『Owlboy』レビュー
懐かしさと新しさをつなぐ、ビデオゲーム時代のストーリーテリング

メトロイドヴァニアで描く、冒険活劇と少年ドラマの素敵なハーモニー。これに空想とロマンたっぷりのピクセルアートを詰め込んだのが『Owlboy』だ。もしかすると、この物語は別の世界で君が体験した少年時代かもしれない。

メトロイドヴァニアで描く、冒険活劇と少年ドラマの素敵なハーモニー。これに空想とロマンたっぷりのピクセルアートを詰め込んだのが『Owlboy』だ。もしかすると、この物語は別の世界で君が体験した少年時代かもしれない。

大空にいくつもの島々が浮かび、そこに人々が暮らす世界。古代文明の遺跡や、凶悪な海賊といった、神秘や困難と隣暮らしの日々。主人公オータス(Otus)はマントで翼のように羽ばたき空を飛ぶ「オウル族」だ。本作の世界に適した種族のはずだが、オータス自身の生い立ちは明るいものではない。チュートリアルをかねたオープニングで描かれる彼の幼年期は、天性の鈍くささと口がきけないコミュニケーション障害が災いし、厳格な師匠にいつも怒られてばかり。オータスを見守るプレイヤーはゲームを始めてすぐに彼の人間関係に不安をつのらせる。彼自身がそう感じているように。

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オープニングでかきたてられた不安は、最初のステージ「村のパトロール」の快い感触で跡形もなく吹き飛んでしまった。上下に長く、解放感あるフィールドを飛翔するプレイフィール。そして友人ゲディとの出会いが、オータスとプレイヤーに救いの手をさしのべる。つづく遺跡探索でふたりは抜群のチームワークを発揮し、遺跡の最深部で世界の謎に迫る秘密の一端を手にすることになる。

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謎と冒険の始まりに胸躍るのもつかの間、そこから物語は急展開。恐ろしい海賊が村を襲撃し始める。命からがら逃げ延びたオータスを待っていたのは、師匠の厳しい叱咤であった。「どうして村のパトロールをさぼった?オマエは村に危機を招いたのだぞ!」オータスの活躍を知るのは、友人とプレイヤーのみである。彼が認められるのはいつの日になるだろうか?

 

004Owlboy
開発元: D-Pad Studio
発売日: 2016年11月1日
価格: 24.99ドル
プラットフォーム: Windows

 

 

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画像は『キャッスルヴァニア 白夜の協奏曲』。迷宮を探索し、武器やスキルを得て、迷宮の深部に潜む強大な敵を倒す。

ジャンル「メトロイドヴァニア」とは、『メトロイド』や、初代PlayStation以降の『悪魔城ドラキュラ』風のゲームを指す。サイドビュー構成で足場を飛び越える2Dアクション様式で、上下左右に広がるフィールドを探索・戦闘する内容だ。手強い戦闘をウリとするジャンルだが、本作の戦闘難度は比較的低い。その分、豊かなアクションパズルと、ワクワク・ドキドキの冒険活劇ストーリーが織りを成し、退屈なパートは一切ない。心地よいBGMがかもし出す雰囲気、それと対をなす空想たっぷりのピクセルアート、きめ細かなアニメーションに、命を吹き込む鮮やかな効果音と、あらゆるシーンが見どころだ。

そして『Owlboy』の真価は、上記の高品質なアクションパートや才気あふれるアートワークに引けを取らない、いや、上回ってあまりある「ビデオゲームならでは」のストーリーテリングにある。本稿では具体的な記述を避けるが、存在があることを知るだけでネタバレとなり、感動を損なってしまうかもしれない。プレイ予定の読者はいますぐ本稿を読む手を止めて、ゲームを購入・プレイされたし。

 

ぐうの音も出ないアクション・エンターテインメント

冒頭で紹介したとおり、物語は主人公オータスの幼年期や村での生活を描いたシーンから一転し、古代オウル文明や恐ろしい海賊と対峙する、胸が躍るような冒険活劇が展開される。まずフィールドに目を向けると、本作では主人公に空を飛ぶ能力を与えたことで、ジャンプアクションに捕らわれないステージ構成になった。重力に抗う方向への移動が容易で、上下に広がるフィールドも苦にならない。ジャンプ距離から逆算した壁や床を要さず、足場がなく開けたフィールドもある。こうしたステージ構成が舞台となる浮遊島に実体感を与えている。

本作は明暗の使いわけが印象に残る。開放感ある浮遊島エリアだけでなく、暗く狭く危険な遺跡エリアもあり、いくつか「光」を使ったアクションギミックもある。ステージの表情は豊かだ。
本作は明暗の使いわけが印象に残る。開放感ある浮遊島エリアだけでなく、暗く狭く危険な遺跡エリアもあり、いくつか「光」を使ったアクションギミックもある。ステージの表情は豊かだ。

