『スマブラ』で一番を目指すプレイヤーたちの歴史がここに。EVO参戦までの国内競技シーンを紐解く(第1回 運営編 前編)

今回は国内の『スマブラ』史を語る上で運営側の人物として外せないキーパーソン「Rainさん」「エルさん」「アユハさん」の3人をお呼びし、現在でも競技種目として採用されている『スマブラDX』から、最新作である『スマブラ for Nintendo 3DS/Wii U(以降、スマブラ for 3DS/Wii U)』までの軌跡をお聞きした。

ゲームに対する逆風、公式大会が開かれない時代

――この辺で気になるのは、やはり『スマブラX』では過去作のように公式大会が無かったという点ですよね。

Rainさん
みんな期待してたんですけど、まったく無かったですね。

――初代『スマブラ』や『スマブラDX』の際は、どういったスケジュールで公式大会が開かれていましたか?

アユハさん
発売されてから2か月ぐらいで、開催日時のアナウンスが出てますね。

エルさん
普通は発売直後に公式大会を開くから、みんなゲームをプレイしてねと販促する流れなんですけど、無かったですね。

アユハさん
ただ、これは『スマブラ』に限った話では無いかもしれないですね。ゲームの歴史を見ると、2000年代前半まではいろいろなゲームがひたすら公式大会をやっていたんですけど、2000年代後半になると一気にその流れが途絶えていて、そういう背景もあるんじゃないかなと思います。

――企業側がゲームの競技的な大会への興味を失っていった。

Rainさん
海外だとesportsが盛り上がってきた時期ではあるんですけど、日本では『ストリートファイター』とかも含めて、盛り下がった時期ではありますよね(編集部注釈: 『ストリートファイター』シリーズは1997年には『ストIII』が発売されたものの、『ストII』ほどの人気を獲得するには至らず、ナンバリングシリーズの次回作『ストIV』登場までは『ストIII 3rd』発売から約9年の時を待つことになる)。

エルさん
ゲームのブームが一番無かった時代ですね。

アユハさん
さらにいうと、2008年という年は秋葉原で大きな事件があったり、ゲームに対する風当たりが強い時期ではありましたね。ゲームに対して、良いイメージが無かった。僕はこの時代に中高生をやっていたんですけど、ゲームをやることもアニメを見ることも学校では禁止されていて、バレるようなものなら呼び出されるぐらいの感じでした。塾に行くと周りの学校もそうだったり。東京の私立・国立は、わりとゲームに対する風当たりが非常に強かった時代です。

エルさん
世間の風当たりが強かった時代ですね。ゲームをやっている人はゲームをやっている人同士でしか自分がゲーマーであることを言わないような時代でした。一昔前だったら『ドラゴンクエスト』みたいに、ゲームを買うために人が並ぶ時代があったんですけど、この頃はゲームを家でやっていると勉強しなくなるとか言われていた時期ですね。

――最初にファミリーコンピュータとかでゲームを触れた世代が卒業した、谷間の世代なのかもしれませんね。

アユハさん
ゲームの中世暗黒時代ですね。

Rainさん
逆にPCゲームが盛り上がってきた頃ですよね。インターネットが当たり前に普及して、MMOとかが流行り始めた。コンシューマーからPCゲームに移行した時代でもありますね。『ストリートファイター』とか『スマブラ』とかは、比較して目立たなくなったのかなと。

――そういった背景もあり、公式大会の開催も遠のいていったのかもしれませんね。ただ、そんな中で非公式大会で100人も集まってしまうのは、強いコミュニティのパワーを感じます。

Rainさん
最初に『スマブラ』に触った世代の年齢が上がって、オフに来れるようになったのが『スマブラX』の時じゃないかなと思います。インターネットがあったので、インターネットで時間を合わせて練習して、勝てるからオフに行こうかという環境が整ってきたのが『スマブラX』の頃。

エルさん
僕は『スマブラX』からのオフのシーンしか知らないですけど、最初は前作からやっているプレイヤーや年上の人が大会を開いていました。大会が盛り上がってくると、大学生とか高校生が勝ちたいという一心で、自分の腕試し的に「俺の方が強いんじゃないか」と勘違いして集まってくる。それは高校の友達同士だったりとか、高校生なりにSNSとかで環境を作っている地元最強みたいな人が腕試しやってきて、ボコボコにされる。その中ですごいモチベーションがある人は、帰って練習して強くなって戻ってくる。

