ゲームが獲得しつつあるリアリズム キャプチャー技術の発達でゲームはどう変わっていくのか
2013年10月31日に発売した『電撃プレイステーション vol.553』を読んだかたはいらっしゃるだろうか。
そこでは『METAL GEAR SOLID V GROUND ZEROES』(以下『MGSV: GZ』)で監督をつとめる小島秀夫氏と、『BEYOND: Two Souls』で監督をつとめるDavid Cage氏の対談が収録されている。『MGSV: GZ』も『BEYOND: Two Souls』もハリウッド俳優を起用し、ゲームにおける写実的な映像表現を追求している点で共通しており、興味深い対談になっている。読む側の視点によってさまざまなテーマを読みとれる内容の対談になっているが、私がとくに注目したのがフェイシャル・キャプチャーとパフォーマンス・キャプチャーの話題になったときの、以下の小島氏の発言だ。
(『BEYOND』の主人公・ジョディの写真を指して) 例えばこの造形などは、この女の子が20数年の人生を経てできた顔なので、これをまったくのモチーフなしに、ゼロから人間を創るのは不可能に近いことなんです。造形だけでなく、背景やライティングなどもそうですね。だから現実の世界を観察して、それをゲームに落とし込むことも必要になってきた。逆にいえばそれが可能になるくらいテクノロジーが進んできたので、やはり、よりリアルに見せるためには俳優さんの動きや声を収録することが重要になります。そういう意味では、ほとんど映画と同じ手法になってきていると思います。(『電撃プレイステーション vol.553』 8p.)
「フェイシャル・キャプチャー」とは、人間の顔を複数台のカメラで3Dスキャンして、精細な顔の表情のデータをコンピューターにとりこむ技術のことだ。ゲームでは2011年の『L.A.ノワール』で使用され、キャラクターの表情の変化から真相を究明するシステムとして採用された。2011年当時、小島氏はこの技術を称賛しており、これを受けて『MGSV: GZ』にフェイシャル・キャプチャー技術を反映させたと思われる。
一方「パフォーマンス・キャプチャー」とは、人間の動きをコンピューターにとりこむモーション・キャプチャー技術が進化したもので、動きだけではなく、声の収録や顔の表情まで一括してコンピューターにとりこめることができる。映画『アバター』や『猿の惑星:新世紀(ライジング)』などで使われている技術だが、近年はゲームにも多く使われ始めている。たとえば『Ryse: Son of Rome』や『Call of Duty: Advanced Warfare』、『Splinter Cell: Blacklist』や『The Last of Us』が挙げられるだろう。Ubisoftは2012年に、パフォーマンス・キャプチャーのためにトロントに新しいスタジオを設立したほど、この技術は ゲーム製作の最前線で広がりつつある。
『MGSV: GZ』でKiefer Sutherlandを起用した意図
『BEYOND: Two Souls』では、このモーション・キャプチャーの俳優としてハリウッドで活躍しているEllen PageとWillem Dafoeが起用されているが、『MGSV: GZ』の主人公スネークにおいても、ハリウッドの俳優であるKiefer Sutherlandが声と顔の表情を担当することになった。このKiefer Sutherlandの起用は、これまでシリーズでスネークの声を演じていたDavid Hayterから変更されたものだが、どうやらこのキャスト変更の意図も、パフォーマンス・キャプチャーという技術の発達から読み取れそうだ。小島氏は以前、Twitterでこのような発言をしている。
本当は今回の「5」から、これまでの収録の方法から一新して、パフォーマンス・キャプチャーの様に、音声と動きと表情を全て同時で撮るつもりだった。ところが、そうなると僕がハリウッド常駐になる。流石に長期間、こちらを空けられないので、今回は国内で動き、ハリウッドで音声と表情を撮っている。「FOXエンジン」を創り、制作手法も、時代とテクノロジーに合わせて変えた。勿論、音声や表情、動き、3Dキャプチャーなどの収録方法も変わる。なのでアクターさん選びも変えなくてはならない。声、顔、表情、動き、全てが同一人物が望ましい。全てが同じ人物である事で、始めて「演技」がはえる。今回、顔、表情、声、動きの全てを同一人物で実現出来たキャラは少ないが、いずれはそうなるはず (Twitter 1,2,3)
『MGSV: GZ』ではパフォーマンス・キャプチャーは一部の使用にとどまったが、「いずれはそうなるはず」として、小島氏はパフォーマンス・キャプチャーに強い意欲をしめしている。Kiefer Sutherlandの起用は、ネームバリューや声と顔の演技だけではなく、動きをふくめた、きたるべきパフォーマンス・キャプチャーの導入や発達を見据えた起用なのかもしれない。事実、この小島氏の発言は2013年3月のものだが、2014年8月に『P.T.』として配信されたゲームのなかで、小島氏の次回作『SILENT HILLS』が明らかになり、ハリウッド俳優のNorman Reedusが起用され、ゲームキャラクターの見た目、表情の動き、声、動きが一致することがあとで公表された。
映画製作とゲーム製作の接近がもたらすもの
先に引用した小島氏の「(ゲーム製作が)ほとんど映画と同じ手法になってきている」という発言と、後に引用した「アクターさん選びも変えなくてはならない」という発言から、なにがわかるだろうか。ここで映画という補助線を引いてみよう。
