[GGGotY] ishigenn 編 『Brutal Doom』 1人のバイオレンスゲーマーが見た2013年

さて今年の Game of the Year を選ぶ場合、「1人のゲームライター」としては間違いなく完成度の高い『Grand Theft Auto V』をプッシュします。しかし「1人のバイオレンス嗜好ゲーマー」として見た場合、2013年は僕の脳髄に突き刺さり、背骨をきゅるきゅるとエグっていくようなタイトルとは出会えなかった1年間でした。

2011年の Violence Game of the Year は『Serious Sam 3』、2012年は『Hotline Miami』。そして筆者が選ぶ2013年最高のバイオレンス作品は『Brutal Doom Ver 1.9』です。なお同記事では筆者が独特すぎる基準で選んだ「最も暴力的なゲーム」をご紹介するため、ノミネート作品の「暴力的ではない部分」をわがままに批判しています。決してゲーム自体が面白くないと言っているわけではないのであしからず。

 

そもそも暴力ゲームではない『GTA』シリーズ


big_grand-theft-auto-v-01_medium

『Grand Theft Auto V』が3人の主人公キャラクターを主軸にし、バイオレンスからドラマティックまで様々なプレイスタイルに対応した「完成度の高さ」には舌を巻きました。バイオレンス好きとしては、「トレバー」と「マイケル」の両名に注目せずにはいられません。初登場シーンで踏み潰した脳味噌としゃべるハゲ男と、家族から気の狂った男としてあつかわれるぼっち親父を操作できるゲームなんて、今後そう登場しないでしょう。

ただ個人的に感じたのは、彼らの暴力的で愛くるしい内情は見事なものの、ゲームプレイは『GTA III』の頃から存在した「歩道の人間を轢き殺し続ける」とか「ロケランで運転手を車ごと爆殺していく」ような程度からそれほど進歩していないという点です。確かに味付けの異なる3人のキャラクターを用意することにより、過去作よりも無謀な行動を起こす「動機付け」は容易になりましたが、やってること自体は人を撃ち殺すとか乗り物で無茶するといった内容から変わっていません。イカれた設定のミッション、トレバーによる拷問パートやマイケルのトリップシーンなど個々のシーンは際立っているものの、ほとんどの場面で『GTA V』はどこか「メインディッシュを抜かれたコース料理」のような空虚なバイオレンスが目立ちました。

というのも、神奈川県には申し訳ないものの、『GTA』シリーズは広大なワールドの上に様々なアクティビティと体験を配置して尋常ではないリアル感を生み出すゲームであり、暴力体験はゲームの一部分でしかなく、単なる暴力にフォーカスしたゲームにはできないのです。極端な例を挙げれば、『God of War』のように NPC を殺害する度に暴力的な快楽に満ちた QTE を搭載すれば、途端に『GTA V』のテンポは酷いものとなるでしょう。トレバーやマイケルといった魅力的な材料が存在していたにも関わらず、その根本にあるゲームデザインゆえに『GTA V』は今年の VGotY にはなり得ないと言えます。

 

グロ描写がいいだけの博覧会『Outlast』


cb20130909_04_05_medium

エログロゲームで今年のトップは文句なく『Outlast』です。ゲームはまさにエロティシズムとグロテスクの遊園地といった感じで、血肉と死体はあくまで前菜であり、陰茎が丸見えの兄弟に延々と追われたり、ネクロフィリアのホモフィビアが登場したり、主人公が指を切り裂く拷問を受けたりと、興奮材料は尽きません。

一方で『Outlast』は、ゲームのテーマである「逃走劇」自体がランニングゲームへと形骸化してしまったように、描写されるグロテスクが結局はゲームプレイに関与していない点が最大の問題です。例えば単純な自動回復ヘルス制ではなく足に鉄条網が絡んで引き裂かれるといった移動スピードに影響が出るダメージ、ガラス片や刺の上を歩けばダメージは受けるものの敵から逃走出来るといった経路の用意。あの素晴らしい主人公の震える吐息の演技があるだけに、こういう「受けのバイオレンス」があれば良かったのにというアイディアの妄想は尽きません。

