトはファミコン版とよく似ていながら、挙動やキャラクターのデザインを見ると別物であると気付く方が多いだろう。見慣れたステージが登場するのは動画前半まで。後半では、オリジナルの原型は残しつつもアレンジされたデモ用オリジナルステージが多数確認できる。

『DOOM』の開発者のひとりでもあるロメロ氏は以前にもPC版『スーパーマリオブラザーズ3』を開発していたことを明かしている。ロメロ氏はのちに共同でid Softwareを立ち上げることになるジョン・D・カーマック氏と共にPC版を開発していたが、即座に任天堂に断られお蔵入りとなってしまったという。その全容がロメロ氏の著作「Masters of Doom: How Two Guys Created an Empire and Transformed Pop Culture」に記されている。当時PCではコンソール版のようにうまく横スクロールできないことが課題であったが、彼らは『Dangerous Dave』を開発した。そしてその経験を活かし、できるだけオリジナルに近い形で『スーパーマリオブラザーズ3』を開発できたと自信を持ち任天堂に持ち込んだが“即座に”断られてしまったと明かしている。しかし、このデモをきっかけのちに大ヒットになる『コマンダー・キーン』が生み出されたようだ。

Dangerous Dave』のプロトタイプ映像。PC版『スーパーマリオブラザーズ3』はこのプロトタイプから生まれたのであろう。

またKotakuによると、この件についてカーマック氏は思うところがあるようで、2012年のQuakeConで「マリオシリーズは素晴らしいが、任天堂にフラれた時は本当にショックだった」と嘆いており、ロメロ氏にとってもカーマック氏にとってもこのPC版『スーパーマリオブラザーズ3』は苦い思い出でありつつもゲーム開発者としてのキャリアの始まりであり、思い出深いものになっているのだろう。

ロメロ氏とカーマック氏は共同でid Softwareを設立し数々のヒット作を飛ばしたが、その後別々の道を歩み、任天堂とは疎遠になった。しかしロメロ氏は『大刀』でヒロ・ミヤモトという宮本茂氏をモチーフにしたキャラを生み出すなど、フラれた後も任天堂への尊敬を示している。もしPC版『スーパーマリオブラザーズ3』が生み出されていたら、id Softwareは生まれず、『DOOM』や『Quake』も世に出ていなかったのだろうか。