『The Beginner’s Guide』レビュー ――今日においてもっとも優れた語りの構造をもつビデオゲーム

『The Beginner’s Guide』は、とてもメタフィクショナルなゲームだ。10月1日にEverything Unlimited Ltd.より発売された。プレイを開始すると、真っ白な画面から男性の声が語りかける。「こんにちは。『The Beginner’s Guide』をプレイしてくれてありがとう。

あなたは見知らぬ他人のコンピューターの前に座っている。いくつかファイルを見ていくうちに、「作ったもの」というフォルダを見つける。開いてみるとたくさんのアプリケーションがある。ひとつを選んで起動する。ビデオゲームだ。一人称視点で、オペラハウスのステージのうえにいくつものピンがあり、触れると弦楽器の音がする。べつのアプリケーションを開いてみる。これも一人称視点のゲームで、たくさんのマネキンに囲まれている。すべてのマネキンの頭は緑色に発光する正六面体で、「FRIEND(味方)」あるいは「ENEMY(敵)」と記されている。

ちょっと考えてみてほしい。このゲームを作った人物はいったいどんな性格で、なにを考え、どのような動機があったのだろう。ベッド・メイキングをするだけのゲーム。宇宙のなかにぽつんと浮かんでいる船を眺めるゲーム。彼は孤独に悩んでいたのだろうか、それとも創造の喜びを感じていたのだろうか。他のゲームも見てみよう。そしてこの一連の作品群をつくりあげた人物像を想像してみよう。彼はいったい何者なのだろう。彼が怖れているもの、彼の喜びとはなんだろう。

The Beginner’s Guide』は、とてもメタフィクショナルなゲームだ。執筆時の価格はSteamにて9.99ドル。10月1日にEverything Unlimited Ltd.より発売された。プレイを開始すると、真っ白な画面から男性の声が語りかける。「こんにちは。『The Beginner’s Guide』をプレイしてくれてありがとう。僕の名前はDavey Wreden、『The Stanley Parable』の作者だ。あのゲームは不条理な物語を語るものだったけれど、今回は2008年から2011年の間に起きた一連の出来事について話すことにしよう」。冒頭から自分の正体を公言するこのDavey Wredenという語り手は、本作の作者と同姓同名である。彼はCodaという友人に言及し、この友人が制作したいくつかのゲームとその背景について話すつもりだという。

「話を始めるにあたって、まず彼がいちばん最初に作ったと思われるゲームをお見せしよう」とDaveyは言い、すこし時代遅れなグラフィックの砂漠の街に画面が切り替わる。「これは『カウンターストライク』のために制作されたマップだ。ちなみに、そのあたりを歩いてみてもいいよ」。ごく一般的な一人称視点のゲームらしく、WASDキーで移動し、マウスで視点を動かすことができる。

「これはCodaが3Dでマップを制作しようと考え、はじめて試みた習作のようだ。〔…〕彼はシンプルな砂漠の街のなかに、カラフルなオブジェクトや、ありえない浮かびかたをしている木箱なんかを配置した。そのために、このマップにおける『これは現実の砂漠の街である』という暗黙の了解は反故にされている。このマップは現実に存在する人の手によって作られたという感じを与えるものになっていて、『作者はいったいなにを考えていたんだろう』と考えさせるところがある。僕がCodaの作品群を好きになった理由はそれなんだ。ゲームとしてすごく優れているというわけじゃないけど、すべての作品が作者の存在を暗示している。僕たちはいまから、この作者がいったい何者なのかを、彼の作品群をプレイしながら知っていくだろう。このマップはCodaの2008年ごろの仕事で、彼は自分のゲームを決して世に出さなかった。〔…〕」

もし僕と直接話がしたいのなら、daveywreden@gmail.comまでメールを送ってくれ」と突然メールアドレスを公開する語り手。
もし僕と直接話がしたいのなら、[email protected]までメールを送ってくれ」と突然メールアドレスを公開する語り手。

ある一連の作品群をつくりあげた作者の人物像を、作者自身に会うことなく、作品群そのものから想像すること。これが『The Beginner’s Guide』というゲームのコンセプトだ。プレイの内容は、一人称視点のキャラクターを操作して前に進むだけ。いわゆるウォーキング・シミュレーターだ。簡単なパズルを解いたりすることもあるが、解くことそのものに楽しみがあるわけではなく、そのパズルがどんな意味を持っているのか推理することに楽しみがある。