ゲーム製作で、フェイシャル・キャプチャーやパフォーマンス・キャプチャーが導入されたことによって、俳優に声だけではなく、顔や体の演技まで求められるようになった。これは映画史において、音と声がなかったサイレント映画から、音と声がついたトーキー映画に変化したとき、当時の映画俳優が、声の質や声の演技まで求められるようになったことを彷彿とさせる。結果として、声の変化についていけなかった、一部のサイレント映画の俳優は没落していき、職を失った。とはいえゲームにおいて、パフォーマンス・キャプチャーの導入が、あるときを境にサイレント映画からトーキー映画で起こったような劇的なパラダイムシフトを起こすことはないだろう。なぜなら、写実的な表現を目指したゲームばかりではないし、人間の身体の動きを取り入れるゲームばかりでもないからだ。しかし、『MGSV: GZ』でのDavid HayterからKiefer Sutherlandの変更は、フェイシャル・キャプチャーやパフォーマンス・キャプチャー技術の発達がもたらした、象徴的な出来事といえるだろう。緩やかなパラダイムシフトが起きている可能性があるのだ。
現実の人間の成長をゲームに持ち込める可能性
『BEYOND: Two Souls』ではEllen Pageが演じる主人公の12年間にわたるストーリーが語られる。主人公が子どものシーンでは、Ellen Pageの顔をコンピューターで取り込んでから、幼少から青年にかけての顔を再構成している。CGキャラクターならではの手法だろう。しかし逆の発想で、現実の人間の成長そのままをゲームのキャラクターと一致させていくことも可能なはずだ。映画ではRichard Linklater監督の『6才のボクが、大人になるまで。』や、François Truffaut監督の『大人は判ってくれない』から『逃げ去る恋』までの「アントワーヌ・ドワネルの冒険」シリーズのように、10年以上のタイムスケールを経て、現実の人間の成長を映画のキャラクターと一致させて描いた作品がある。もしゲームでキャプチャー技術の発達により「アクターさん選びも変えなくてはならない」のならば、ゲームで起用した俳優の作品がシリーズ化したとき、その俳優の加齢による変化もゲームで描けるはずだ。もしそれが子どものキャラクターだったら、俳優の体や顔が成長する過程をドキュメンタリーのようにゲームで記憶し、再現することもできるだろう。そうなった場合、映画スターさながらの、ゲームだけで見た目や声が大衆に知られたスターが登場することもありえるかもしれない。
老いを描いた映画、老いを描き始めたゲーム
現実の人間の成長をゲームに持ち込める発想の延長として、ゲームのキャラクターの老いも描きやすくなるはずだ。年老いた主人公のゲームは決して多くはない。映画では1940年代後半になって、やっと年老いた主人公を描き始めた。その先駆的な作品がJohn Wayne主演の西部劇『赤い河』だろう。Harry Careyのように、かつての映画スターでも年老いたら、脇役に甘んじてしまうのが映画業界の慣例であったが、はじめて『赤い河』で老け役をに挑戦したJohn Wayneは、頑固で若者に説教し、正しい道を導いていく老人の役を演じつづける。これは『赤い河』以前には見られなかった現象だろう。John Wayneが単なる西部劇スターをこえて、アメリカそのものを象徴する俳優になっていくのは、老人になってもヒーローを演じたからに他ならない。老人というのはヒーロー像に新しい価値を与えてくれる。現代ではその路線はClint Eastwoodに託されているだろう。
小島氏は2008年に『METAL GEAR SOLID 4 GUNS OF THE PATRIOTS』でそのテーマに取り組んでいる。もうひとつ年老いた主人公のゲームといえば、2011年の『Assassin's Creed: Revelations』が挙げられる。この2つのゲームは、ステルス・アクションゲームのシリーズとして、ともに4作目となる一致をみせている。ゲーム製作者やゲーマーが高齢になっていくなか、老いがテーマの作品というのは、映画のように広く受け入れられる環境ができていくものと推測できる。この2つのゲームは、ゲームで年老いたヒーローを先駆的に扱った点で、記憶されるべき作品だ。キャプチャー技術の発達によって、老人特有のしわや動きをゲームで扱うのが容易になる。老いがテーマのゲームを製作しやすくなるだろう。
先駆者Jordan Mechner
結局のところ、キャプチャー技術や手法というのは、現実を観察し、二次元の空間に複写、再現する点において、リアリズムと本質的には変わりはない。キャプチャーを創作の表現として扱いはじめたのは、カメラ・オブスクラを使って投影された図像を絵画で複写して描く手法からであろう。異説はあるが、正確な遠近法を描いた17世紀のオランダの画家Johannes Vermeerが代表的な人物だ。
アニメーションにおいては、Max Fleischerが考案したロトスコープが挙げられる。これは実際の人間を撮影し、それをセル画にトレースすることによって、アニメ・キャラクターに人間の有機的な動きを表現させたものだ。実在の人間の動きをとりこむ、というのは紛れもなくモーション・キャプチャーの原点だろう。
このロトスコープをゲームに持ち込んだのが、1984年の『Karateka』や1989年の『Prince of Persia』を製作したJordan Mechnerである。Jordan Mechnerは『Prince of Persia』で、自身の弟を撮影し、その動きをゲームのキャラクターに再現させた。また剣劇のシーンは、1938年の映画『ロビンフッドの冒険』から直接トレースをした。ゲームにおける、動きのリアリズムへのアプローチは1980年代からすでにあったということだ。
実写と見違えるほどのコンピューターグラフィックスの発達と、Jordan Mechnerがゲームでやりはじめた動きのリアリズムが、フェイシャル・キャプチャーやパフォーマンス・キャプチャーとなって、ハリウッドを巻き込み、映画製作とゲーム製作の境界線を曖昧にしている。ゲームは今、本格的なリアリズムを獲得しつつあるのだ。