『Cyberpunk 2077』コラム – ダサさと想像力

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世の中の、いわゆる大きなお友達のみなさま(つまり、人類全員のこと)に断っておかなければならないが、「サイバーパンク」は誰がなんと言おうとダサい。しかしそのダサさは、すべてのフィクションが内包するダサさから逸脱した特例ではない。例に挙げるのは何だっていいのだが、「戦隊モノ」、「サイエンス・フィクション」、「私立探偵」などの設定のみを想像したとき、それはダサいと思わないだろうか?

あらゆる作品がジャンル分けされるための根拠として持ち合わせている世界設定は、そのジャンルに対して理解がある、ないに関わらず、生のままでは受け手にたいする説得力をもたない妄想の群れでしかない。仮に受け手がそれさえあれば他にはどんなコンテンツもいらないと豪語するほどそのジャンルが好きだったとしてもだ。本編を体験したことのない作品の設定資料集を、個人的な欲求に従って買うひとは(ほとんど)いない。

設定を売りにするフィクションを手がけるすべての作家に課せられた使命は、作品における世界設定を、なんらかの手段でもって受け手に納得させることだ。受け手をここではないどこかへと連れ去り、現実にはやろうとしてもできないことを体験させるために、フィクションの世界へと続く通路を構築すること。これが作家の職人芸であり、その手法は作品の数だけ存在している。

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Cyberpunk 2077』の開発元であるCD Projekt REDは2012年にティーザーを発表して以来、ゲームの内容についてほとんど何も明かしていない。我々が知りうる情報は、それがRPGで、三人称視点と一人称視点があり、進歩したテクノロジーに寄り添う荒廃した人間社会を描くものであるという程度だ。開発中のインゲーム・プレイ動画もまったく出てこないし、詳しい設定も明かされていない。

それでもなお、この開発中のゲームが我々を惹きつけてやまないのは、現時点で出ているもっとも信頼できる情報であるティーザーの出来が非常に優れているからだ。ステンドグラスとパイプが奇妙に組み合わされた都市のイメージ、暴走事故を起こしたとみられる機械化された女性、防護服と火器に身を包んだフィクショナルな特殊部隊、どれだけ時が流れても大枠は変わらないであろう警察無線。こういった種々の要素がスローモーションとアップを駆使した映像で描かれ、見る者の想像力を架空の2077年へと導いていく。描かれているものの多くはサイバーパンクものにありがちなモチーフだが、普遍的な素材を使っているものが他より優れていないわけではない。すべては見せ方の問題である。

女性が履いていたとみられる、現在でもすでにクリシェな匂いがプンプンな赤いハイヒールと、銃弾。未来を描く際に有効なのは、それを受け取る人間が想像できるものを拡張して描くことだ。それにしてもダサいが、それがいい。『Back to The Future 2』で描かれた2015年はあんなにもダサかったが、1980年代当時はあれがカッコ良かったし、実はいまでもカッコイイのだ。
女性が履いていたとみられる、現在でもすでにクリシェな匂いがプンプンな赤いハイヒールと、銃弾。未来を描く際に有効なのは、それを受け取る人間が想像できるものを拡張して描くことだ。それにしてもダサいが、それがいい。『Back to The Future 2』で描かれた2015年はあんなにもダサかったが、1980年代当時はあれがカッコ良かったし、実はいまでもカッコイイのだ。

『Fallout 3』のトレーラーは焼け焦げた真空管ラジオのアップから始まり、徐々にズームアウトして核の炎が過ぎ去ったあとの崩壊した都市を映し出した。『Call of Duty 4 : Modern Warfare』はそれまでの二次大戦を描いたシリーズのイメージを払拭する壮絶な現代の戦争を描き出し、『Bioshock』は海底都市とその内部を、『Bioshock : Infinite』は空中都市と救うべきヒロインを描いた。ところでいま挙げた名作たちをこうして要約してみると、なんとなくダサい感じがしないだろうか?

これらの名作のトレーラーに共通しているのは、丁寧に作りこんだ巨大な絵を提示して、あとは受け手の想像力に委任してしまうところだ。『Cyberpunk 2077』もその例に漏れず、作りこまれたサイバーパンクな世界の一枚絵を提出し、これはいったいどういう世界なのだろうと受け手に想像させる余地を残している。

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細かく寸断された早回しの映像が巷に溢れるなかで、『Cyberpunk 2077』のトレーラーはスローモーションを採用した。受け手にじっくりと検証させ、考える時間を与えるためだ。映像のコンセプトそのものが、受け手の想像力を信用し、その力を通じて作品の世界に引き込みたいと考える作家たちの信条のあらわれとなっている。それはフィクションが持つ力そのものを利用して受け手をここではないどこかへと連れていく、非常に好ましい手段と言える。

古代ローマのアンフィテアトルム(円形闘技場)における剣闘士たちの戦いから始まり、こんにち世界のさまざまな場所でプレイされているすべてのスポーツを遠縁にもつ、余興としての闘争の代替品の役割を越えて、ビデオゲームは人間の想像力をかき立てて飛翔させる芸術作品に進化した。現実の2077年には、我々は死ぬか、老齢に達しているだろう。ただし他のさまざまな芸術と同様に、ビデオゲームは我々に永遠に若いまま時間を越えて戦いや愛や罪を体験させてくれる。ダサかろうがなんだろうが、眼前に広がる光景に圧倒されてその世界に導かれれば、いつでも想像力の助けを借りて、我々はさまざまな場所へ行くことができるのだ。

願わくば本編も同様に、フィクションの力で我々の想像力をかき立てるものであってほしい。ティーザーの公開から3年が経ち、リリースの日程はいまだ明かされていないが、現実の2077年までにその日が来ることを願って、気長に待つことにしよう。

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