【祝・ドラクエ30周年】 改めて「堀井雄二」というパラダイムシフトについて
小島秀夫 『ゼビウス』と『スーパーマリオブラザーズ』と、もう決定的になったのは『ポートピア殺人事件』ですね。堀井さんの、『ドラゴンクエスト』を作られている。殺人を起こすに到った動機というのが背景にあってですね、これが泣かせるんですよね。人間ドラマもゲームの中で表現されていたんで、もしかしたらこの業界というか、このメディア、可能性があるのかなと思って…。(ゲームセンターCX第2シーズン第4回「コナミワイワイワールド」より)
ゲームセンターCXでゲスト出演した小島監督はゲーム業界に入ったきっかけを有野課長に聞かれ、決定的なゲームとして『ポートピア連続殺人事件』を挙げつつ、このような返答をした。小島監督がプレイしたのは後年にPCからファミコンに移植された『ポートピア連続殺人事件』ではあったが、この発言は歴史的視座すら捉えた智慧の眼が貫かれている。それはとりわけ「『ポートピア連続殺人事件』は、泣かせるほどの人間ドラマを表現していた」と証言した部分だ。
1986年5月27日に発売された『ドラゴンクエスト』は今年で記念すべき30周年を迎えた。
『ドラクエ1』は何も思惑なく発売されたわけではない。正確にはその前からRPGが受け入れられるような環境作りが周到にされていた。まず少年ジャンプ紙面で『ファミコン神拳』などのコーナーを通じてRPGのシステムや世界観を読者に紹介したこと。そしてアクションが中心だったファミコンゲームの状況のなか、テキストを読んで遊ぶゲームもあることを知ってもらうため『ポートピア連続殺人事件』のファミコンに移植をしたことだ。これらの前段階を踏まえれば、ドラクエの生みの親、堀井雄二氏の功績を「日本でRPGを普及させた」とだけ形容するのは、極めて矮小化した見方になる。そもそも現代ではRPGはそれほど支配的なゲームジャンルではない。だが、RPGをしない人にとっても、ドラクエをしない人にとっても、堀井雄二は極めて重要なゲームクリエイターなのだ。
堀井氏は『ポートピア連続殺人事件』『オホーツクに消ゆ』『軽井沢誘拐案内』を発売し、次に『ドラゴンクエスト』が受けいれられる環境を作り、そして『ドラゴンクエスト』を発売した。これらすべて含めて大きな変化となったわけだが、そのことは最初に引用した小島監督の言葉に集約されているとも言える。具体的にどのような常識の変化が当時、起こったのか。改めて、ドラクエ30周年を迎えたこの機会に「堀井雄二」というパラダイムシフトを検証してみよう。
『ポートピア連続殺人事件』のイノベーション
オリジナルのPC版『ポートピア連続殺人事件』が発売されたのは1983年。あの当時の他のアドベンチャーゲームを見渡すと、ストーリーは大別して「迷宮から脱出する」か「迷宮で宝を探す」かの2種類が多く見て取れる。国産アドベンチャーの代表作マイクロキャビン版『ミステリーハウス』、『ダイヤモンドアドベンチャー』や『幽霊船』、そして『Zork』など、ほどんどのアドベンチャーゲームが「脱出ゲーム」か「宝探しゲーム」かのどちらかに分類できるのだ。もちろん例外はある。シエラオンライン版『ミステリーハウス』や『ミッションアステロイド』、国産アドベンチャーの始祖的存在の『表参道アドベンチャー』などだ。しかしいずれも最終目的が違うだけで、『ポートピア』のように性格付けされたキャラクターが登場し、さらに「泣かせるような人間ドラマがゲームの中で表現されていた」かどうかは疑問符がつく。『ポートピア』以前に、人間ドラマを描いたアドベンチャーがなかったということを証明するのは悪魔の証明なので不可能なのだが、しかし(海外も含めてもいいのかもしれないが)国内の主流アドベンチャーゲームにおいては極めて最初の事例だろう。この観点に関しては堀井氏も実際のところ自覚的である。
堀井雄二 後で知ったのですが、たとえば『ミステリーハウス』の場合、無人の家から脱出するための状況での謎解きでしたよね。そういうのじゃなくて、僕はお話が作りたかったんで、『ポートピア』はむしろ「火曜サスペンス劇場」みたいに、プレイヤーのゲームの進行度によって、さらに殺人事件が起きたりと、物語も進んでいく感じにしたかったんです。(PLANETS vol.1より)
