『For Honor』は分類分けのしづらいゲームである。いや、むしろ遊ぶモードによってゲームが違うといってもいいのかもしれない。操作系統の変わらない根幹部分を「剣戟アクション」と呼ぶならば、「ストーリーモード」はサムライ、ナイト、ヴァイキングが混在する謎の世界観で戦っていく剣戟アクションだろうし、マルチプレイの「ドミニオン」モードはドミネーションルールの無双系剣戟アクションだ。「エリミネーション」や「スカーミッシュ」は多人数乱戦系剣戟アクション、そして「ブロウル」「デュエル」は剣戟格闘ゲームと呼ぶのが相応しい。
ゲーム全体に関しての論評をするつもりはないし、それが簡単にできるとも思わない。どのモードが一番面白いか、完成度が高いのかを比べるのも意味がない。個性豊かな各モードは、さまざまなニーズに対応したやりこみがいのあるものだし、好みによって刺さるモードにも違いがあるだろう。ゲーム全体として総じて完成度の高い作品ではある。ただし現状、ユーザーインターフェイスに重大な欠陥を抱えている点はいただけない。サーバーの状態も非常に悪く、マルチプレイタイトルにとってもっとも人口が多い発売直後におけるプレイ環境の悪さは、タイトルにとって致命的なダメージになる可能性があることを考慮した上で、早急な改善が必要である。この二点だけは指摘しておかない訳にはいかない。
この稿で扱うのは魅力あふれるいくつかのゲームモードの中で、もっとも格闘ゲーム色が強い「デュエル」「ブロウル」に絞らせてもらう。「デュエル」は一対一、「ブロウル」は二対二の対戦モードである。なぜこのモード、特に一対一の果し合いである「デュエル」に着目するのか。それは非常にシンプルに、このモードが「格闘ゲーム」の歴史の文脈上として語られるに相応しい内容になっている点にある。特に「三人称視点」でここまで完成度の高い駆け引きを可能にしたシステムは革新的であり、その上で既存の格闘ゲームとの違いが明確になっている。
明快かつシンプルな操作システム
『For Honor』の操作系統は実に珍しいものだが、それは難解であるという意味ではなく、一度慣れてしまえば至ってシンプルなものだ(以下、操作説明のボタン名称はPS4版のもの)。通常のTPSと同じように左スティックで移動、通常時は押し込みでダッシュ。R2を押しっぱなしにすれば「構え」を取ることができ、そこからL1で弱攻撃、L2で強攻撃を放つ。構え中に×ボタンでステップ、□ボタンで防御崩し(いわゆる投げ)を繰り出すことができる。
そしてこのゲームで恐らくもっとも一般的に理解しづらい、最初に当たる壁となる点が、右スティックで「構え」の向きを変えることができるという点だ。上構え、右構え、左構えの三種類があり、試合中はそのどれかの構えを取り続ける。このゲームにおける攻守両面のポイントだ。たとえば上構え中に弱攻撃を押せば上からの攻撃、右構えの時に攻撃を仕掛ければ右攻撃になる。防御時も同じように、上構え中は敵の上構えからの攻撃を自動防御し、右構え中は敵の右構えからの攻撃を自動防御する。構えの方向がかみ合えば自動で防御してくれるシステムだが、逆に言えば上構えをしている時、右と左構えからの攻撃には完全に無防備になるということでもある。防御側は相手がどの構えから攻撃してくるのか見極めた上で構えを変えつつ戦わなければならない。
そういう言い方をすると難解な印象を受けるかもしれないが、相手が上からの攻撃をしているのか右からなのか、それとも左からなのかは画面上に表示されているインジケーターでほぼ常に視認できるようになっており、防御の難易度をぐっと押し下げている。ざっくりと説明してしまえば、このゲームの基幹システムは、「攻撃側は相手の構えと別の方向を攻撃する、防衛側はその攻撃方向を見て防御する」、ただそれだけの単純な作業の応酬でしかない。それだけの説明を聞けば、それをずっと繰り返せば千日手で勝負が中々つかないような印象を受ける。しかし事実はまるで逆だ。
