和風メトロイドヴァニア『ボウと月夜の碧い花』ってどんなゲーム?「かわいいなぁ~」という最初の感想を後悔するようになる高難度アクション

和風メトロイドヴァニア『ボウと月夜の碧い花』ってどんなゲーム?日本の神話や民話をモチーフにした、和風で柔らかな手描き調のグラフィックや音楽が印象的な作品である。しかし高難度。

マーベラスは7月18日に探索型2D和風アクションゲーム『ボウと月夜の碧い花』をPS5/Nintendo Switch向けに発売する。また本作は日本語に対応する。

本作はタイのデベロッパーSquid Shock Studios, Christopher Stair, Trevor Youngquistが開発を手がけ、パブリッシャーはPS5版とNintendo Switch版はマーベラス、PC(Steam)/Xbox Series X|S版はHumble Gamesがそれぞれ販売を担当している。日本の神話や民話をモチーフにした、和風で柔らかな手描き調のグラフィックや音楽が印象的な作品である。

発売に先駆け、筆者はNintendo Switch版をプレイする機会をいただいた。本稿ではそこで触れた内容をお伝えしていく。時間の都合もあり、すべてを探索することは叶わなかったが、12時間程度のゲームプレイを行った。物語やゲームの根幹に関わるネタバレには触れていないため、検討している方は参考にしていただければ幸いだ。

世界に秘められた棘

この作品を外側からだけで判断しようとするならば、独特の見た目のキャラクターや美しい手作り調のグラフィック、アンビエント調のBGMも相まって、柔らかで穏やかなプレイフィールの作品をイメージするかもしれない。しかしその実態はといえば、緻密に計算された、恐るべき高難易度アクションゲームだ。

画面に展開されている幻想的で深い森は、漂っているだけで木々に魂を吸い込まれそうな独特の妖気で満たされている。垣間見える闇は深くて恐ろし気である。こだわりを感じる光と影の表現や、疑似的な遠近法による背景は緻密に描き込まれており、思わず見とれてしまう。このような静謐さすら感じる世界に、激しいアクションシーンは似つかわしくない気もするが、案外こういう誰からも見えないところでは、なんでもありの世界が繰り広げられているのかもしれない。たとえば、人間にだって自身の中にマイクロバイオームとよばれる、多種多様な微生物の世界のコミュニティがあることなど何も知らずに生きていることを思えば、何がどこであったとしても不思議ではない。

本作の主人公はこの世界でキツネの「テンタイハナ」と呼ばれる存在のボウ。「妖の国」と呼ばれるところにいる妖怪だ。オープニングでボウは月夜に照らされながら、どこからともなく空から落下してくる。詳しい背景は不明だが、プレイヤーはまるで古の行脚僧や旅人のように、この日本風の世界で難行苦行の旅にでていかなければならない。

優雅で伝統的なメトロイドヴァニア

ゲームプレイとしては、いわゆる「メトロイドヴァニア」と呼ばれる探索型の横スクロールアクションゲームになっている。操作系統は直感的でスタイリッシュであり、安心感があるものだ。何らかのゲーム経験がある人ならば、すんなりと操作ができるだろう。スティックで移動し、障害物や向かってくる敵をジャンプしたり、空中でダッシュをしたりするものだ。また、オブジェクトや敵を叩いて破壊したり掴んで投げたり倒すことで、ゲーム内で使える通貨を稼ぐ要素もある。今作ならではの特徴的な要素としては、空中で物や敵を叩くと再度ジャンプが可能な「ヒット&フロー」と呼ばれるアクションがあり、作品内では、重要な基本技として頻繁に使うことになる。「ヒット&フロー」アクションが本作の個性ともいえるだろう。

ゲームの基本的な作りも、ジャンルのフォーマットを手堅く踏襲したものになっている。敵を倒し、クエストを達成して報酬をもらう。店で買い物をし、装備品を充実させていく。そして、己の腕を磨き、ボスを倒していく。メトロイドヴァニアアクションなので、ボウはどこでも行くことができるが、高さなど物理的な理由でいけないところは当然ある。それで行けるところはとことん探索し、発生したイベントなどを通して新しい能力を習得したりアイテムを入手したりすることで、今まで到達できなかった新しいエリアにアクセスできるようになる。素直な操作性も相まって、流麗な世界でボウの腕を振るっているうちに、プレイヤーのこの世界への没入感は高まっていく。

鮮やかな古の日本風アートと残酷過ぎる世界

ゲームを始めると、奇妙な生物や狐面のような顔をした妖怪たちが登場するアニメーションが始まり、それが終わるとすぐにボウを動かせるようになる。鬱蒼とした竹林で、月明りを浴びながら立ち上がった狐のような顔をしたボウ。なるほど、日本の民話を題材にしたというだけあって、このあたりはどことなく竹取物語を思わせる。