空を飛べるおかげでジャンプアクションの難所は少ないが、その分はアクションパズルと戦闘で埋め合わせている。驚くほどギミックが多彩で、かつ、適度にアクションの腕前を要し、まったく飽きがこない。また、リスポン地点は細かくあり、体力全快で復活するためリトライしやすい。一方でゲームが進むつれ体力回復できる箇所は徐々に減り、ミスを挽回しづらくしてシーンの緊張に緩急をつけている。

バリエーション豊富なアクションシーンが、ストーリーと密接につながっている点は特筆に値する。主人公が新たな能力を得て行動範囲を広げていくのはメトロイドヴァニアおなじみのデザインだが、『Owlboy』はここにひねりを加えている。主人公が新たに手にするのは武器ではなく、“友人“なのだ。主人公はものだけでなく友人をつかんで運ぶことができ、そのあいだ、友人の武器で攻撃できるようになる。当然、アクションパズルの最中やストーリーの進展で友人がオータスを手伝えなければ、友人の武器は使えない。友人の存在が自然な「理由づけ」になり、武器制限から不快感を取り除いている。ストーリー上のシチュエーションの変化をアクションシーンに反映し、多彩なステージ構成を生み出した。

オータスが友人を運ぶとき、ゲームパッドの右スティックで攻撃対象に照準を向ける。友人がエイムサポートしてくれるので弾を当てることは難しくないが、殻付き、硬い、爆発する、といったギミックでプレイヤーを困らせる。
オータスが友人を運ぶとき、ゲームパッドの右スティックで攻撃対象に照準を向ける。友人がエイムサポートしてくれるので弾を当てることは難しくないが、殻付き、硬い、爆発する、といったギミックでプレイヤーを困らせる。

友人がストーリーとアクションを強固に結びつけ、あの手この手でプレイヤーを楽しませ続ける。プレイ意欲をくじく難度の断壁はなく、時間を忘れて没頭してしまう。謎と冒険に満ちたストーリーは急展開の連続で、プレイヤーの安直な予測を裏切り、期待に応えてくれる。エンターテインメントのツボを押さえた冒険活劇だ。ここに、もうひとつのストーリーが平行で進展し、プレイヤーをグイグイと引き込んでいく。

 

友は心を映す鏡である

冒険活劇と平行するもうひとつのストーリー。それは冒険中の活躍とコントラストをなす物語上の閉塞感に端を発する。アクションパートで得た手ごたえの予測と、ストーリーパートで告げられる結果のギャップが、プレイヤーの感情を揺さぶりつづけるのだ。

ゲーム展開は遺跡探検などアクションパートの合間に、登場人物の会話を主とするストーリーパートが入る構成だ。アクションパートは主人公オータスとその友人、そして彼らチームを操作するプレイヤーが主体にある。一方、ストーリーパートでは主人公に主体性はない。村の存亡から世界の危機へと発展する重大な「大人の話」に、子供である主人公が入る余地はないのである。そして、主人公の努力をあざ笑うかのように、運命のいたずらで事態は悪化しつづけていく。

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「頑張ってる。精一杯やった。なのになぜ?」。助けを求める声が喉から出そうになるが、主人公は口がきけず、プレイヤーも画面越しの相手に声を届けることはできない。そのとき、主人公の心境を代弁してくれるのが、アクションパートで苦難を共にした友人たちだ。彼らは理解者や助言者ではなく、共に歩む者として支え合う関係にある。また、友人たちもそれぞれ自身の起源を持っている。彼らが見た目や立場からなる人物像の殻を破り“キャラクター”へと成長するシーンを通じ、主人公の人格形成に影響を与えていく。やがて大人の話が行き詰まる頃、プレイヤーが見守ってきた「主人公たちの話」が物語の主軸となり、ゲームは佳境へ突入する。そこで主人公はプレイヤーの操作を通じ、自ら人物像の殻を打ち破るのだ。

地名や事情、伝承については、大人からではなく友人から聞くことになる。アクションパートだけでなく、画像にあるキャンプシーンを通じ、「大人は知らない」主人公たちの話がすこしづつ膨らんでいく。
地名や事情、伝承については、大人からではなく友人から聞くことになる。アクションパートだけでなく、画像にあるキャンプシーンを通じ、「大人は知らない」主人公たちの話がすこしづつ膨らんでいく。

この、主人公が”キャラクター”へ昇華するシーンを、言葉ではなくアクションパートのプレイ体験で描いたのが本作最大の焦点だ。ゲーム序盤から仕組まれた様々なアクションギミックが伏線となり、終盤の行動を特別なものとする。プレイヤーに「オータスくんにはこうあってほしい」と願う親心を芽生えさせてから、主人公が自らの意志を示すためプレイヤーを操作するのだ。主人公がプレイヤーの手から離れた瞬間の実感は、ゲームならではのインタラクティブなストーリーテリングの極致である。

 

