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スクウェア・エニックス 齊藤陽介氏ロングインタビュー。『ドラゴンクエスト』から実写ゲームまで、王道と獣道を歩んだゲームプロデューサーの四半世紀

普段スポットライトがあたらないゲーム業界の裏方の仕事、人、もの、イベントなどを特集する企画「The Back Room Residents(隠し扉の住人たち)」。初回のインタビュー対象となるのは、常にゲームクリエイターと共に歩みながら、一歩引いた立場でプロデュース業を続けてきたスクウェア・エニックスの齊藤陽介氏。実写ゲームからアイドルグループ、『ドラゴンクエスト』から『ニーア』シリーズまで、王道作品を担当しつつ獣道を開拓してきた齊藤氏に、ゲーム業界に入ってからの四半世紀の間に何を考え、どう動いてきたのか対談形式でうかがった。

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齊藤陽介
スクウェア・エニックス 取締役兼執行役員、プロデューサー。1993年、エニックスに入社。『アストロノーカ』『ユーラシアエクスプレス殺人事件』『クロスゲート』といった実験的な作品をプロデュースしてきた。2010年代には『ドラゴンクエストX オンライン』『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』を担当しつつ、『ニーア』シリーズの立ち上げに成功。現在は複数ゲームタイトルを進行しながら、若手育成とアイドルグループ「GEMS COMPANY」のプロデュース業に力を入れている。お酒と人狼が大好き。

なお対談相手となるのは、齊藤氏と旧知の間柄であるJ氏。今回は久しぶりの再会ということもあり、東京・六本木にあるレストラン「アサドール・エル・シエロ」にてお酒を酌み交わしながらの、4時間半におよぶ対談となった。

J
齊藤氏をエニックス時代から知る旧知の間柄。ゲームのプロデューサー経験もあり、業界事情通として知られている。ここ15年ほどは仕事の場を海外に移しており、齊藤氏とは今回久々の対面。AUTOMATON編集長とも仲が良いことから今回の企画参加に繋がった。

 

バトルえんぴつから始まった四半世紀の歩み

J:
齊藤さんお久しぶりです。業界に入って何年になったんでしたっけ?

齊藤:
エニックスに入社(1993年)してからだと26年になりますね。

J:
26年もゲーム業界にいる人って実は少ないですよね。ゲームのプロデュース業をやり始めてからは何年ですか?

齊藤:
25年くらい。四半世紀。最初の1年はグッズの生産管理部門にいましたから。

J:
あっという間の25年でしたよね。

齊藤:
Jさんと一番最初に携帯電話を買ったのって、23年くらい前じゃない?個人ユースの携帯電話が出回り始めたころにキャリアをスタートしたわけだから、技術的な革新が半端ないよね、この25年というのは。そういう意味ではあっという間でしたよ。次から次へと新しいプラットフォームが出てくるから、よくソフトウェアがハードウェアについていけたなという印象です。

J:
そうやって四半世紀やってきて、今でこそゲームに対する社会的認識はすごく向上していますけど、ゲーム業界を全く知らない人に自分の仕事を説明するときには、どういう表現を使ってますか?

齊藤:
ゲーム屋さんといえば大体わかってくれますね。あとは映画に例えることが多いです。演出や照明などいろんな部門がある中での制作部、いわゆるプロデュースの仕事をしている人だと説明しています。何でも屋さんです。アニメーションの例えだと、宮崎駿さんは監督。鈴木敏夫さんはあくまでプロデューサーであり、その立ち位置にいるのが今の俺です。そう言うと偉そうですが、分かりやすいので。監督とプロデューサー、どっちが偉いとかではなく、単純に役割が違うんです。

J:
最初ってなんでグッズの生産管理部門だったんですか?

齊藤:
デジタルなゲームよりも、手に取れるおもちゃの方がなんとなくいいなと思っていたんです。子供のころに超合金シリーズで遊んでいて、いつの間にかロケットパンチのパンチの部分を失くしてしまったという思い出が子供の教育・成長に何かしらの影響を及ぼすんじゃないかと。物理的なおもちゃを壊したり失くしたりすることが、育っていく過程で何かのきっかけを作るのではないかと勝手に思い込んでいたんです。デジタルゲームは壊れないし失くさないから、子供が大人になっていく過程の中では大して重要ではないのかなと考えていました。

ーーおもちゃ体験が子供の教育・成長に影響を及ぼすというのは、いつ思ったんですか。

齊藤:
俺は両親が銀行員で、自分が経済学部卒で、そんなにいい大学を出たわけではなかったので、就職活動のときは最初、どこかの地銀に滑り込めたらいいなぁとくらいに考えていました。だけど人のお金を数えたって楽しいわけないなと思って。大学では中小企業論を専攻していたおかげもあって、バランスシートだけは読めたんです。そこでバランスシートを見てエニックスは凄い会社だなと思ったんだけど、振り返ってみるとゲームよりは子供の頃に持っていたおもちゃの体験の方が心の中で刻まれていたんです。形あるものが壊れたり、形あるものを失くす体験が心の中に残っていて、それは大人になるまでの人格形成に凄く影響するなという考えがあって。人の生き死に関わっていないようで関わっている、衣食住以外の「遊び」の部分で関わりたいと思って選んだのがこの業界です。もともとテーブルトークRPGとかもめっちゃ好きで、そっちの会社も考えたのですが、絶対に儲からないなと。

だから本当はバンダイに入りたいくらい、おもちゃ会社に行きたいと思っていたんです。タカラから内定をもらったんですが、「う~ん、俺はリカちゃん人形を作るタイプじゃない」と思って、最後の最後に内定をもらったエニックスに入ったんです。ゲーム業界だとセガやナムコからも内定をもらっていましたが、それはおそらくゲームセンターへの配属で、当時はそれほど興味もなくて。ゲームセンター用のゲームはまだ作ったことがないので、今では俺の最後の課題だと思っています。

ーーその大切にされていた「子供時代の形あるものが壊れたり、失くす体験」という物が壊れる悲しみみたいなものは、齊藤さんのゲーム作品に反映されていますか。『ニーア オートマタ』はそういう情緒を感じます。

齊藤:
結果論としてはね。でも優しい世界を作りたいとは思っているかもしれない。ヨコオさんに『ニーア ゲシュタルト/レプリカント』で一番最初に言ったのは「お父さんと娘、お兄さんと妹。最後は草原で手を繋いで笑顔でエンディングを迎えてください」というオーダーです。そしたらあんな結末になりました。俺の中ではハッピーエンドだと思っているんだけども。

ーーそれは家族の再発見みたいなものを表現したかったということでしょうか。

齊藤:
というより、誰も幸せになれない世界なんてゲームとしてのカタルシスも何もないなと思って。もちろんひどい世界もあるんだけど、ひどい世界はひどい世界なりにハッピーエンドがあってもいいなと思っていたんです。

J:
おもちゃ志望だったことを考えると、最初にフィジカルな「バトルえんぴつ(*)」を担当できたのは嬉しいことだよね。

*バトルえんぴつ:エニックスが販売していた『ドラゴンクエスト』シリーズのバトルえんぴつには、モンスターや人間キャラクターが描かれており、各面に「◯に△のダメージ」といった行動内容が記載されている。サイコロのように交互にバトルえんぴつを投げ、HPがなくなると負け。90年代に小学生の間で流行した。

齊藤:
めっちゃ嬉しかったですよ。バトルえんぴつだけでなく、ロトの盾キーホルダーとかロトの剣シャープペンとかも担当していました。課長と先輩1名の部署だったので、ほとんどのドラゴンクエストのグッズの原価管理や生産管理をしていました。ロトの盾のキーホルダーはダイキャストで鋳型に流し込んで作るんだけど、バリが出ているやつを見つけたら工場のおばちゃんに「ちょっとバリが出ているからもうちょっと削って」とか言う仕事をやってたんですよ。

ーー開発ではなく生産管理側だったんですか。

齊藤:
デザインも何も出来なかったからじゃないですかね。経済学部で電卓はたたけそうだなと。俺は購買部という部署にいて、製造管理や原価管理をしていました。バトルえんぴつの面どおりに印刷するのってそんな簡単なことではないんです。下町の工場に朝7時くらいに行って、えんぴつに印刷するアナログな機械を温めるまで工場のおじいちゃんと一緒にお茶を飲みながら話して、まずは1本作って面がちゃんと取れているか確認して、OKを出してから大量に製造するという感じです。

 

キャリア初期には自分で仕様書を書いていた

J:
入社から1年経ってグッズから、ゲーム企画課に移ったとき、一人だけ金型とか計算がものすごく得意な状態だったわけでしょ?あれはなぜ?

齊藤:
入社してみたら課長と先輩1名しかいない部署だったので、自分が現場でやらないと全てが進まなかったんです。だから物凄くスパルタな1年でしたよ。

J:
ゲーム企画課に移ってから最初にやったのって何でした?

齊藤:
ゲームを作るという意味では『熱血大陸バーニングヒーローズ』です。そのあとに『ミスティックアーク』。

J:
それはアシスタントとしてですよね?

