第二次世界大戦終結後、世界は東西に二分された。相次ぐ核実験、宇宙開発競争、社会主義革命、ベトナム戦争、公民権運動、ジョン・F・ケネディの暗殺。冷戦の真っ只中にあった1960年代は、アメリカ史上もっとも騒乱に満ちた時代だと言われている。特に、南北戦争におけるエイブラハム・リンカーンの奴隷解放宣言から100周年の節目であったことから、アフリカ系アメリカ人に対する人種差別撤廃の意識が最高潮に達した。『Mafia III』は、そんな激動の時代背景を色濃く描いている。かつて奴隷制を推奨していた因縁のアメリカ南部を舞台に、奇しくも有色人種を奴隷の身分から解放した偉人と同名の主人公。何の因果か“ファミリー”というかけがえのないものを奪われ、復讐の炎に身を焦がすアンチヒーローとなった男のハードボイルドドラマだ。
開発を手がけるのは、元LucasArtsのクリエイティブ・ディレクターHaden Blackman氏が率いる2K傘下のHangar 13。2014年12月に新設されたばかりの開発スタジオで、昨年の「gamescom 2015」にて正式に発表された『Mafia III』がデビュー作となる。10月7日に海外で先行発売されたばかりだ。国内でも今月27日のリリースを目前に控えている。結論から述べると、ゲーム性には何の革新性も見当たらず、オープンワールドの無駄遣いといっても過言ではないくらいに、過去作の反省点をまったく生かせていない。一方で、物語の時代背景や人種差別という作品のテーマは、近年ニュースで再び取り沙汰されるようになったアフリカ系アメリカ人に対する一部警察官の横暴をはじめ、根強く残る偏見の意識をあらためて直視させるという一貫したメッセージ性を秘めている。以下、筆者がシリーズのルーツとなった初代『Mafia』および続編の『Mafia II』の大ファンであったことに加えて、本作のPC版をクリアしてのレビューであることをあらかじめ明記しておく。
『Mafia』シリーズは、2Kブランドを代表するフランチャイズ作品の一つ。その原点はチェコのデベロッパーIllusion Softworks(現2K Czech)が開発した初代『Mafia』。2002年にTake-Two Interactive傘下のパブリッシャーGathering of Developersから発売された。その後、同社は2K Gamesへブランド統合された経緯がある。1作目は1930年代アメリカの禁酒法時代を背景に、サンフランシスコやシカゴをモデルにした架空の都市「ロストヘブン」で、タクシー運転手の主人公「トーマス・アンジェロ」がマフィアの道へ足を踏み入れた過程を描いている。2010年に発売された2作目は、社名を変えた2K Czechが引き続き担当。こちらはニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス、ボストン、デトロイトなどをベースにした架空のエリア「エンパイア・ベイ」を舞台に、第二次世界大戦へ従軍した主人公「ヴィト・スカレッタ」が1940年代後半から1950年代にかけてマフィアの道を極めていく物語だ。なお、ヴィトは『Mafia III』にも主人公の腹心として引き続き登場している。
前作を省みないオープンワールドの無駄遣い
本作の舞台は1968年のアメリカ南部、ルイジアナ州ニューオーリンズをモチーフにした架空の都市「ニューボルドー」。主人公「リンカーン・クレイ」は、ドミニカ人の母とイタリア系の父の間に生まれたとされているが、物心がつく前から孤児としてアフリカ系アメリカ人の“ファミリー”に育てられた。その後、ベトナム戦争へ従軍し、1966年にラオスでCIAの極秘作戦に参加。帰国後は悪事に染まった過去と決別すべく新たな道を歩もうとするが、地元を支配するイタリアンマフィアのドン「サル・マルカーノ」の裏切りに遭い、天涯孤独の彼にとって唯一の“家族”は無残にも皆殺しにされてしまう。自身も頭部に銃弾を受けるも奇跡的に生き延びたリンカーンは、かけがえのないものを奪っていった相手への復讐を誓う。彼の心は再び戦場を焦がした殺意の炎に包まれることとなる。物語は架空の犯罪史を振り返る形で、当時マルカーノファミリーを破滅に追い込んだリンカーンと密接な関係にあった重要人物の証言を基に描かれていく。
