【本スゴ3】PS2『GOD HAND』 – PlayStation2で一番面白かったゲーム
私、安田の数少ない「ゲーム空白期」は PlayStation 2 世代あたりのタイミングでおとずれました。当時なぜあまりプレイしなかったのかは記憶の糸をたどってもよく思い出せません。たしかゲーセン通いを始めたことと連動しているような気もします。
それでも、その遅れを取り戻すべく大学時代は PS2 のゲームを大量に漁りました。大阪日本橋の電気街にてワンコインで投げ売りされていたゲームをはじめ、自分で買うなり友達から借りるなりして大変な時間を投入したものです。クリアしたゲームはよほどのことがない限り売り払ってしまうので、何作プレイしたかは覚えていません。
結果、導出された結論はいくつかあります。その1つが「PS2で最も面白いゲームとはなにか」という問いへの答です。それは『GOD HAND』。筆者のあまり多くない PS2 体験ではありますが、少なくともその中ではあまりにも明白な正答です。
本当にスゴかったあのゲーム、『SPIKEOUT』『真・女神転生3』に続く第3弾は『GOD HAND』です。
(以下、スクリーンショットは公式サイトのものより引用しています。公式トレイラームービーは、作成された際に採用されたバージョンがやや古いようで、実際のゲーム画面とは一部異なります。)
『GOD HAND』とは
ゲーム内容に触れる前にトリビアです。本作を開発したのは今はなきクローバースタジオ。元々はカプコン出資の子会社で、『Viewtiful Joe』や『大神』を創りあげたまさしく実力派のデベロッパーでした。代表的なクリエイターである稲葉敦志氏は後にプラチナゲームズの設立にもかかわって います。とくに『VJ』は筆者も大好きなタイトルです。
そんなパワフルなクローバースタジオですが、「グループ全体の選択と集中により、効率的な開発展開を図るため」2007年に解散。事実上の遺作となったのが『GOD HAND』です。本作リリースの前後、そこはかとなく微妙な(暗雲に近い)空気が立ち込めていたのを完全ないちユーザー・外様ながらなんとなく感じ取っていたことを覚えています。
クローバーが最後に打ち上げたワンダフルな花火、それが『GOD HAND』です。
サードパーソンアクションゲーム – シンプルにしてディープ
『GOD HAND』のジャンルはアクション(公式には”ゴッドアクション”)。ゲームパートでは操作キャラ”ジーン”の後方に常時視点があるサードパーソンスタイ ルです。いわゆる3Dアクションにおいては柔軟なカメラの移動が一般的であるのにたいし、本作では固定カメラなのが特徴的。どちらかといえば操作感は TPS に近いものがあります。攻撃は原則的に肉体言語。
操作は PS2 コントローラーのボタンを満遍なく活用させるやや複雑なスタイル。基本は□ボタンで連打技・△/☓ボタンで単発攻撃。さらに、□/△/☓入力にはレバー入 力をくわえることで別の技を出せます。これらには100種類を越える技をプレイヤーが自由に設定可能。また、R1では”ゴッドリール”なる必殺技用ルー レットを呼び出します。技のたぐいはすべてゲーム中のショップで購入する成長方式。
ほかの攻撃の手段としては、敵をピヨらせるなど状況限定で発動できる○ボタンアクションや、ゲージ消費型の無敵化・パワーアップ化であるR2ボタン”ゴッドハンド解放”もあります。
本作の要である移動・回避(後述)はまず左スティックで移動と旋回。右スティックでスウェーやダッキング、バク転といった各種回避行動を出せます。
興味深いゲームシステムは多数織り込まれているのですが、1つピックアップすると「明確に変動する難易度」です。具体的には、敵の強さが自キャララ イフゲージのすぐ横に4段階で常時明示されており、ノーダメージで進行すれば上昇・被弾やコンティニュー等で下降するようになっています。これによる難度 の変化はきわめて大きく、被ダメージ量から敵のルーチン、ノックバック耐性にまで影響を及ぼします。なお、ゲーム開始時に選べる HARD モードでは常時最高難度固定になります。
間口は狭くてやたら奥が深い – 無茶だ!