齊藤:
はい。それと並行して『天地創造』『ガイア幻想紀』『スターオーシャン』『ワンダープロジェクトJ 機械の少年ピーノ』(以下、ワンダープロジェクトJ)とかのデバックをしていました。

J:
当時はみんなでデバックしてたもんね。その時にみんなが『ドラゴンクエストVI 幻の大地』(以下、DQVI)をやっていたのを覚えてますよ。

齊藤:
異動してから数年後くらいのときに『DQVI』のバランス調整をやっていました。昼は仕事して、夜から朝までは『DQVI』をやれと言われて。ひどい、いつ寝るのこれってなって(笑)だからだんだん速くクリアできるようになっていきました。無意識のうちにラスボスまでたどり着いたり。そのあとにやった『勾玉伝説』(*)の仕様書は俺が書きました。いつまで経っても完成しないから。

*『勾玉伝説』:最終的に『BUSHI青龍伝~二人の勇者~』というタイトルでT&E SOFTより発売された古代神話RPG。ゲームフリークが開発を担当し、スーパーファミコン用に1997年発売。見下ろし視点でマップ移動し、敵とエンカウントすると横スクロール画面での戦闘に突入する形式を取っていた。

J:
確かあのとき、開発元のところに行って打ち合わせしてたよね。

齊藤:
行きました。もうすぐ完成するからということで行ったら、スクロールしない画面が一枚出てきて。まったくできてないじゃないかと。いろいろと大変でしたよ。プログラマーも新人しかいなくて、向こうの担当者がいなくなって、最後は俺が残って仕様書を書くというわけがわからない展開になっていました。仕方がない、やれるだけのことはやろうと思ってやってました。

ーー『ミスティックアーク』や『ダークハーフ』など、当時のエニックスは『DQ』以外にもRPGをいっぱい出していましたが、どのような戦略だったんですか。

齊藤:
『DQ』は数年に1回くらいしか出ないから、その間に新しいゲームを作っていたんです。

J:
RPGの企画が通りやすかったというよりも、実際に出された企画にRPGが多かったんですよね?

齊藤:
そう言われてみるとRPGは多かった。シミュレーションゲームとかもあったけどね。

J:
俺の中で印象が強かったのは『ワンダープロジェクトJ』(*)。

* ワンダープロジェクトJ 機械の少年ピーノ:1994年、アルマニックが開発を担当し、スーパーファミコン用に発売された育成シミュレーションゲーム。人型の機械(ギジン)ピーノに物の使い方や行動の善悪を学習させることで物語を進めていく。その育成システムと感動的なシナリオが評価された。

齊藤:
あれは新しかった。やっていて楽しかったです。

J:
でも後続が出なかったよね。新しい企画が欲しいんだけど、『ワンダープロジェクトJ』みたいな企画が出てこない。どうしても開発者ありきになるので。

ーー『ワンダープロジェクトJ』は名作ですが、やっぱり社内でも前評判が良かったんですか。

齊藤:
売れるか売れないかはわからないけれど、みんな楽しいなと思ってやっていたと思いますよ。俺は最後でガチ泣きしてましたもん。ピーノの台詞とかで。いまでもファンが多くて、リメイクしてほしいという声が多い作品だと思います。

 

『がんばれ森川君2号』とは違い「勝ち負け」の概念を入れた『アストロノーカ』

J:
最初にプロデューサーとして担当したのは『アストロノーカ』(*)?

c 1998 MuuMuu ・SYSTEM SACOM ・SQEX

*アストロノーカ:1998年、PlayStation向けに発売された育成シミュレーションゲーム。ニッカポッカ星系の小惑星に入植した宇宙農家(アストロノーカ)として、宇宙野菜の交配・育成に励み、「全宇宙野菜コンクール」優勝を目指す。作物を狙う害獣バブーのAIには学習機能が搭載されており、同じトラップでの撃退を続けていると回避するようになる。

齊藤:
コンシューマーは『アストロノーカ』、PCは『クロスゲート』で、Webは『みんな de Quest(Mail de Quest)』です。

J:
『アストロノーカ』はどういう経緯で作られたの?

齊藤:
当時「ウゴウゴルーガ」がすごく好きだったんです。フジテレビの朝の子供向けCG番組だったんですけど……「ミカンせいじん」とか若い世代の人は知らないですよね。ウゴウゴくんとルーガちゃんというかわいい男の子と女の子がグリーンバックでCGと戯れる番組があったんですよ。幼児向け・子供向けではあるものの、ものすごくはっちゃけていて、ブラックユーモアもあって。「ポンキッキーズ」みたいな感じです。

J:
「ポンキッキーズ」に代わる、もしくは並ぶことを目指して作られた新しい子供向け番組でしたね。

ーー当時流行っていたんでしょうか?

J:
大人に受けていて、ちょっとカルト的な人気があったんですよ。

齊藤:
その「ウゴウゴルーガ」のCG会社がどこか調べたらウルトラ(のちのムームー)というところで、タウンページで電話番号を調べて連絡しました。当時はホームページなんてなかったものですから。

J:
当時コンタクトするときはみんなタウンページなんですよ。でもみんな警戒するので、たまに嘘言ってました。「プログラマーなんですけど応募してますか」と言ってアポ取りするとかやってましたよね。

齊藤:
(笑)

J:
「ウゴウゴルーガ」から出たクリエイターって結構多いよね。森川幸人さんは当然そうだし、『せがれいじり』の秋元きつねさんもそうだし。

ーーということは、かなりエニックスと関わりが強いですね。

齊藤:
エニックスはアウトソーシングの会社だったこともあり、ゲームに関係のないCG会社とゲームを作りやすい環境ではあったのかもしれません。

J:
あの時代にAIをフィーチャーしたゲームを作ったのが凄い。今、再ブレイクしているでしょ。

齊藤:
遺伝的アルゴリズムを使ったゲームとして、20年経って改めて評価されています。弊社の三宅陽一郎から(*)は、初めて本格的なAIを使ったコンシューマーゲームだと言っていました。

*三宅陽一郎:スクウェア・エニックスのリードAIリサーチャー。ゲームAI開発者としてデジタルゲームにおける人工知能技術の発展に従事。日本デジタルゲーム学会理事、芸術科学会理事、人工知能学会編集委員。

ーー『がんばれ森川君2号』は、AIが搭載された味方のロボットを育てますが、『アストロノーカ』は敵にAIが組み込まれていて逆パターンというか、対称的ですね。

齊藤:
俺は『がんばれ森川君2号』を見たときに凄く面白かったけど、これはゲームではないなと思って。ゲームにはやっぱり勝ち負けが必要で、それがあればもっと面白いものになると思って出来たのが『アストロノーカ』。

J:
『がんばれ森川君2号』を見て『アストロノーカ』を作ったということですか?

齊藤:
いや、『がんばれ森川君2号』がたまたまそういう仕様だったので、『アストロノーカ』はちゃんと勝ち負けのあるゲームに仕上げようと考えながら作っていました。

J:
『アストロノーカ』で失敗したことはありますか?

齊藤:
一番の失敗は、プロモーションとして『スターオーシャン』に『アストロノーカ』の体験版をつけたことだと思っています。体験版である程度満足して買ってもらえなかったパターンです。費用タダだからということで体験版をやる話になったのに、あとから1枚100円かかりますと言われて。『スターオーシャン』がめっちゃ売れて、広告宣伝費を全部持っていかれました(泣)今でも『スターオーシャン』の体験版についていたよねと言ってくれる人たちはいるんだけど、当時は購買には大きく結びついていないんです。

J:
なるほどなぁ、面白い。

齊藤:
ちなみに『アストロノーカ』のデバッグは1年くらいやっているんですよ。バグが出続けているという嘘をついてチューニングしていました。『アストロノーカ』の場合、トラップバトルのバランス調整に詰まるのは仕様バグとも言えるので、あながち間違いでもないんですが。

J:
あのゲームはチューニング命みたいなところもありますよね。

 

ーーーパート2、実写ゲーム時代の話題に続く

 

「かわいい女の子と目線を合わせる」実写ゲーム

J:
そのあとで実写ゲームを作り始めましたよね。

齊藤:
『アストロノーカ』のデバッグをしながら、『ユーラシアエクスプレス殺人事件』(*)のために調布の日活スタジオに通っていた記憶があります。

c Four・Some・SYSTEM SACOM corp.・ENIX

*ユーラシアエクスプレス殺人事件:1998年に発売された実写の殺人ミステリーゲーム。齊藤氏がプロデュースした「シネマアクティブ」作品の第一弾。黎明女学園の修学旅行に同行した私立探偵の主人公が、ユーラシアエクスプレス号内で発生した殺人事件の解明を目指す。女子高生たちには好感度パラメーターがあり、キャストとして深田恭子や加藤あい、東山麻美といった新人アイドルを多く起用していた。

ーーでも冒頭の空港のシーンはスタジオ撮影ではありませんよね?

齊藤:
あれは府中の東京競馬場の通路です。それを朝5時集合で撮りました(笑)

J:
他のインタビューとかで実写は嫌だったと書いてあるけど、あの時そんな嫌々やってたっけ?

齊藤:
最初はめっちゃ嫌でした。

J:
確か『ナイトトラップ』(*)やってたよね。

*ナイトトラップ:1992年、メガドライブ向けに発売された実写アドベンチャーゲーム。アメリカ郊外で発生した失踪事件を調査する特殊捜査員として、住宅内の防犯カメラとトラップを使い、悪者から若者たちを救っていく。全く怖さを感じさせないB級映画テイストの作風や、当時米国で議論を呼んだ暴力・セクシャル表現などで知られている、FMVの歴史に名を残す作品。

齊藤:
やってました。とんでもなくつまらないなと思いながらやってました。

J:
結構おもしろそうに遊んでるなと思ってたんだけど、違ったのか。

ーー実写ゲームは、日本ではなかなか売れないジンクスがありますが、そのような実写ゲームをどのようにプロデュースしようと考えたんですか?

齊藤:
『ナイトトラップ』を遊んでいて、なんだこれ、こんなのやだなと。でも何が足りてないんだろうと考えてみたときに、かわいい女の子がいて、そのかわいい女の子と目線を合わせることができれば楽しめると思って。テレビドラマでもそういう演出はありますが、多用はできません。ゲームであればカメラ目線で話すことを必然化できる。それを多用できるんだったら面白くなるんじゃないかと。なので参考にしたのは他の実写ゲームではなくて、『同級生』や『ときめきメモリアル』です。

J:
それまでの齊藤さんの印象として、そういうのに興味があるとは全く思っていなくて、そっちも行けるんだとちょっとびっくりした記憶があります。

齊藤:
めっちゃ勉強しました。ただ、もともとおニャン子クラブとかはみんな好きな世代だったし、「ASAYAN」とかも見ていたから、遠くはないんですよ。世代的にも。当時は誰でも好きなアイドルがいるくらいの距離感だった気がするんですよね。今は趣味が分散してしまったので、「好きなアイドル誰?」とはあまり聞かないと思いますけど。

ーーそもそも会社から実写で作ってとオーダーされた理由は何ですか?