このゲームには主人公がいない。一人称視点のゲームにありがちな「プレイヤー=主人公」という構図ですらない。プレイヤーは、視点を操作して連続的なイベントを体験する役割を負っているだけだ。登場人物すらいないが、語りのなかで言及される人物は二人いる。語り手自身であるDaveyと、彼の語りのなかで登場するクリエイターのCodaだ。プレイヤーはDaveyの導きに従ってCodaの作品群をプレイしていくことになる。

Codaのゲームデザインには一般的なそれとは比類しようのない特質がある。プレイヤーの体験が優先されていないのだ。たとえばある作品では、プレイヤーはビルの上方の扉まで続く非常階段を上るのだが、一段ずつ上るにつれて歩みが遅くなっていく。まったく動けないようになったところで上方の扉が開くが、室内の様子は見えない。アキレスと亀の寓話めいたこの作品はきりのいい掌編小説のようにミステリアスだが、これだけではいったい何を表現したいのかわからない。ここで語り手であり、天の声であるDaveyが救いの手を差し伸べる。「ゲームにすこし手を加えて、扉のなかにあるものを見せてあげよう。Enterキーを押せばもとの速度で歩けるよ」

言われるがまま階段を上ってビルのなかに入ると、居心地のよさそうなリビングがあり、いくつものテキストが浮かびあがってくる。

『自分の肉体のなかで商店を経営し、自分の臓器を効率よく売りさばいて、死ぬまでに最大限の金を稼ぐゲーム』『小さな部屋のなかでゲームが始まる。プレイヤーは壁をすり抜けられることに気づく』『いま起こっていることが巨大なブロックに書かれたテキストで説明されるだけのゲーム』などなど。
『自分の肉体のなかで商店を経営し、自分の臓器を効率よく売りさばいて、死ぬまでに最大限の金を稼ぐゲーム』『小さな部屋のなかでゲームが始まる。プレイヤーは壁をすり抜けられることに気づく』『いま起こっていることが巨大なブロックに書かれたテキストで説明されるだけのゲーム』などなど。

面白いのは、このアイデアがいっぱいにつまった素敵な小部屋は、Codaのオリジナルのデザインにおいてはプレイヤーの目に触れるものではなかったという点だ。おなじようなデザインはCodaの他の作品にも見ることができる。がらんどうの部屋と廊下を歩いていく別のゲームでは、扉のパズルを解いて最後の部屋にたどり着くと、そこで行き止まりになっている。殺風景な部屋に見るべきものはなにもない。Daveyが言う。「もういちどゲームに手を加えてみよう。Enterキーを押せば部屋の壁をすべて取り払うよ」

Enterキーを押した瞬間。部屋の外の虚空には、複雑かつ幻想的な廊下と部屋の群れが浮かんでいる。
Enterキーを押した瞬間。部屋の外の虚空には、複雑かつ幻想的な廊下と部屋の群れが浮かんでいる。

プレイヤーの体験ではなく、ゲームそのものの企図を優先して作品が制作されるのなら、その作品におけるプレイヤーの役割とは何なのだろうか。開発者コードを用いてレベルデザインに手を加えなければプレイヤーが全体像を把握できないCodaのゲームは、一般的なプレイヤーがその企図を理解することを要求していない。プレイヤーはDaveyの導きのもとで隠された企図を発見する。企図は一般的なゲームのイースターエッグのように、プレイヤーに見つけてもらうために隠されているわけではない。バグのように、制作者にとって絶対に見られたくない部分としてデザインされているのだ。

ここでメタフィクショナルな問題が浮上する。そもそも、Codaは作品を世に出すつもりなどなかった。作品を編集して世に送り出したのは、語り手のDaveyなのだ。そしてCodaの作品に隠された秘密を明かすDaveyは、他人の作品を許可なく改変して公開するという、とんでもない侵犯行為を犯していることになる。ここにとても興味深い物語の構造が見えてくる。