指摘しておきたいのが、『ミステリーハウス』などミステリー的状況を作りだしたゲームはそれまであったし、現代を舞台に実在の地名がでてくるゲームも『京都ミステリーツアー』や『幻の古代王朝』など当時からあったものである。しかし『ポートピア連続殺人事件』は実在の場所を舞台にしつつ、そこでミステリー的状況を作り、人間ドラマを描いたのだ。すなわち「社会派推理小説」のようなアプローチをとった点が極めて新しかったと見るべきだろう。これに関して堀井氏は『ポートピア』の当初の発想として、松本清張の小説『点と線』の名前を挙げており、推理小説志向をうかがわせる発言をしている。
堀井雄二 推理小説的な物語のゲームにすることは決まっていたんですが、手法に悩みましてね。当初は松本清張の『点と線』のようなアリバイ崩し的なものを考えていたんですよ。でも、「なにを?」「どうする?」だけの命令でアリバイ崩しのような複雑なものを作っていくのは、えらく難しいんですね。それで、結局いまのような、因果関係がだんだんと明らかになっていくタイプの連続殺人というストーリーに落ちついてしまったわけです。(月刊ログイン1983年10月号より)
小説志向であり、文学志向。これが同時期の『惑星メフィウス』や『サラダの国のトマト姫』などのストーリーを進めていくタイプのアドベンチャーゲームと決定的に違った点なのだ。『ポートピア連続殺人事件』のイノベーションとは、より広義に捉えれば、「小説(文学)はビデオゲームに移植できる」ということを示したといえるだろう。だからこそ『鍵穴殺人事件』や『道化師殺人事件』、少し後の『スナッチャー』『ファミコン探偵倶楽部』『神宮寺三郎』に『EVE burst error』と、国内でミステリーアドベンチャーという潮流を作ったわけである。
さらに『ポートピア連続殺人事件』は、ゲームでドラマを語る上で、現代のアクション・アドベンチャーで用いられているストーリーテリングの先駆者としてみることができる。1つは『Half-Life 2: Episode 1&2』『BioShock Infinite』『The Last of Us』など、コンパニオン・キャラクターが存在し、台詞をしゃべり、ストーリーを形作っていく手法である。この手法は『オホーツクに消ゆ』『軽井沢誘拐案内』でも一貫して用いられた。もう1つは語り手のヤスこそが事件の真犯人であったという「信頼できない語り手」である。この導入自体も極めて文学志向といえるものだが、主人公に指示を与えてきた人間こそが事件の黒幕であったという展開は、現代のFPS/TPSのキャンペーンに多く見られる展開なのだ。具体的なタイトルを挙げるのはそれだけでネタバレになってしまうので差し控えたいが、おそらくは小島監督の初代『メタルギア』によって世界に広がった手法といえる。だが、その原型こそヤスであり、現代のFPS/TPSのキャンペーンにおける「信頼できない語り手」の起源には『ポートピア連続殺人事件』があるといえるだろう。
既存の映像演出を取り入れた『オホーツクに消ゆ』
1984年の『オホーツクに消ゆ』がその後のゲームにもっとも影響を与えた点といえば、コマンドを打ち込む入力型から、用意されているコマンドを選ぶ選択型を採用したことが筆頭に挙げられる。だが、これまでの観点から『オホーツクに消ゆ』を捉えなおせば、『オホーツクに消ゆ』は「既存の映像演出をビデオゲームで取り入れることができる」ということを示したといえるのではないだろうか。
堀井氏は後年のインタビューでは、『ポートピア』を「火曜サスペンス劇場」によく例えている。だが83年のインタビューでは、松本清張を挙げたり、「アドベンチャーゲームは電子小説であるから」といった発言をしているので、当時の制作においては小説の意味合いが大きかったのだろう。一方でインタビュアーの塩崎剛三氏が「TVの2時間枠のサスペンスものと、構成がよく似ていると思うんですが」と質問し、それに対し堀井氏が「そうかもしれません。ボク自身『土曜ワイド劇場』とか『火曜サスペンス劇場』とかは大好きでよく見ているんですよ」というやり取りも掲載されている。