齊藤:
当時の社長の福嶋康博さんから、CGは高すぎると言われて。CGはいくらでも作り直せるけど、実写は一回撮ればそう簡単には撮り直せないので、値段が上がらないだろうという考えです。

ーーでも実写3作目の『ザ・フィアー』になってくると、CGの割合が上がってますよね。

齊藤:
『ザ・フィアー』はCGが多いですね。

ーー『ユーラシアエクスプレス殺人事件』では、小島秀夫さんや故・飯野賢治さん、前述の森川さんなど、多数の著名なクリエイターが出演されていますが、これはどういう経緯だったんですか。

齊藤:
多くは一緒にやっている高島健一さんというディレクターの方からお願いしたんです。話題作りとして。

ーーどうして探偵モノになったんですか?

齊藤:
映像として新しいことをやるんだったら、ゲームデザインはシンプルにしようということで探偵モノにしました。

ーー2時間以内に解くというコンセプトは『Dの食卓』を彷彿とさせます。

齊藤:
それはディスク容量の都合です。映像容量がCD4枚組くらいになり、これ以上増やせない状態になって。容量からシナリオボリュームが決まった感じです。

ーーたった2週間違いで、スクウェアから『アナザー・マインド』というアイドルの実写ゲームが発売されましたよね。当時、どのように受け止めたんでしょうか。

齊藤:
先に発売された『アナザー・マインド』が厳しかったんで、「やばいなこれ」と。

ーーあ、そんな受け止め方だったんですか(笑)

齊藤:
しかもキャストが全員ホリプロさんだったんですよ。キャスティングを同じ事務所にしたほうが楽なんですが、それだと事務所が売り出したい女の子が優先的になってしまうので。女の子全員を均等に可愛くキャスティングできない可能性があるじゃないですか。そういうのは『ユーラシアエクスプレス殺人事件』ではしたくなかったので、かなりがんばりました。

ーーなるほど、それが『ユーラシアエクスプレス殺人事件』のマルチヒロインシステムに繋がってくるわけですね。まさに『同級生』や『ときめきメモリアル』の流れですね。

齊藤:
そうそう、それはまさにそうしたかったです。

ーーちょっと面白い話として、堀井雄二さんは『白夜に消えた目撃者』という時間制限がある列車サスペンスを構想されたことがあるんですが、ご存知でしたか。

*AUTOMATONでは幻の作品『白夜に消えた目撃者』について堀井雄二氏から伺ったインタビューを掲載している(記事リンク

齊藤:
みたいですねえ。当時はもちろん全然知らなかったです。

ーー『アストロノーカ』に続いて『ユーラシアエクスプレス殺人事件』もシステムサコムが開発していますね。

齊藤:
それは単純に、メインでコーディングするプログラマーが2人くらいで済む仕様だったので、新しい会社に依頼するよりも知っているプログラマーに頼もうと思ったからです。
【UPDATE 2019/11/18 16:45】上回答の誤字修正

ーーそもそも齊藤さんはゲーム業界に入る以前は、アドベンチャーゲームをプレイされていたんですか。

齊藤:
一番好きなのは『デゼニランド』か『サラダの国のトマト姫』です。『は~りぃふぉっくす』や『惑星メフィウス』もプレイしました。関係ないですけど、『ドラゴンナイト』もがっつりやっていたり。最初に買ったのはPC-6001mkⅡですけど。『ポートピア連続殺人事件』はファミコン版からなんですよね。

 

新人時代のアイドルを大量発掘

ーーそして実写ゲームは売れないというジンクスを破って、『ユーラシアエクスプレス殺人事件』はヒットしたと聞いています。

齊藤:
まあまあ売れましたね。深田恭子さんと加藤あいさんのおかげですよ。

J:
キャスティング当時は本当に新人だったはずですよね。

齊藤:
週刊少年マガジンで1回グラビアをやったかやっていないかくらいのときでしたね。

J:
発売のタイミングで東京ゲームショウをエニックスがやったじゃないですか。その時、ひどいことになったの覚えてます?

齊藤:
俺がステージにいて、隣の隣くらいのブースまで人が集まったのを覚えてます。

J:
イベントをやっている最中に、スタッフが隣の隣のブースまで謝りに行ってたもん。しかも日曜日だったよね。

齊藤:
前日に登壇したのは佐伯日菜子さんと東山麻美さん。

J:
確かその2人が仲良いから、深田恭子さんと加藤あいさんを一緒の日にしたんだよね。そしたらもう見物のお客さんの量がすごい。

齊藤:
事前にサインを書いてもらい、俺が急遽ジャンケン大会をしている間に後ろからはけてもらいました。パニックになりそうだったから。

J:
あのときに芸能人の凄さを覚えたよ。芸能人の瞬発力と、売れるときの勢い。『ユーラシアエクスプレス殺人事件』は齊藤さんにとって、ひとつのエポックメイキングだったよね。

齊藤:
新しいことはできたかなと思いました。ウォークスルーを同ポジでつなぐということと、待機アニメーションを止めにしないで3秒くらいの映像を再生と逆再生で作っていることは、『ユーラシアエクスプレス殺人事件』の挑戦ポイントだったと思います。

ーー静止画の実写ゲームではなく全編動画の実写ゲームというところが、当時、画期的でした。

齊藤:
そのあとの『øSTORY』(*)は、もっとやりたいことがあったんだけど、できなかったんです。PlayStation 2は「ポリゴンマシン」だとずっと言われていて。ソニーさんのミドルウェア開発もポリゴンに注力していて、動画再生のミドルウェアが最後の最後まで出てこなかった。だから素材はあるのにいつまでたってもPS2で開発できなくて、やりたいことを削ぎ落とした結果、今でいうQTEがメインになった感じです。

c 2000 GE/SQUARE ENIX CO.,LTD. All Rights Reserved.

* øSTORY(ラブストーリー):2000年、PlayStation 2用に発売されたシネマアクティブ第2弾。交通事故で亡くなった青年が、霊体となって現世に戻り、若手アイドルのリナと6日間共に過ごす。主人公の言動によりリナの愛情値が上下。リナの心を読む「心の矢」システムを導入していた。リナ役は平山あや。そのほか眞鍋かをり、藤崎 奈々子、佐藤 江梨子などが出演。

ーーもっとやりたかったけどできなかったというのは、具体的にはどういった内容ですか。

齊藤:
例えば一人称視点で映像空間の中を自由に移動したり、幽霊になってもっと動けるようにしたかったんです。

ーーなるほど、そこは『ユーラシアエクスプレス殺人事件』が踏襲されている感じですね。製品版では弓矢を引いたら心の声が読めるというシステムが含まれていましたが、これは最初から構想としてあったんですか。

齊藤:
回数制限で使える弓矢のシステムは最初から考えていましたね。それは開発後期でギリギリ、かろうじて入ったアイデアです。

ーー取材の直前に『øSTORY』を改めてプレイしたのですが、エモーショナルで感動しました。女の子の心理状態がわからないけれど、弓矢を引いたら実はこんなことを思っているという、そこのギャップが泣けますね。

齊藤:
そうそう、俺はあの最後の展開も好き。プレイヤーの名前を呼ばせるっていうね(笑)

ーー探偵モノの前作から一転して芸能界モノになってますね。

齊藤:
芸能界モノというよりは、ファンタジーをやりたかったんです。自分が幽霊になって、普段見れない絵が見れるという。空撮とかも含めて。

ーー今作から主人公が喋るようになりますが、そこの変更について迷いはなかったんですか。

齊藤:
確かに迷いましたが、ドラマとして作る期間など、いろんなしがらみを考えたときに、喋った方が楽という判断になりました。

ーー実際、しゃべったほうが良かったと思います。映画のように観賞できる楽しさが増えたので。

齊藤:
自分もそう思いますね。

J:
『øSTORY』で覚えているのは、眞鍋かをりさん。デビューしたてだったよね。あと佐藤江梨子さん。佐藤江梨子さんも確か東京ゲームショウで大変だった。『øSTORY』の時は危ないから囲いのあるステージでやってたんだけど、ぎゅうぎゅうになって大変だった記憶がある。

齊藤:
『øSTORY』といえば平山あやさんも。最近、速水もこみちさんと結婚しましたね。

 

「俺が獣道を作ったら、他のみんながついてきた」

J:
その翌年にもう『ザ・フィアー』(*)を出していますよね。

c Digital Frontier Inc.・TAO COMMUNICATIONS CO.,LTD.・INATEC・tri-Crescendo Inc.・ENIX 2001


*ザ・フィアー(the FEAR):2001年、PlayStation 2用に発売されたシネマアクティブ第3弾。実写ムービーシーンが多く、ディスク4枚組での販売となった。心霊番組の撮影のため山奥の洋館に訪れた撮影班と売り出し中のタレントたちが不可思議な事件に巻き込まれていく。引き続き若手アイドルを起用しており、今作では芸名のまま登場。加藤夏希、金田 美香、福井裕佳梨などが出演。


齊藤:
めっちゃ仕事してました。今もしてるけど。『ザ・フィアー』は最後だからいいだろうと、お金を使いすぎました。

ーーあの作品の撮影は実際のペンションなどを借りて改造したのか、それともセットを組まれたんですか。

齊藤:
あれは東映大泉のスタジオです。2階建てに見えるけど、セットは実際にそのように組んだわけではないですよ。その階のひとつの通路を全部実際に作って、通路に見えてる扉の中身はない部屋も多いんです。各部屋は隣のスタジオにバラバラに作ってて、それを後で繋げています。