とりあえず夜の竹林をひた走ってみる。疾走感が気持ちがいい。段差を無意識にジャンプで越え、落下しそうな不自然な色がついた足場をわざと落とす。足場の下部には乱杭のような尖った竹のようなものが敷き詰められており、落ちればただではすまないだろう。もちろん落下前にジャンプして近くに飛び移る。このあたりはアクションの基礎がしっかりおさえられている。

それにしても繊細な手描き風のグラフィックは絵画のように美しい。見ているだけでも楽しめる世界と言うのはいいものだ。そんなことを考えながら景色を味わいつつしばらく進むと、アサヒなる人物に出会った。彼は「天界からの授かりもの」であるはずのボウの身体が小さいことが気に入らず、神への畏敬の念すら失うと問題発言をして、ボウにとっと去れと失礼な態度を見せていたが、つけていた耳飾りをみると態度を一変させて話をするようになる。

余裕しゃくしゃくの立ち上がり

おつかいクエストをアサヒから受けたので、竹を取りに来た道を戻ると、遠くに見える城周辺にジブリの巨神兵のような何かが徘徊しているのがみえる。ちょっと気にはなったが、とくにできることは何もない。ピクニック気分で散策しつつ、竹を集め終えてアサヒの下に帰ると、「その従順さ、まるで無知な仔犬のようだ……」と再び失礼なことを言う。

ここで杖による攻撃が解禁され、障害物を破壊することで先に進めるようになった。新しい能力やアイテムによって行けない所に行けるようになるのはメトロイドヴァニア系の醍醐味だ。同時に解禁されたお茶を飲んで体力を回復する演出も粋で好ましい。

だんだん段々となくなる余裕

だが、牧歌的な余裕はすぐに消え失せた。チュートリアルで指示された「空中でYを押して物をたたくともう一度ジャンプできる」が、的確にできない。ジャンプして、空中で攻撃して、再度ジャンプして……というコマンド入力は意外と難しいのだ。しかし、まだゲームは始まったばかりだ。何とかしようとやけくそ気味にジャンプと攻撃を同時に押し、連打してなんとか乗り越えた。再現性は低いが結果が大事なので、多少やる気が戻った。昔友人が格ゲーでやっていた、レバーをガチャガチャし、ボタンを連打すると偶然何か技が出る、みたいなやりかたをしていたのを思い出した。

再び少し進むと、今度は「下にいる敵や物にL+Yで下方攻撃を当てると身体が少し浮く」とある。そうきたか。今回は複数の箇所で正確に技を成功させないと、落下してしまい、最初からやり直しとなってしまうので、再現性の低いガチャガチャ操作では、もう先には進めないのははっきりしていた。どうにかしなければならないが、冷静に考えてみると、この世界には時間の概念はない。焦る必要は全くないのだ。それで一つずつ確実にボタンを押していくように心掛けてみた。最初上手くいかずにガチャガチャ操作に戻りかけたが、そこは耐えて確実な操作を我慢して続けていった。そうすると、案外入力までの時間はあるのだと理解でき、ちょっとコツがわかってきた気がしてきた。そうこうしているうちに最初に苦戦していた二段ジャンプも、いつの間にかスムーズにこなせるようになってきており、上達を少しは実感できるようになっていた。


ゲームを進めて新しい機能を手に入れても、嬉しいというよりは、また新しい使い方を覚えなければならないと考えてしまい、つい新規の技なしで先に行こうと考えてしまいがちだが、本作は新しい機能を使わないと先に進めないデザインになっているので、望まずとも使わざるを得ない。だがそのおかげで、自然と新スキルをマスターしていた。この辺りは実に巧みな設計である。ボスらしき存在と戦闘になった際にも、何度も戦っていたらパターンがわかるようになり、勝つことができた。

つまり序盤の竹林エリアとは、基本中の基本にあたる技術を学ぶ場所だったのだ。ここで習得した技術は、ゲームを続けていく上で必要不可欠なサバイバルスキルであり、この段階でプレイヤーがしっかりとマスターするように設計されていたのだ。

急激な難化について行けず余裕どころかボコボコに

ボスも倒し、いよいよこれからが本番というところだが、本格的に話が動き出すと、ボウにとって死はさらに身近なものになっていく。わずかな隙間を紙一重で通過しなければならない不可能にすら思えるシーケンスは、一つのミスが死に直結している。もしチェックポイント前に失敗すれば、初めのところにまた戻されてしまう。あまりに死に過ぎて、いったい今まで何度リスポーンしたのだろうか、などとどうでもいいことを真剣に考えてしまった。