Rainさん
もちろん、その中でも一部は居なくなるし一部は残るんですけど、そのサイクルの中でコミュニティ自体がどんどん大きくなっていった感じですかね。実際、大会の参加者が100人だと言いましたけど、途中から先着応募で100人枠が一分ぐらいで埋まることもありました。「コメントレース」なんて呼ばれていましたね。今の『スマブラ』大会でも、14分で参加者枠が埋まってしまったり。もっと早いこともあります。

エルさん
どれぐらい凄いかって言うと、『スマブラ for Wii U』で初めて海外の人を呼んで、全国から人を集めてやろうって大会があったんですけど、その時の応募がすごすぎて告知サイトのサーバーが落ちたんですよね。告知サイトの管理人の方とかまったく会ったこともなかったんですけど、「凄いアクセスなんだけど」と初めて向こうから声をかけられた。

――世間一般の世に出ることはなかったけど、実はさらに巨大なコミュニティへと発展していた。

エルさん
『スマブラX』の当時だったら、大会は96人までしか参加出来ないですからね。もう人気アイドルのライブチケットを電話で買うようなイメージですよね。

Rainさん
100人っていうのは、主催者の金銭面とリスクを考えた結果なんですよね。『スマブラ』のコミュニティって、利益を一切出そうとしないのが良いところで、参加者1人につき1000円もあれば利益は出ないけど大会を開ける。一時期、利益を出しても良いんじゃないかというスタンスの話もあったんですけど、やっぱり出さないというスタンスに決めました。2008年とか2009年のころですね。

アユハさん
利益を出すのか出さないのかという議論のあとに紆余曲折あって、Rainさんが引き継ぐという決断をしたのが2011年ぐらいですね。

エルさん
利益を出さないというスタンスに決めたのは、良いことだったと思っています。年齢層が全体的に低いので、利益を出すという形にすると批判が集まる。

Rainさん
あとはプレイヤー人口も減ってしまう。でも正直に言えば、この時期に主催した大会は完全にマイナスでした。たぶん地震などの影響で大会規模が縮小した問題もあったんですけど、3年ぐらいやって結果的にマイナスを背負ってます。

エルさん
主催は貧乏クジみたいな感じだから、本当にモチベーションがある人が居ないと続かない。でも『スマブラ』にはそういう人が常に居た。

Rainさん
自分が主催していて良かったと思っているのは、『スマブラ』が世に知られるきっかけになった配信が始まったのが、自分が主催の大会の時だったんですね。これが無かったら、今でも『スマブラ』のプレイヤーにスポンサーが付くことはなかったと思います。

 

本格的に始まる「対世界」への意識

アユハさん
2010年8月に「Apex 2010」という『スマブラ』世界大会があって、その時Rainさん当時の日本の猛者たちを引き連れて、わざわざニュージャージー州に行ったんです。『スマブラDX』『スマブラX』合わせて全世界から400人ぐらいのプレイヤーが参加した大会です。ゲームの売り上げ自体は初代からあまり変わらないんですけど、世界で一箇所で集まろうって大会は、当時はこれぐらいの規模だったということですね(※編集部注釈: 「Apex」の後継大会である「Genesis」には、現在4000人以上が参加している)。その頃はプロも何も無くて、全世界の人が自腹で集まっていた。

Rainさん
僕は当時、日本の『スマブラ』プレイヤーの方が強いんじゃないかと常々思っていて。

エルさん
海外の方から対戦動画が流れてきて、それを見ると日本の方が明らかに強い。アメリカは弱いからわからせてやるか、みたいな感じで行ったんです。

アユハさん
どう見ても雑なプレイの動画がネットに流れてるんですよ。

Rainさん
分からせてやろうかって行ったんですけど、優勝したのは海外のプレーヤーでしたね。

エルさん
準優勝は日本人(ブルード選手)だし、トップ8に日本人も残ってるんで、結果は残しましたけどね。

※「Apex 2010」 『スマブラX』決勝戦 DEHF(現Larry Lurr) vs. ブルード

Rainさん
でも本当に大事なことは、そこで日本と海外の繋がりが生まれたことなんですね。今では海外から日本人選手の招待は多いですし、日本からも大会へと海外の選手を招待をしている。その交流のきっかけになったのが「Apex 2010」だった。これは日本の『スマブラ』シーンにとってかなり大きかった。