そもそも『オホーツクに消ゆ』の制作は、このインタビューで次回作『北海道誘拐地図』の構想を話したことがきっかけでアスキーから制作されたという背景があり、北海道へのロケハンではインタビュアーの塩崎氏も同行している。この顛末は堀井氏の著作『虹色ディップスイッチ』の冒頭に触れられているが、つまり塩崎氏が『ポートピア』をプレイして「2時間サスペンスのTVドラマ」という印象を抱き、それに堀井氏が大きくインスパイアされて『オホーツクに消ゆ』の演出として繋がったとやり取りから推測できる。
『オホーツクに消ゆ』が特に志向したTVドラマ風の演出は直接的には『ファミコン探偵倶楽部』などに影響を与えたが、大きな潮流を作ったわけではない。しかし83年にしてアドベンチャーゲームが本格的に既存の映像演出を模倣したと捉えれば、アニメを使ってアドベンチャーゲームに映画的演出を取り入れた『ジーザス』や『ミスティ・ブルー』に繋がったし、冒頭の分割画面演出は『シルバー事件』や『ヘビーレイン』、TVドラマ演出志向自体がTelltale Gamesのようだ。『ヘビーレイン』やTelltale Gamesのアドベンチャーは広義においてはコマンド選択型である。そしてQTEが用いられているが、これは映像的演出をプレイヤーに矢継ぎ早に体験させる効果を狙っているわけである。つまり『オホーツクに消ゆ』のコマンド選択型の導入のイノベーションとは、ストーリー展開のリズムをコマンド入力型よりも早めることによって、映像的演出をプレイヤーに効果的に体験させたことであり、この観点からの最初のアドベンチャーゲームだったといえるだろう。
『軽井沢誘拐案内』、そして『TOKYOナンパストリート』
堀井ミステリー三部作の最終作『軽井沢誘拐案内』は、アドベンチャーゲームに『ウルティマ』の見下ろし型を採用し、終盤には戦闘パートまであり、堀井氏のアドベンチャーシリーズとドラクエを繋ぐようなゲームである。お色気要素が入ったコミカルなストーリーゆえか、家庭用ゲーム機に移殖はされず、後世のビデオゲームに何か影響を与えたという観点からいえば、あまり言及されないゲームだ。だが、『軽井沢誘拐案内』の翌月発売された『TOKYOナンパストリート』と組み合わせて考えれば、途端にビデオゲーム史において重要な作品として浮上してくるのだ。
『TOKYOナンパストリート』は漫画家の関野ひかる氏が制作した、しばしば「恋愛シミュレーションの元祖」とも評されるゲームだ。道行く女の子に声をかけ、コマンド選んで口説いていくのだが、時間やお金の概念まで含んでいるので「恋愛シミュレーション」というわけである。いわば『ときめきメモリアル』のご先祖さまだ。
実は関野ひかる氏は堀井氏と同じく早稲田大学の漫研出身で友人なのだ。そのためか『TOKYOナンパストリート』の冒頭にはCooperation for Development(開発協力)として堀井雄二氏の名前がクレジットされている。具体的に堀井氏が『TOKYOナンパストリート』でどういう協力をしたのかは明らかではないが、極めて近い発売時期とお色気要素のあるコミカルな作風から見ても、姉妹作のようである。
『TOKYOナンパストリート』は1992年の恋愛ゲームの草分けである『同級生』に影響を与えたのではないかというのはよく指摘されている。『同級生』は元々ナンパゲームとして制作されていたのと、『同級生』にも『TOKYOナンパストリート』のように時間やお金の概念があるからである。『同級生』と『TOKYOナンパストリート』が明白に違うのは、『同級生』は『ウルティマ』の見下ろし型フィールドマップをアドベンチャーゲームに採用していることである。そう、まさしくこれは『軽井沢誘拐案内』のスタイルと共通することなのだ。『軽井沢誘拐案内』と『TOKYOナンパストリート』を組み合わせ、ドラマ性を強化すると『同級生』ができてしまうのだ。86年のログイン誌のコラムにおいて、堀井氏は当時の美少女ゲームを考察し、キャラクター性の希薄さを批判し、キャラクターやドラマの強化を提言している。
