『Layers of Fear: Inheritance』レビュー 血も凍る怪奇。死美女に襲い掛かる画家の狂気に戦慄す

8月3日にリリースされたホラーゲーム『Layers of Fear: Inheritance』は、『Layers of Fear』の追加ストーリーをプレイできるDLCだ。本編では狂気に陥った画家が主人公だったが、『Inheritance』ではその画家の娘を主人公という立場に変えて、恐怖のストーリーが描かれる。

8月3日にリリースされたホラーゲーム『Layers of Fear:Inheritance』(以下、『Inheritance』)は、『Layers of Fear』の追加ストーリーをプレイできるDLCだ。日本語版もでている。本編では狂気に陥った画家が主人公だったが、『Inheritance』ではその画家の娘を主人公という立場に変えて、恐怖のストーリーが描かれる。「Inheritance」とは、遺伝によって子孫に継承される性質や特徴のことを指す「遺伝形質」という言葉である。もしあなたがホラー愛好家であったら、このタイトルの時点ですでにネタが割れているかもしれない。私がこのDLCを本編よりも高く評価するポイントはそこでもあるのだが、そのことについてはのちに触れることにしよう。

『P.T.』以後の恐怖演出

『BIOHAZARD 7 BEGINNING HOUR』がそうであったように、おそらくは今後も『P.T.』に影響を受けたホラーゲームが続々と出るであろう。『P.T.』はそういう意味でホラーゲームのパラダイムシフトであったとさえ思うのだが、『Layers of Fear』はその中でも一番最初に名乗りをあげたゲームである。アクションよりも演出重視に傾斜した『Layers of Fear』は、敵の概念がない点でポスト『P.T.』と見て間違いないだろうが、恐怖演出はだいぶ違う。

現代最高のホラー映画監督であるジェームズ・ワンの映画『死霊館 エンフィールド事件』を観てもわかるとおり、観客を狭い空間に置いて、ある一点に注意を引きつけ、そこに至る絶妙な間合いをとりながら観客の想像力を引き出す。これが現代の恐怖演出のトレンドだ。『P.T.』はただひたすら同じ廊下の移動を何度も繰り返すことによって、プレイヤーがその廊下の光や音のわずかな変化に対して人一倍に敏感にさせることによって恐怖を増幅させることに成功した。

一方で『Layers of Fear』の特徴は、何か一点に注意を引き付けながら想像力を刺激するというよりも、いきなり風景が様変わりすることがホラー演出の肝になっている。横を見たり、振り返ったりすると、そこになかったはずのものが突如として目の前に出現する。一人称視点のゲームなので、視線を変えることにいちいち身構えていられないので、プレイヤーは意表をつかれ驚かされるわけだ。

『P.T.』
『P.T.』

『Layers of Fear』の抽象性、その先に……?

『Layers of Fear』の問題点を挙げるとすると、狂気に陥った主人公の画家と、それにまつわる家族のストーリーの描写があまりにも曖昧すぎる点だ。主人公の精神世界が舞台なので、描写は始終一貫して主観的であり、抽象性を極める。断片的な情報から、なんとなく家族の身に起こった輪郭は掴めるのだが、それが結局のところ『P.T.』と同じ構造であることは早々にわかる。いったいこのゲームがその先に何を描こうとしているのか、そのことがプレイヤーは全く掴めないままゲームはいささか唐突な形で終わりを告げるのだ。

『Layers of Fear』と半年違いのリリースだが、(ある意味で)伝統的な一人称視点ホラーゲームであった『SOMA』のほうが、より興味深いストーリーを提供していた。それは『サイレント・ヒル2』を思わせておいて、心地よく裏切ってくれた。だが、ポスト『P.T.』の一番乗りを果たし、新しいパラダイムで歓迎すべきはずだった『Layers of Fear』を、私がいまひとつ評価できなったのは、恐怖の演出というスタイルの差異までは築けても、描こうとした内容は『P.T.』からほとんど抜け出せなかった点である。

例えば『BIOHAZARD 7 BEGINNING HOUR』は、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』『悪魔のいけにえ』や『死霊のはらわた』『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(『ダークハウス』にも似ているがこれは関係ないだろう)などの1970年代付近のアメリカのホラー映画的な常套表現を随所に導入することによって、『P.T.』的なスタイルを踏襲しつつも、まったく新しいホラーゲームを誕生させていた、といえる。

『BIOHAZARD 7 BEGINNING HOUR』
『BIOHAZARD 7 BEGINNING HOUR』

そして、『Layers of Fear:Inheritance』へ

さて『Layers of Fear:Inheritance』はどうだったのだろうか。『Inheritance』は、本編と同じく洋館の玄関から始まる。だが本編と違い、家の中は廃墟となり荒れ果てている。本編に登場した画家の娘は幼い子どもだったが、『Inheritance』では成人女性の内的独白(ヴォイス・オーバー)が入り、どうやら本編から時間が経過した後日談のようだ。『Inheritance』は、この内的独白の要素があることによって、『Dear Esther』『Gone Home』などのウォーキング・シミュレーターにより近づいた作風になっている。誰もいない家は『Gone Home』の感触と極めて似ているだろう。

しばらく家の中を彷徨うと特定の場所で過去をフラッシュバックして、プレイヤーは精神世界に連れて行かれる。娘は父親と違って狂気に陥っているわけでもないのに、なぜ精神世界が描かれるのか?それは娘が父親から虐待されていたトラウマが引き起こしたものだ。『Layers of Fear』は狂気が作る精神世界だったが、『Inheritance』はトラウマによる幼かった過去についての精神世界であり、その主体が微妙に違うわけである。視点の位置が低く、これは2歳児が主人公だったホラーゲーム『Among the Sleep』の影響も多少あるかもしれない。