このゲーム、ボタン連打をまったく許してくれません。□ボタンの連続攻撃も適当に振っていると雑魚(モヒカン枠、視覚的にもモヒカン)にすらガード され手痛い反撃を受けます。また、高度な入力テクニックをもってしなければ△や☓等にアサインした単発系の技すら使い道に困るでしょう。
さらに、一対多数の状況ではこれまた相当なプレイヤー技術がなければほぼ負けます。無双系タイトルはもちろん、ほとんどのアクションゲームでは「取 り囲まれた場合の対応技」が用意されていますが、『GOD HAND』にそんな生ぬるいものはありません。基本的に2人以上に相対した場合タコ殴りにされてしまいます。『SPIKEOUT』 以上に敵を分断する戦術が要求されるのです。
さて、なんとかしてタイマンに持ち込んだとしましょう。先述のとおりボタン連打は途中でガードされてしまうためそのままでは通用しません。そこで重要になってくるのが敵のガードを割れるガードクラッシュ技と、回避です。
ガークラは低難度では連打コンボ中にガードモーションを見てから入力することで何とか間に合って反撃をもらわずにすみます。しかし、最高難度 の”Die”に到達していた場合、目視してからではほぼ不可能。音やモーションなどのサインもありません。ではどうするかというと、どうしようもありませ ん。幾度となくプレイすることで、「このタイミングくらいでガードしてくるだろう」という手応えや直感を体に染みこまされる、それが唯一の攻略法になりま す。無茶苦茶言うな!という向きもあるでしょう。そう、かなり無茶なゲームです。そしてそれが楽しいのです。
回避行動は本作の核とすら呼べる要素です。まず、3種類ある回避でそれぞれ避けられる敵攻撃が区別されていること。これはよくあります。ポイントは 「多くの自キャラモーションをキャンセルして出せる」点にあります。大半の通常攻撃はもちろんのこと、被弾モーションすらキャンセルできてしまいます。た とえば、うかつにガード中の敵へ殴りかかり反撃されたとしても、とっさに回避すればノーダメージで切り抜けられるのです。極端なところだと、通常の□連打 攻撃(ジャブ・ストレート・フック・アッパー)すら、最後のアッパーをダッキングでキャンセルしてからジャブへループさせたほうが速かったりします。
パンチの発生速度からはてはコンティニュー画面の素早い遷移まで徹底的にゲームスピードを上げることを重視したと思われる本作において、柔軟なキャ ンセル行動は中核に位置しています。「何かあればとりあえず右スティック」の感覚はプレイヤーへ常に真剣さを求める絶妙の調整です。また、キャンセルにか かる”入力感”とでも表現できる感触は『Viewtiful Joe』にもあったもので、クローバースタジオのお家芸または DNA にほかなりません。こうした方針はプラチナゲームズの代表作『ベヨネッタ』にも受け継がれています。
なぜ楽しいのか – スピードとリプレイ性
本作に類似したタイトルを挙げるとすれば、FC『マイクタイソン パンチアウト』です。軽く撫でて避けて強く殴る、一連のシーケンスはおおむね近しいものがあります。名高い名作と根幹が似ているのならば面白く感じてもさほど不思議ではありません。
しかし『GOD HAND』の”ゴッドアクション性(らしさ)”の本質がどこにあるのかと考えてみると、その敷居の高さにあると結論せざるをえません。敷居が高いことは敬 遠されがちです。それもそうです。ゲームが商品である以上、万人とはいわずとも一人でも多くのゲーマーが楽しめるよう調整してしかるべきでしょう。
ただし、それはあくまでも商売としての話。ゲームが面白いかどうか、あるいは「これは面白い!」と感じるゲーマーへ訴求し届くかどうかは別問題で す。もしかすると、『GOD HAND』はクローバースタジオが閉鎖することがわかっている状態で、ある種の諦観をもって創造された、企業体としては禁断の一作だったのかもしれませ ん。そして、それが稀代の妙味を生みだしたのかもしれません。推測にすぎませんが、もし正鵠を射てしまっていたとしたら皮肉な話です。
敷居の高さは近代アクションゲームとしては異質な高難度をはじめ、コアであるはずのゲームシステム説明をあえて放棄しプレイヤーに気づかせるスタン スなど、随所に込められています。これを挑戦しがいのある快楽ととるか、マゾ向けニッチ向けの狂気ととるかでばっくりと割れてしまうでしょう。そして、快 感を見いだせたゲーマーにはゴッドなアクションを楽しむ権利が与えられます。
もっと精緻に面白さを分解すると、最後に残るのはおそらくゲームスピードです。あくまで人間が知覚可能という範囲内で、徹頭徹尾ゲームを速くするこ とへのこだわりをみせてくれています。なかば不自然ですらあるモーション速度、与ダメージ・被ダメージの分量、上述したコンティニューをはじめとしたあら ゆるゲーム進行、ワンプレイのスパン、すべてがスピーディーなのです。