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構造を整理してみよう。2008年から2011年の間にCodaというクリエイターが一連の作品群を制作し、語り手のDaveyにプレイさせた。Daveyは作品群を時系列順に並べ、解釈を述べるナレーションを加え、必要に応じて作品の内容を改変し、ひとつの巨大な作品にまとめあげた。『The Beginner’s Guide』はDaveyの手によって許可なく編集、付記され、リリースされたCodaの作品集であり、プレイヤーはこの作品集をプレイしている――という体裁である。

語り手兼編集者のDaveyが、現実にSteamで配信されている『The Beginner’s Guide』の制作者、Davey Wredenと同姓同名であるという点については、深く立ち入らないほうがいいだろう。すでにSteamの販売ページやRedditにおいては、Codaが現実に存在する人物なのか、作中で展開された物語は制作者Davey Wredenの実体験に基づくものなのか、等々の議論が展開されている。作品そのものがこういった議論を招きやすい構造を持っているのは確かだが、これからプレイしようと考えている方は、とりあえずは作品の語り手と現実の作者を混同せず、作品そのものに焦点を絞ることをおすすめしたい。

マネキンと雑談しながら家を掃除するゲーム。Daveyの語りやメタフィクショナルな文脈をいったん無視して見たとき、Codaのゲームは禅のような平静さをプレイヤーにもたらす。告白するが、筆者はプレイ中にほろりとした。
マネキンと雑談しながら家を掃除するゲーム。Daveyの語りやメタフィクショナルな文脈をいったん無視して見たとき、Codaのゲームは禅のような平静さをプレイヤーにもたらす。告白するが、筆者はプレイ中にほろりとした。

終盤では、侵犯行為を犯したDaveyに対する、Codaからの決定的なメッセージがゲームを通じて現れる。制作がうまくいかず、ひどく落ち込んでいたCodaを助けるために、Daveyが取った一連の行動がゲーム全体にどのような影響を与えたかは、実際にプレイして確かめてみてほしい。作家と編集者、あるいは創作意欲と承認欲求の対立をテーマとした、非常にセンシティヴな問題が提示されるだろう。

『The Beginner’s Guide』は幾重にも折り重なった語りの構造を備え、さまざまな文脈が多声的に進行していく。作中に登場する作品群、それらの作者であるCodaの人物像。Codaの友人であり、彼の作品をインターネットに公開した語り手のDavey。彼が本作を公開することを決意した理由、さまざまな解釈、Codaのゲームそのものが与える強烈な印象。思いつくだけでも無数の観点がある。

すべての文脈ががっちりと組み合って成立しているこのゲームは、一周あたり一時間半程度という短いプレイ時間にまとまっているが、全体像をつかむために何度となく再プレイしたくなり、また再プレイに耐える十分な強度を備えている。再訪に値する作品をもういちどはじめから体験するのは何事にも代えがたいよろこびだ。

信頼できない語り手、メタフィクショナリティ、作者の死といったテーマや技法を応用し、たぐいまれな作品を作り上げたDavey Wredenに最大級の賛辞を送る。これは今日において、もっとも優れた語りの構造をもつビデオゲームである。

閑話だが、本作の第16章は「The Tower(塔)」というゲームだ。タロット・カードの16番の札と同名である。タロット・カードのデッキは22枚の札から成る。本作はプロローグの1本と章立てされた17本のゲームから成る。プレイ後の所感を含めた筆者の推測にすぎないが、もしかすると本作には続編があるかもしれない。
閑話だが、本作の第16章は「The Tower(塔)」というゲームだ。タロット・カードの16番の札と同名である。タロット・カードのデッキは22枚の札から成る。本作はプロローグの1本と章立てされた17本のゲームから成る。プレイ後の所感を含めた筆者の推測にすぎないが、もしかすると本作には続編があるかもしれない。
Syohei Fujita
Syohei Fujita

5歳の誕生日に『ポケットモンスター』の『緑』を買ってもらった時から、ビデオゲームは私と共にありました。煎じ詰めればじつに単純なインタラクティビティと光の明滅に、なぜ我々はここまで驚喜することができるのか?この興味深い問いを少しずつ解き明かしていくつもりです。……もちろん普通のレビューも書きます。なんにせよ、すべてのコンテンツは受け手が自分の人生を忘れるために作られますが、驚くべき豊かな未来において、ビデオゲームはその目的を完全に達成すると思います。

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