堀井雄二 少女たちに、ある程度性格づけがなされているソフトもあることにはあるがほとんど申し訳程度で、コミックほど、少女たちの感情がプレイヤーに伝わってこないのだ。これでは、いくらエッチな絵をディスプレイ上に表現してみても、おのずと限界がある。というわけで、これからエッチソフトをつくろうと思っている人たちに、ボクはまずいいたい。なんらかの目的を達成し、“ごほうび”として、イヤラシイ絵を表示させたなら、それだけで終わらせないで欲しい。むしろ、そこからどうすればいいのかを考えてもらいたいのだ。(虹色ディップスイッチ「アダルトソフトの考察・後編」より)
この堀井氏が指摘した欠点を克服したのがまさに『同級生』だったといえるだろう。『同級生』のゲームクリエイター蛭田昌人氏が具体的に『軽井沢誘拐案内』と『TOKYOナンパストリート』に影響を受けたかどうかは、実際のところ不明である。だが、蛭田氏はコマンド選択型ミステリーアドベンチャーの『リップスティック・アドベンチャー』をデビュー作としており、堀井氏が作ったミステリーの潮流のなかにあることは間違いない。『リップスティック・アドベンチャー』で北海道を訪れる展開になるのも『オホーツクに消ゆ』を思わせるものだし、キャバレーの呼び込みの男が登場するのも似ている。美少女ゲーム業界を牽引した第一人者である蛭田昌人氏の『同級生』の原点を辿ると、堀井氏の『軽井沢誘拐案内』と関野ひかる氏の『TOKYOナンパストリート』があるように思えてならないのだ。
『ドラゴンクエスト』、物語志向のRPG
86年11月号のログイン誌に掲載されたコラムで、堀井氏はアドベンチャーとRPGの違いを考察し、その違いとは成長要素以外なく、アドベンチャーとRPGはほとんど同じものと結論付ける。このコラムの掲載時期は『ドラクエ』と『ドラクエ2』の間。そしてそのコラムはまるでドラクエの宣言文とも読み取れる文章で締めくくられる。
堀井雄二 物語性を重要視し、本来の意味でのロールプレイ(役割を演じる)ゲームの道を歩むべきだろう。そして、それができたとき、アドベンチャーとRPGがもとのひとつになるのだろう・・・・・・。(虹色ディップスイッチ「アドベンチャーvs.RPG」より)
『ドラクエ』をアドベンチャーゲームのように物語性を重視したRPGとして捉え直すと、堀井氏は『ドラクエ』で以下の3つのことを実践したと言えるだろう。
1 線ではなく面でストーリーを語る
堀井雄二 ドラクエには主要人物というのがいないんですよ。いろんな町の人が、全員で一つの状況を作り出すみたいな感じで。誰かがベラベラと全部話しちゃうんじゃなくて、情報を分散させて。「あの人はこんなこと言ってる。じゅあ何か裏があるんじゃないか」みたいに、それ自体が一種の謎解きみたいになってくる。ドラクエのシナリオって、どちらかというと「線」じゃなくて「面」なんですよ。(大阪芸術大学 河南文藝 vol.6より)
この堀井氏のいう全員で一つの状況を作り出すRPGの文法の萌芽は『Exodus:UltimaIII』(83年)で見ることができる。『ドラクエ』が『ウルティマ』の俯瞰マップを採用した理由について、堀井氏は「3Dダンジョンはわかりにくいし、フィールドを歩くのが楽しいようでなきゃ一般受けしない(PLANETS vol.1より)」と語っているが、物語志向のRPGを制作するにあたり、3Dダンジョンよりも俯瞰マップのほうが相性がいいと看破したのだろう。そのことは『軽井沢誘拐案内』でも証明済みだ。
2 『クエストロン』から影響を受けたドラマティックな演出
『ドラクエ』が『ウィザードリィ』と『ウルティマ』に影響を受けたことはよく知られているが、堀井氏がそれに加えて言及している第3のゲームがある。それが『クエストロン』(84年)だ。『クエストロン』はウルティマ型のRPGだが、『Exodus:UltimaIII』よりもストーリー性が高かった。また終盤の演出は、非常に『ドラクエ』と似ている。王と兵士たちが主人公を出迎えて労いの言葉をかけるのだ。そして兵士はラッパを吹いて主人公を祝福する。これはつまり「余韻」の演出である。
これまでのアドベンチャーにしろRPGにしろ、ゲームのエンディングはCongratulations!と言葉が表示されたり、一枚絵が表示されて終わったり、非常に簡素なものであった。だが『ドラクエ』は竜王を倒して、すぐに終わるわけではない。『クエストロン』と同じく、平和になった世界を漫遊して人々の反応を確かめることができた。このようにプレイヤーに何かが起こるまでの時間を引き伸ばして体験させる演出は、エンディングを迎える直前の演出としては効果的であった。
