飽き性と戦わない冴えない積み方

ゲームには"積み"がある。「気になる」「あとでやる」「安いからとりあえず」といった理由でゲームを購入はするものの、ゲームをクリアせず放置し、そのうえでさらに別のゲームを購入してゲームを積み上げてしまう行為である。次世代(いや現世代か)ゲーム機やPCではダウンロード購入が普及しており、これを利用すれば物理的スペースを気にせずにいくらでも積める。かのGabe Newellなる聖人が全PCゲーマーの"積み"をあがなっておられることは有名である。嘘である。

 


大きい声で言うことではないが、かくいう私もよく積む。ローンチトレーラーに歓喜し、週に何度も公式ページをチェックし、予約開始日に即予約したようなゲームでも容赦なく積む。

"積み"に至るまでにはいくつかの理由がある。買ったこと自体を忘れる、所有することで満足してしまう、性に合わない。そして目下私のおもな原罪が「途中で飽きてしまう」だ。

私は結構RPGが好きだ。どのクラスにし、どのようなキャラクターを作成し、スキルを伸ばすかを計画しているだけで時間が経ってしまう。ダンジョンの奥で待ち構えている強敵をいかなる手段で倒すか思索するのもたまらない。

そこまではいい。しかし、「このキャラクターはあれとこれをマスターすればもう型が完成するな」とか、「このスキルを戦略に組み込めばあとはその場の流れでだいたいの敵は倒せるな」だとか、ゲーム内でできること全体をほぼ見渡せるようになった時点で私の飽き性が発症する。頂点までたどり着かなくても、頂点を観測した時点で満足してしまうのだ。

この私の飽き性を友人に説明したところ「お前はドラクエⅠでいえば"はがねのつるぎ"が手に入るころで飽きるんだな」とまとめてくれた。おおむねそういうことである。

 


一度飽き性が発症すれば、あとの流れはいつも同じだ。

  1. 「あ、このゲームそろそろマンネリ化してきたな……」
  2. 「違うゲームでリフレッシュするか」
  3. 「いやあのゲームのことを忘れてるわけじゃないよ? あとちょっとしたら再開するよ?」
  4. 「あっ……ああっ……あ……」
  5. 「…………」
  6. たびのきろくはここでとだえている

そんなふうにすぐゲームを投げ出してしまうくせに、しかし一方ではそれを後悔している自分がいる。そのゲームについて語るにも半端な知識しか持たない自分がそこにいて、「あのゲームってやったことある?」と聞かれても「ああうん、やったことあるけど、途中までしかやってないや……」と小声で申し訳なさそうに答えることになる。パワーワード「あーあれ途中で飽きたわー」を言い放つのも己のプライドが許さない。

その足下には、そろそろ攻略を再開しなければと思い続けたまま半端な攻略で止まったゲームが大量に転がったままだ。積んだことさえ忘れているゲームだってある。心残りだけが積もり続けていく。

 


結論

 

今のご時世、レアだったり特別高価だったりしなければ、ゲームなどいつでも買える。ということはAmazonやSteamに無期限かつ無制限にゲームを預けているのと同じだ。われわれは無限にゲームを積んでいるといっても過言ではない。人は生まれた時から"積み"をかかえているのだ。いやあ、言いたかったジョークをようやく言えた。

妙なプライドによる自己嫌悪にさいなまれたとしても、私は新作を買い、多くを積み、少しだけをクリアする。魅力的なゲームは今もどんどん生まれていて、初めて触れるゲームの新鮮さはやはり何物にも代えがたい。あたらしいなにかを体験することは、ゲームの楽しみのひとつなのだ。やり残したゲームがあるからといって、それがあらたなゲームを始めない理由にはならないはずである。

どうせ積むからといって買わないなどという道を選ばず、積んでしまったゲームにはそっと黙礼して、粛々とやりたいゲームをプレイしよう。人は"積み"を背負って生きていくのだ。開き直りともいえるが、「積まないことをあきらめる」のが筆者の積み方である。

Toichi Arisaka
Toichi Arisaka
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