楽しいホラージェットコースターではあるものの、乗っている客は遠目で死体を見るだけで、死肉や臓物に直接触れることはできない。ただのエログロ博覧会です。そこにバイオレンスを介したゲームプレイは存在せず、ゆえに『Outlast』は VGotY にはなりません。

 

面ばかりのバイオレンスで重みがない『Shadow Warrior』


shadow-warrior-image_medium

今年最も VGotY の座に近かった次点のタイトルといえば『Shadow Warrior』です。高速斬撃アクションで敵をバッサバッサと切り裂き、敵の四肢を次々とバラバラにしていく同作は、もっともらしいバイオレンスゲームに見えるでしょう。しかし『Shadow Warrior』はペラペラとした紙を斬り裂いていくような場面が多く、過去の『Serious Sam 3』と比較すると重みがないのです。

マッシヴ感あふれる映画『300』を見てみましょう。『300』はスパルタ軍とペルシア軍の多対多の戦いを描いているようで、実は個対個のシーンを次々と繋いでいるのであり、その連続した映像がスピーディで迫力ある圧倒的な戦場の臨場感を生み出しています。この手の作品で多対多の戦いを馬鹿正直に映しだすと、視聴者はどこを見ればよいのかわからず、散漫とした印象を感じてしまうものです。

大量の敵と戦う『Serious Sam 3』が、近接戦でも遠距離戦でも実は個々との連続した戦いにフォーカスした撃ちまくり系FPSであるのに対し、重量系の敵との戦いを除いた『Shadow Warrior』は敵を面として捉えており、個対多の散漫な戦闘シーンが多い印象です。『Shadow Warrior』が一流の一人称視点高速ソードアクションであることに異論はありませんが、しかし骨肉を断ち切る感覚がマウス越しに伝わるような、一流のバイオレンスゲームには選出できません。

 

バイオレンスの帝王『Brutal Doom』


さて3つのノミネート作品の項目にて解説してきたように、結局のところ筆者が欲しているのは『Grand Theft Auto V』がデザイン的に持ち得ない「暴力的な体験にフォーカス」しており、『Outlast』にはないような「プレイヤーが関与できる表現」があり、『Shadow Warrior』が真に極めていなかった「実は個対個の連続した戦いにを有している」タイトルです。「敵を撃って倒す」以外のことを排除した『Doom』本来の美しい FPS 構造はまさに「暴力的な体験にフォーカス」しており、その WAD である『Brutal Doom』によって強化された殺戮表現と近接アクションは「プレイヤーが関与できる表現」に深みを与え、そして多数の敵が登場するようで実は「個対個」の連続を描く緊迫した戦いがそこにはあります。

長い歴史を持つ名作 WAD 『Brutal Doom』は、FPS の「避けて撃つ」が楽しい『Doom』をさらに「濃密に」する内容です。敵だけでなく主人公 Dooms Guy の攻撃力をも倍増させ、さらにそれに付随して gibs (飛び散った肉片のこと)や血溜まりの増加によるリアクション演出を高めるもの。『Doom』自体が持っているバイオレンスなゲーム性を、さらに「濃密に」している『Brutal Doom』に勝つ敵はなし。2013年の VGotY の座は『Brutal Doom』の Ver 1.9をおいてほかありません。

Shuji Ishimoto
Shuji Ishimoto

初代PlayStationやドリームキャスト時代の野心的な作品、2000年代後半の国内フリーゲーム文化に精神を支配されている巨漢ゲーマー。最近はインディーゲームのカタログを眺めたり遊んだりしながら1人ニヤニヤ。ホラージャンルやグロテスクかつ奇妙な表現の作品も好きだが、ノミの心臓なので現実世界の心霊現象には弱い。とにかく心がトキメイたものを追っていくスタイル。

記事本文: 1728