基本的なゲームデザインは、前述した過去シリーズと大して変わらない。オープンワールドを採用した三人称視点のアクションアドベンチャーゲームだ。今作では、“親父”と“ファミリー”の敵である「サル・マルカーノ」を追い詰めるため、マフィア組織の権力ピラミッドを底辺から順に潰していくことが目的である。組織の頂点に立つドンへ王手をかけるには、その下にいる3人の中枢メンバーを始末しなければならない。その為には配下の幹部メンバー6人を粛清、もしくは寝返らせる必要がある。この下克上を手助けしてくれるのが、共にベトナム戦争を戦い抜いた元CIA工作員のパートナー「ジョン・ドノヴァン」。メインクエストは、彼の仕入れた敵対勢力のビジネスや粛清対象の情報を頼りに、各シマの“シノギ”を奪い取るサイドクエストの連続で進行していく。つまり、サイドクエストの攻略が必須条件となる。この点は、後述する本作最大のマイナス要素でもある。
敵のビジネスを乗っ取るには、まず裏に隠れている元締めをあぶり出す必要がある。たとえば、売春宿ビジネスを妨害するために性的サービスを半ば強要されている娼婦を逃したり、銃器の密売を邪魔するために密輸拠点や輸送トラックを破壊して回ったりと、“シノギ”に経済的な打撃を与えれば、噂を聞きつけた責任者が自ら事態収拾に乗り出してくる。この元締めを始末するか、寝返らせて配下に加えればサイドクエストは完了。その地区のシマをすべて奪取すると、ようやく幹部メンバーのお出ましという仕組みだ。乗っ取ったビジネスは、打倒マルカーノのためにリンカーンが配下に引き入れた腹心たちに割り当てられる。また、幹部や中枢メンバーを攻略して地区全体を手に入れた際には、腹心全員との会合によって誰がテリトリーを支配するかを決定する。担当する地区やビジネスが多いほど、腹心からの見返りアイテムや協力者、リンカーンへの上納金も増えるというわけだ。
リンカーンの復讐劇で運命を共にしてくれる3名の腹心は、かつて“ファミリー”と敵対していたハイチ人マフィアの女性ボス「カサンドラ」、前作『Mafia II』の主人公で以前はマルカーノの腹心だった「ヴィト」、リンカーンの悪友だった息子をマルカーノ一家に殺害されたアイリッシュモブのドン「バーク」。それぞれが武器商人(弾薬補充から銃器の改造まで請け負ってくれる商売相手)や、電話交換手(犯罪を市民に目撃された際に通報電話を無効化してくれる内通者)、コンシリエーレ(所持金を預かり命を落とした際に失われるのを防いでくれるほか、未回収の上納金を代わりに集めてくれるマフィア顧問)、襲撃・ヒットマン部隊(指定した場所へ急行して派手に援護してくれる戦闘員)、配車係(目的に合わせた任意の車両をプレイヤーの現在地まで届けてくれる便利屋)、警察司令係(プレイヤーを捜査・追跡中の警察を退去させて、犯した犯罪を一定時間すべて見逃してくれるマル暴)など、シマの稼ぎに応じて様々な協力者を紹介してくれる。
支配を任せる地区やビジネスが多いほど、腹心の稼ぎや忠誠度が上がっていく。リンカーンを十分に信頼してくれるようになると、サプレッサー付きのハンドガンや対戦車ロケットランチャーといった非売品の提供や、サスペンションやエンジンの改造といった車両強化など、キャラクター固有の見返りボーナスがアンロックされる。誰か一人に肩入れするも、パワーバランスの均衡を保つもプレイヤー次第。プレイスタイルに合わせた報酬を狙うといいだろう。こうした少しのロールプレイ要素も本作の醍醐味といえる。