ーーあの背景の美術はどこまでがCGで、どこまでが実写なのか境界線がわからないです。

齊藤:
あれは全部実写ですよ。

ーーえ!?まさか……それはとんでもないですね。小物含めた美術がとにかく凝ってて、物凄くゴージャスでセンスがありますね。

齊藤:
『ユーラシアエクスプレス殺人事件』もそうだけど、映画のフルスタッフでした。

ーー『ザ・フィアー』では題材がホラーになって、後半になると女の子がえらいことになりますが、事務所からクレームがきてもおかしくない過激な表現ですね。

齊藤:
そこはホラー含めて監督の趣味ですね。監督が小田一生という漫画家の伊藤潤二さんの映像作品に多数関わっている人なので、ジャパニーズ・ホラーなんですよ。後半に関しては、ちゃんとそういう話ですという前提で皆さんに出演してもらってます。

ーー確かに怖いというより、伊藤潤二さんみたいに精神にくるような不気味な感じですね。あと、エンディングが大きく2つあって、しかも片方はクトゥルフ神話みたいな展開ですが。

齊藤:
それも監督の趣味ですね。私自身もクトゥルフ神話は大好きなんですが。『ユーラシアエクスプレス殺人事件』も『øSTORY』も、繰り返し遊びたくなるようにマルチエンドを入れました。絶対にマルチエンドじゃないといけないという訳ではなかったです。

ーー『ザ・フィアー』は、攻略サイトがなく、攻略本も発売されてないので聞きたいんですが、あの2つのエンディングの分岐条件は何なんですか。

齊藤:
途中の細かい分岐はプレイ時間とかをチェックしてて、クライマックスの大きな流れについては多分、監視カメラをメイクルームに置くか、寝室に置くかだったと思います。でも、正確な条件は忘れました(笑)。

ーーこれはかなり聞きたかったんですが、当時、『ザ・フィアー』の発表会では『レベルダイブ』という次回作を発表していますね。しかしこれは未発売のようですが。

J:
いや、『レベルダイヴ』は、『コンバットクイーン』(*)として発売されたんだよね。これは齊藤さんが最初だけ関わったんだっけ?

*コンバットクイーン:2002年、タイトーよりPlayStation 2用に発売された実写ありのガンシューティングゲーム。昆虫型ロボットに侵略された近未来の地球を舞台に、美少女アンドロイドたちが大活躍。若手時代の小池栄子、周防玲子、水川あさみなどが出演している。

齊藤:
いや、あれは渡部です。あの当時は、俺が獣道を作ったら、他のみんながついてきて似たようなものを作るという流れがあって。例えば俺が『クロスゲート』を作ったら安藤武博が『疾走、ヤンキー魂。』を作ったり、柴貴正が『ディプスファンタジア』を作ったり。俺が実写ゲームを作ったら安藤が『鈴木爆発』を作ってくれたし、渡部辰城は『コンバットクイーン』を作ってくれました。俺が歩んだジャンルを後輩たちが追いかけてくれているというイメージはありました。

ーー発表会では、シネマアクティブ第4弾と宣伝されていたようですね。

齊藤:
シネマアクティブは、本多圭司さんが「ジャンルを作らないといけない」と言ってつけた名前です。俺はピンとこなかったんだけど、まあいいやと。

*本多圭司:エニックス2代目社長。のちにスクウェア・エニックス・ホールディングス副社長・取締役を歴任。エニックス時代、齊藤氏がグッズ部門からデジタルゲームの企画部に異動するきっかけを作った人物でもある。古くから『ドラゴンクエスト』に続く主要タイトルを作り上げることを目標として掲げており、齊藤氏は今回のインタビューにて、そんな本多氏が退任する2018年までに『ニーア』IPを育てられたことを誇りに思っていると語っていた。

ーー『ザ ・フィアー』のクライマックスでもシューティングになるじゃないですか。それが『コンバットクイーン』に受け継がれたのかな?と思ったんですが。

齊藤:
ハハハ!全くないです。開発会社も違いますし。

 

オンライン運営の基礎を築いた『クロスゲート』

J:
『MaildeQuest(メールでクエスト)~虹色の夜~』(*)(のちに『みんなdeクエスト -那由多の道と異界の扉-(なゆたのみちといかいのとびら)』に改名)はいつ出したんだっけ?

*『MaildeQuest(メールでクエスト)~虹色の夜~:2001年にサービスが開始された多人数型ファンタジーRPG。ウェブブラウザでサーバーにアクセスしてキャラクターに指示を出すと、その結果がメールで返ってくる。30日300円の利用権で手軽に遊べるのが特徴であった。

齊藤:
『クロスゲート』発売直前です。当時PCショップまで行ってPCゲームを買ってもらうのはめちゃくちゃハードルが高かったので、まずはPCを持っている人ならば絶対に持っているウェブブラウザとメーラーで遊べるRPGを作っておきたいという意図があったんです。当時のソニー・コンピュータエンタテインメント(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)さんがやっていた「ゲームやろうぜ!」というゲーム開発者発掘企画で、ウェブゲームを作っていたリンドブルム(Lindwurm)という開発チームがあって、そこにダイレクトに連絡を取って作ったのが『MaildeQuest』です。

J:
『MaildeQuest』はめっちゃハマった。あれは面白かった。

齊藤:
当時はアイテム課金とかがなくて、月額300円だけでしたけど、もっと売上を出す方法があったかもしれないですね。

J:
メールで届いて結果がわかるという仕組みがよかった。

ーー今だと、なかなかピンとこないシステムだと思うんですが、実際、どういう仕組みだったんですか?

齊藤:
1日2回ウェブブラウザにアクセスして、自分の行動を入力すると、その行動の入力結果がメールで返ってくるという仕組みです。バトルで終わる日もあれば、冒険のフラグが立つと小説のような文章が返ってくる日もあります。

ーーヒットしたんですか?

齊藤:
ウェブブラウザでやっていた人はそんなに多くはなかったと思いますが、そのあと携帯電話向けに展開して結構な数の方に遊んで頂いたと思いますよ。

J:
『クロスゲート』(*)の方は台湾でヒットしたんだよね。齊藤さんが何度も台湾に行ってたのを覚えてる。

*クロスゲート:2001年にサービスが開始されたMMORPG。ほのぼのとした世界観の中、最大5人パーティーでのターン制バトルが楽しめた。国内サービスは2007年に終了したが、中国・台湾などではさらに長く愛されるタイトルとなった。

齊藤:
日本で稼げないと思って、自らカバンにノートPC入れて売りに行きました。小林と一緒に。韓国なんてW杯前だったので看板に英語とかが一切書いてなくて。ハングルだけ。なのに3日くらい経つと「カルビ」っていう字がなんとなく読めるようになる(笑)

J:
小林さんは今海外タイトルをみていますよね。彼は齊藤さんに連れられて回った経験があるから、そのあとスクウェア・エニックス中国に行って。そして海外タイトル専用レーベルの「エクストリームエッジ」に。だから小林さんの将来を決めたのは齊藤さんみたいなもんだよ。

齊藤:
ハハハ。

J:
あのころは本当に海外飛び回ってたよね。

齊藤:
そうですね。中国では2000万ダウンロード達成ということで、行った甲斐がありました。

J:
ゲームの発売後は海外に行って何をしていたんですか?

齊藤:
今でいうファンミーティングですね。ファンの人が継続的に遊んでくれているので、開発者が行って話してくださいという流れだったと思います。当時もうブロガーという言葉があったか定かではないですが、ゲームを広めてくれる人たちを食事に呼んで盛り上げましょうという会です。『クロスゲート』は今でもサービスしていますよ。スマートフォン向けにもリリースして、この間はそれの発表会に呼ばれて行きました。あと『クロスゲート』を学生時代に遊んでくれた人たちが、中国のゲーム会社の要職にいたりもします。

ーー韓国では『クロスゲート』が発売された当時からオンラインゲームの人気がありましたよね。

齊藤:
ありましたね。韓国でも発売したんだけど、すでに勝てる土壌ではなかったです。それでもある程度は売れましたが、台湾・中国の方が圧倒的に売れました。

ーーそもそも『クロスゲート』はどうやって企画が始まったんですか?

齊藤:
『ウルティマオンライン』とか『ディアブロ』をめっちゃ遊んでいて、新聞を読んでいたら日本でオンラインゲームを開発している会社があるという記事があって、「(北米が相当先行しているジャンルなのに)こんなバカなことを真剣にやっている会社がある、嬉しい」と思ってコンタクトを取りました。半年くらいかけて本多を口説いて、出張を許して貰って大阪に行って話をしたらめっちゃすごくて。当時からブラウザだけでMMOを作っているような京大生がいたんです。中嶋謙互(*)という天才プログラマーです。彼らは当時日本システムサプライという会社で『ストーンエイジ』というMMORPGを独自に作っていました。知る人ぞ知るゲームですよ。『ストーンエイジ』と、セガの子会社(ネクステック)が作った『ダークアイズ』は、日本の商業MMORPG黎明期において双璧を成す作品です。

*中嶋謙互:2010年までコミュニティーエンジンの代表取締役/CEO。現在はモノビット取締役CTO。

ーー『ウルティマオンライン』や『ディアブロ』はアシスタントプロデューサーの仕事をしながらやっていたんですか。

齊藤:
そうです。家に帰らず会社で『ディアブロ』『エイジ オブ エンパイア』『Doom』『Rainbow Six』らへんをやっていました。『エイジ オブ エンパイア』は負けた人が晩飯に牛丼を買ってくるみたいな謎なお約束がありました。

J:
夜にゲームで遊んで、そのあと飲みに行って、でも朝方ちゃんといるという、わけがわからない生活をしてましたよね。

齊藤:
夜中に仕事をしていると遠くから「ブォーンブォーン」という戦いが始まる音が聞こえてくるんですよ。当時はみんなMacで、社内LANで遊んでました。

ーーRTSやFPSをエニックスから出す動きはなかったんですか?