速さが足りていることは大事です。マゾヒスティックな試練に挑むにあたり、もしコンティニュー画面とロード画面を延々眺めなければならないとした ら? 1チェックポイントの経過に何十分もかけなければならないとしたら? 『GOD HAND』は、ハードルを上げつつもそうしたもてなしの精神を放棄していないどころか、むしろ入念に調整してあります。神は細部に宿るといいますが、まさ にゴッドが宿った形です。
結果、『GOD HAND』が獲得し到達したのは「リプレイ性の高さ」です。中毒性と言い換えてもよいでしょう。初見では理不尽にすら思える攻撃を受けても、体力ゲージを わずか数秒で削りきられてゲームオーバーになっても、ほとんど詰みに近い状況に追い込まれ絶望を味わうことになったとしても、「なにくそ次はこうしてや る」とプレイヤーをムキにさせてくれるのです。導線を極力廃し受け手の創意工夫を信じた、高度な受け皿としての完成をみています。
「リプレイ」の定義はいくつか考えられますが、そのなかにはコンティニューだけでなく周回プレイも含まれています。本作は何周でもプレイできる、そ してそれを前提とした構造になっています。最初に選択するモード(EASY/NORMAL/HARD)でまったく味わいが異なるだけでなく、そもそも「何 周クリアしても楽しい」設計なのです。ある程度慣れてくれば最初から最後まで通してプレイして2時間ほど。心地よい長さです。タイムアタックにも適しま す。
「クリアまでの時間が短すぎる」といういわれなき批判を投げかけられるゲームはちらほらあります。しかしそれ自体はクリティカルな問題ではないので す。「短い=ボリューム不足」なる誤った等式への反論材料として『GOD HAND』は筆者の中で今後燦然と輝き続けるでしょう。
たがを外した世界観 – 『GOD HAND』だからこそ
ゲームを後押しするのが映像演出と音楽です。
全体を通して本作はいわゆる「バカバカしい」ノリを貫いています。セリフ回しやキャラクターの造形、物語、すべてがジョークとウイットに富んだ内容 です。そこだけ切り出しても充分に評価されるべきなのですが、それ以上に重要な意味合いを持ちます。あらゆる違和感を消し飛ばしてしまうのです。
なんでもかんでもキャンセルしてしまうダッキングや、いくらなんでも早すぎる左ジャブ、必殺技”ゴッド本塁打”まで、「まあゴッドハンドだし」で決着・着地可能。ただ単にネジをゆるめるだけではなく、ゲームとマッチングさせる巧妙さへ到達しています。
アクションゲームでは複数のレベルをデザインするにあたり、どうしても違和感が発生しがちです(なぜかどんなゲームにでも登場するマップ「遺跡」な ど)。しかし『GOD HAND』にはそんなものはありません。なぜならはなからトバしているからです。いきなり巨大ロボに乗り付けたり、大砲の砲弾で音ゲーが始まったり、どこ でもドアから剣豪が出てきたりしても、やはり「まあゴッドハンドだし」で済みます。これこそ”世界観”というものでしょう。
また、高田雅史氏が手がけた音楽も特筆に値します。シリアスさとシニカルさが入り交じる軽妙な楽曲群は『GOD HAND』の世界を力強く支えるものです。ゲームミュージックが公式サイトでピンのコンテンツとして紹介されているのはめずらしいのではないでしょうか。
惜しむらくは、完全なサウンドトラックが販売されていないこと。ゲームソフトにサントラは付随するのですが、印象的な曲も含めてかなり削られてし まっています。とくにエンディング曲「俺の右手はゴッドハンド」は、無茶なゲームを締めくくるにふさわしいすさまじさを内包していただけに残念です。今か ら完全盤サントラが出る見込みは絶望的なくらい0に近いとは思われますが、奇跡を期待し続けてしまうファンは私以外にも存在するに違いありません。
総括 – 万人向けでなくとも
『GOD HAND』は『SPIKEOUT』と同じく軽々と人に薦められるゲームではありません。各種攻略サイトの熟読は言うに及ばず、場合によっては入念な人力 チュートリアルすら必要となるでしょう。触ってすぐに楽しいゲームではなく、むしろ不自由さすら感じるかもしれません。
それでも、『GOD HAND』は素晴らしい作品です。深遠なゲームシステム、心地よいテンポ、勢いのある世界等など、創造主が何をしたかったのかがひしひしと伝わってくるのです(妄想かもしれませんが)。
とくにコンシューマー機向けのタイトルでは「ゲームの構文」とでも呼ぶべきお約束が”蔓延”してしまいました。良きにつけ悪しきにつけ、昨今の作品 には暗黙のルールじみた設計が定着してします。標準化という意味では、門戸を開けゲームの楽しさを万人にしらしめるために必要な事象でしょう。
しかしながら、たまにはそんなしがらみから解き放たれた、あるいは逸脱したゲームが出てきてもよいのではないでしょうか。売れないかもしれません。 批判されるかもしれません。ですが、なればこそ、ゲームはピラミッド状の生態系として、そして文化として成立するのではないでしょうか。何もかも同じ精神性では面白くありません。
願わくは、そんな尖った作品と創り手が保全される組織体制が運用されますことを。