2014年度 BitSummit でかいま見えた問題点
[2014年3月19日 17:15 追記]
『重装機兵レイノス』の部分について。まず、本文の主旨は「IP と デベロッパー と ”パブリッシャーをやっているような会社の後ろ盾”をえて」、いわばきちんとした三位一体の形をとってリリースされる作品がインディーと呼べるのか、とい うものでした。誤解をまねく表現がありましたことをお詫び申しあげます。
なお、『レイノス』IPを所有し、かつプレスリリースを公開しているのは株式会社エクストリームで あり、その点だけ切り出せば「販売元: エクストリーム」と表現できなくもありませんが、パブリッシュ業務の範疇と機能を考慮し、かつBitSummitでの扱いをみるに SCE がノータッチであると考えるのはむしろ不自然です。開発さえ順調にいけば・SCE がインディーの支援を放棄しなければという条件付きながらも、BitSummit の場のみならず今後も SCE からなんらかのバックアップを受けると考えるのが妥当です。この点は、旧来の組織的ゲーム開発により定義されてきた「パブリッシャー」の意味と意義が変容 しつつあるということでもあります。
今年の BitSummit は去年浮き彫りになった問題点をいくつか適切に解消しており、イベントとしてより洗練されたことには疑いようがありません。取材対象として興味深く、また 個人的にも楽しめました。一番愉快だったのは BitSummit 名目で弊誌のメンバーを大量に集めて管を巻いていた時間だったような気もしますが、それはおいておきましょう。
本稿はそうした”楽しい思い出”を冷徹に捨て去り、「今年の BitSummit の問題点はどこにあったか」を列記するものです。けっしてイベントそのものを貶める意図はありません。あくまでも、次回以降の改善点としては何があげられるか? が主旨です。
すでに一部関係者からも「反省会」的な意見出しはされていますが(内容等については伏せます)、ここでは安田が感じたことのみを抽出します。なお、状況を確認したのはメディアデーの7日と一般日の9日。8日の様子は把握していないことをあしからずご了承ください。
インディーとは何なのか
PlayStation 4『重装機兵レイノス』の展示でその思いが頂点に達した方も少なからずいらっしゃるでしょう。『レイノス』はメサイヤより発売された過去の IP であり、カルト的な人気をほこる作品です。Wii バーチャルコンソールで販売される程度の知名度はあります。
開発にあたるドラキューは公式サイトを見るかぎり実績の詳細は不明ですが、『機装猟兵ガンハウンド』シリーズを手がけたことだけは間違いありません。少し検索すればなるほど『レイノス』を担う理由もわかります。
しかしです。なればこそ、いったいなぜ『レイノス』で、なぜ BitSummit なのでしょうか。すでにつちかわれた知名度と、実績のあるデベロッパー、そしてソニーというパブリッシャー。もはや「インディー」なるバズワードの定義を 問うまでもないくらいの逸脱を感じます。本作をインディーと”定義”し、あまつさえ特別功績賞を与えた BitSummit がどこの方角へ向けて何を応援しているのか、少なくとも私には読み取れません。
大人の事情からボーダーライン上のタイトルにもアワードを与えなければならなかったのかもしれません。しかし、お世辞にも完成度が高いとはいえな かったあのバージョンで受賞したことには強い違和感を感じます。開催側によるインディー認定のレギュレーション(自前で開発&関係者約50人以内)を「悪 用」されただけなのでしょうか。
ほかにも露骨すぎる「過去の資産」の切り売りがありました。どれだけゲームが面白かろうと、さらにはインディーらしかろうと、鼻につくものはつきます。バブルをふくらませるのは当事者として当然の責務なのかもしれませんが、破裂前提はいかがなものかと思います。
イベントの本懐はどこか
上述のとおりインディーとは何なのかを考えさせられるイベントでしたが、ご存知のとおり「インディー」自体が非常に輪郭の不明瞭なカテゴリとなって います。パブリッシャーが別途ついていなければ? 広報がいなければ? Kickstarterで集金していたら? Steamで Indie/独立系開発のタグがついていたら?