一方でアクションパートは、同じようなサイドクエストを延々と強要されることも相まって飽きやすい。街中に盗聴器を仕掛けて敵の位置と向きをミニマップに表示できることからステルスプレイも容易だが、殺すのも気絶させるのも大して変わらないため最終的には無慈悲な“ランボープレイ”に落ち着いてしまいがち。しかし、戦場帰りのリンカーンが繰り出すバイオレントテイクダウン(装備武器に応じた専用モーションでとどめを刺す一撃必殺技)や豪快なカウンターアタックは恍惚の一言であることは間違いない。
オープンワールドで構築された広大な「ニューボルドー」にファストトラベル機能はない。地区から地区へ移動する際や、「裏取引き」(資金稼ぎのために繰り返せるお遣いクエスト)のたび、マップのはるか彼方まで車を運転しなければならない。はじめの内は、スクリーミングゼミ(音を出して敵の注意を引きつけるブードゥー人形)でおびき寄せた警察官たちを火炎瓶でまとめて焼き殺してパトカーを盗んだり、わざと歩道を暴走運転して警察車両との鬼ごっこを楽しんだりと、クエスト間の移動に独自のアレンジを加えてスリルを満喫していたが、途中からファストトラベル用の看板が街中に立っていたらどれほど楽かと願うほど、エリア移動が面倒になってくる。くわえて、クエストが終了した土地の大半は、「プレイボーイ」や「共産主義のポスター」などのコレクションを集めること以外に用途がないのも玉に瑕。この点はオープンワールドの無駄遣いと揶揄された過去同様、オープンワールドというトレンドがゲーム性としての作品価値を腐らせていると言わざるをえない。
人種差別問題の源流を直視するアンチテーゼ
ゲームの舞台「ニューボルドー」のモデルとなったルイジアナ州ニューオーリンズといえば、アメリカ史上もっとも古い歴史を持つマフィアのボス、カルロス・マルセロが本拠を構えていた州南部最大の都市である。メキシコ湾へ続くミシシッピ川の三角州に位置していることから、クレセント・シティ(通称、三日月の街)とも呼ばれている。北部にはポンチャートレイン湖、東部には広大な湿地帯バイユーが広がる。人種構成の7割近くをアフリカ系アメリカ人が占めると言われており、1978年にはアフリカ系アメリカ人初の市長が誕生した歴史を持つ。ちなみに、シチリア系マフィアのマルセロはKKK(Ku Klux Klanの略、白人至上主義を掲げる秘密結社)を支持する人種差別主義者として知られ、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング・ジュニアをあからさまに軽蔑していた。『Mafia III』はニューオーリンズの地理的な特徴だけでなく、有色人種に対する偏見や差別、先入観など、当時の人種問題を演出や台詞に色濃く反映している。
1960年代はアメリカに大きな変革がもたらされた激動の時代だった。第二次世界大戦後、世界は東西に二分され時は冷戦の真っ只中。この頃までに脱植民地化の潮流を受けて世界中で国家の独立が相次ぎ、帝国主義が覇権を握る一時代は終焉を迎えていた。資本主義国家をアメリカが、社会主義国家を旧ソ連が支援する代理戦争時代の幕開けである。核兵器を主軸とした軍備拡張と急速な宇宙開発競争。カストロ政権によるキューバ革命(アメリカ庇護下のバティスタ政権を崩壊させた一連の武装解放闘争を指す)を発端に、両国の緊張はまさに核戦争の瀬戸際といえる外交戦に発展した。時を同じくして太平洋をまたいだアジアでは、トンキン湾事件(北ベトナム軍の哨戒艇が同湾にて米海軍の駆逐艦マドックスに向けて魚雷攻撃を仕掛けた事件)が引き金となり、アメリカが本格的に第二次インドシナ戦争(通称、ベトナム戦争)へ介入。ケネディ大統領暗殺事件の後に権限を引き継いだジョンソン政権によって、アメリカはベトナムへの陸軍派遣をはじめとした戦線拡大の泥沼に引きずり込まれていった。