防御側に味方する「システム」攻撃側に味方する「心理」
たとえば一般的な2D格闘ゲームにおいても「しゃがみガード」という防衛手段は非常に有効度の高いものだ。上段、下段の攻撃を完全に防げる防御姿勢を続けるスタイルは、黎明期の格闘ゲームでは「待ち」と呼ばれ忌み嫌われた。それはその消極的な戦い方に対する批判ではなく、その戦法自体の強力さに起因している。しかし格闘ゲームの発展と共に、それを「崩す」手段もまた発展してきた。もともと「投げ」というシステムは「待ち」を崩す為にあり、それに加えしゃがみガードに通る「中段攻撃」「ガード不能攻撃」、一定以上攻撃を防御し続けると防御体勢が崩れる「ガードブレイク」などは、待ちに対する手段の一般的なものとなり、「待ち」というシステムは廃れた。
『For Honor』においても、ガードを崩すシステムはいくつか存在している、前述の「ガード崩し」や「ガード不能技」などがそれにあたる。しかし非常に興味深いことに、実はこのゲームの「ガード崩し」や「ガード不能技」は決して絶対ではないのだ。構え中に□ボタンで出せる「ガード崩し」、これはその崩しが当たった瞬間に防御側が□ボタンを押せば「ガード崩し崩し」になり、防衛有利になるという性質がある。タイミングも実はそこまでシビアではない(β版から製品版で抜けるタイミングは多少シビアになったが、運営によればそのタイミングはβ版に戻す予定とのこと。つまり投げぬけはさらに容易になる)。
「ガード不能技」にいたっては、ガードはできない代わりに攻撃インパクトの直前にR2ボタンで出せる「パリィ」によって、いとも簡単にはじくことができてしまう。パリィをされた相手は、大きくスタミナを削がれるというデメリットもついている。スタミナが切れた状態になるとインジケーターに相手の攻撃方向が表示されなくなり、投げられると必ず転倒してしまうという非常に大きなデメリットを負うこのゲームにおいて、その状態に陥ることはまさに窮地だ。
これらのゲームシステムは、ほとんど全て防御側を助けるために作られているように設計されている。上手な防御がそのまま攻撃につながるという珍しい戦闘システムともいえる。しかしゲームそのものが防御側に有利だといってしまうのは的外れだ。
システムが防御側に有利を与えるのなら、攻撃側には「心理的な優位性」が強力に味方している。それを簡単に、ごくシンプルに言えば、「人間の意識配分と集中力には限界がある」ということである。三種類の構えだけなら意識を向けられるだろう。崩しがくることが「わかっていれば」対応できる。常に平常心なら全ての攻撃をパリィで取れるかもしれない。しかし残念ながら人間という生物の心はそこまで万能かつ頑強にはできていないのだ。その全てに均等に完璧に意識を向けることは困難を極める上に精神が削られる。逆に攻撃側は自分の行動を常に散らしながらスタミナ管理をしつつ、相手の集中力が崩れるのを待てばいいのだ。人間である限り必ずどこかでミスを犯す。そこを確実に刺していきペースを乱せば、勝ち筋は必ずどこかに見える。防戦メインで戦うことは精神をすり減らすものだ。どれほど達人級のプレイヤーでも、永遠に防戦していて集中力が途切れないことはない。しかも一撃が大きく、一ミスで即死もあり得るこのゲームにおいて、その疲弊は激しく、その心理的な不均衡はそのまま攻撃側の有利である「心理的アドバンテージ」を生み出していく要因となっていく。
「戦闘狂」と化すプレイヤー
