『Battlefield 1』マルチプレイレビュー。新ルール「オペレーション」にみる「混沌」が生み出す戦場のリアリティ

『Battlefield』は初代『Battlefiled 1942』からマルチプレイが主軸のタイトルであり、現在までマルチプレイヤーの出来がそのまま作品の評価へと直結してきた。「格闘ゲームに対戦モードがある」ぐらい当たり前に、ユーザーの『Battlefield』に対する期待はマルチプレイに絞られているといっても過言ではない。

近年のビデオゲームにおいて、「マルチプレイ」はシングルプレイと同様に重要視され続けてきた。特に大型IPやAAA級タイトルにおいては、マルチプレイヤーモードを搭載するのはもはや当たり前という傾向すらある。そういった背景から、本編のおまけ的な立ち位置でマルチプレイが追加されてきたゲームも多数あるが、『Battlefiled』シリーズは違う。『Battlefield』は初代『Battlefiled 1942』からマルチプレイが主軸のタイトルであり、現在までマルチプレイヤーの出来がそのまま作品の評価へと直結してきた。「格闘ゲームに対戦モードがある」ぐらい当たり前に、ユーザーの『Battlefield』に対する期待はマルチプレイに絞られているといっても過言ではない。

結論から言ってしまえば、今回『Battlefield 1』のマルチプレイヤーのローンチは大成功だといってしまってよいだろう。アップデートを経て最終的に成功したとはいえ、前作『Battlefield 4』ではローンチ時のラグが大きな問題になり、外伝的作品として発売された『Battlefield: Hardline』も武器バランスの崩壊により見込みより早い段階で同時接続人数を大幅に減らした。しかし、今作のマルチプレイヤーについては、ローンチ時点から武器バランスはおおむね良好で、外部的な要因でサーバーが多少不安定ではあるものの、不可思議なラグが頻発するという話もきかない。先日は同時接続が65万人を超え、滑り出しとして文句のつけようのないものとなった。

この成功の要因は決して一つではないが、明確ではある。そのキーワードは「リアリティ」と「遊びやすさ」の両立だ。

 

圧倒的な戦争感「オペレーション」

今作ではゲームモードが二つ増え、今までの「コンクエスト」「チームデスマッチ」「ドミネーション」「ラッシュ」に「ウォーピジョン」「オペレーション」が選択肢として追加された。「ウォーピジョン」は戦場で鳩を見つけて飛ばすだけの鬼ごっこに近い単純なルールだが、「オペレーション」は多少複雑だ。

オペレーションは攻撃側と防衛側に分かれて戦うゲームモード(20対20、32対32)であり、一言で言えばラッシュとコンクエストのハイブリットルールである。

攻撃側にはリスポーンチケットが与えられ、A地点とB地点をどちらも敵から奪取することが目的。逆に防衛側は拠点を取られないように守り、敵側のチケットをすべて消費させられれば敵のウェーブ(後述)を終了させることができる。ラッシュに近いルールだが、ラッシュが目標対象の爆破を巡る攻防を描くのに対し、オペレーションは地点の奪取および防衛がテーマとなっている。防衛側は地点を奪われても取り返すことが可能であり、その点ではコンクエスト、ドミネーションにも近い。

 

攻撃側がそのマップの最奥まで占拠すると勝利となるが、オペレーションは設定されたマップが2つもしくは3つあり、最初のマップで攻撃側が勝利すれば転戦して次のマップに移ることとなる。攻撃側には全体で150チケットを1ウェーブとして3ウェーブが用意されていて、その範囲内で攻撃側が複数にまたがるマップのすべての拠点を制圧すれば完全勝利。それを防げれば防衛側の勝利となる。

オペレーションの「地点の取り合い」のルールは、敵味方入り乱れての大乱戦を巻き起こす。プレイ時間は一回1時間に及ぶこともあり、気軽に楽しむには適していないモードではあるが、とにかくこのモードのマルチプレイはまるで今自分が本物の戦争を体験しているのではないかと錯覚させるほどの「リアリティ」がある。そこにあるのはあたかも本当の戦場の「感触」だ。

 