いずれも説得力に欠けます。となると、消去法的に残るのはインディー開発をしているというメンタリティだけです。その枠組もまた曖昧で、つまるとこ ろ「我々はインディーゲームを創っている」という自称こそが究極的にはインディーゲームをインディーゲームたらしめるゆえんです。これは皮肉ではありませ ん。
真剣にそう考えた場合(あるいはそう考えなくてもなのですが)、あきらかにインディーと乖離した作品が陳列されているのははたして正しいことだったのでしょうか。
開催地は任天堂のお膝元の京都です。ですが来場者に「ゲームといえばマリオしか知らない」な層があったであろうことは疑う余地もなく、そしてそうし た方にとっては BitSummit はあくまでマイナーなゲーム作品を並べた展示会であったはずです。そこへあきらかに場違いなサイズのタイトルを同席させてしまうことは、イベントの存在意 義を根本から揺るがしかねない危険行為に思えます
ごく小規模な関西版 TGS をやりたいわけではないでしょう。
運営と資金繰りは正常なのか
ここまで書いたように、本年度 BitSummit 最大の誤謬(とあえて言い切ります)はインディーの定義があやしかった点につきます。
しかし、これは運営サイドのインディーにたいする認識がおかしかったから、と推測するのはおそらく的はずれです。どちらかといえば、スポンサーにたいするアピールとポジション取りの結果と解釈するほうが自然です。
ロビー活動が実を結んだであろう京都市はともかく、ほかの一般ゲーム企業は大切な出資者です。「インディー(っぽいもの)だけを出展しろ!」と強く 要求できないこともわかります。ただ、たとえばブースで『Forza』を展示しながら壇上ではインディーへの受け入れ体制を強調するというのはいくらなん でもスタンスが読めません。Microsoft ならびに Xbox シリーズにかぎらず、大手のパブリッシャー・デベロッパーには事の大小はあれど共通してしまっている現象でした。
たんに今回意思疎通ができなかったから生じた齟齬だというのならばまだ救われます。しかし、もしこの流れを今後も容認し、さらに金銭的な部分でのパ ワーバランスが崩れてしまったら、BitSummit はインディーの祭典たりえません。巨大資本にインディーのメンタリティを遵守するような自浄作用を期待するのは望み薄というものです。そもそも、大手の 「広告」などを見たい場ではありません。
結局のところ、今回の規模でも採算はできるかぎり来場者だけで成り立つようにしなければならないのです。また、出展者からも少額でも吸い上げるとい う案も棄却すべきではありません。その分、個別の物販を拡張して帳尻を合わせることも考えなければならないでしょう(実際そうしているケースもありまし た)。メディア日のカクテルパーティーで2500円取るのですから、本来であればそれくらい皮算用してもよさそうなものです。
美学と美談と根性論だけでは主義主張は倒壊します。
空白のスペース
スペースに余裕があるのは良いことです。ただ、無駄遣いしすぎでした。
同日に開催されていたテーブルゲームイベント『ゲームマーケット2014大阪』では、プレイスペースが用意されており、常時そこが賑わっていたと聞きました。同じようなことが BitSummit ではできなかった理由はないでしょう。
複数の机が空白状態で「残念な休憩所」状態になっていたのはイベント全体の質を損なうものです。どうせなら最初からそれを見越してゲームプレイ場の ようにし てもよかったのではないでしょうか。プレイアブル出展作品はもちろん、すでに一般販売が始まっていたタイトルもありました。というより、べつに BitSummit 出展物に制限する理由もないでしょう。ことこの点についてだけいえば、一番大事なのは盛り上がりです。
出展向けのスペースとしては調整した結果であり、「空いていたぶんだけそこに展示しろ」とはなりません。ただ、オーガナイザーは状況次第で柔軟に場所を活用するよう動くべきだったでしょう。それもまた一つのインディーメンタルに違いありません。
アピールの方針