便宜上「攻撃側」と「防御側」という分けかたで解説はしたが、もちろん当然のように対戦中はめまぐるしく攻守入れ替わることになる。攻撃を繰り出して相手のミスを誘っていくかと思えば、パリィで逆転を狙っていたり、わざと敵から崩しが狙える位置取りで崩しを誘いさらなる崩しを狙っていく、あるいは相手が出しやすい攻撃の方向のガードを意図的に解いて攻撃してきた所を避けて反撃する。シンプルな操作感だからこそ裏の裏、さらにその裏をかいていくようなプレイを目にすることもあれば、自分ですることもできる。また、このゲームには高所から落とす、間欠泉に投げる、逆茂木に突き刺すなどの地形効果で一撃死する仕様があり、そこに落とす投げるという読み合いが常に発生している。自分と敵の位置取りも気にしていないと、あっという間に一戦が終わってしまう。
そして、お互い最後の一太刀で勝負が決まるという場面で、こちらのステップにつられて攻撃してきた相手に、文字通りカウンターでステップ大攻撃が刺さったときの快感。それはまるで、脳内のあらゆる麻薬的物質がはじけとぶように瞬時に駆け回りながらも、同時に血の気がすっと引いていく感覚。一度味わえばケミカルな薬物のごとき中毒性だ。その瞬間、人間が社会的生物でありながらも戦いを一種の「嗜好」として楽しんでしまう実に愚かな生物であることに気づかされるが、自分もその愚かな生物の一員だと認めてしまえばいい。昨日まで格闘ゲームなど触ったこともなかった人間でさえ「狂戦士」の一員となる。ごたくを並べて常識人を気取るのはやめよう。敵を屠るのは快楽なのだ。殺し合いは娯楽なのだ。犯罪は犯せないが、ゲームの中なら楽しめるし、思い切り楽しんでも許されるのだ。無駄を徹底して削ぎ落としたシンプルな操作だからこそすぐに行き着くことができる「読み合い」の底の見えない深みは、他の格闘ゲームが努力と研鑽の末にたどり着く境地へのハードルを革命的に引き下げた。その戦闘はジリジリとした緊張感とめまぐるしく変化する戦いの流れの中、冷徹な情況判断能力を必要としながら、激しく氷刃の鍔迫り合いや振り下ろされる戦斧が激しく交錯する極限の高揚感と絶頂の中にある。まさに「死合い」であり、血肉踊る戦闘狂の宴。それが『For Honor』というゲームの本質だ。
「勝てば次」「負けてもすぐ切り替えられる」という一回の戦闘の短さ、テンポのよさも中毒性を助長させる一因だし、一回の戦闘が全5本の3本先取のルールになっているのも巧妙だ。なぜなら『For Honor』の対戦において、相手の実力の「見極め」は仕合の勝敗を決める極めて重要なファクターだからだ。初見の相手の実力を過大評価し、キャラクターの個性に合わせた基本的な立ち回りをしてくるだろうとこちらの動きを決め打ちしてしまうと、初心者の無策の突撃にすら手も足もでない。このゲームにおいて、自分の頭のなかに混乱が生まれることは、その時点での「勝負あり」を意味する。しかし2戦もすれば相手がどの程度の実力なのかは完全に把握できる。相手の力量を見極めるための2本と割り切れば、その後の3連勝は比較的よく起こることだ。格闘ゲームで「ガチャプレイ」に対応するのにかかるラウンドだと思えば分かりやすいだろう。ムーブ自体のバリエーションがさほど多くないこの作品において、相手の実力を図るには、その動きの2手3手先にある相手の狙いの見極めが必要になる。どれだけ短時間で相手を見極めることができるのかも、このゲームでの実力の一つである。