「リアリティ」があることと、「リアル」であるということ

本来の英語「realty」と「real」は単純に名詞と形容詞の違いというの認識でよいのだろうが、日本語での「リアリティ」と「リアル」はことに創作分野において明確に区別されている。創作者にとって、鑑賞者や消費者サイドに「現実感」を感じさせること、それこそが「リアリティ」の作法だ。たとえば小説の中の登場人物は、話の展開をスムーズにするために会話の文脈の中にストーリーラインを埋め込む。それをいかに「本当の会話」のようにみせるかという技術が「リアリティ」を生むのである。逆に同じストーリーラインが埋め込まれていても、人間の日常会話を小説の中にそのまま当てはめてしまえば、読者は却って現実感がないと感じる。映画監督の宮崎駿は基本を抑えた上でわざと定規を使わずにパースを描く。完璧なパースに観客は違和感を覚えるからだ。つまり「リアリティ」というのは、嘘を違和感無く受け入れさせるための一種の装置である。胡散臭いレトリックではあるが、「現実そのままの世界にリアリティは存在しない」のである。そして「リアル」を感じるのは、常に各々の脳の働きでしかない。

『Battlefield 1』は戦争ゲームだ。そしてそれがゲームである限り「リアル」ではない。なぜなら実際の戦争で兵士は注射器で生き返ったりしないし、包帯を投げられたらといって怪我が治ったりもしない。しかし当然のことをあえて付け加えるなら、一回怪我したらもう動けないマルチプレイFPSなど誰も喜ばない。

では一体何がプレイヤー達に「戦場のリアリティ」を感じさせるのか。それはもちろん進化したグラフィックだろうし、発砲音もそうかもしれない。実際にあった戦争の一幕を経験しているという感覚がそうさせている部分もあるだろう。ただ、個人的にはそれらは全てこの戦場の臨場感を醸し出している演出装置でしかない。プレイヤーに「ここはまるで戦場のようだ」と思わせるもっとも大きな要素、それはオペレーションのルールが生み出す戦場を支配する圧倒的な「混沌」だろう。その「混沌」がプレイする者一人ひとりに恐怖や緊張感、高揚感など、ありとあらゆる一兵卒が持つ(であろうと人間が感じている)感情を引き出していく。

たとえばこうだ。オペレーションモードの初戦、プレイヤーは攻撃側。比較的攻めやすい平地であるA地点へ向かえと分隊命令が出る。一斉に走り出す兵士達。兵士達は意気軒昂だ。最初の防衛線などやすやすと突破できると信じている。A地点に敵影はない。続々と拠点の制圧に入る兵士。だが突如、視界をふさぐスモークグレネードが拠点周辺にまかれる。そして散発的に始まる銃撃。だが兵数の差でこの拠点は取れると計算し、兵士たちは塹壕に隠れながら応戦する。偵察兵のフレアガンが放たれた。これは付近の敵に自分達の位置を知らせるものだ。浮き足立つ兵士達。だがあと10秒もすれば拠点制圧だ。しかしその時、壁の後ろの敵兵数名が、迫撃砲を発射しはじめる。フレアガンで位置がばれている以上、これは鴨撃ちだ。次々と空中炸裂の迫撃砲の攻撃に倒れる味方兵士達。看護兵が必死に蘇生回復させるが間に合わない。その内、恐慌状態になった味方兵士が間違って自陣にガスグレネードを使ってしまう。ダメージこそないものの、視界はさえぎられる。そして始まる大混乱。最初の勢いなどすでに雲散霧消。それぞれが生き残る為に地べたを這いずり回る。そこに突撃兵がサブマシンガンをこちらに向け大挙して現れる。もうだめだ。この拠点は一旦あきらめよう。そう思った瞬間、後ろから味方ヘビータンクが現れる。勢いずく味方兵士達。これでいける。次の瞬間、敵の野砲と航空爆撃でヘビータンクが大破する。そして始まる諦観の銃剣突撃……。

これが『Battlefield 1』における「オペレーション」の「リアリティ」だ。

 

オペレーションの戦場にスマートな立ち回りなどない。もし乱戦に絡まずキルをこそこそと取るようなプレイをしているのなら、その兵士はいないも同然だ。オブジェクトに絡むことはすべてに優先される。そうしないとこのゲームで「勝てない」からだ。それは発砲でミニマップに表示されなくなった仕様変更により一瞬たりとも気が抜けない戦場。それは時代を先取りしすぎた悲劇のFPS『MAG』の延々と続くクラスター爆撃にも似た圧倒的な絶望。それは汚泥にまみれ、誰もが何をどうしたらよいのか分からなくなる鉄火場。そこで生き残ろうとする切望。闇雲に突っ込んで返り討ちになっていく味方兵士達。まったくの「混沌」であり、キルデスを超越した場所にある彼岸だ。