『Inheritance』の精神世界の視覚的な描写は、やり過ぎ気味であった本編よりも抑制がとれている。恐さは減ったかもしれないが、光の演出はより美しい。ちなみに、開発元のBloober Teamの次回作はサイバーパンク・ホラーの『Observer』である。この表現力なら大いに期待できそうだ。

『Inheritance』の精神世界は本編ほど抽象的ではない。というより視覚的表現こそ抽象的だが、描かれてることはかなり具体的だ。それどころか精神世界で過去の回想を終えて、現代に戻ってくると、現代の主人公から内的独白で“注釈”すら入る。すなわち、この『Inheritance』は本編の続編というよりも、むしろ解答編になっているのだ。このゲームは『ひぐらしのなく頃に』のようなミステリではないが、こうなってくると本編『Layers of Fear』の評価すら、修正しなければならない。なぜなら『Layers of Fear』は『Inheritance』という副読本でもって始めて完結するからだ。だが、ここはもうひとつ副読本の存在を指摘したい。それが冒頭で述べた「遺伝形質」に関わる部分である。その書物とはエドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』だ。

狂気の系譜とは

狂気に陥った作家というテーマは『シャイニング』など、スティーブン・キングが得意とする主題である。だがその雛形は、エドガー・アラン・ポーで完成された。ポーのもっとも有名な作品である『アッシャー家の崩壊』には、こんな一文がある。

彼は自分の病気の性質と考えていることを少し詳しく話しだした。彼のいうところによると、それは生れつきの遺伝的な病であり、治療法を見出すことは絶望だというのであった。――もっともただの神経の病気で、いまにきっと癒ってしまうだろう、と彼はすぐつけ加えたが。その病気は多くの不自然な感覚となってあらわれた。

この『アッシャー家の崩壊』の「遺伝的な神経の病」とはまさに「狂気」のことなのだが、後天的ではなく先天的なものであり、ここで初めて「呪われた家系」というホラーの系譜が誕生する。だが、『Layers of Fear』の絵画といった要素は意外にも『アッシャー家の崩壊』には登場しない。
ここで浮上してくるのが、『アッシャー家の崩壊』の映画化作品である『アッシャー家の惨劇』である。『アッシャー家の惨劇』は主人公が書物に耽溺している原作の設定が、映画では絵画に置き換えられて、視覚的にも重要なモチーフになっているのだ。また家族関係も変わっており、娘ほどの歳の離れた妹や、妻に先立たれたアッシャーが意気消沈している原作にはなかった様子が描かれている。このあたりの設定は『Layers of Fear』と似ているといえるだろう。『Inheritance』のクライマックスは特に酷似しているのだが、流石にここには触れないでおく。

『Layers of Fear』のほとんど意味不明な描写が、『Inheritance』ではっきりと判明し、それもまたポーが作り出した常套表現を踏まえていると考えれば、なるほど、納得がいく。例えば、ただれる顔面の描写はポーの映画『赤死病の仮面』といったところだろう。

『アッシャー家の惨劇』(1960年)
『アッシャー家の惨劇』(1960年)

『BIOHAZARD 7 BEGINNING HOUR』が1970年代以降のアメリカのホラー映画に忠実な要素があると前述したが、実のところ『Layers of Fear』もまたホラーの歴史に正統的で、極めて忠実であったということである。しかしその構造は『Inheritance』ではじめて判明するものだ。ある意味で、本編はポー的な要素を隠し続けたということであり、それは『Inheritance』の展開を隠すためでもあるのだが、その巧妙さは感嘆する他ない。『P.T.』のフォロワーである2本とゲームが、それぞれ新しいスタイルを貪欲に取り入れつつも、それぞれの視座は一方でモダン・ホラーであり、もう一方は(モダン・ホラーとみせかけて)ゴシック・ホラーという別々の道を歩みだしていたわけである。

『Layers of Fear:Inheritance』がゴシック・ホラーだからといって、そのテーマが作品の中で閉じられたものと解釈するのは間違いだ。それは我々に向かって放たれている。ポーが『ライジーア』で「狂気とは最も崇高な知性であるかどうか、この疑問はまだ解説されていない」と逆説的に問題提起したように、狂気と知性は表裏一体なのだ。

そんな心構えができたら『Layers of Fear:Inheritance』をプレイするには十分だ。丑三つ時に部屋に誰もいないことを確認したら、部屋の明かりを消してゲームを起動しよう。涼しくなってきたが、ここはあえてクーラーは強めに。そうすることで血が凍りやすくなるので、恐怖の歯車が駆動しやすいのだ。この残暑を乗り切るにはぴったりというわけである。

Koji Fukuyama
Koji Fukuyama

小学2年生のときに、『ドラゴンクエスト5』に出会い、「ゲームは、ゲーム独自の手法を使って人間のドラマや物語を伝えることができる」ということに衝撃を受けました。そこから一貫して、ストーリーメディアとしてのゲームに注目しています。

同時に中学生から映画を浴びるように見始め、西部劇やホラー、SF映画など、アメリカの古典的なジャンル映画をとくに偏愛しています。

オールタイムベストゲームは『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』。このゲームで感じた面白さや感動を再び体験するために、ずっとゲームを続けています。

記事本文: 38