王と姫の会話イベントのあとは、FC版『オホーツクに消ゆ』に先立つ映画のようなスタッフロールが入る。映画のようなスタッフロールは『ドルアーガの塔』(84年)で、すでに確認はできる。だが当時としては普及した手法ではなく、むしろスタッフロールを導入したゲームを探すことのほうが難しい。『ドラクエ』のすぎやまこういち氏の美しい「フィナーレ」の曲が流れながらスタッフロールを迎えるのは、前述した時間の引き伸ばしや会話イベントを踏まえつつ、極めて余韻を引くものであった。このように『ドラクエ』はRPGの文法を踏まえつつも、ストーリーをさらにドラマティックにする演出が加えられたわけである。
『クエストロン』のエンディング。5:00~に『ドラクエ』と似た演出を確認できる。
3 『指輪物語』と『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の否定
近代のファンタジー小説といえば、おおよそはJ・R・R・トールキンの『指輪物語』とロバート・E・ハワードの『英雄コナン』に還元される。テーブルトークRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』はこの2つをハイブリッドした世界観である。それに影響を受けた『ウィザードリィ』や『ウルティマ』をはじめとした海外・国内のあまたの「剣と魔法もの」のファンタジーRPGが、この3つを踏襲した緻密な設定による世界観のファンタジーであり、それはやや難解で硬派な世界観であった。RPGのシステムを日本人向けに簡略化し、整理した『ダンジョン』や『ザ・ブラックオニキス』『夢幻の心臓』でさえもそれは例外ではなかった。しかし堀井氏はこのファンタジーの常識に楔を打ち込んだ。
堀井雄二 『D&D』とかは、あまりやらなかったんですよ。あれはやはりゲームマスターの裁量によるところが大きいだろうなと思って、ちょっとついていけなかった。(省略)あとトールキンの『指輪物語』の原作も、ホビットの章だけで何編もあって難しすぎるので、「これを読める人はあまりいないだろう」と(笑)。おいしいとこどりじゃないですけど、もっと楽しめる要素だけ抜き出して、あくまで日本人のイメージする「西洋っぽさ」が出せればいいんじゃないかと思いましたね。(PLANETS vol.1より)
このようにして、海外・国内の剣と魔法のファンタジーRPGが当たり前のように影響を受けていた『指輪物語』『コナン』『D&D』の要素を、『ドラクエ』ではできるだけ排除する方向に舵を切った。まずそれは鳥山明氏を起用したポップなパッケージやキャラクターデザインに反映されている。その結果、従来の「剣と魔法」というよりかは、むしろ「勇者と魔王」と形容できる独自のファンタジーを構築したわけである。
この極めて単純な二元論的様式は、王様の台詞、ロトの墓、ラダトーム城と竜王の城の対比で強調される。ファンタジーが本来もっていた二元論的様式を強調し、全面に持ってくる手法は、おそらく堀井氏が通っていた劇画村塾が影響しているものと推察できる。劇画村塾を主催する漫画原作者の小池一夫氏は「人類が生み出した最大のキャラクターはキリストと悪魔だ」という持論を持っており、自著や講義でもしばしばこのキャラクター論を唱えているからだ。「勇者と魔王」は日本ではゲームやライトノベルなどで、RPGのパロディやファンタジーのパロディのように扱われることがあるが、それはまぎれもなく『ドラクエ』以後のパロディなのである。
『ドラゴンクエスト』の真のイノベーションとはなにか
冒頭で引用した『ポートピア』に感激してゲーム業界に足を踏み入れた小島監督のように、『ドラクエ』に感激してゲーム業界に足を踏み入れたことを述べている人がいる。『マザー』の糸井重里氏だ。
糸井重里 その前にも、『ウルティマ』や『ウィザードリィ』とかを人から見せてもらったけど、どうも自分の苦手な数字の羅列系に見えて、「縁がないなー」と思ってたんです。1年後再び『ドラクエ』をやりだして、僕の中で、ある感情が喚起させられていることに気づいたんですね。RPGでは、僕の作ったものをプログラミングしてもらうことができるんじゃないかと思いはじめたわけ。RPGに夢中になればなるほど、ここはこういうパターンだったら面白いのになあって、ちょうど映画を見てるときに監督の作り方が全部見えてしまうようなかたちで、どんどんゲームに引きずりこまれていったんです。(マザー百科 糸井重里からの伝言より)