アユハさん
これ以降は海外大会があるごとに日本人が遠征しているので、日本勢が世界と戦うのが習慣化したポイントですね。

Rainさん
「Apex 2010」が無かったら、日本の『スマブラ』の環境は今とは違っているんじゃないかな。

 

震災でずれこむ大規模大会、燃え尽きるプレイヤー

アユハさん
その後、本当は2011年に海外勢を招待して「Sun Rise Tournament(SRT)」という名の大会を開く予定だったんです。

エルさん
それまで国内では関東の定期大会と関西の定期大会をやっていたんですけど、「SRT」では日本で一番強いやつを決めようという。

Rainさん
これは「Apex 2010」で自分が感じたんですけど、日本が海外と戦って勝つには、まず日本人みんなで協力しないとダメだと思いました。関西と関東をまとめた大会で、かつ海外勢を招待したいと、いろいろ動いていました。ただ、大震災がありまして(編集部注釈: 2011年3月に起きた東日本大震災のこと)。

エルさん
本当は2011年の4月にやる予定だった。

Rainさん
PVも作って告知していたんですが、震災の影響であまり大規模には出来なくなったので、かなり小規模にして開催しました。

※「Sun Rise Tournament」PV

アユハさん
この時期は、ゲームをしているとは何事かみたいな自粛ムードがあって。

エルさん
自粛もあったんですけど、原子力発電所の風評被害などで、関東に行きたくないからキャンセルするという人が大量に出てしまった。

Rainさん
あとは純粋に、いつ余震が来るかわからなかったですよね。海外勢もこんな状況では来れないという感じになったので、一回小さく普通の大会の感覚で開催して、また次にやろうってことになりました。

――その後、「SRT」は開催されたんでしょうか?

アユハさん
2012年ですね。一年半遅れで開催しました。本来「SRT」を開催する予定だった2011年は、大会の開催頻度も低いですね。

そのあとは2012年の1月に「Apex 2012」があって、またRainさんがみんなを引き連れて行って、日本人同士の決勝になって海外勢がすごく冷めていましたね。ただ、『スマブラ』の絶対王者と現在言われている「ZeRo(※)」や「Nairo(※)」が初めて出てきた大きな大会でもあります。今活躍してる人がみんな出てきた感じですね。

※ZeRo: 「Team SoloMid」に所属するチリ出身の『スマブラ』プロプレイヤー。一時期は無敗記録が続いたことから、絶対王者の名で呼ばれていた。
※Nairo: 「NRG eSports」に所属するプロプレイヤー。「ZeRo」とはいくつもの大会で1、2位を競い合う良きライバルとして知られている。

 

※Apex 2012『スマブラX』シングル決勝 「おおとり」vs.「にえとの」

――アメリカでもようやく『スマブラ』の競技シーンが盛り上がりつつあった。

アユハさん
そうですね、でもこの頃は、まだアメリカでも参加者は400人ぐらいです。海外でもゲームシーンとして認識され始めた頃です。一方、日本では関東の大会が無さすぎて、Rainさんが「SRBT」を2012年1月から月一で初めていますね。現在開催されている「ウメブラ」のベースとなった大会です。

これがあって、2012年8月に延期されていた「SRT」がついに開催されました。『スマブラ』の歴史には必ず出てくる「Mew2King(※)」が来日して数々の事件を起こしたんですが、大会自体は国内の『スマブラX』大会としては一番大きかったですし、これが全盛期で、これ以降は衰退していきますね。これで燃え尽きて事実上の引退をしたプレイヤーがかなり居ます。