ビデオゲーム時代のストーリーテリング

日本科学未来館の常設展示物「アナグラのうた―消えた博士と残された装置」より。センサーが人間の行動から情報を抽出、モデル化して床に投映する。空間情報科学の実体験ブースである本展示物は、観客が参加することで完成するインタラクティブアートの一例だ。
日本科学未来館の常設展示物「アナグラのうた―消えた博士と残された装置」より。センサーが人間の行動から情報を抽出、モデル化して床に投映する。空間情報科学の実体験ブースである本展示物は、観客が参加することで完成するインタラクティブアートの一例だ。

ゲーム側が提示するルールと、プレイヤーの操作入力。この2つの相互作用によって生みだされる「ゲームプレイ」は、インタラクティブアートの一種である。『Owlboy』はゲームプレイで得る感情を緻密に設計し、主人公オータスが大人への階段を上る少年ドラマを描ききった。文字に起こせば、社会性を持つ一個人への成長に伴う、言葉にできない苦しみを描いた王道の物語である。王道と陳腐の違いはストーリーの語りかたにあり、ゲームプレイを通じて追体験させる巧みな手腕で、王道だけが成しえる時代を超えた感動を抽出した。プレイヤーがストーリーを操作するだけでなく、ストーリーがプレイヤーを操作したそのとき、ゲームだけができるストーリーテリングが輝きをはなつ。思い返せば、その仕掛けはオープニングのチュートリアルから始まっていたのだ。

チュートリアルの1シーンは、ゲームならではのストーリーテリングの好例だ。アクションとリアクション。行動と結果。アクションパートとストーリーパートのギャップがプレイヤーの感情を揺さぶる。ストーリーテリングとは受け手の感情をコントロールするよう戦略的に並べた事象のあつまりであり、感情の揺らぎを観客が受け入れたとき、一連の事象は「物語」となる。
チュートリアルの1シーンは、ゲームならではのストーリーテリングの好例だ。アクションとリアクション。行動と結果。アクションパートとストーリーパートのギャップがプレイヤーの感情を揺さぶる。ストーリーテリングとは受け手の感情をコントロールするよう戦略的に並べた事象のあつまりであり、感情の揺らぎを観客が受け入れたとき、一連の事象は「物語」となる。

本作の特徴「ピクセルアート」「メトロイドヴァニア」「冒険活劇」は、単体でも一級品の品質だが、言葉で語られない本作の主題「少年ドラマ」にプレイヤーを誘導する仕掛けでもある。ピクセルアートは空想をかきたてプレイヤーに少年時代を想起させる。メトロイドヴァニアは友人との苦楽を共にする友情を育む機会となる。冒険活劇は少年期において人物像から“キャラクター”へと昇華する特別な機会だ。映像体験、物語体験、そしてプレイ体験の融和にどれも欠くことはできず、計算しつくされた構成が本作を特別なものとする。プレイ後にほろ苦い印象すら残す、胸を打つゲーム体験。エンディングで感傷きわまり「ゲームが好きでよかった」と言葉をこぼしたことがあるゲーマーは、本作をプレイすべきゲームリストの上位に加えてほしい。

少年ドラマとそのストーリーテリングが本作の焦点だが、冒険活劇も満足のいくものだ。亜人、古代文明、超科学、浮遊島などなど世界の秘密が次々と明かされる。
少年ドラマとそのストーリーテリングが本作の焦点だが、冒険活劇も満足のいくものだ。亜人、古代文明、超科学、浮遊島などなど世界の秘密が次々と明かされる。

 

総評

ジャンプから解放されたメトロイドヴァニアが冒険心を刺激し、バリエーション豊かなアクションパズルと戦闘でプレイヤーを飽きさせない。そこかしこに広がる美しいピクセルアートの風景は、未知と神秘への探求心とともに空想をかきたてる。こうした高水準で粗がない力作アクションゲームの輝きに勝るのが、ビデオゲームならではのストーリーテリングだ。冒険活劇ストーリーと平行し、アクションパートのプレイ体験が少年ドラマの心境を雄弁に語るのである。プレイ後の余韻は、まさに巣立った若鳥を見守る哀愁だ。自立の翼を広げ、プレイヤーの元から離れていく主人公オータスに、在りし日のプレイヤー自身が重ね映るだろう。

Hikaru Nomura
Hikaru Nomura

高校卒業後、ペンキ塗り・コンビニバイト・警備員・システムエンジニア・ネットショップの店長などで食いつなぐ。趣味はスーパーカブにまたがってのドライブ、海外SF小説(オールタイムベストは『スキズマトリックス』)、ゲーム実況、たまに同人活動。

宇宙ストラテジーと格闘ゲームを好む。リズムゲームとビジュアルノベルは苦手。FPSは酔う。中段や弾幕は見えない。Arcen Games信者であり、Stardockian(Stardock信者) でもある。英語は苦手だが、気合で翻訳して遊ぶ。

ゲーム大会の最高成績は2013年トライタワー末塔劇『チェンジエアブレード』部門第4位。

オールタイムベストゲームは『ニュースペースオーダー』。

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