この証言のように『ドラクエ』をプレイして、「ここはこういうパターンだったら面白いのになあ」とインスピレーションを刺激されたのは、後のRPGブームやパロディが作り出された状況を鑑みれば糸井氏だけが例外というわけではないだろう。これは創作意欲を刺激する力学が『ドラクエ』のなかで働いていたと見てとるべきあり、これこそが『ドラクエ』の真のイノベーションなのだ。
その力学の仕組みとは、上述した1~3の要素が大きく関係している。RPGで面的なストーリーの語り方を示し、それをドラマティックに演出するという、高度な語り口と演出が渾然一体となっているストーリーメディアとしてのRPGの文法を『ドラクエ1』で確立した。だが、重要なのは高度な文法を使いつつも、語られるストーリー自体は単純な二元論の様式であった点である。これは当然ながら、RPGの高度な文法を使いつつ、『ドラクエ』以上にもっと複雑なストーリーを語れるはずと人々に着想を与えるのは当然の成り行きだった。
そういうわけで『ファイナルファンタジー』をはじめ、スピルバーグの映画に着想を得た『マザー』、小説を移殖したSFオカルト『女神転生』、昔話の『桃太郎伝説』、日本神話を舞台にしつつアニメーションムービーとボイスを先駆的にとりいれた『天外魔境』、そしてその創作意欲を刺激するドラクエの力学は究極的には『RPGツクール』となり、RPGブームが形成されたわけである。
だが、これまでの論点を思い出してほしい。そもそもビデオゲームに文学やTVドラマ、映画などの既存の物語表現を移殖できる可能性を誰よりもいち早く気づき、規範を作ったのは誰だったのか。誰もが『ドラクエ』に触れたとき、この単純な二元論ではなくもっと複雑なストーリーが語れるはずだと触発され、それを自分の発見のように喜んだ。だが、そのような複雑なストーリーや人間ドラマをビデオゲームで語ることができることを指し示した環境を作った張本人は誰だったのか。それはまぎれもなく堀井雄二、その人なのだ。
総論 堀井雄二は「日本のストーリーゲームの父」である
日本のストーリーゲームの源流とは、ジャンル的にはアドベンチャーとRPGに集約される。そしてその中心に「堀井雄二」という存在がいたことは疑いようがない。堀井氏が起こしたパラダイムシフトとは、「ビデオゲームは人間ドラマを語れるストーリーメディアになり得る」という素朴なものである。今でこそ当たり前の観念だが、堀井氏はライターとして、ストーリーメディアとしてのビデオゲームを盛んに啓蒙した事実こそが、当時、ビデオゲームをそのように考えた人間が少なかった証拠であると思う。堀井氏はビデオゲームのテクノロジーが未熟であった時期から、想像力を駆使して、それぞれ異なる様式のビデオゲームのストーリーの語り方と演出と模範を示し、日本のストーリーゲームの進路、ビデオゲームのストーリーメディアとしての役割を決定付けたのだ。
その進路の1つの例としてノベルゲームがある。『ドラクエ』でプログラマーとして手腕を発揮した中村光一氏は、のちにノベルゲームの原点である『弟切草』を作る。中村氏は『Zork』や『幽霊船』をプレイした経験が『弟切草』に繋がったと語っているが、『弟切草』の発売当時の販促チラシでは、自身を『ポートピア』『ドラクエ』に続くものとして位置づけている。これは『ポートピア』『ドラクエ』に続き、『弟切草』がストーリーゲームの領域を広げるという自覚が当時からあったということだ。
堀井氏を「日本のRPGの普及者」と形容するのは一側面を表現したに過ぎない。むしろ「日本のストーリーゲームの父」と形容すべきではないだろうか。その思想は直接的・間接的に多くのクリエイターに影響を及ぼし、日本文化に深く根付き、そして世界に波及している。
映画監督の黒沢清氏は、かつて堀井氏のことを「芸術家」と形容した。ドラクエ30周年のこの機会に、改めてその言葉の真の意味を問い直してもまだ遅くはないはずだ。