筆者自身がこのゲームを「格闘ゲーム」だと認識したのは、他の人よりもかなり遅い方だったように思う。興味深いのは、普段格闘ゲームをしない人々が先にこのゲームを「格闘ゲーム」と認識していたことだ。思えば個人的に好きなジャンルのゲームとしての「格闘ゲーム」の歴史や知識が、知らない間に強い認知バイアスを自分自身にかけてしまっていたのだろうと思う。しかし、原点に返って考えるに、格闘ゲームが格闘ゲームたるゆえんが、究極的に「コマンド必殺技」や「ジャンプ攻撃」「フレーム単位のコンボ」ではなく、「純粋な読み合い」に行き着くのものであるならば、『For Honor』のもたらす感覚、感触は間違いなく「格闘ゲーム」のそれである。もちろん多くの格闘ゲームに純粋な「駆け引き」の感触や快楽は存在するのだが、そこを感じるまでに至る壁の高さがジャンルそのもののジレンマとして長い間それを解消できずにいままできた。『For Honor』は解決困難だと思われていたその「参入難度」をシステム面でほぼ解消するとともに、知識と経験で「上達」していく喜びを確実に実感できるという、格闘ゲームにおけるもう一面の必要性にも答えた。それは格闘ゲームという枠組みそのものを新しい地平に連れて行った、いわば革命的なできごとであり、だからこそ今まで格闘ゲームというジャンルに壁を感じていたプレイヤーに是が非でも触って貰いたい作品である。
「大会」で使われるゲームとしてのポテンシャル
少し長い余談になるが、世界最大の格闘ゲームの祭典であり、来年には日本開催も決定している「Evolution Championship Series(EVO)」の2017年の種目が発表されたtwitch配信にて、印象深い一幕があった。「種目の選び方、たとえば『For Honor』のようなタイトルがメイン種目として選ばれる可能性があるのか」という旨の質問に、開催者であるJoey cuellar氏が「プレイ人口によっては考える」と答えていたのだ。投票で行われた2017年EVOでの9番目の種目の候補には、「Nintendo Switch」で発売予定の『ARMS』が入っていたり、純粋な格闘ゲームではない『フライングパワーディスク』が入っている(スポンサーの意向とも言われるが過去にマリオカートDSが選ばれたこともある)など、主催者側には新しさを模索している節がある。
すでに日本におけるe-Sportsの大会プラットフォームであるJCGの公式大会では、ブロウルルール(二対二)の公式大会も決定しているが、大会シーンでの「種目」としてこのゲームがどこまで認知度が広がるのかはいまだ未知数といえる。地形オブジェクトありきのゲームシステムをどう捉えるのか、壁に当たって攻撃が弾かれてしまうのをどう捉えるのかなど、議論の余地はあるだろう。地形とキャラの相性の良し悪しという特殊性も、考慮しなければならない内容の一つだ。個人的にはそれを含めてのキャラクター性能だと考えているが、真逆の意見にもうなずける。そういった議論を含めて、これからの国内外でのプレイヤーの盛り上がり、運営のサポートによって、『For Honor』の競技シーンの盛り上がりはまったく変わってくるだろう。
しかし、細かい問題を抜きにすれば、対戦ツールとしてここまで完成度の高いゲームがそういった大会で使用されないとは考えにくい。何よりもこのゲームは「観戦」に非常に適している。シンプルな駆け引きは何よりもわかりやすく、基本的な知識さえあればそこでどういった駆け引きが行われているのか、あるいは駆け引きの為にどういった駆け引きがあるのかが理解できる。シンプルで奥深い駆け引きが楽しめるこのゲームは、観戦側にもダイレクトにシンプルで奥深い駆け引きが伝わるゲームでもあり、大会シーンや配信シーンに非常に向いているゲームでもあるのだ。発売直後でありながら、すでに格闘ゲームプレイヤーの中でこのゲームを「EVO」などの格闘ゲーム大会のメイン種目の一つとして考えるべきだという声も散見される。結果的にこのゲームの行き先がどこになるのか、今は知るべくもないが、疑いなく『For Honor』にはその資格が備わっている。できることならば、トッププレイヤーたちがこのゲームで戦う様子を、手に汗をかきながら観戦してみたい。そう思うのは筆者一人ではないはずだ。