一方、アメリカ国内ではエイブラハム・リンカーンによる奴隷解放宣言から100年の節目ということもあり、長きにわたり人種差別にさらされ社会的な保障も受けられなかったアフリカ系アメリカ人による公民権運動が活発化していた。各地でデモが巻き起こり白色人種と衝突。中には銃撃戦にまで発展する地域もあった。そんな中、公民権運動の指導者として先頭に立ったキング牧師は、インド独立の父マハトマ・ガンジーに啓蒙され、無抵抗による不服従を貫く非暴力主義を徹底した。こうした状況に当時の大統領ジョン・F・ケネディは、いわゆるジム・クロウ法(1870年代から存在していたアメリカ南部の州法で、有色人種による一般公共施設の利用を禁止・制限する法律の総称)を廃止する法案を成立させるなど、公民権運動にリベラルな姿勢を見せていた。しかし、ベトナム戦争への介入政策を転換しようと模索していた矢先、1963年11月にダラスで凶弾に倒れてしまう。その意思は後任のジョンソン副大統領が引き継ぎ、大統領就任後の翌年7月には公民権法を制定。アメリカにおける長年の人種差別は、少なくとも法的には終わりを告げた。
特に『Mafia III』の時代設定である1968年は、国連が国際人権年と定めていた時勢も相まって、アメリカで人種差別がことさら大きく取り沙汰された年だった。公民権法が制定されたからといって人々の差別意識がなくなるわけではない。変わりゆく社会的価値観に対する反動として、アフリカ系アメリカ人に対する人種差別は右派を中心に深刻化。この頃から“黒人”や“ニガー”といった俗称が社会に浸透したと言われている。また、公民権運動および平和運動に生涯を捧げたキング牧師と、肥大化した人種問題と積極的に向き合ったロバート・ケネディ(ジョン・F・ケネディの実弟で、この年の大統領選挙に立候補していた)も、同年に暗殺された。なお、キング牧師はアメリカにおける人種偏見を終わらせるための非暴力抵抗運動が評価され、1964年に史上最年少でノーベル平和賞を受賞した。また、ベトナム戦争はアメリカの軍隊史上初めていわゆる“黒人部隊”が編成されることなく、有色人種が士官として配属されるようになった転換期と言われている。時代の変わり目でありながら人々の深層に根付いた変わらぬ差別意識を、本作は絶妙なタッチで描き出している。
街中の飲食店が掲げる“No Colored Allowed”(有色人種お断りの意味)という注意書き、主人公リンカーンが側を通り過ぎるだけで所持品を守るような動作を見せるブルジョワ階級の女性、アフリカ系アメリカ人が多く居住するエリアではプレイヤーが犯罪を起こしても積極的に急行しない警察官たち。『Mafia III』はキャラクターの台詞回しだけでなく、生活の一部としての人種差別を作風に色濃く反映させている。この点について開発元のHangar 13は、「我々の歴史上、非常に嘆かわしくも現実にあった事実を無視することは、今までさまざまな形での偏見、差別、先入観、人種問題に直面してきた人たち、そして今でも悩まされている多くの人に対し、失礼にあたると考えたから」と、ゲームの冒頭であらかじめ説明している。近年、アフリカ系アメリカ人のコリン・パウエル氏がジョージ・H・W・ブッシュ政権下で米軍を束ねる統合参謀本部議長に就任、その後ジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権で国務長官を務めたり、バラク・オバマ氏が有色人種としてアメリカ史上初の大統領となったりと、公民権法が施行される以前と比べれば表面的な差別意識は大幅に改善されてきている。しかし、有色人種に対する暴力事件やヘイトクライム、政治家や宗教家による人種差別発言はいまだに後を絶たない。本作はまさにその源流を直視させているのだ。