※Mew2King: 米国の伝説的な天才プレイヤー。『スマブラDX』『X』『for Wii U』全てで活躍。海外における『スマブラDX』五神の1人としても知られ、膨大な知識量を持ってして戦うことで知られている。なお2012年に来日した際には、「海外のクレジットカードが使えず持ち金が200ドルだけで立ち往生した」「泊めてもらったプロプレイヤーにえとの氏の自宅で酒を飲み過ぎ、事件へ至る」といった問題行動を起こし注目を集めた。現在ではチームからの指導もあり、反省しているという。

エルさん
発売が2008年で、2010年までゲームをやり続けて、2011年に「SRT」があるからそれに向けて頑張ろうみたいな感じでやっていたんだけど、地震で「SRT」が無くなってしまった。でも頑張ってモチベーションを維持していたんですよね。初期からやってたプレイヤーが3年か4年ぐらい続けて、この大会で辞めていった。

――1つの終点のような大会だったんですね。

アユハさん
この頃って、『スマブラ』プレイヤーは誰からも評価されなかったんですよね。TwitterとかYouTubeも日本人は全然使っていなくて、海外の大会ですら1年に1回くらいで、そんなに規模が大きいわけでもなく、何も無い状態でこのゲームを4年ですから。

エルさん
しかも、前半の大会で辞めたっていうプレイヤーは、結果を出しているのですでに満足していたり。これ以降は大きな大会も無いかなという感じで、辞めたプレイヤーが多い。

アユハさん
そのままRainさんは定期大会の主催を続けていきます。そしてアメリカで「Apex 2013」が開催されて、ふたたび遠征しました。

Rainさん
参加者が13人とかなり多くて、これで日本人が優勝できないんだったら海外が強いと言っても過言では無いようなメンバーが行きました。そこで最後の日本勢が「Mew2King」に負け、アメリカの「Salem」が優勝したんですけどね。

――そういった流れもありつつ、「SRT」以降は国内の『スマブラ』シーンは衰退していった。

Rainさん:
衰退したっていうよりは、モチベーションが低い人が増えたっていう感じですね。

アユハさん
このころはいつも通りの大会がある状況が続いていたんですけど、振り返ると、やっぱり大きい大会がないと駄目なんだなって思います。大きい大会がないと、目標が無いから人口が減ります。今は大きい大会はアメリカが代行してやってくれているんで、なんとかなっているところはあるんですが。

 

「EVO」選出。日本で消えていく「X」と海外で爆発する「DX」

アユハさん
2013年には『スマブラDX』が「EVO 2013」の種目に選出されて、『スマブラ』の人気が爆発します。これはやっぱり大きくて、ここから大会のスケールが一気に大きくなります。「EVO 2012」での『スーパーストリートファイター4 アーケードエディション 2012』のエントリーが1800人程度、一方「Apex 2013」の『スマブラ』は400人程度という規模の差があったんですが、「EVO 2013」での『スマブラDX』のエントリーは1000人くらいで、人口がものすごく増えました。

そして2014年1月の「Apex 2014」は、『スマブラ』で初めてホテルの結婚式場を貸し切っての大会が行われました。ホテルの全フロアに『スマブラ』勢が泊まっていて、一階が全部『スマブラ』フロアになっている。この大会には日本人が8人しか行ってないんですけど、それを見た時に、このままだと日本は絶対に優勝できなくなる、日本は置いていかれると感じました。公式でも何でもない人達がホテルを貸し切って、会場にプールなどがあって、『スマブラ』をして、酒飲んでプールに飛び込んで、部屋で対戦して、最終日は結婚式場が観客席いっぱいになってコールとともに決勝戦をやっている。ジャスティン・ウォンも見に来ていて、明らかに今までと空気が違う。そこから帰ってきた僕らは、「SHI-G(※)」を立ち上げて、以降日本の動画は全部残ってます。で、2014年1月に「ウメブラ」が始まります。