齊藤:
FPSではないんですが、対戦シューティングは地味に作っていました。『ポップンタンクス!』です。当時コンシューマーでは小さいキャラクターのゲームは売れないと言われていて、RTSが面白いことはわかっていたけれども作る人がいなかったんです。そもそも日本でRTSをちゃんと作れる会社はそうそうなかったですし。

 

ーーーパート3、『DQ』『ニーア』シリーズの話題に続く

 

スクウェア・エニックス合併とともに始まる『ドラゴンクエスト』との関わり

J:
それから2003年にスクウェアと合併して、第10開発事業部部長になってからしばらく齊藤さんの名前がクレジットされたゲームがないんですよね。

齊藤:
プロデューサーはできなくなっちゃったんですよ。それが嫌で今は事業部部長をやっていないんです。

J:
エニックスでモバイル部署をやっていたから、モバイル事業部長も兼務していたよね。あの当時、夏野剛さん(当時のNTTドコモ マルチメディアサービス部部長。現ドワンゴ代表取締役社長)を紹介してくれたのは齊藤さんだった。

齊藤:
夏野さんには、『DQ』と『ファイナルファンタジー』(以下、FF)を全面的にドコモに投入するから、広告を全部『DQ』と『FF』にしてとお願いしていました。

ーー齊藤さんと、ゲームとしての『DQ』との関わりはそれが最初なんですか。

齊藤:
その前に着メロや待受画像の責任者をやっていました。当時売上が数千万円しかなかったのに、3年で数十億円にしろと言われて。頑張って達成しましたが。

J:
そっちに集中していて、しばらくプロデューサーという肩書きではゲームを出していないですよね。

齊藤:
直接にはタイトルを持たず、いわゆるエグゼクティブ・プロデューサーみたいな肩書きになっていました。そのあと『DQX』を始めることになって、さすがにモバイル事業部部長は兼務できないといって途中で辞めたんです。

J:
でもあれって、最初は『DQX』ではなかったじゃない。

齊藤:
最初は『DQIX』でした。俺はナンバリングにしないんだったらやらないと最初から言っていて。

J:
時間がかかったから『DQX』ということになったんだっけ。

齊藤:
違います、ニンテンドーDSが売れて、DS版のDQを先に出すという話になって順番が変わったんです。『DQX』のディレクターとプランナーを何名か『DQIX』に投入して。その間に細々と設計をしていました。『DQIX』は制作期間が当初の想定よりかかってました(泣)

J:
当時オンラインゲームを作れる人が『FF』のオンラインチーム以外には齊藤さんしかいなかったから、担当になってものすごく腑に落ちた。

齊藤:
よく俺がやったからオンラインになったと勘違いされるんだけど、そうではなくて、オンラインの『DQ』を作って欲しいと言われたから俺がやったんです。

ーーそれは堀井さんの判断なんですか。

齊藤:
堀井さんと千田幸信さん(*)かな。

*千田幸信:スクウェア・エニックス・ホールディングス取締役の千田幸信氏。『ドラゴンクエスト』生みの親の一人であり、初代『ドラゴンクエスト』の「ゆきのふ」のモデル。『ドラゴンクエストVII』までプロデューサーを務めていた。

J:
『DQX』が始まる前までは結構キツかったですか?自分でタイトルを持てない辛さというか。

齊藤:
エニックスの中に社内開発経験のある人がいなかったから、スクウェア・エニックスとして開発チームを作るのがめっちゃ大変で。他のチームをぶっ壊して自分のチームを作らないといけないので。

J:
齊藤さんは会社の人とかとよく飲みにいくので、あのころ周りの人から「齊藤さんがヤバい」と聞いていました。そういう悩みがあったんですね。

齊藤:
ありましたよ。チームを作ることがめっちゃ大変だし、エニックス時代は自分の部下は多くても20人でしたが、それがいきなり200人を超えるんですから。だからこそオフィスのブース、パーティションを休みの日にチェーンソーで全部削り取りたいと思っていました。顔が見えないまま仕事なんてできないと思って。

J:
そうやって苦労して始めた『DQX』から、自ら身を引くと言ったのは衝撃的でした。『DQX』のプロデューサーを自ら降りるという選択肢は普通しないじゃないですか。

齊藤:
それは俺がプロデューサーとして残り続けたら、部下たちが「こいつ、いつになったらどくんだろう?」と思うだろうなと。いうてもあと10年は仕事をするだろうから。部下たちよりは経験値があり、新しいことに挑戦して成功しやすいはずということで、横にどきました。若い人たちが、安定した収支がある中で経験を積めるようにしたかったんです。『DQ』や『FF』というのはそういうIPだと思っています。若い人たちにとって最大の勉強の場。もちろん会社にとってのパイプラインだとは思っているけど、めちゃくちゃやらなければコケないタイトルだし、若い人たちが入ることでまた新しいものが生まれる可能性が広がる。そこで経験を積んで、その経験をもとに横スライドして、新しいIPなり新しい会社としての貢献ができるような立ち位置にいけるようにしてあげたいんです。

 

ヨコオタロウの才能を活かしたかった

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J:事情があって『ニーア ゲジュタルト/レプリカント』からヨコオさんとゲームを作るようになったよね。でもその前の2007〜2008年くらいのときから、ヨコオタロウは才能があるからなんとかしたいと言っていたのを覚えています。

齊藤:
うん、続けてあげたいって。

J:
たしか海外の要望で、海外向けに別パターンの主人公を作ることになったんだよね。日本版だと『ゲシュタルト』は父と娘、『レプリカント』は兄と妹という両パターンが残っているけど。

齊藤:
そう、あれはありがたくもあり、大変でもありました。台詞も全部直したからね。

ーーどういう要望があったんですか。

齊藤:
海外販社のマーケティングチームから、細腕のかわいい男の子が大剣で敵を倒すなんてありえないと言われたので、ムキムキマッチョにしたんです。

J:
JRPGに向かい風が吹いている時代だったからね。嫌ではなかったの?

齊藤:
それを理由に開発期間を伸ばせるという俺の中での目論見はありました。その時点ですでに遅延していたので。

J:
あれはやっちゃいけなかったんじゃないかと個人的には思っているんだけど、どうですか?

齊藤:
いざ発売してみると、日本のままの方が良かったと言ってくれる人も海外にはいました。もちろん、お父さんと娘の話が良いと言ってくれる人もいますよ。でも、そうした『ゲシュタルト/レプリカント』の経験があったおかげで、『オートマタ』では日本でやりたいようにやろうと思えたんです。告知タイミングや体験版のリリース時期の話まで、海外の言うことを聞かずに全部俺が決めました。

ーーヨコオさんはどう思っていたんですか。

齊藤:
不満はなかったようですよ。畏まって話したことはないんですが(笑)。もともと父娘設定という案も無かったわけではないので。

 

限られた広告宣伝費でも大ヒットした『ニーア オートマタ』

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齊藤:
その後、『DQX』の運営が始まって稼げるようになったタイミングで、ずっとやりたかった『ニーア』の続編をやりたいなと思って。稼いでないと自分がやりたいことをやっちゃいけないという考えを持っていたので、担当するタイトルのひとつは稼げる作品、もうひとつは稼いだ結果として自分がやりたいことをやるようにしています。

J:
『ニーア オートマタ』が出る前の2016年あたりからMetacriticの傾向が大幅に変わりました。『ペルソナ5』を筆頭とした日本のタイトルが高く評価されるようになった印象です。

齊藤:
「ペルソナパイセンに続けぇ~〜」てずっと言ってたもん。

J:
海外メディアに理由を探ってまわったら、どこもあのタイミングでレビュアーが変わっていたんです。JRPGを卑下していた人たちから、JRPGが大好な若い世代に切り替わって、点数が変わったんじゃないかと。タイミング的にも2017年2月23日(北米は3月7日、欧州は3月10日)はベストな発売時期だったと思います。

齊藤:
でも実は絶望を感じてましたよ。まず上田さんの『人喰いの大鷲トリコ』(2016年12月発売)が思ったよりも振るわない。そのあとの『GRAVITY DAZE 2』(2017年1月発売)も厳しくて。凄くよく出来ている2タイトルが思っていたよりも苦戦していたから『ニーア オートマタ』もやばいかもと思って発売日を発表したら、翌週に『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』(2017年3月3日発売)と『Horizon Zero Dawn』(2017年3月2日)がきて。「アカン!ペンペン草も生えない!」と青白くなっていたら、その2作品が市場を活性化してくれて、良くも悪くも引っ張られる形で『ニーア オートマタ』も遊んでもらえました。

J:
マーケティングの段階で、とにかくたくさんの動画を出していましたよね。

齊藤:
動画は頑張りました。とにかく広告宣伝費が少なかったので。

J:
ただ結果として動画戦略は正しかったと思います。時代は絶対に動画。『ニーア オートマタ』が売れた明確な理由は3つあると思っていて、まずは『ニーア』の続編を作ろうと思った勇気。根強いファンがいたとはいえ、売れていないゲームの続編を出す判断をしたのは凄いです。2つ目が動画戦略で、3つ目が吉田明彦さんの起用。吉田さんを持ってきたときに凄いなと思いました。

齊藤:
現場からはいろんな提案が出てたんだけど、俺の中ではオンリーワンで吉田さんにお願いしたいと強く思っていて、Cygamesさんに突撃して頭を下げました。

J:
それにしても吉田さんの絵はしびれた。

齊藤:
前作のD.Kさんの絵も好きなんです。だけど世界で戦うんだったら、悪い言い方ですが、クオリティだけでなく名前である程度お客さんを連れてこれる人がいいなと思っていて。絵の描けるゲームデザイナーの中で一番は誰かといったら吉田さん。あとアクションとしての面白さを伸ばそうと、プラチナゲームズに開発をお願いしました。この2つが前作から補完しなくてはいけないことで、それが担保できた時点で俺の仕事は9割終わったようなものです。あとは広告宣伝費が無い分、ヨコオさんに顔を隠してでもいいからメディアに出て貰うというのが最後のタスクでした。

 

ヨコオタロウとプラチナゲームズの化学反応

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J:
あそこでプラチナゲームズを持ってきたのは、かなりのギャンブルだったと思います。

齊藤:
いろんな意味でね。尖っているし、好きな人が好きなゲームを作る会社だから。ヨコオさんとは職人と職人のぶつかりあいでブレイクする可能性もあると思っていました。半年間でブレイクするんだったらプリ・プロダクションの費用を諦める覚悟はありました。そしたら意外とハマったんです。

J:
今は半年間のプリ・プロでどのくらいかかるものなんですか?