くわえて、1960年代はベトナム戦争や公民権運動に大きく影響を受けたカウンターカルチャーによっても印象付けられる。奴隷解放100周年に沸き立つ人種差別撤廃闘争は同時に、ベトナム戦争に本格介入したことによる戦費拡大と福祉予算の圧迫から、結果的に反戦運動へと繋がっていく。これが学生運動へと結びつき、戦況の激化とともに全米が反戦意識に覆われた。その盛り上がりは、1968年1月のテト攻勢(北ベトナム人民軍と南ベトナム解放民族戦線が南ベトナム全土で一斉蜂起し、米軍施設を含む多くの軍事拠点が大規模に攻撃された出来事)によって最高潮に達する。ニューヨークにおける大々的なデモ行進や、首都ワシントンに50万人の民衆が集まった最大規模のデモは、アメリカ史に残る反戦運動として今でも人々の記憶に深く刻まれている。そして正義なきベトナム戦争と叫び、愛と平和の元に徴兵や派兵に反発したのがヒッピームーブメントである。ロック音楽を中心とした壮大な野外コンサート、ウッドストック・フェスティバルは当時のカウンターカルチャーを象徴するイベントとして語り継がれた。また、一部では大学生を筆頭に共産主義運動が流行。社会の混乱を招いた。ゲーム内のカーラジオで常に流れる当時の流行曲や、コレクション要素の一つ「共産主義のポスター」など、多くがカウンターカルチャーの息吹を肌で感じさせてくれる重要な役割を担っている。
総評
全体を通して、いまだに根強く残る人種差別意識が社会全体で大きく変化し始めた時代への原点回帰という点では、アフリカ系アメリカ人が犠牲になった一部警察官による凄惨な事件が再び取り沙汰される今だからこそ、公民権法が制定されたばかりの当時を直視するエンターテイメントとして、『Mafia III』は賞賛に値する。しかし、メインストーリーの進行上で単調なサイドクエストを繰り返し強要されるゲームデザインは、どれも単調で変わり映えのしない作業の連続でプレイヤーを飽きさせかねないばかりか、濃厚でメッセージ性の強いナラティブパートを阻害する大きな要因となってしまっている。また、広大なオープンワールドを用意しておきながら、プレイボーイのアーカイブを集めるために私有地へ不法侵入すること以外、特段やることがない空間が大半を占めている点もいただけない。
シリーズ過去作は、本作同様に広大かつ忠実に再現されたアメリカの街並みが高く評価された一方で、サイドクエストをはじめプレイヤーができることが少なすぎて、壮大な空間の無駄遣いと批判された。その反省点を踏まえてか、本作には膨大な量のサイドクエストが用意されている。最大の問題は、アクティビティのほとんどが敵のビジネスに損害を与えるために破壊の限りを尽くすという“お遣い”に過ぎない点ではなく、それらをメインクエストの十分条件にしてしまったことだ。もちろん、前述したように乗っ取ったビジネスを自由に腹心へ割り当てて、プレイスタイルに応じた報酬をアンロックしていくロールプレイ要素こそが本作の醍醐味であり、一連のサイドクエストは同時に必要条件ともいえる。この点は『Mafia III』のみならず、オープンワールドがメインストリームとして扱われるようになった近代作品において、広大な空間にプレイヤーのアクティビティを大量に詰め込まなければいけなくなった弊害なのかもしれない。
これまでのシリーズ作品と同様にオープンワールドがゲームそのものを腐らせているという点において、本作を過去作に学ばない“クソゲー”と呼ぶかどうかはプレイヤー次第だ。ここまで散々こき下ろしてきたが、筆者はむしろ開発元があえて仕様を大きく変更しなかった意図は、これこそ原点の『Mafia』から続くブランドの味であり、目的の不在がプレイヤーに情緒を感じさせてくれる箱庭ゲームの真髄だからだとも感じている。以上の理由から、ハクスラやRPGジャンルのように本格的なアクション要素を期待しているユーザーにはおすすめしない。むしろオープンワールドゲームの前身ともいえる『シェンムー』の世界観に趣きを見い出せた根っからのシリーズファン向けといえるだろう。最後に、有色人種として差別と偏見に曝されてきた主人公が、白色人種の復讐相手や警察官を次々と殺していく様は、どうしてもキング牧師亡き後に顕著になった一部活動家の暴走と重なって見えてしまう。もしかしたら虐げられてきたアフリカ系アメリカ人の復讐そのものという、どこか歪んだアンチテーゼを含んでいるのではと感じるのは深読みし過ぎだろうか。