※SHI-G: 日本のシーンを発信する全国ブロードキャスト集団。『スマブラ』対戦動画をTwitch経由で配信したり、映像をアーカイブしたりしている。

――「ウメブラ」の発足は、海外のシーンの盛り上がりを受けてということでしょうか。

Rainさん
いえ、これはただの世代交代です。僕は家庭の事情でちょっと交代させていただきました。そして「うめき(※)」さんに代わりました。

※うめき: 「Radical Sotrmerz」チームに所属する『スマブラ』プロプレイヤー、かつ「ウメブラ」主催者。同『スマブラ』連載ではプレイヤー編にも登場。

アユハさん
そうやって『スマブラX』勢が色々と環境を整えているあいだに、『スマブラDX』で劇的な事件が起きまして、「aMSa(※)」さんがプロになりました。たった3年前の話ですけど、esportsって言葉をほとんど誰も知らなかった時代です。そのころは『スマブラDX』勢からプロ化が始まっていて、「Mango(※ 『スマブラ』五神の1人)」が強豪チームの「Cloud 9」に入ったりしているんです。

※aMSa: 日本人初の『スマブラ』プロプレイヤー。「EVO 2013」の準々決勝トーナメント、「ヨッシー」にて「Mew2King」から1本を取って注目を浴び、「Apex 2014」にて9位の快進撃。翌年5月に「VGBootCamp」とスポンサー契約を結んだ。同『スマブラ』連載ではプレイヤー編にも登場。

※「EVO 2013」 『スマブラDX』 aMSa vs. Mew2King

Rainさん
スマブラの凄いところは、北米のesportsトップチームがほとんど『スマブラ』の選手を抱えている点です。

エルさん
北米のチームでほとんど選手を持ってるのは、格闘ゲームでは『スマブラ』だけです。

 

『スマブラ for 3DS』発売とそこまでのまとめ

アユハさん
『スマブラDX』が盛り上がっている中で、E3で『スマブラ』新作が発表されるよという時に、「aMSa」さんも会場に呼ばれました。

――それは任天堂が招待したんですか?

アユハさん
はい。「EVO 2013」では微妙な反応だったNintendo of America(※)が、「EVO 2014」では公式にサポートをしています。おそらくこの頃に、esportsを初めて認識してくれたのかなと。とにかく、このビックウェーブに乗って『スマブラfor Nintendo 3DS』が2014年9月に発売されました。2012年8月に『スマブラX』でけっこう大きい大会をやって、それ以降は海外を意識して、このままだと日本は盛り上がらないみたいなことを考えていたころ。海外で『スマブラDX』がすごい盛り上がってるなか、『スマブラ for 3DS』が発売されましたね。

当時、任天堂は「EVO 2013」での『スマブラDX』の試合模様を配信することを認めず、さらに公式種目として採用することも当初は拒否していたことが明らかとなった。後にファンからの大抗議が起こり、任天堂は「EVO 2013」における『スマブラDX』の配信を許可している。

エルさん
日本のシーンを語るんだったら、歴史的には真ん中にあたりますね。ここで居なくなっていたプレイヤーが戻ってきたり、シーンを盛り上げるために人が入ってきたり、『スマブラ for 3DS』が出てから急激に動き出したんですよね。

アユハさん
この頃は「ウメブラ」を40人ぐらいでやっていました。『スマブラ for 3DS』が発売されて、さまざまなプレイヤーがTwitterで「『スマブラ』をやるぞ」って言い出して、引退して今まで息を潜めていたはずの人たちが「『スマブラ』だー」と一気に復活してきて、名前を知っているようなプレイヤーも『スマブラ』を始めた。『スマブラ for 3DS』が発売されてから3日後か4日後に、「ウメブラ8」が開催されました。これはスタッフ内でもかなり議論が別れたんですが、何人かの妄言により今まで40人で開催していたのに200人で開催しようということになり、200人の会場を抑えてやったら、本当に200人が参加してくれました。

エルさん
しかもその頃の40人って、定員が埋まって40人だったわけじゃなくて、ギリギリ40人ぐらいがなんとか集まって存続していた頃ですからね。

――『スマブラX』が徐々に落ち着いてから、やはりみなさん新作を待っていた。

エルさん
みんな『スマブラX』の競技面には、もう興味は無かったんですよね。新作があるから、もうやらなくていいよねって。

※ E3 2013で正式発表された『スマブラ for 3DS/Wii U』

――お話を聴いていると、同じ『スマブラ』タイトルでも、海外と日本の盛り上がりには温度差があるような気がします。

アユハさん
それは「EVO」のタイトルに『スマブラDX』が選ばれた時代からくるズレなんですね。「EVO」が新タイトルを選ぶ基準って、チャリティに支払われたお金の額なんです。「EVO 2013」では最後はマネーレースになって、『スカルガールズ』と『スマブラDX』が競い合って、最後にオーストラリア人の有志が2000ドルを『スマブラDX』に投じたのが決め手になりました。それもあって、2013年と2014年は海外で『スマブラ』全体がものすごくの伸びているんですけど、ここまで述べた様にこの時期は日本では『スマブラX』の競技シーンが冷めているんですね。