齊藤:
HDゲームだったら1億~数億です。プラチナゲームズとちゃんと仕事をするのは初めてなので、どこまでできるのか見極めたいということで、モブ戦、ボス戦、カットシーンをワンステージ分作ってもらいました。一番最初の廃工場のエンゲルス戦までです。実はあそこはプリ・プロで作ったものがそのまま製品版の最終形になっています。もちろんグラフィックなどはまだ仮のものでした。

J:
プリプロの費用を捨てる覚悟でやったのは凄いですね。

齊藤:
ヨコオさんには、やるんだったら(プラチナゲームズのある)大阪に行ってくださいとお願いしました。プラチナゲームズさんには、ヨコオさんの席を作ってくださいと。ヨコオさんは両手をあげて「行きます」と言ってくれましたよ。たぶん単身赴任がしたかったんじゃないかな(笑)

J:
プラチナゲームズもよく条件を呑みましたね。

齊藤:
初めての試みですよ、外からディレクターを入れるというのは。でもプラチナゲームズの中には『ニーア』ファンがいっぱいいたんですよ。あの世界観が好きな人たちが。あと、俺とヨコオさんの最近のモチベーションは若い世代を育てることで、若い人たちに自分が教えられることを伝授したいというヨコオさんの想いともうまくハマったんだと思います。特に田浦貴久くんとの相性が良くて。

東京と大阪で離れていましたが、千田さんからの「顔を付き合わせて話せ」という教えもあって、月に1回は大阪に行ってヨコオさん、田浦くんたちと欠かさず会うようにしていました。

J:
齊藤さんは現場にあまり口出ししないですよね。

齊藤:
最初に何を作るのか、どの期間で何をするのかというところだけは言いますが、それ以外は余程のことがない限り口出ししません。ほぼほぼプリプロの期間に言いたいことは言いきるようにしてます。「キャラクターは具体的にはこうしてください」と言った瞬間にディレクターはやる気を失うだろうから。もちろん求められたらアドバイスはしますよ。そういう意味もあって、ゲームを作る上でプロデューサーはオススメできない職業だと思っています。モヤモヤすること多いですし。

J:
でも、提出されたアセットがイメージと違うものだったら、変えてくださいとは言いますよね?

齊藤:
俺は気になったけどヨコオさんは気にならないという場合は、そのままOKにしています。最終決定はディレクターです。

J:
それは自分の経験則から生まれたものなのか、誰かから教わったものなのか、どっちですか?

齊藤:
ゲームフリークと一緒に『BUSHI青龍伝~二人の勇者~』を作ったときに、ファミ通のレビュー点数がイマイチだったんです。その経験があったから、俺よりも面白いゲームを作れる人がいるはずだから、その人たちが頑張れる環境を作る方が俺には向いていると思えたんです。

J:
あと『ニーア オートマタ』といえばケツ。

齊藤:
「2Bのケツ」というワードで一回バズりましたね。海外で悪いバズり方をしました。ただ、今でも海外のゲームイベントに行くとヨルハ部隊のコスプレをしてくれる方がいっぱいいてくれて、ありがたいです。

J:
コスプレしやすいデザインにしてとはオーダーしたんですよね。

齊藤:
俺が吉田さんに唯一お願いしたのは、コスプレしやすい衣装にすることです。コスプレイヤーが自分で作れる範囲でアイデンティティを出せるよう、シンプルなフォルムで、細部(刺繍とか)に凝って欲しいと伝えました。それをしっかり実現してくれた吉田さんは本当に凄いです。そんなオーダーをしたって、実際に上手く落とし込んでくれる人はそうそういないですし。

 

ヨコオタロウは丸くなったのか

J:
ヨコオさんって本質は変わってないんだけど、いいクリエイターになったなと凄く思うんです。

齊藤:
うん、なったと思うよ。いまだに大変な部分はあるけど。

J:
いや、昔はもっと大変だったのかなと。でもヨコオさんはもの凄く良いクリエイターとしての歳の取り方をしていると思っていて。そうした歳を重ねたことでの変化って、ゲームに影響するのかな。

齊藤:
例えばヨルハの舞台は最初ほぼ全員死んでたんですけど、回を増すごとに死ぬ人が少なくなっていきました。それは多分、ヨコオタロウが丸くなっている証だと思うんですよ「生き残る人が増えている!」って。

J:
ヨコオさんってなぜ舞台やろうと思ったんでしょうか。

齊藤:
舞台が好きみたいですよ。ヨコオさんってもともとゲームデザイナー体質じゃないですし。

J:
グラフィックですよね?

齊藤:
それもそうだけど、ヨコオさんが最後の最後までこだわるのは演出です。カット割りと音が鳴るタイミングとか。『ニーア オートマタ』ってゲーム中も地味にいろんなことをやっていて、バトルで最初に攻撃した時点からBGMが始まったり、ダメージが一定量になったところから第2トラックが流れ始めたりとか。それはヨコオさんの指示です。曲の作り方も特殊だし。

J:
誰にも気づいてもらえないこだわりですね。あとヨコオさんの真骨頂は『ニーア ゲシュタルト/レプリカント』の2周目だと思っています。

齊藤:
そうかもしれません。『ニーア オートマタ』でいうCエンドあたり。『ニーア ゲシュタルト/レプリカント』は1周目だけで遊び終えた人が結構いるんですけど。ヨコオさんの本質は、何が善で何が悪なのかわからない世界だと思います。

ーー『オートマタ』は、前作と比べて年齢層が下がって、ジュブナイルっぽくなったという印象を受けました。

齊藤:
前作は一応、人間なのかマモノなのかという設定があったんだけど、『ニーア オートマタ』では、機械生命体は宇宙人が作りだしたものだと自分たちで自覚していて、アンドロイドは人間たちの手先として動いているわけで。どちらが善でどちらが悪なのかというのが無い上に、アンドロイド同士で殺し合いが始まるということで、前作よりもよっぽど救われない話だなと思っていました。こんな話、本当に受け入れてもらえるのかと心配でした。前作の方がはるかにわかりやすい話だと思いますよ。

 

若手に現場を委ねた『ドラゴンクエストXI』

J:
『DQX』と『ニーア オートマタ』をやりつつ、どうしてまた『DQXI』もやることになったんですか?

齊藤:
完成しないからやってくれと言われたんです。自遊空間のスライムルーム立ち上げで京都の旅館に泊まっていたら夜に三宅さんがきて、『DQXI』をやってくれと頼まれたんです。開発はずっと続いていたのに、ほぼ全部捨てなきゃいけないものしかできていなかったんですよ。

J:
よく引き受けましたね。

齊藤:
死ぬかと思いましたよ。『DQX』絶賛運営中ですよ。

J:
ということは、既存の素材を活かしつつ作ったということですね。

齊藤:
いや、なにもなかったよ。とりあえずUE4で『DQIII』を作ってみようということで、『DQIII』の一部マップとキャラクターができてました。

J:
キツいですね。

齊藤:
あと『DQXI』に関しては、アシスタント・プロデューサーに誰をつけるか聞かれたときに、岡本北斗(PS4版プロデューサー)と横田賢人(3DS版プロデューサー)を選んだんだけど、「アシスタント」ではなく俺と横並びのプロデューサーにしてくださいと言いました。途中でプロデューサーが代わるなんて一大事に見えてしまいますし、そこに「アシスタント・プロデューサー」なんて肩書きで仕事を与えられたら、俺がそういう立場だったらやる気なんてこれっぽっちも起きないから。俺が全部ケツを拭くから、その2人をプロデューサーという肩書きにしてくれという条件を会社に伝えました。

J:
横田くんはプロデューサー未経験?

齊藤:
『DQXI』が初のプロデュース作品です。デバッガーあがりで、それまでドラゴンクエストの広報チームに所属していました。岡本の方は『シアトリズム ドラゴンクエスト』とかちょっとやっていました。

J:
それは凄いね。なぜその2人にしたんですか。

齊藤:
両方ともアシスタント・プロデューサーのような立場で関わってはいたんです。三宅有(*)からは、経験者がいた方がいいからと、外から連れてくることを提案されたのですが、経験者がやれることは俺がやれるので、現場に張り付ける若い2人という意味では岡本と横田が良いと言ったんです。

*三宅有:スクウェア・エニックス取締役兼執行役員。『ドラゴンクエストVIII』以降、シリーズのエグゼクティブ・プロデューサーを担当している。

シルビアと「ユア・ストーリー」について思うところ

ーー話は変わりますが、『DQXI』のキャラクターのシルビアからは、ゲームにおいて多様性を尊重されていることを感じます。

齊藤:
もちろんです。主人公チームにいて活躍することはいいことだし、シナリオチームから見せてもらったとき、ぜひ入れて欲しいと思ったキャラクターです。

ーーシルビアが女性仲間キャラクターたちとショッピングにいくシーンで、男性仲間キャラクターが「まったく あの女3人組は どうしようもねえな……」と自然に受け入れているのがよいですね。

齊藤:
本名ゴリアテだしね。騎士団の息子として生まれて、親父がめっちゃ厳しかったという背景があって、シルビアになりました。実はシルビアだけは世界を救うという使命感では動いていないんですよ。シルビアだけは、勇者についていくという宿命を負っていないのに、ついて行くんです。格好良くないですか。俺はマルティナ推しですが。

ーーそれはどうしてですか。

齊藤:
マルティナは昔勇者くんのことを守れなかったトラウマをずっと抱えながら、最後に滝から落ちるときに今度ばっかりは絶対にあなたのことを守るぞと言ったところがめっちゃカッコいい。

J:
シルビアもマルティナも堀井さんのOKが出てるんでしょ。

齊藤:
もちろんです。

ーー堀井さんがOKを出すところとNGを出すところの境界線は何だと思いますか。

齊藤:
堀井さんは嫌なことは嫌と言った上で、ゼロにする方向には持っていかないんですよ。プログラムの経験があるから、そこの苦労をわかっているんです。他の方法で実現する方法はないのかと話してくれるので、やりやすいですね。そういう意味では、堀井さんとヨコオさんは近いなと思っています。ヨコオさんも、できることとできないことをわかった上で、これならばできるんじゃないと言える人。でもちゃんとしているので、相談しないで勝手にやると怒るんですが。

J:
その2人が近いってのは意外な話ですね。ところで「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」はどう思っているんですか?

