対戦型マルチプレイにおけるアンロック制度部分的容認論
以前、弊誌 UnFreeMan による『対戦型マルチプレイにおけるアンロック制度不要論』を掲載しました。内容にたいし私は全面的に同意します。対戦ゲームにおいて主眼をおかれるべきは競技性です。競いあい、勝ちを目指すことこそが本質にほかなりません。
しかし昨日、実績システムについて執筆したのち『BATTLEFIELD 4』をプレイしていたところ、「もしかすると対戦型マルチプレイのアンロックが競技性を昇華させることがありうるのでは?」とふと思い当たったのです。
プランA - 初期装備が最強であれば?
対戦・マルチプレイ・アンロック・ついでにF2Pの要素を兼ね備え、それぞれを兼ね備えつつもそのすべての要素において2013年段階で最高のお手本となっているのはおそらくSteam版『Team Fortress 2』です。
アンロックの部分だけ切りだすと理由は本当にシンプルです。最初から使える武器が一番強いのです。どうやら最近ちょっと様子が変わりつつあるようで すが、少し前まではほぼ確実にそうでした。いずれにせよ、ときおり入るアップデートで微妙にゲームバランス調整をなしていることからも、開発チームが競技 の不平等感を最小化させようと腐心しているのがうかがい知れます。
対戦に競技性を求める際にアンロック制度が障壁となるという問題は、こうした態度にていともたやすく解決されてしまいます。
しかしながら、そして当然ながら、『TF2』は例外です。そもそもアンロックシステム自体をゲーム寿命の引き伸ばしに悪用しようとする意図があるならば、最初から最強を手に入れられるようなルールにするはずがありません。
プランBでいこう - 全体的に同じなら?
もう1つ解決策が考えられます。それは、「アンロックされる要素の効果が初期武器と等しい」状態です。換言するならば「平等の実現」です。これならば、アンロックをしなければならないという強迫観念からは解放され、かつゲームを等しく競技的に楽しむことができるでしょう。
これが最初のプランより難しい、というより至難であることは想像に難くありません。公平さを求めた結果、すべて同じ性能の武器・技ばかりになってし まっては元も子もないのですから。差別化しつつ同じフィールドに立たせる、そんな芸当が軽々に達成されるならクリエイターたちは苦労しないでしょう。
しかし”初心者級の腕前の私がひいき目に見たとして”の注釈付きではありますが、リリースされたばかりの『BF4』はじつはなかなかいい線をいって います。相変わらずビークル系兵装には格差があるものの、歩兵武器は初期装備でなんとかなります。必要なアタッチメント類も数時間のプレイでたいてい揃い ます。そして、アンロックされる武器も個性がありつつ初期装備に劣ることはあまりありません(一部あるようですが)。
お祭りゲーとして認識されがちな『BATTLEFIELD』、じつは最新作はアンロック部分にもそれなりに神経をとがらせたのではないでしょうか? ラギーでバギーな挙動は発売直後ということでさておき、ゲームバランスへのアプローチはけっして悪くありません。
プランCだ - ゲームの導線になれば?
これは可能性の1つについての思考実験です。
『「実績」の功罪と在り方』にて、私は「ゲームの楽しさへの導線として実績はあるべき」と述べました。これをアンロック制度に応用することはできないでしょうか?
初期装備の銃があるとします。何十時間もプレイしてアンロックされる銃は、威力・精度・安定性・その他もろもろすべてにおいて優れている、いわゆる完全上位互換。これだけでは論外です。
しかし、その銃を使いこなすのがなんらかの理由で難しかったら? たとえば、マップ全体を把握していることが前提のような制約があれば? つまり、プレイヤースキルを極端に要求するのならばどうでしょう?
ただ強力なだけでなく、そこに到達するまでに段階的にプレイヤーの成長をうながす。そうでなければ使いこなせない。そんなアンロック制度があり、そ してその事実が明示されているのならば、4000円でゲーム内武器を全部解禁するようなコンテンツはリリースされないでしょうし、そもそもプレイヤー側が 買う気になれないでしょう。
極端な理想論ですが、アンロックシステムがプレイヤーにとって利益となり、上達と楽しみの糧となるのならば、容認されてしかるべきしょう。すべてのアンロックはこのイデアを追究していただきたいものです。『TF2』は一足先にその領域に突入しているようですが。
対戦型マルチプレイにおけるアンロック制度の夜明け
『BF4』にて一条の光が差し込んだことより、アンロック制度は黎明期を終え、悪貨が駆逐されているかのように思えます。いちプレイヤーとしては当然そう期待します。
対戦は勝ちを追求するものです。ただし、同時に楽しみを模索するものでもあります――ゲームなのですから。報酬としてのアンロックはけっして存在自体を否定されるものではありえません。ようは、「なにがどのようにアンロックされるのか」なのです。
目的が「ユーザーの引き止め」から「ゲームの妙味」へと変容したとき、アンロック制度は真の翼を獲得することになるでしょう。