つまりこの作品がフォーカスしているのは戦闘体験ではなく、テレビ番組の「SASUKE」のようなアスレチック的技量なのだ。死はトライアル&エラーのレベルデザインに組み込まれている。それは現在、そして未来の課題をクリアするために必要な技量を学ぶために必要な犠牲であり、学び終えるまでは死に続けなければならない。となれば筆者のような下手なプレイヤーは、息を吐くように死ぬ。本作で達成感を得るためには、忍耐力とプレイヤーの握力に耐えるコントローラーが必須だ。


苦しくても希望はある

プレイヤーの成長だけが肝となれば、当然進行に限界を感じる人がいてもおかしくはない。そこで助けになるのが、ゲームの進捗に合わせて入手できるアイテムの数々である。それらは、難易度と歩を合わせるように基本プレイを助けてくれるのだ。町では杖の強化もできるし、新しい施設をアンロックすることもできる。また、「お守り」を装備することで攻撃力をアップさせたり、速度を上げたり、金運を上昇させたりと様々なご利益を享受できる。さらには、強力なスキルを有した「だるま」をつかった攻撃も可能になる。


不思議な人々との邂逅も興味深い。たとえば、最序盤に出会ったアサヒとは、気になるストーリー展開があり、二人の関係性は大きく変わっていくのだが、その過程では琴線をずいぶんと揺さぶられた。他にも、言葉が通じず、誰とも意思の疎通ができなかった異国の女性「朱キ異邦ノ者」は、話をすすめて会話が可能になると「コドク、ツライ」などと、誰にも話せなかった心のうちをボウに打ち明けてくれたりするようになる。ちなみにこの奇妙な鍋のような乗り物に乗った女性は、ボウとのコミュニケーションにただ喜んでくれるだけでなく、ファストトラベルを提供してくれる超重要人物でもあるのだ。そのような奇妙な人々との奇妙なやりとりを通じて世界が広がっていくのは、本作の見どころの一つである。

伝統的なプラットフォームゲームの宿命

ゴージャスな作品であり、高度に計算されつくされている本作だが、予測可能なクリシェが気になったのも事実だ。プラットフォームゲームにおいて、トランポリンのように跳ねて飛び上がって先に進んだり、ワイヤ的なものを引っかけてタイミングを見計らって先に進んだり、一定のタイミングで弾き飛ばせる攻撃を放つ敵などには既視感があるが、それらの要素は本作でも頻出しており、そのあたりにおいて新しいものを期待し過ぎるべきではないだろう。もちろん歴史のあるジャンルであり、むしろそういった安定感が大事なのは理解出来る点ではある。


それにしても見映えのする作品である。必死に難所を超えようと四苦八苦している時ですら、背景の素晴らしさに時々気付いてはっとして手を止めることはよくあった。虫が蠢き鳥が飛ぶ。雲間から光がのぞく。北斎のような波が足元をさらい、桜の都では花びらが舞い散る。気に入った景色をみつめて、ぼんやり画面を見つめていたのも一度や二度ではない。途中に差し込まれるアニメーションムービーのできもよい。

最後に

本作は優し気で手作り感のある美しいアートワークに魅せられた人に容赦のない洗礼を喰らわせてくる恐るべき作品である。作品の規模は巨大であり、かなりのボリュームがある。この忌々しくも甘美な世界に軽い気持ちで触れれば、ただではすまない。この種のゲームに不慣れなプレイヤーが、努力なしに美しい世界を堪能できるような作品でないことは、念頭に置いておくべきだろう。


いうならば、前衛的な芸術品のような作品なのだ。キュビズムといえば言い過ぎかもしれないが、手描きのイラスト調の幻想的で温かみのあるビジュアルは印象的で、魅惑的な音楽と相まって心地よい世界観を作ることに成功している。そこに高難易度アクションを融合させることでプレイヤーを容赦なく何度も地獄に叩きこむスタイルとのギャップには面白さを感じた。プレイフィールは、トレンドから大きく外れた作品ではなく、メトロイドヴァニアスタイルを破綻なく踏襲しており、その難しさは時に苛立つこともあるが、挑戦し続けるモチベーションを保つのに十分なクオリティを有している。

現実世界で昔話に出てくるような未知で満たされた日本を冒険したいと望んでも、それは不可能だが、本作ならば美しい日本風などこかで難所を超えるための努力を、時間制限もペナルティもなく楽しむことができる。そのように古の人々に思いを馳せながら本作をプレイするのも一興かもしれない。

『ボウと月夜の碧い花』PS5版/Switch版/Xbox Series X|S/PC(Steam)版は、7月18日発売予定だ。

Masamune Oda
Masamune Oda

ゲームは何でも遊びますが、とくにシミュレーション系が好きです。時々古いゲームからしか得られない栄養をとってます。

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