齊藤:
賛否両論あるのはしょうがないけど、個人的には、絵が最高に良いなと思いながら見ていました。制作の白組はやっぱり凄いなと。だったらあのルックスの『DQ』を、ゲームとして一回やってもよかったんじゃないかと思っちゃうくらいには。

*2019年6月に公開された、「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」の予告編

J:
鳥山明さんじゃない絵ということですか?

齊藤:
そう。もちろん「ドラゴンボール」はワールドワイドで売れているし、鳥山明さんは大好きなんだけど、それは『DQVIII』でやって結果が出ているわけじゃないですか。だったら「ユア・ストーリー」のように違うルックスで一度挑戦してみるのもアリなんじゃないか、それをもっと昔にやればよかったのになと。映画だから良いんだと言われると、確かに一理あるかもしれないけど。

 

ーーーパート4、アイドル育成や『THE QUIET MAN』に関する話題に続く

 

アイドル育成という新たな挑戦

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J:
『DQX』から身を引いて、『DQXI』が落ち着いたあとに「GEMS COMPANY」(*)が発表されたけど、『ユーラシアエクスプレス殺人事件』をやったから「GEMS COMPANY」に繋がったのか、その前からそういう考えを持っていたのか、どっちですか?

*GEMS COMPANY(ジェムズ カンパニー):齊藤氏がプロデュースしている、ディアステージ所属のアイドルグループ。通称「ジェムカン」。現在12人の個性豊かなアイドルが所属している。2018年4月から各自YouTube上で活動を開始。同年8月に齊藤氏のアイドルプロジェクトであることが明かされた。

齊藤:
実写ゲームのことは何も考えてなかったですよ。2015年ごろに初音ミクのニューヨークライブを見たとき、新しい時代がきたと思って電撃が走って、「これをリアルタイムでできたらもっと凄い」と思ったんです。

そのときはまだ『DQX』をやりながら『DQXI』もやってと言われて、『ニーア オートマタ』も作っていたこともあり、頭の片隅に置いていました。そして『DQXI』の開発が終わるタイミングで、スタッフを何人か使って、どこまでリアルタイムでCGを動かせるのか検証したんです。すると意外と動かせることがわかったので、収支を見ないR&Dとしてやりたいと会社に話してプロジェクトを始めたんです。

J:
でも、昔から芸能事務所って面白いよねという話はしていましたよね。

齊藤:
ちょっと違って、生まれ変わったら芸能人のマネージャーになりたいとは話していました。ゲームをプロデュースするのと芸能人をプロデュースするのは同じだなと感じたことがあったから。

J:
実写作品でアイドルを起用した経験が、今のGEMS COMPANYに活かされていたりしないんですか?

齊藤:
活かされていないです。ひとつあるとしたら、キャラ付けのバリエーションですね。実写作品のキャスティングのときも、眼鏡っ娘、ボーイッシュ、神秘キャラ、明るい子といった風に分けていました。GEMS COMPANYでも、12人のキャラを分けるという意味では同じ方法を使っています。

J:
それはいわゆる推しメンができやすい構成ということですか?

齊藤:
はい。たくさん用意していればどこかで刺さる。

J:
では、そのR&Dとしての目的は何ですか?

齊藤:
デジタルのエンターテインメントはゲームだけじゃないということを証明したくて。VTuberという言葉が生まれる前からやっていたので、「なんだみんな考えることは同じじゃないか」と思ってちょっと嬉しかったです。

J:
あれを作ったのは『DQXI』のスタッフ?

齊藤:
そうです。贅沢です。

 

インドネシアで100万再生を達成

J:
最初のころってスクウェア・エニックスの名前を出さずにやっていましたよね。

齊藤:
出さないで彼女たち個人のクオリティやポテンシャルがどれくらいか見ておきたかったんです。オーディションをしたときには、かわいくて一人語りができる子を募集して、700人くらいの中から選びました。

J:
ステルス期間はどれくらい?

齊藤:
4月からスタートして8月発表なので4か月ですね。

J:
そのときにはもう手応えがあったんですか?

齊藤:
ツイッターで5000人くらいフォロワーが付いていて、その中で俺のこともフォローしている人は1人とか2人くらいしかいなくて。それを見て「いけるぞ」と思いました。仮に俺が最初に「アイドルを作ります」と言っても、俺のフォロワーが流れて終わるだけだから。5000人って、フォロワー数としては少ないんだけど、5000人が愛してくれるコンテンツを作れたら強いですよね。5000人が1万円払ってくれたら5000万円になるわけで、今はそういう時代だと思っています。ファンを作るだけでなく、いかに深掘りできる人を作れるかが重要なんです。YouTubeとかも宣伝すると視聴数を一気に増やせることは知っているんですよ。でもそれはファンの質が落ちることに繋がりかねないので、俺が個人的にやりたくないんです。一年経過したので、この後どこかで試験的にやってみたいなとは思いますが。

J:
YouTubeはどれくらい人が集まっていますか?

齊藤:
12人の中で一番チャンネル登録者数が多い子で2万5000人くらいです。全部合わせると、どう低く見積もっても8万人ですね。クリスマスに350人の会場で5回公演をやるんですけど、あっという間に売れ切れました。今後、メジャーCDも出す予定です。それこそ渡辺さんが今ライブエンターテインメントみたいな部署を立ち上げていて、そこと一緒に何かできたらいいなとは思っています。

あとは直接的な利益ではないですが、GEMS COMPANYをはじめてから、ゲームでは取材を受けないようなメディアさんからも取材回数が増えたのは会社として考えれば良いことかなと。

J:
CGで作ったアイドルって国境の垣根がないじゃないですか。

齊藤:
インドネシアで100万再生いったんですよ。日本で5万再生くらいなのに。それがちょっとびっくりでした。

J:
ですよね。だから国内よりも海外の方が可能性があるのかなと思っちゃって。オンラインのいいところって、手応えがすぐにわかるところじゃないですか。だから海外で手応えを感じたときに、商業的な可能性がもうひとつ出てくると思うんです。

齊藤:
まだわからないですけどね。

 

『THE QUIET MAN』のプロデューサーを引き取った

c 2018 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

J:
あと気になっているんですが、『THE QUIET MAN』ってあったでしょ。あれは齊藤さんの流れを汲んでない?結構叩かれてたけど、チャレンジ精神があって俺は凄い好きなんですが。

齊藤:
『THE QUIET MAN』は俺も好きだから、プロデューサーの藤永くんは今うちのチームにいます。もっとやれることはあっただろうなと思ったの。なんとなく気になって見てたんだけど、もったいないなと思うところがいっぱいあって。

J:
いや、あれコンセプトはめっちゃ面白い。ついにスクウェア・エニックスからこういうのが出てきたかと思って感動を覚えたくらい。

齊藤:
ゲームが面白いかどうかではなく、あれを完成させるところまで持っていったことが素晴らしいと思いました。そこを評価しています。

J:
でも、めっちゃくちゃ叩かれたじゃないですか。何がダメだったの?

齊藤:
話を聞いている限りでは、ディレクターがゲームを作りきれなくて、プロデューサーの藤永くんがゲームの中身を作ることになったのがダメだったのかなと。

J:
なるほどなぁ。藤永さんは『THE QUIET MAN』が終わってから異動したんですか?

齊藤:
そうです。ああいう新しいことをやろうとしている人は嫌いじゃないので。『THE QUIET MAN』をもう一回やって貰おうとは全く思っていないんだけど。

AUTOMATONでは『THE QUIET MAN』の藤永健生氏ロングインタビューを掲載している(前編後編

 

遺作は実写タイトルにしたい

ーーまた新たに実写ゲームを作る予定はないんですか?

齊藤:
もちろん、やりたいとは思ってますよ。それこそ、部下にやって貰いたい。舗装はされていないけど、エニックス時代に作った道はまだ残っているので。

ーー齊藤さん自らが実写ゲーム作りに復帰する可能性はありますか?

齊藤:
最後のプロデュース作品は実写タイトルにしたいです。遺作。

J:
それは映画とかではなくゲーム?

齊藤:
うーん、デジタルエンターテインメントとしてです。

ーー「ブラック・ミラー:バンダースナッチ」はどう思いました?

齊藤:
めっちゃいいなと思いました。20年くらい前の、それこそ『ユーラシアエクスプレス殺人事件』のころから、電車を一両貸し切ってやるイマーシブシアター形式のエンタメをやりたいと思っていました。貸し切った車両の中で、役者さんが殺人事件を起こし、そこに乗り合わせた乗客が終着駅までに犯人を当てるんです。

あとパクられてもいいから誰かにやって欲しいのは、複数のストリーミング系サービスが横軸同時展開で同じ世界の物語を始めるというアイデアです。例えばU-NEXTの番組で殺人事件が起きる時刻の隣の部屋の物語が観れて、Netflixの番組では殺人事件が起きた時刻の全く別の場所で何やら意味深な話をしている。AmazonPrimeではまた違う場所でのドラマが始まっている。それら全部を横軸で見ないと何が殺人事件にかかわってくるのかわからないんだけど、普通の環境だと同時には全て観れないので、SNSやらでみんながリアルタイム実況することによって推理できる。そんなマルチチャンネルのザッピングドラマがあったらいいなと。イマーシブシアターはビジネスとしてみると、場所的なキャパシティが上限になっちゃうんだけど、ストリーミングサービスを使った体験であればそうはならないし。あと、例えばホテルを舞台にしたドラマであれば、出資額によって各ストリーミングサービスが確保できるシナリオ・役者が配分されるみたいにできたら面白いなと。

J:
最後、プロデューサーの下心がちょっと出てる(笑)

 

現在も複数のプロジェクトが進行中

J:
『THE QUIET MAN』の藤永さんを引き取っているし、他にも何かやっていますよね。

齊藤:
仕事はめっちゃありますよ。新作だと『バビロンズフォール』(プラチナゲームズ開発)がありますし。

J:
ということは2019年から情報を出していくという話は守れるんですね?