つまりそういった状態を、人は「リアルな戦場」と捉えるということだ。ほとんどの人が実際は体験したことのない「戦争」を人間は潜在意識化でどういったものだと「感覚的に」捉えているのかの答えがそこにはあり、何をどう考えても現実の戦争とはかけ離れた「ゲーム」を人間の脳に「リアル」だと思わせる要素がオペレーションには詰まっている。つまりそういうことではないだろうか。

そして驚くべきことに、製作チームは『Battlefield 1』に存在する「リアリティ」をさらに浮き彫りにするため、ある部分で完全に「リアル」であることを捨ててさえいるのだ。

 

プレイアビリティの劇的な向上

『Battlefield』シリーズの銃には数々の数値が設定してある。簡単に言と銃の覗き込み(ADS)時と腰だめ(HIP)時、移動(Moving)時、非移動時(Not Moving)時などで精度の大きな変化があり、ほかにも弾速、レート、拡散値、リコイル方向、初弾反動倍率なども存在する。しつこいほどに細かい数値であり、今作も数値自体は細かく設定されている。

その細かい数値がゲームの操作難度を飛躍的に引き上げていたのが、ナンバリング前作である『Battlefield 4』だった。アタッチメントで多少いじることはできたが、基本的には「ADS/Not Moving」でなければまともに弾が敵に当たらない上、ヘッドショット倍率も最終的には2.13が基本になり、ダメージモデルによっては頭に2発当てれば敵を倒すことができるヘッドショットゲームでもあった。「覗き込み」「動かず」「頭を狙う」、この3つが必須テクニックというのは初心者には敷居が高いものである。銃を実際に撃ったことのある人がいればおそらく理解できると思うが、それがどんな種類の銃であっても、動きながら適当に狙って的に当てるのは相当難易度が高いものであり、そこにある「扱いの難しさ」は確かに『Battlefield 4』の「リアル」だったのである。

『Battlefield 1』でも細かい数値は健在ではある。ただし、全体的に腰だめ時の精度が上がり(一部サブマシンガンでは腰だめの方が当たりやすい)弾速も早い上に、フルオートで撃ち続けても精度があまり下がらない。銃の取り回しがかつてないほどに容易になった。くわえてヘッドショット倍率も1.8程度と抑え目になっており、人体のヒットボックスも修正が加えられたようで、とにかく弾を当てやすい。乱戦になりがちな戦場でもストレスなく撃ち合いをすることができる。時代背景を考えると、それは決して「リアル」な方向性の進化ではないが、ほかの部分で充分リアリティを感じられるゲーム性だからこそ、無用な「リアル」を剥ぎ取る。その絶妙な調整が、このゲームのバランスを見事な調和で保っている。

 

今後の課題とまとめ

「リアリティ」と「遊びやすさ」。「不必要な本当」と「必要な嘘」によって『Battlefield 1』のマルチプレイは「過去最高」の出だしになった。だからといって不満点、課題点がないわけではない。アタッチメントによる武器のカスタムの幅が狭くなったのは多くのユーザーを失望させた。仕様を変える気がないのであれば、武器の追加はコンスタントにするべきだろう。兵器のバランスについては、すでに迫撃砲の調整の議論が始まっているが、あまりにも拙速にバランスの再構築をすべきではないと思われる。現状、強力だと思われてる兵器やマップは、理解度の向上と共に役立たずになっていくものなのだから。個人的にはオペレーションマップの追加、そしてロシア兵とフランス兵の参戦を一日千秋の思いで待とうと思う。

今回『Battlefield』シリーズは『3』と『4』の成功や反省点をすべてひっくるめて時代をはるかにさかのぼった。そしてさかのぼった先にあったのは、これから「戦争ゲーム」の進んでゆくべき姿を浮き彫りにするまったく新しい地平だった。ため息がもれるほどに見事な「温故知新」である。

Nobuhiko Nakanishi
Nobuhiko Nakanishi

大学時代4年間で累計ゲーセン滞在時間がトリプルスコア程度学校滞在時間を上回っていた重度のゲーセンゲーマーでした。
喜ばしいことに今はCS中心にほぼどんなゲームでも美味しく味わえる大人に成長、特にプレイヤーの資質を試すような難易度の高いゲームが好物です。

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