去年度とくらべ、相対的に海外からの取材が減っていたようです。単純に来場者が増えたからというのが最大の理由。次に、「去年で見限られたから」で す。たしかに去年は会場も講演も微妙でした。数十万の渡航費をかけ取材しにきた結果、Steam Greenlight の事例を英語で聞かされげんなりしたメディアの気持ちもわかります。
外国人が来たら良いイベント、などとというわけでもありませんが BitSummit は日本のインディーゲームシーンの存在をアピールするために生まれたはずです。はたしてオフィシャルでその目的を達成すべく適切にリソースは配分されていたのでしょうか。
私の知る限りでは、公式に現地の様子を実況するストリーミング放送などはなされていませんでした(一部メディアは実施していたようですが)。国内向 けにニコニコ生放送で配信したところで、「興味がない/知らないけれど観れば惹きつけられる」層にたいするアピールとしては貧弱です。それに、配信プラッ トフォームはせめてグローバルスタンダードな USTREAM か Twitch あたりでなければ説得力は出ません。ニコ生は海外の方にとっては視聴するまでの精神的障壁が低くないであろうというのも理由の1つです。
有名人を呼んだセッションやライブパフォーマンスも悪くはありません。ですが、ただでさえ認知度の低い世界なのです。搦手間際のきわどいところを狙わないことには、「知っているひとが喜ぶだけ」で終わります。
セッションコーナーの位置と内容
これは出展者からも意見が出ているのを確認しています。ばっさりと要約してしまうと、ようするに「講演がうるさくて邪魔だった」です。去年のような強制的に演説を聞かされる環境ではありませんでしたが、それでもまだまだです。
完全に独立した区画を設けてしまうと魅力が減じてしまうでしょうから、出展者側にもそれなりの忍耐が求められるところです。しかし、少なくとも TGS のインディーゲームブースは(良くも悪くも)この点では配慮が行き届いていました。
また、セッションに「必然性」がないものがあったこともつけくわえなければなりません。有名所を呼んで客引きしようの精神は非常にシンプルで効果的 だというのは自明です。しかし、せめてインディー関係者だけを壇上にあげるよう絞るべきではなかったでしょうか。少なくとも私は大音量で興味のない楽曲が 流されているあいだ、その一区画には近づきませんでした。出展されていた方の心中も察さざるをえません。
その他些細な部分
以下細かく気になったところを羅列します。
ミスト演出(弊誌 Dimitri 命名「インディー雲」)がカメラ撮影を阻害してきた・インディー雲に必然性を感じられなかった・メディアパス用の表示紙が途中で切れて「緑線一本入ったタ グはメディア」になっていた(開催前からメディア枠での参加人数はフィックスしているはず)・一般公開日来場者の入場対応の手際が悪く長蛇の列を作ってい た。
ほかにも複数ありますが、BitSummit がというよりは参加者に問題があったケースのほうが多いためここでは割愛します。
批判に徹しましたが、私は BitSummit を憎んでいるわけであはりません。数多くのインディーゲームに出会い、そして一部の作品からは感動すらおぼえました。なればこそ、来年もまた国内のインディーを伝える場として機能していただきたいのです。
本稿であげたすべてを1年間で解決するのは不可能かもしれません。ただ、せめていくつかでも、現状のカードでも切れる最適解があるのならば、そちらへの舵取りを切に願うものであります。
私は「インディーゲーム」というくくりにそれほどのこだわりはありません。面白いものはインディーだろうがAAAだろうが面白く、逆もまたしかりです。そして、国内の「インディー」を集める場は多くはないでしょう。
と、長々と書き連ねましたがじつはそれほど心配していません。インディーバブルの崩壊も信じていません。さりとて楽観視しているわけでもありませ ん。 何が言いたいのかというと、BitSummit は最初に申し述べたとおり去年浮き彫りになった問題点を今年はそれなりに埋めてきたのですから、すくなくとも来年度に向けて絶望をまきちらす必然性はな く、むしろ進化を期待するのが道理だということです。
来年もきっと国内のインディーはインディーで、形は変われどメンタリティはそのままに、そして BitSummit ではまた新たな邂逅があるはずです。