齊藤:
そうそう、それは守る。あとはヨコオさんとやっている『ファイナルファンタジーXIV』の「ヨルハ:ダークアポカリプス」。他にもいくつかのプロジェクトが動いています。今はそれぞれのプロジェクトに現場のプロデューサーがいますが、まだ完全に手放せるほど安泰ではないです。

ーーニコ生でヨコオさんの新作に触れていましたよね。

齊藤:
それは新しいもののうちのどれかです。

J:
やっぱり忙しいですか?

齊藤:
日によりますが、朝10時から夜8時までぶっ続けで会議の日もあります。空いている日もありますが。どちらかと言うと夜の時間が会食や出張などで2か月前から埋まってしまうのがキツいですね。

J:
夜が全部潰れるのはキツいなー。

 

ーーーパート5、人狼や正体隠匿系の非対称マルチプレイゲームに関する話題に続く

 

人狼は癒し

J:
仕事の話ではなくなるけど、最近凄く人狼に傾倒してますよね。あれはなんでですか?

齊藤:
人狼ゲームは俺の心の安らぎです。最初はカラオケ屋とかでやることがなくなったときにやっていて、そのうちゲームクリエイター人狼会に誘われるようになったんです。

J:
最近はめっちゃやってるでしょう?。

齊藤:
「アルティメット人狼」っていう、将棋の棋士とか麻雀のプロとか役者とか文化人と一緒に人狼ゲームをやる番組があるんだけど、そこに一回呼ばれたんですよ。最初ナメて行ったらボコボコにやられて。それが悔しくて、めっちゃ練習して。第6回のときに出させてもらってMVPを取りました。

J:
その後、結構出ていますよね。あれは興行形式になっているんですか?

齊藤:
俺はイベントとかでゲームのPVを流してもらっているんです。だから俺はギャラなんかもらっていないです。あくまでも宣伝目的で出てます。

J:
なんで他のゲームじゃなくて人狼だったんですか?

齊藤:
24時間365日仕事のことを考えているとパンクしそうになるし、ゲームをやっていても仕事のことを考えちゃうんですよ。でも人狼ゲームをやっているときだけ頭が空っぽになるんです。仕事のことをオンメモリーしておくと勝てないから。一回頭のメモリを綺麗にできるんです。ゴルフに行く時間があればゴルフをやっているとは思うんですけど、朝早く起きてゴルフ場に行くだけで2時間とかかかるじゃないですか。人狼ゲームは2時間あればできちゃうんですよ。自分にとっての癒しです。ストレスを溜めないで済むための手段。そもそも対人ゲームが好きですし、人狼ゲームは遊ぶ人が変わると全然違うゲームになるのでめっちゃ面白いですよ。

J:
仕事もそうだけど、齊藤さんは人と何かをするのがとにかく好きですよね。

齊藤:
ゲームを作るなんて一人ではできないから。あと俺はもともと上下関係を作りたくないタイプで、人狼ゲームは無礼講なのも良いですね。

ーー最近話題のマーダーミステリーゲームはどうですか。

齊藤:
マーダーミステリーもめっちゃやってますよ。1回やったら2度とできないゲームなのでビジネスとしては難しいですが。お客さんの消費スピードを超えて作れたら勝ちだなと思います。

ーーマーダーミステリーの歴史を調べたことがあるんですが、これがなかなか残っておらず謎が多いですね。

齊藤:
諸説あって、アメリカのディナーでオードブルやメインディッシュが出る間の時間にマーダーミステリーゲームをやったと言われてるみたいですね。それが中国で流行って、日本でも流行し始めてる。おしゃれですよね。ディナーを食べながら、執事から「ちょっと今、殺人事件が……」なんて言われると。

ーーそういう20世紀初頭からあったかもしれないものが、日本にこれまでこなかったのも不思議ですね。アナログゲーム制作は興味ないんですか。

齊藤:
マーダーミステリーを作りたいという欲求はあるのですが、今の仕事量を考えたら無理ですね。

 

若手の中では田浦氏に注目

J:
いま、齊藤さんが注目しているクリエイターって誰かいますか?

齊藤:
正直コンシューマーのゲームで凄い面白いと思ったのって、どれもおっさんたちが作ったやつなんですよね。

J:
それはなんでですかね?

齊藤:
若い人にあんまりチャンスが与えられないんじゃないですかね。若手だと、それこそ田浦くんとか良いなと思いますよ。最近は『アストラルチェイン』を作りましたし。凄いですよ田浦くんって。プラチナゲームズとしてここ数年のうちに出したゲームは『ニーア オートマタ』『アストラルチェイン』しかないんですよ。

J:
そっか、両方田浦さんがやったってことか。

齊藤:
『アストラルチェイン』は田浦くんの好みや性格が出まくってますよね。いろんな意味で。SFって時点で人を絞りますし。ただ嫌いじゃない。

J:
では、ここのメーカーが好きだとか、ここの取り組みが面白いとかってありますか?

齊藤:
昔はテクモが大好きでした。『モンスターファーム』『キャプテン翼』『刻命館』など面白いゲームデザインの作品が多いという印象を持っていました。

 

正体隠匿系の非対称マルチが流行ると予想

J:
ここから伸びそうだなと思うゲームのジャンルとかは?

齊藤:
流行ると思うのは正体隠匿系だと思う。俺が人狼ゲーム好きだからじゃないよ。非対称対戦ゲームが今めっちゃ流行っているじゃないですか。それに正体隠匿系を加えたやつです。例えば勇者が4人います。でも実はそのうち1人は魔王です。そこで誰が魔王なのか4人で探り合うようなゲームですね。『Project Winter』という雪山から脱出するゲームがあるんですが、あれは俺、一般人として遊んでます。もっと大人数で正体隠匿系ゲームをやったら面白いなと思っています。『Project Winter』の最大の問題点は、とっつきが悪いことです。俺はチュートリアル嫌いなんだけど、それにしたってもうちょっとあるだろと。せめてシングルモードで練習させて欲しい。練習と呼べるものは、マウスの使い方を学ぶためにロビー画面で雪玉を投げるくらいしかなくて。あれひどいよね。もうちょっとできることを教えてあげたって良くない?って。

* Project Winter:雪山に取り残された生存者8人が、脱出経路を確保するため協力するオンラインマルチプレイ対応タイトル。8人の中の数人には、生存者の排除を目論む裏切り者の役割が割り振られる。サバイバルx心理戦が魅力の一作。Steamで日本語に対応し配信中

J:
海外のインディーゲームのビルドをもらって遊ぶ機会が多いんだけど、シングルモードがないゲームが多いんですよね。

齊藤:
本当に広めたいんだったら入れた方がいいかなとは思います。

J:
国内パブリッシャー目線だと、シングルモードがないと評価できないですしね。

齊藤:
俺も『Project Winter』めっちゃ面白いからオススメしたい。一緒に遊ぶ前提なら、俺が教えてあげられるからいいんだけど。

J:
スケジュールがタイトだから、やっぱり自分で遊ぶゲームは手短に遊べるものが中心になります?

齊藤:
どうしてもそうなっちゃいますね。前は『フォートナイト』を一日一戦してたんだけど、最後の4人くらいになって建築勝負で負けるというのを、ストレスを溜めながら毎日やってました。あとは『Identity V』もめっちゃ好きでやってました。

ーー対戦ゲームが好きなのに、自分で作ろうとは思わないんですか。

齊藤:
遊びたいんですよ。ゲームは作るものではなくて遊ぶものです。

J:
あなたが言うな(笑)

 

プロデューサーは努力あるのみ

J:
さっき「あと10年は働く」と話していたけど、実際どれくらいやろうと思っているの?

齊藤:
ロト6が当たったらすぐにやめたいです。

J:
気持ちはわかるけど当たらないから(笑)

齊藤:
俺は貯金とか大してなくてもいいから、大してない貯金を有効に活用できる、タイとかフィリピンの小島で、自分が食べる分だけ魚を釣って生きていきたい。

J:
いや、そうは言っているけど、齊藤さんはそんなことしないと思いますよ。

齊藤:
インターネット環境さえあればRMTで生きていけます。

J:
またそんな。そろそろ締めにかかるけど、最初に齊藤さんは自分の仕事のことを「何でも屋」「ゲーム屋」と表現していましたよね。そうなるために必要なことを一言で表現するとしたら何だと思いますか?

齊藤:
プロデューサーに限った話じゃないけど、とにかく頑張ることです。運が良ければ何にでもなれるんですけど、運がない人の中でも頑張った人の方がチャンスはくるはずなんで、やれることを一生懸命やりましょう。才能なんていらないです。1万人中9999人は凡才である以上、その凡才の中で頑張った人が勝つと思うので。ただ頑張るのって実は難しくて、コツがあるんですよ。それは……またいつか別の機会に(笑)

ーーお話を聞いていると、齊藤さんはゲームではなく開発者をプロデュースしているようにも思えてきました。

J:
ゲームも開発者もプロデュースしているし、困ったときの齊藤さんというところもありますよね。だからこそ大変だろうなと思います。

齊藤:
疲れましたよ。だからもう宝くじを当てるか、魚を釣って生きていきたいです。

J:
なんだかんだ齊藤さんは長く仕事をしていると思いますよ。みんなから頼られる存在ですし。また機会があればよろしくお願いします。ありがとうございました。

 

 

[聞き手:Koji Fukuyama, J]
[撮影:Ryuki Ishii]
[執筆:Koji Fukuyama, Ryuki Ishii]