Rainさん
しかも『スマブラDX』が選ばれている以上、『スマブラX』は選ばれないだろうっていうのは、日本のみんなが思ってた。次にかけるなら新作だよねという雰囲気だったわけですね。

エルさん
日本と海外で違うのは、海外は『スマブラDX』のプレイヤーはずっと『スマブラDX』をやっているんですけど、日本は新作のゲームをやる傾向があるんで、日本の旧『スマブラDX』シーンのプレイヤーたちは『スマブラX』に移って、『スマブラDX』にあまり残らなかったんですよ。海外でどれだけ『スマブラDX』が盛り上がっていても、日本の『スマブラX』勢はもう付いていけないんですよね。

――海外で『スマブラDX』が支持された理由とはなんでしょうか。

エルさん
単純に見た目と、ゲーム人気ですね。

アユハさん
あと、『スマブラDX』って競技シーンにストーリーがあるんですね。「Mew2King」の一強時代があって、「Ken」が活躍して、2009年の時点で『スマブラDX』には「五神」という単語が出てきます。そして2009年から2013年までの4年間は、「五神」は「五神」以外に負けていないんです。化け物みたいな5人がいて、その人たちのライバル関係とか遠征とかの結果を見ていると、スターを追いかけているような面白さがあります。『スマブラX』に関しては、そういったストーリーが無く、ちょっと弱かった。結局は『スマブラDX』の方が「EVO」に選ばれて、海外では余計にストーリーが出来てしまったんです。

Rainさん
あとやっぱり、ゲームとして『スマブラDX』の完成度が非常に高いのもあると思いますね。色んな人がやってみるんですけど、敷居が高すぎて諦めてしまうんです。ゲームスピードが違うし、『スマブラDX』ってほかの格闘ゲームと違って1フレーム発生技が普通にあって、しかもそれをキャンセル出来たりする。操作がもうギターを弾く時みたいに細かくて、おかしい。対戦ゲームに慣れている人たちがやろうとして、一か月ぐらいで諦めたっていうほど難しいんですね。操作性が独特なのと、自由度が高すぎて、理解が追いつかないっていうのが大きいですね。

アユハさん
対戦アクションなんですよね、格闘ゲームではなくて。英語だとファイティングゲームなんですけど。

エルさん
日本人は『ストリートファイターII』をイメージするから、『スマブラ』を格ゲーって言うと違和感がある。2対2とか4対4で対戦するゲームを広義な意味で格ゲーって言うんだったら、『機動戦士ガンダム vs.シリーズ』とか『ディシディア ファイナルファンタジー』とかも格ゲーですよね。

Rainさん
まあ、「EVO」に入ってる時点で、あまり細かく分けなくてもいいんじゃないかなとは思います。逆に『スマブラ』系のゲームも格ゲーでまとめてもらった方が、今後「EVO」も色んな選択肢が広がって良いんじゃないかなと思いますね。

第1回 「EVO参戦までの国内競技シーンを紐解く」
第2回「EVO参戦後に急成長を遂げた競技シーンの軌跡」(7月12日 掲載予定)
※「運営編」に引き続き「プレイヤー編」となる第3回、第4回は7月13日と7月14日に掲載予定

[取材・執筆 Nobuhiko Nakanishi]
[取材・編集・撮影 Shuji Ishimoto]

 

Nobuhiko Nakanishi
Nobuhiko Nakanishi

大学時代4年間で累計ゲーセン滞在時間がトリプルスコア程度学校滞在時間を上回っていた重度のゲーセンゲーマーでした。
喜ばしいことに今はCS中心にほぼどんなゲームでも美味しく味わえる大人に成長、特にプレイヤーの資質を試すような難易度の高いゲームが好物です。

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